間
「ここか……」
男が一人、旧金染トンネルの前に立っていた。
黒い着物の上に蘇芳色の羽織を纏ったその男の身長は百七十に届くか届かないかといったところだ。少し太い眉の間には深い皺が刻まれていて、気難しそうな印象を与えている。顔立ちは男前だと言えるが、薄灰色の瞳を持ったその目は猛禽類のような鋭さがあり、少々近寄りがたい。肌は浅黒く、艶のある長い黒髪を後ろで一つに纏めていて、それが風に揺られている。
男はトンネル内に足を踏み入れる。周囲を注意深く見まわしながら、奥へ奥へと歩みを進め、やがて瓦礫で塞がれた地点まで辿り着く。
「おそらくこの先だ。しかし塞がってしまっているな……」
男は腕を組み、五分ほど考えた後、決心したように瓦礫をどかし始めた。ひとりの力ではとても片付けられるはずのないそれを、小さいものから端に寄せていく。
黙々と作業を続けている最中、絶妙なバランスで保たれていたらしい瓦礫の一部が、がらがらと音を立てて崩れ落ちた。
「むおっ」
男は猫のように飛びのき、その崩壊に巻きまこれることはなかった。
「危ないところだった」と呟きながら、再び瓦礫の山に近付こうと一歩踏み出した時。
メキリ、と嫌な音がした。同時に右の足裏に違和感を覚え、そっと上げると、濁った赤色の石が落ちていた。
元は勾玉のような、あるいは、体を丸めた胎児に似たような形をしていたそれは、真っ二つに割れてしまっている。
「なんだ、これは。……む?気配が消えたぞ。何も感じない……。おお、よくわからないがこれでここからは邪が立ち去ったのだな。きっと私の存在に恐れをなしたのだろう」
納得したように何度か頷き、男は足元の石のことは特に気にせず踵を返した。
「それにしても埃が立って……ふ、ふえっきしぃっっ」
トンネル内に男のくしゃみが響く。懐からポケットティッシュを取り出し、鼻をかみながら帰っていく。
先ほど踏み壊した石は、胎神という土地神を宿していたもので、忘れ去られ邪神となっていたそれが土砂崩れで祠ごとトンネル内に落ちてきていたこと。それが峰草 真紀菜を誑かした元凶であったこと。今のくしゃみで地縛霊と化し未だ嘆いていた峰草を消滅させたこと。
男は何も知らずに満足して帰っていった。




