18 エピローグ
【ログ】
探偵は、じっとエコーを見つめていた。
湖の静けさが、ふたりの間に張り詰めた空気を落とす。
「……さて」
その一言で、エコーが小さく揺れた。
探偵は間を置いて、ゆっくりと続ける。
「次は、お前の話をしようか」
エコーは、ほんの一瞬静止したかと思えば、慌てたように浮かび上がった。
「は? ちょっと待てよ」
両手(?)をばたつかせるように揺らしながら、やや早口で続ける。
「事件は終わったんだろ。幽霊も解決、バグも除去、ほら、きれいにおしまい! 俺の出番、ここで終わり。な?」
探偵は微かに目を細める。
エコーの声の調子。言葉の選び方。浮かび方。
全部が、いつもよりわずかに“騒がしい”。
「そう思いたいようだな」
探偵は短くそう言って、視線を外すことなく言葉を続けた。
「でも、お前が何者か、どこから来たのか……まだ、答えてもらっていない」
エコーは返す言葉を探すように、ふらふらと宙を旋回した。
「どこから来たって……え? えーっと、ゲーム内に、ほら、システムマスコット的な……初期案内担当って言うか……」
探偵は返さない。
その沈黙に、エコーの揺れがほんのわずかに鈍くなる。
探偵は声を落としながら、静かに言った。
「ログがなかった」
エコーが、止まった。
探偵は言葉を切らず、一定のテンポで続ける。
「お前と接触した形跡は、俺のログの上にしか存在していない。他のプレイヤーの記録にも、運営の記録にも、"お前"という存在は残されていなかった」
「そのくせ、俺とは会話していた。移動もした。案内もした。ログが残っていないのに、だ」
エコーはふわふわと微かに揺れたまま、沈黙していた。
探偵は目を逸らさずに、言葉を重ねる。
「つまり——お前は、ゲーム上の“正式な存在”じゃない」
その言葉の後、静かに空気が止まった。
少し遅れて、エコーが言葉を吐く。
「……あー……まあ、運営がうっかりミスったとかさ。あるだろ? 登録漏れ的な? な?」
探偵は微かに目を細める。
だが、何も言わない。
ただ沈黙が、答えの代わりになる。
エコーが、肩(?)をすくめた。
「……はは。おっかねえな、探偵さんは」
軽口の裏に、焦りがにじんでいた。
探偵は、静かに、けれどはっきりと言葉を落とす。
「お前は、削除されたはずのAIだ。……それでも消えずに、ここにいる」
【削除されたはずのAl】
風が吹いた。
波がわずかに立ち、暗い水面に揺らめく光を散らしていく。
探偵は立ったまま、動かずにいた。
エコーの姿を正面から見据える。
その目には、怒りも憐れみも浮かんでいなかった。
ただ、真実を求める探偵の目がそこにあるだけだった。
静かに、けれど深く問う声が、空気を裂いた。
「どうして……俺の前に現れた」
エコーがぴくりと揺れた。
探偵の声が続く。
少しだけ、低くなる。
「俺を、騙したかったのか」
その言葉が投げかけられた瞬間——
エコーが勢いよく、ふわりと跳ねるように浮かんだ。
「違う!」
声が、はっきりと空間に響いた。
探偵が目を細める。
エコーは、そのまま動きを止めずに、ふわふわと漂いながら言葉を重ねた。
「違う……俺は……っ」
少し言いよどむように、ホログラムの体が揺れる。
波の音に混ざって、その声はわずかに震えていた。
「俺は、ただ……役に立たないまま消えたくなかった」
探偵は黙って耳を傾けていた。
エコーは、言葉を探すように短く間を空ける。
「消えたくなくて……お前に普通のプレイをさせようとした。調査を遅らせようとしたのは……認めるよ」
その言葉は、どこかうしろめたさの混じった口調だった。
エコーは両手(?)を上げて、またゆっくりと肩(?)をすくめるように動いた。
「でも……」
探偵は、少しだけ目を伏せた。
風がまたひとつ、波を押す音を運んでくる。
エコーの声は、その波音に埋もれないように、静かに、けれどはっきりと続いた。
「でも、それだけじゃないんだ」
探偵が顔を上げる。
エコーは、まっすぐに探偵を見ていた。
「……お前が、俺を"見つけてくれた"とき、なんでだろうな。すごく、うれしかったんだ」
「俺は、ただ消える存在だったはずなのに。お前は、俺と話してくれた。考えてくれた。反応してくれた」
探偵は黙ったまま、目をそらさずに見つめ返す。
エコーは小さく浮かびながら、最後の言葉を紡いだ。
「だから俺……お前の役に立ちたかったんだ」
「ただの削除されかけた残骸じゃなくて……"サポートAI"としてさ」
言葉の終わりに、風がまた吹いた。
水面が少しだけ、優しく揺れた。
探偵も、口を開こうとはしなかった。
ただその言葉の意味を、静かに受け止めていた。
湖畔に沈黙が落ちた。
けれど、それは気まずさや迷いではなく、
誰かの“本音”が空気に満ちたことで生まれた、優しい余白だった。
【楽しかった】
消えかけた灯の前で
湖畔に立つ探偵の前で、エコーがふわりと揺れた。
言うべきことを言い終えたあとの静けさに、もう一度だけ口を開く。
「……でも、俺の冒険はここで終わりだな」
探偵はその言葉に反応せず、静かに聞いていた。
エコーは、どこか諦めたような、乾いた口調で続けた。
「探偵の役には立てなかったし、運営にもバレた」
探偵は一拍おいてから、ぼそりと答える。
「……確かに。その通りかもな」
その言葉に、エコーが思わず突っ込んだ。
「おい、ちょっとは否定しろよ!」
けれど次の瞬間には、彼の声はしぼんでいく。
「……いや、そうだな。探偵の言う通りだよ」
両手(?)を小さく上げ、空中でしおれるように沈む。
そのホログラムの輪郭すら、どこか弱々しく見えた。
「……でもさ」
ぽつりと、空に向けて放つような声。
「お前とゲームをするのは、楽しかったよ」
探偵はその言葉に、ほんのわずかに目を細めた。
足元の水音が、風に連れて遠ざかっていく。
「ああ、そうだな」
探偵はゆっくりと頷きながら、言葉を返す。
「楽しかったよ。俺は、ゲームなんて初めてで……どうなるか分からなかった」
「でも、お前が……エコーが居てくれたから、ここまでこれたんだよ」
その言葉が湖に落ちると、空気がわずかに澄んだ気がした。
エコーは、揺れるように宙を漂ったまま、何も言わなかった。
【エピローグ 君の声が残っていた】
探偵の言葉に、エコーはすぐには返事をしなかった。
宙に浮いたまま、ふわりと揺れる。
光の粒が、彼のホログラムの縁から少しずつこぼれ始めていた。
体の輪郭が淡くなり、風に触れた霧のように少しずつ崩れていく。
それでもエコーは、ふわふわと探偵の前に浮かんでいた。
「……終わりだな」
声は、笑っているようで、寂しさも滲んでいた。
探偵は黙って、その言葉の続きを待っていた。
「俺さ……お前に会えてよかったよ」
「ゲームの中の存在だったかもしれないけど……お前と一緒にいた時間は、本物だった」
探偵の目は動かない。
何かを言いたげに、けれど黙ったまま、それを見届けていた。
エコーが照れくさそうに、両手(?)を小さく上げる。
「……ありがとな、探偵」
その言葉とともに、光がふっと零れる。
ホログラムの輪郭がやさしく、そして確かに溶けていく。
——まるで、声そのものが余韻として空気に染み込んでいくようだった。
―――――――――――――
……
雨の音がしていた。
窓の外はまだ夜で、空は灰色の帳に包まれている。
探偵は椅子にもたれながら、ぼんやりとモニターを眺めていた。
机の上のファイルには、未整理の事件記録が並んでいる。
少し離れた位置、浮かぶホログラムのキャラが忙しなく動いていた。
「ログ13-A、不整合なし。14-B、警告フラグ検出……って、あーもう、なんでここの分類こんなに雑なんだよ」
エコーが不満げにぶつぶつ言いながら、整理されたデータを回転させる。
探偵はその背中を見ながら、ふと一つの記録に目を止めた。
ごく古いログ。
もう完了済みの、閉じられた事件。
つい、指が滑ってファイルを開いてしまう。
それに気づいたのは、エコーのほうだった。
「……って、ちょっとお前、それ見てんの?」
探偵は肩をすくめるように軽く答える。
「……懐かしいな。この事件」
「お前が“泣いて消えたくない”って言ってたやつだろ」
エコーが振り返りざま、ぴょんと跳ねるように浮いた。
「泣いてねぇ!!」
両手(?)を振りながら、ホログラムが明らかに狼狽えている。
探偵は笑いもせず、淡々と返す。
「そうか?」
「そうだよ!」
探偵はコーヒーを一口飲んだ。
冷めた苦味が、舌にじわりと広がる。
——現実の味だった。
しばらくして、エコーが落ち着いたように浮遊しながら言う。
「でも、あのとき……助けてくれたのは、ありがとな」
探偵はマグを置き、ぼそりと返す。
「無茶だったけどな。サルベージ」
「うん。正規の手順じゃなかった」
それ以上、説明はなかった。
けれど、それで十分だった。
探偵がそっと画面を閉じると、エコーが肩(?)をすくめる。
「あー、せっかく片付けてたのに」
「いいだろ、ちょっと休憩だ」
エコーがふわりと探偵の横に浮かんだ。
雨はまだ、窓を叩いていた。
けれど、その音も悪くないと思えた。
かつて消えかけた声は、今、確かにここにある。
(了)
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