14 地底湖の幽霊
【地底湖】
洞窟を抜けると、目の前に広がる光景が一変した。
岩壁に囲まれた空間の中央に、静寂に包まれた地下湖が広がっている。
洞窟の天井にはところどころ亀裂が入り、そこから僅かな光が降り注いでいた。
青緑に輝く鉱石が湖の岸辺に点在し、水面に映る光と相まって幻想的な雰囲気を生み出している。
湖の水は異常なほど透き通っていた。
それなのに、湖の中央部分だけは不気味なまでに静まり返り、深い闇のように底が見えない。
探偵は足を止め、その光景をしばし眺めた。
「……綺麗な場所だな。」
ふと、ポツリと零す。
「お、おい……。」
隣で漂っていたエコーの声が、不自然に低くなる。
探偵が視線を向けると、エコーは微妙に落ち着かない様子で周囲を見回していた。
その様子を見て、探偵は軽く首を傾げる。
「どうした?」
「……いや、こんな雰囲気の場所で"綺麗だな"とか言うなよ……。」
「綺麗なものは綺麗だろう。」
探偵が淡々と返すと、エコーは口を開きかけたが、何かを言いかけてやめたようだった。
その直後——
湖の中央に、"何か"が浮かび上がった。
探偵は瞬時に反応し、視線を向ける。
そこには、人の形をした"影"がいた。
輪郭は曖昧で、体全体が淡い靄のように揺らいでいる。
水面に立っているように見えるが、足元は湖に沈んでおらず、まるで浮遊しているかのようだった。
それなのに、風もないのに長い髪のようなものが揺れ動き、服のようなシルエットもぼやけながら波紋のように広がっている。
「……幽霊、か?」
探偵が呟くと——
「お前が変なこと言うから出たんだぞおおおお!!!」
エコーが突如として叫び声を上げた。
探偵は眉をひそめ、横目でエコーを見やる。
「俺のせいか?」
「そうだろ!? "幽霊とか出そうだよな" なんて言うから、マジで出たんだよ!!」
エコーは宙を跳ね回るようにしながら、明らかに落ち着きを失っていた。
探偵は改めて湖の中央を見つめる。
"幽霊"はじっとこちらを見ているように見えるが、輪郭が曖昧なため表情まではわからない。
「……。」
試しに一歩前に出ようとした、その瞬間——
スッ……。
"幽霊"は一瞬にして消えた。
湖の水面は何事もなかったかのように静まり返る。
「……あっさり消えたな。」
探偵は足を止め、消えた地点を見つめる。
「ほら、消えた! もう帰ろうぜ!!」
エコーが即座にそう言い、探偵の肩を叩くように近づいてくる。
「帰る?」
「そうだよ! もう十分だろ!? 変なもん見たし、もういいじゃん!!」
エコーは普段と同じような軽い調子で言っているが、その声にはどこか焦りが混じっていた。
探偵はエコーを見つめる。
「お前、何でそんなに帰りたがるんだ?」
「は? いやいやいや、逆に何でお前がここに留まりたがるんだよ!?」
「幽霊が出て、消えた。ただそれだけだ。」
「それだけで十分ホラー展開なんだよ!!! 普通、"よし帰ろう"ってなるだろ!?」
エコーは大げさに腕を振り回しながら、必死に訴える。
「いいか!? こういうときは"普通にプレイ"すんのが一番なんだよ!!!」
探偵はその言葉を聞き、じっとエコーを見つめる。
「……普通にプレイ?」
「そうだよ!! こんな"幽霊イベント"なんかスルーして、クエスト進めてレベル上げすんのが普通なんだよ!!!」
「……なるほど。」
探偵は短く返し、顎に手を当てる。
「……納得した?」
エコーは探偵の顔を覗き込みながら、期待するように問いかける。
探偵はしばらく考える素振りを見せた後——
「そうか。」
静かにそう答えた。
エコーは一瞬、ホッとしたような表情を浮かべる。
「……よし、じゃあ帰ろう!」
エコーが先導するように洞窟の入り口へと向かおうとする。
しかし——
探偵はその場を動かなかった。
「いや、まだ帰らない。」
「は!?!?!?」
エコーが即座に振り返り、目を丸くする。
「幽霊の挙動が妙だった。調べる価値はある。」
「いやいやいやいや!!! 何を言ってんだお前ぇぇぇぇ!!!?」
「お前の方こそ、何を焦っている?」
「焦るに決まってんだろ!? こんなのヤバいフラグ以外の何物でもねぇよ!!!」
探偵はエコーの抗議を受け流しながら、淡々と口を開く。
「まずは、幽霊が本当に消えたのかを確認する。」
「いやいやいや!! 消えただろ!? 今、目の前で消えたじゃん!!?」
「お前が座標を確認しろ。」
「……は?」
探偵の言葉に、エコーの動きが止まる。
「座標を調べろ。"本当に消えたのか"をな。」
エコーは一瞬、呆けたように探偵を見つめたが——
「……チッ、わかったよ。」
渋々ながらもシステムチェックを開始する。
探偵はその様子を見ながら、静かに待つ。
「……」
「……」
「……そんな、はず……」
やがて、エコーの声が震えた。
「おい……」
探偵は僅かに口角を上げ、エコーに問いかける。
「どうした?」
エコーの顔が青ざめたように揺れる。
「幽霊……"まだそこにいる"……。」
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【接近失敗】
探偵は湖の岸辺に立ち、じっと水面を見つめていた。
対岸の"幽霊の影"は、依然として動かず、ただそこに佇んでいるだけだった。
「……さて、行けるか試してみるか。」
呟くと同時に、湖の水際へと一歩踏み出す。
しかし——
足を入れた瞬間、ずるりと深く沈み込んだ。
「……ダメか。」
思った以上に深く、一歩踏み出しただけでバランスが崩れそうになる。
底が見えない湖の中央部まで歩いて渡るのは、到底不可能だと分かった。
「いやいやいや、そもそも"歩いて近づける"とか思うなよ!? 湖なんだから!!」
エコーが思い切りツッコんできた。
「水場なんだから、泳ぐか、飛ぶか、別の手段で渡るしかねぇだろ!? なんで当たり前のように進もうとしてんだよ!!」
探偵は軽く肩をすくめると、湖の岸辺に転がっていた小石を拾い上げた。
「なら、別の方法で試すさ。」
「……おい。」
エコーの声が僅かに警戒を孕む。
探偵は無言のまま、拾った石を幽霊のいた湖の中央へと投げた。
——ポチャンッ。
石が水面に落ち、小さな波紋が広がる。
探偵はその波紋が幽霊のいた場所へと届くのを見つめながら、静かに待った。
【ノイズ】
エコーも無言でその光景を見つめていた。
普段なら「おいおい、何の意味があるんだよ」とツッコんでくるはずなのに、今は一言も発さない。
——その時だった。
ズズ……ッ……
探偵の視界に、一瞬"ノイズ"が走った。
まるで映像が乱れるように、画面が一瞬だけ歪む。
エコーが息を呑むのが聞こえた。
「……おい。」
探偵はその反応を確認しながら、低く呟く。
「……反応したな。」
「……いや、マジでさ。」
エコーの声が僅かに震えている。
「ん?」
「お前、普通こんな時"幽霊怖え!"とか言って逃げるんじゃねぇの!? なんで興味津々なんだよ!?!?」
探偵は淡々と答えた。
「面白いから。」
「いや、もうホントにお前の思考回路が分からねぇ!!!」
【反応消失】
湖の水面に広がった波紋が、ゆっくりと静まっていく。
幽霊がいたはずの場所も、今はただの水面でしかない。
「……残念。」
「いやいやいや!!! お前、なんで"残念"って言うんだよ!?!?」
エコーが即座にツッコミを入れる。
「普通は"うわ、ノイズ出た……こえぇ……"ってなる場面だろ!? なんでガッカリしてんだ!!?」
探偵は特に気にした様子もなく、湖に目を向けたまま淡々と答える。
「記憶が消えるとか、支離滅裂なことを話すとか、そういう影響があるって聞いていたからな。」
「……は?」
「どうなるのか試してみたかった。」
「試す!?!?!?」
エコーが驚愕の表情で探偵を見つめる。
「お、お前、もしかして……」
探偵が幽霊に近づこうとしていた意図を、ようやく理解したエコーは、慌てて指をさした。
「幽霊に接触して"記憶が消える"とか"支離滅裂なこと言う"ってやつを、"実際に自分で確かめようとしてた"のか!?!?!?」
「そうだが?」
「そうだが? じゃねぇぇぇよ!!! お前、ホントに探偵なの!? それともヤバい実験大好きなマッドサイエンティストなの!?!?!?」
探偵は、エコーのツッコミを適当に流しながら、湖の方へ視線を戻す。
「……あ、エコーを投げて試せば良かったかな。」
「お、おい、今なんつった!?」
「いや、もし影響があるなら、お前を幽霊にぶつければ、安全に確認できたかもしれないなと思ってな。」
「ふざけんなぁぁぁぁ!!!! なんで俺を幽霊実験の試験体にしようとしてんだよ!!!!!」
エコーが大騒ぎしながら探偵の前をバタバタと飛び回る。
「お前、俺のこと何だと思ってんだ!? っていうか、そもそも幽霊に触れたらヤバいかもって言われてるんだから、まず近づくなよ!!!」
探偵は微かに口角を上げたまま、肩をすくめる。
「絶対、投げんなよ!!!」
エコーの全力のツッコミが洞窟内に響き渡る中、探偵は幽霊がいた水面をじっと見つめ続けていた。




