大好きです、旦那様。野良王女は離縁を受け入れて出て行きます
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「この結婚は白い結婚として、三年ののちに離縁したいと考えています」
凛々しいラインを描く眉の真ん中に深い皺を作って、明日、旦那様になられる筈の愛しい御方、リオン・ボッカルディ新騎士団長が無情にもそう告げるのを、ローラは「あぁやっぱり」と心の中で受け止めた。
やはり、愛しい人からの申し入れによる降嫁など、単なる幻だったのだ。
この国の騎士団長は、王族がなるというのが代々の習わしである。
それを補う為、ただその為の降嫁だったのだ。噂は本当だったのだ。
小国出身の亡き第三側妃が産んだ使い捨て出来る王女を有効に使った、それだけだったのだろう。
夕暮れ時の赤い空の下。困った顔をしてローラを見つめるその人は、騎士団長の制服が、誰よりも良く似合う人だった。
堂々たる体躯も、程よい筋肉のついた長い手足も、意志の強そうな顔も。
いつも遠くから見つめてきたこの御方を、こんなにも困らせた顔にさせているのが自分なのだと思うと、こんな時なのにローラはくすりと笑顔になった。
「かしこまりました、旦那様。うふふ。まだ籍を入れた訳ではありませんが、せっかくですし“旦那様”って呼ばせて頂いても、いいですよね? 大好きです、旦那様。私ローラ・エミリエンヌ・バルトルは、旦那様からの離縁を、受け入れます」
無様な姿など、見せたくなかった。
せめて潔く、美しかったと思って貰えるように精一杯笑ってみせた。
*****
「お前の降嫁先が決まった」
突然、廊下で呼び止められて告げられたその言葉に、ローラは心の底から驚いた。
勿論その内容にも驚いたが、なによりも国王陛下、一応は父である人から、直接話し掛けられたことなど母が生きていた頃以来だ。
三番目の側妃として迎えられた北の果てにある小国の姫であった亡き母が産んだ姫であるローラの事など、もうすっかり陛下の頭の中から消えているのだと思っていたのだ。いいや、最初から入っていないのだろうとさえローラは思っていた。
「来月、相手が帰還したその日に式を執り行う。女官長に準備は任せてある。お前はアレの指示にすべて従うように」
拒否されるとも質問されるとも思っていない父親は、ローラがドレスの裾を摘まみ上げて腰を深く落す前に踵を返して廊下を歩き出していた。
その背中へ、声を掛ける。
「……御心のままに」
摘まみ上げたスカートを下ろした時には、すでに陛下の背中すら廊下を曲がってしまって見えなくなっていた。
詳しいことなど一切の説明を省き去っていってしまった父親にため息が出た。
それと共にスカートを離した筈の爪先が、古びたレースへと引っ掛かって糸が飛び出た。
慌てて反対側の手で押さえたけれど、糸が伸びているせいでしつこく付きまとってくるスカートの裾が持ち上がる。その弾みで、王女にあるまじき色褪せたドレスの裾から、元は白かった筈だけれどすっかり黄変してしまっているアンダースカートが見えてしまって、頬が羞恥に染まった。
仕方がないのだ。もう去年の段階でここのレースはすでに綻んでいたのだから。
刺繍糸で自分なりに直してみてはいるものの、すでに生地が弱くなっているので、針を刺したところからまた解れていくのだ。
見ていた周囲から失笑が漏れ出す。馬鹿にしたような視線も丸ごとすべて無視をして、スカートの裾を整えると、ローラは女官長を探しに行くことにした。
*****
ローラが5歳になる前までは、母が存命であったことから一般的な教養は教えられていたし、細々とでも母の母国から届く支援もあったので、王妃の産んだ王子王女との差はあれど、それなりに一国の王女として相応しい生活を送っていた。
不幸の始まりは、母の実の両親、一度も会ったことのない遠い国の王と王妃であった祖父母が流行り病であっけなく亡くなったことだった。小さな国でその病が広がるのは早く体力のない高齢者やちいさな子供たちがたくさん犠牲になったのだという。
丁度その頃、念願だった第二子を妊娠中だった母は、両親の死に目に会うこともできず、病は沈静化していたとはいえ妊娠後期では寒い母国へ旅することもできなかったのだという。
葬儀すら参列できなかったことで大層気落ちしてしまったそうだ。
そのせいなのかローラの弟か妹となる筈であった胎の子は流れてしまったのだという。
いつからか、母を薄情者と呼ぶようになっていた母の実兄である伯父上が跡を継いで国王となってからは、母への母国からの支援は一切無くなった。
様々な失意が重なったことからか床に伏せがちになった母は、ローラが十になる前に儚くなってしまった。
そこからローラは、ほとんど誰からも構われることがなくなったのだ。
王城の一角に母が与えられていた居住区は取り上げられ、端にある客室だった場所を与えられた。
「今日からここが貴女様の部屋です」
恭しくも慇懃な態度でそう告げた女官長は、手際よく母の遺したドレスや宝飾品を部屋の中に押し込めると、さっさと部屋を後にした。
日当たりの悪い客室にひとり残されて、ローラはその夜静かに涙した。
けれど、移された場所が客室であったお陰で、常時どこからか客人を迎え入れていた王城では、特に専属侍女などいなくとも逗留している者がいる部屋へは誰かが食べるものを運んでくれるし、後片付けもしてくれる。
掃除は部屋にいない隙を見計らっているのかいつの間にか綺麗になってベッドメイクもされているし、洗濯もメイドが回ってきて回収してくれる。
王城内を出歩くことも許され、図書室を使うことも許された。
けれど、それだけだった。
最低限しかローラへ話し掛けようとする者はいなくなった。そしてそんな数少ない機会ですら、誰も名前を呼んでくれることはなかった。
朝の朝食の準備も「おはようございます」と言いながら部屋へ入ってきて、朝の着替えの手伝いと朝食の準備はしてくれるものの、挨拶以上の口をきくことはない。
夜は戸締りの確認をしに部屋にくるけれど入浴介助をして着替えの手伝いをほぼ無言で手早く済ませると、「おやすみなさいませ」と退室する際に言って部屋を出ていく。
話し掛けても、皆深く頭を下げられ黙るばかりだ。淡々と仕事をこなし、出て行く。
不遇な王女に近付くことで不利益に巻き込まれることを危惧するのか、誰もが目線を合せようとすらせずローラから逃げていく。
そうしている内に、ローラはすべてを諦めるようになった。
いや、王城内で王女として生きることを諦めた、というべきか。
図書室が使えるのでひとり勉強する。
少し早いかもしれないけれど、と母が手配してくれた乳母から優しく文字も教えて貰っていたので読めるようになっていたし、簡単なものなら計算もできるようになっていたのが功を成した。
市井に出るには体力も必要だろう。ダンスを覚えたかったが教師を見つけることができなかったローラは、兄弟姉妹たちがレッスンを受けているところをそーっと覗いては、部屋に戻ってひとり真似をして過ごした。
どうしても寂しくなって仕方がない時は、母の眠る墓所が望める王城の屋上へいき、心の中で母に語り掛けた。
読めるようになった詩の朗読も、見よう見まねでしかないダンスも。
空にいる母へ向けて披露した。
足の動きは分かっても、体の軸がぶれてしまうのか上手くターンができなくて、何度も何度も繰り返す。
客室でしかない部屋の鏡では移動している自分を確認するのは無理がある。
誰かに見ていてもらう事もできなくて、どこがどう駄目なのかも分からないままだ。
それでも。ステップを踏んで身体を動かしている方が、無駄に悩むこともない。
息が上がるまで繰り返して、足が縺れて転びかけた。
慌ててバルコニーの柵にしがみつき、寸での所で事無く済んだ。
眼下では、騎士団が一糸乱れぬ様子で訓練を続けている。
あのくらいきびきびと動けたなら、どれだけ気持ちがイイだろう。
「こうかしら? いいえ、こんな感じ?」
空の手をいくら振り廻してみても、剣の重さを感じることはない。フラフラと軽く動くばかりだ。真似すら上手にできやしなかった。
動き疲れて、ついに床へと座り込み空を見上げた。
「おかあさま、申し訳ありません。私はいつかきっと、この城から出され、王族ですらなくなるでしょう。せめてその時に胸を張って出て行けるように、頑張りますね」
青い空をゆく雲は風に乗って姿を変えながら、どこまでも遠くへと動いていく。
その自由な動きに、ローラは憧れた。
どれだけ長く見上げていただろうか。
「身体が冷えてきてしまったわ」
陽の角度が変わり、すでに夕暮れが近くなっていた。
ローラは立ち上がると、空に向かって精一杯のカッツィを贈った。
『軸がぶれなくなったね』と、母が褒めてくれる声が聞こえた気がした。
けれど。
ローラには、マナーもダンスも何もかもが足りない。できない。
王族とは名ばかりの自分が、哀しかった。
*****
今は、二年前に届けられたドレスを自分で繕いながら着続けている。
月に一度はあった女官長の訪問も間遠になり、もう二年以上顔すら見れていなかった。
「女官長に会いにいけば、着る物も用意して貰えるかしら」
刺繍糸で繕った箇所は弱くてすぐにまた切れてしまう。その内、上から刺繍を入れることを覚えてからは見た目はかなりマシになった気がするが、着心地はどんどん悪くなっていった。
「はぁ。そういえば私ったら、誰と結婚をするというの?」
廊下で呼び止められ告げられるような婚姻だ。きっと後妻なのだろう。
もしかしたら母のように遠い異国で何番目かの側妃にされるのかもしれない。そこでほぼ愛妾と同じような扱いをされるのだ。──母のように。
母を悪く言うつもりはないが、後ろ盾すらない王女として暮らしだしてから、初めてローラは母と自分がどのように見られているかと骨の髄まで知ることになった。
侍女のひとりもつけられずに廊下を歩く王女など、10人以上もいる兄弟姉妹の中でローラの外には誰もいない。古着を着ているのも。多分、よその国でもそうだろう。
『野良王女』
それがローラに付けられたあまりにも不名誉でぴったりすぎる綽名だった。
「確かに、ローラとノラの音は似ている、かもしれないわね」
下働きの少女たちがくすくすと笑いながら話題にしているのが自分のことだと気が付いた時は、驚きよりも恥ずかしくて仕方がなかった。
走って逃げ出したくなるのを必死に抑え、行こうと思っていた図書室ではなく遠回りして部屋へと逃げ帰った。
そんな風に、王城内で下働きする者からすら尊敬ではなく嘲笑されるような王女を異国へ差し出しても何の橋渡しにもならないだろう。
「国内にだって、こんな古着を自分で直しながら着ているような王女を妻にしたい人なんていないでしょうし。どうしましょう、厄介払いに無理矢理押し付けられた可能性も?」
心の不安が漏れ出すように呟いていたこの言葉が、すれ違った者たちの中でどんな風に補完され噂にのり、歪な形で自分の耳へと戻ってくる事になるのかなど、この時のローラには想像もできなかった。
*****
久しぶりに顔を合わせた女官長が、あまりにもちいさくなっていてローラは驚いた。
これほど年老いた人だったろうか。顔色も悪く、刻まれた皺は深い。
「お久しぶりですね。ご婚約おめでとうございます。このような場所においでになっている時間などないのではありませんか? きっと自室へ採寸係が向かっているでしょうに」
挨拶早々、詳しく聞くようにと指名された相手から会話すら成り立たない内に叩き切られ部屋を追い出されそうになって、ローラは焦った。
「あ、あのっ」
知りたいことは山ほどある。伝えたいことも。
しかし取りすがろうにも不機嫌な顔をした女官長からじろりと睨まれるだけで、言葉が喉の奥に詰まった。
それでも最低限の情報だけでも教えて貰わなくてはと、ローラは自分を励ました。
「婚姻に関する詳しいことはすべて女官長に教わるようにと、陛下から申し付けられております。日取りとか、その……お相手のこととかも」
「女官長に訊けと言われてこちらへいらしたのですか。何かお間違えではありませんか? それに、お相手のことと言われましても、私も騎士団長様に関することはお名前と爵位以外には存じません」
「え! お相手って、ドヌス・パルシー公爵様なんですか?」
栄えある騎士団長に就かれているドヌス・パルシー公爵は御年59歳。
二人の子息にも恵まれ妻の公爵夫人もいらっしゃるのにとローラは衝撃を受けた。
まさか国内の後妻どころか愛妾としての降嫁を父から言い渡されるとは、さすがに想像の範囲を超えていた。
「何を馬鹿なことを仰っているのですか。ドヌス・パルシー閣下の奥様が近年体調を崩されていらっしゃるそうなのです。それで、「ずっと傍にいてやりたい」と陛下へ直訴なさいました。陛下はそれを受け入れ、パルシー閣下は騎士団長職を降りられることになられたのです。その後任としてリオン・ボッカルディ様を御指名されました。貴女様のご伴侶となられるのは、そのリオン・ボッカルディ様です。ボッカ子爵家のご次男で、騎士団長を任命された際にボッカルディの名と伯爵位を陛下より授けられております。現在は大隊長を任されて三年目だそうです」
「大隊長に就かれて三年で騎士団長として指名を受けるなんて。とても優秀な方なのですね」
思わず目を瞠る。ましてや、この国では騎士団長の職には代々王族が就いている。
それを子爵家のご次男という立場で受けるとは、どんな方なのだろう。ローラには想像もできなかった。
とてもお強いことは間違いないだろう。背の高い筋骨隆々とされている方なのだろうかと想像の羽を広げていると、女官長から訝し気な視線で見られていることに気が付いて、ローラは自分を恥じた。
「ゴホン。……ご納得されたなら、自室へお戻りになっていて下さい。採寸係を向かわせます」
「あのそれと!」
「まだ何かあるのですか」
うんざりされても、これだけは伝えなければ、落ち着いて採寸を受けることすらできはない。
「ごめんなさい、女官長。あの、私の服が……その、この服もだけれどあの元々ではあるけれど、そのそれ以上に洗い替えも少なくて着回しがギリギリで。古びてきて色々と解れてきてしまっているの。直したいから、縫い糸と刺繍糸を貰えないかしら」
ローラとしては、これ以上ないほど下手に出たつもりだったのだが、それでも足りなかったようだ。
女官長の顔が驚愕に染まっている。
「ご自分で直される? いえ、それ以前に、そう言った服の方が着ていて楽だと言われていたのではなかったですか。着替えるように言われても、我を通されたと」
「? いいえ、特にそういうことはありません。誰かに好みを聞かれたこともありませんし。いつものように、部屋を留守にしている間に入れ替えられていた服を着ているだけです。それとあの、もう二年ほど新しい古着? に入れ替えられていることもなくなっているので、その……」
ローラが言葉を紡ぐ度に、呆れた様子を深める女官長の視線に耐えられなかった。
元々が小国の出でしかない亡き側妃が産んだ後ろ盾のない名ばかり王女。もうすぐ王城を出て行く事になりようやくスッキリすると思ったのに最後の最後まで要求するのかと思われているのかと、心がぎゅっと痛くなった。
あまりの恥ずかしさに、返事も待たずにローラは「やっぱりいいです」と慌てて退席した。
逃げるように自室に戻ったローラを追いかけてくる者はいなかった。
その日はいくら待てども採寸にやってくる者もおらず、ローラはひとり、部屋の姿見の前に立ってあの棒を使って素振りを続けた。
それまでぼんやりと不安に包まれた想像をするばかりであった己の未来について、真剣に考えながら。
*****
結局、採寸に来る者もないまま日は流れ、国王陛下から告げられた式を執り行なう翌月すら半分以上も過ぎてしまったある日、突然部屋にウェディングドレスらしきものが運び入れられていた。
伝統的なデザインと言えなくもないが、古めかしいというか実際に誰かが着た物なのだろう。
それを洗い直しただけ、という風情の少し黄ばんだ白いドレスだった。
「オフホワイト、というか生成り色に戻ってしまったというか」
どこまでも自分の結婚はお荷物処理なのだと突き付けられているようで、ローラは涙すら出て来なかった。
なんなら笑いすら出てくる。
多分きっと、これは子爵家の出身にもかかわらず上位貴族を差しおいて王族のみに許されてきた騎士団長という役職に就くことになった花婿殿への嫌がらせを兼ねているのだろう。
そうでなくては、こんな黄ばんだドレスを身に纏った花嫁を横に並ばせようと思うはずがない。
今月も残すところあと半分を切っている。
本当に挙式は行われるのか、そんな根本的な部分ですら、ローラは懐疑的になっている。
爪先が擦り切れた白いサテンのヒールはサイズすら合っていなくて、踵がカパカパだった。
「愛も無ければ周囲からの祝福もない。この婚姻に、意味などあるのかしら」
城内は今、ローラが最初に考えた通りの噂で持ち切りだった。
騎士団長の後任となれる王族が見つからなかったが故に、腕自慢の下位貴族に不良品の野良王女をあてがうことで地位を補うことにしたのだと。
役立たずな王女を受け入れたからこそ騎士爵どまりの男が伯爵位を得て騎士団長になれたのだと揶揄する声も多い。
すぐ横に、その王女が立っていても誰も気しない。まるで聞かせる為に噂をしているようだとすらローラには感じられて辛かった。
「ううん。私より、リオン・ボッカルディ騎士団長の方が、ずっと迷惑だと思っているわね」
まだ顔も知らない未来の旦那様の不運に、苦笑した。
*****
「リオン・ボッカルディ様が、私をお呼びになっているのですか?」
新騎士団長として国境を守る守備隊への顔見せの為の遠征からお帰りになるのは、明日以降だと聞いていた。
いつの間に帰ってきていたのだろうか。
初めて見る顔のその人は、騎士団から直接呼出しに来てくれたのだろう。
近衛隊ではなく、騎士団の制服を着ていた。
「ハイ。先ほど秘密裏に城へ帰還なされたばかりです。あ、団長とのご結婚おめでとうございます。いやぁ、団長が本当に王女さまと結婚するなんて吃驚ですよ。それもかねがね話に聞いていた憧れの王女様をゲットできるなんて。夢がありますよね!」
「あの?」
ひとり浮かれた様子で喋りまくる騎士に、ローラは圧倒されまくっていた。
「ここだけの話ですけど、王女様、よく訓練を覗きに来てたでしょ? あれ、誰を見に来てるのかなって賭けをしたことがあって。その時に一番怒ったのがリオン団長なんですよー」
「それは……」
誰を観に行っていたという訳ではなかった。
剣の練習方法を知りたかった。それだけだ。
ただ、たくさんの騎士が並んで同じことをしているのに、目を惹かれる人がいたのは本当だ。必ず訓練に参加している訳ではないし、見つかる訳ではない。
それでもどんなに遠くにいても、その人だ、とローラの目には分かった。
立ち姿と剣さばきの美しい人で、その人の動きをいつも目に焼き付けて部屋に戻った。
ひとり部屋で真似をする時も、いつも彼の動きを思い浮かべていた。
理想形。それだけだ。
「怒られた、と言うことはただ私の話題が不快だったということではありませんか?」
「違いますよ! それとは全然違います! あれはね、恋敵を蹴散らす怒りですね。俺には分かります」
「こいがたき」
なんだか、胸がドキドキしてきた。
もし、それが本当ならば。この結婚に、片方だけでも欠片だけでも恋が存在しているのなら。
少しは幸せな物にできるのではないだろうか、そんな気がした。
「そもそもですね、王女様の降嫁は、リオン団長たっての願いだったって聞いてますよ! さぁ、俺の案内はここまでです。団長が、あちらでお待ちです」
案内されたのは、騎士団の練習場に近い、庭の一角だった。
そうして、指し示された方向に立っていたのは、あの人だった。
名前も知らない、ずっと憧れていた、あの人。
「あなたが、リオン・ボッカルディ騎士団長さま」
「ローラ王女殿下。初めまして、というべきだろうか。明日、あなたと結婚することになっているリオン・ボッカルディです。騎士団長の任命を受ける際に、伯爵位を頂きました」
「失礼したしました。リオン・ボッカルディ騎士団長様。私の名は、ローラ・エミリエンヌ・バルトル。一応この国の王女ですわ。明日までの予定ですけど」
冗談を言うつもりはなかったのに、頭の中が上擦ってしまってまともに働こうとしてくれないのだ。
だってまさかあの人が立っているなど、ローラはまったく思っていなかったのだ。
名前も知らないあの人が自分の結婚相手で、しかもつい先ほど聞かされた事が本当であったなら、わざわざ降嫁を申し入れてくれたなど。
ローラには、とても信じられない。
「先月、突然あなた様との婚姻を許す、と書状が届きまして。急遽、外遊の予定を詰めて早めにこちらへ戻って参りました」
「そう、なのですか。私も、先月廊下ですれ違った際に、陛下から突然『お前の降嫁先が決まった』と告げられまして」
「廊下で?」
「はい」
「……相談も、詳しい説明もなにもなく?」
「申し訳ございません。私、あなた様のお名前と顔が一致したのも、つい先ほどでして」
「……なるほど」
そう呟くように口にして目を伏せると、リオン騎士団長は黙り込んでしまった。
沈みかけていた陽射しが刻一刻と、赤くその色を変えていく。
風が冷たく感じるようになってきた頃、ようやくリオン騎士団長が顔を上げた。
その瞳に、色濃く憂いが混じっている。
──あぁ、私は振られてしまうのだ、と何故だかローラには分かった。
「……この結婚は白い結婚として、三年ののちに離縁したいと考えています」
凛々しいラインを描く眉の真ん中に深い皺を作って、明日、旦那様になられる筈の愛しい御方、リオン・ボッカルディ新騎士団長が無情にもそう告げるのを、ローラは「あぁやっぱり」と心の中で受け止めた。
やはり、愛しい人からの申し入れによる降嫁など、単なる幻だったのだ。
この国の騎士団長は、王族がなるというのが代々の習わしである。
それを補う為、ただその為の降嫁だったのだ。噂は本当だったのだ。
小国出身の亡き第三側妃が産んだ使い捨て出来る王女を有効に使った、それだけだったのだろう。
夕暮れ時の赤い空の下。困った顔をしてローラを見つめるその人は、騎士団長の制服が、誰よりも良く似合う人だった。
堂々たる体躯も、程よい筋肉のついた長い手足も、意志の強そうな顔も。
いつも自信ありげな冷静な顔をしているこの御方を、こんなにも困らせた顔をさせているのが自分なのだと思うと、こんな時なのにローラはくすりと笑顔になった。
「かしこまりました、旦那様。うふふ。まだ籍を入れた訳ではありませんが、せっかくですし“旦那様”って呼ばせて頂いても、いいですよね? 大好きです、旦那様。私ローラ・エミリエンヌ・バルトルは、旦那様からの離縁を、受け入れます」
無様な姿など、見せたくなかった。
せめて潔く、美しかったと思って貰えるように精一杯笑ってみせると、その場を後にするべくカッツィを取る。
「私の事はお気になさらないでくださいませ。婚姻中もお世話をお掛けしないで済むように、在野で暮らしますわ」
「え、どういうことですか」
突然伸びてきた腕をローラは手で払い退けると、飛んできた矢を、後ろ手で掴んだ。
「え?」
「危ない! 伏せて下さい、リオン様」
「え、あ。それは俺の台詞っ。うわっ」
カンカンと、飛んでくる矢を、最初に掴んだ矢で弾く。
いつも使っている棒より細いのでやり難くはあったものの、ローラのてのひらには細すぎるという程のことも無い。
むしろ軽い分だけ取り回しがいい。
「襲撃だ! 武器を持った賊が入り込んでいるぞ」
リオンが叫んで助けを呼ぶ間も、飛んでくる矢の数は減らなかった。
どうやら、どうあってもローラ達のどちらか、もしくはふたり揃って殺したいようだ。
「許さない。リオン様は、私が守る」
時に首をスウェーして避け、左手でも新たに矢を掴んで弾き続ける。
その時、「ぎゃっ」と声がして黒装束の男が転び出てきた。
ようやく近衛が走ってやってきて、男を取り押さえる。
「くそっ。変人王女っていうのは本当だったのか」
「あら、私の知らない綽名ね。初めて聞いたわ。誰が言っていたの?」
ローラの問い掛けに、男は答えようとはしなかった。
「お前、少し訛りがあるな。やはりあの国はまだ諦めてなかったのか。後でじっくり尋問させて貰いこの件は国王陛下へ報告を急がねばならないな。お前、簡単に死ねると思うなよ」
リオンは賊を睨みつけた後、その後ろにいる近衛たちへ視線を向けた。
その視線は、どこまでも冷たい。
「王城内へ賊の侵入を許すとは近衛は何をしていたのか。その男の尋問は、我が騎士団で行う。すぐに引き渡しを。今夜の警備をしていた近衛たちにも一人残らず事情を聴きに行くからそれまで各自心して以降の仕事を続行せよ。いいな、覚悟してかかれ」
リオンの指示に、近衛が顔を引き攣らせながら頭を下げた。
後ろ手に縛られ、自死されないように猿轡を噛まされた賊が引き立てられていくのを見送った。
残された庭で、リオンがゆっくりとローラを振り向いた。
ローラのその手に未だ握りしめたままになっていた矢から、優しく指をはがされた。
「あら。うまく、離れませんね。嫌だわ。今になって、震えが……」
実戦と呼べるのかどうか分からないが、ローラが武器をもって戦ったのはこれが初めてであった。
殺されそうになったのも、殺されそうな人を守るべく立ち向かったのも。
手から始まった震えは、今や足元だけでなく全身に広がっている。
そんなローラを、逞しい腕が、ぎゅっと包み込んだ。
「守るべき相手に守られてしまい、恰好つきません。が。守って下さってありがとうございます。でも次からは、俺にあなたの事を、守らせてくださいませんか。それと在野に降りるというのはどういうことですか。やはり騎士団の中の誰かに恋をしているからですか。俺では駄目だったんですか。あぁでも違うな、違いますよね」
矢継ぎ早にされる質問に、ローラは目を廻した。
涙で滲む視界の先で、リオンが、ゆっくりと、訊ねた。
「先ほど聞かせてくれた『だいすき』は、俺への言葉、ですよね?」
自信なさげな声に、励まされる。
突然、抱きしめるなんて大胆なことをしてきた癖に。こんなにも不安げに聞いてくるなんて。
その胸に、ローラへの想いがあるからこその不安なのだと、心に響いた。
溢れてくる涙を、目の前の厚い胸板に顔を擦りつけて拭うと、ローラは意を決して、顔を見上げた。
「名前も知らず、遠くから見つめるばかりでしたので。お顔も存じ上げぬまま、あなた様の剣を振るお姿に惹かれておりました。王女教育もされずに放置されてきた野良王女ですが、あなたを、お慕いしております」
「あなたを野良王女などと揶揄する者たちがいることは知っています。陛下もお心を痛めていらっしゃいましたよ。それであの、“王女教育もされずに放置”というのは、どういうことでしょうか。あなたが教育を嫌って家庭教師を辞めさせたのではなかったのですか?」
突然の疑問に、ローラは吃驚して急いで顔を横に振った。
「私に家庭教師が付いたことはありません。母が存命だった頃に付けてくれた乳母が文字を教えてくれなければ、未だに私は文字すら読むことができなかったでしょう」
「ううむ。なにやら俺が聞いていた話とかなり違うのですが。それも一緒に陛下に報告しておきます。それと」
リオンはローラを抱きしめる腕に力を込めた。
「白い結婚も、三年で離縁の計画も白紙でお願いします。ちゃんと俺の言葉で伝えればよかっただけだったのに。すみません」
一旦言葉を切って、その場に片膝をついたリオンは、真摯な瞳でローラを見上げた。
「好きです、結婚してください」
「はい。よろこんで」
*****
結論として、新女官長とその仲間達がローラ王女への背任行為により捕まった。
王女の専属侍女として真面目に働いていた筈のその侍女は、母を亡くした王女の世話をしている振りをして、実際には私腹を肥やしていたのだ。
「王女は私以外とは話をしたくないと仰って泣いている」と迫真の演技つきで受けた報告を皆、信じていた。実際の所ローラは自分に専属侍女がいることすら理解していないほど、まったく世話などしていなかった訳だが。
亡き母の母国から王女を国に戻せという横暴な要求が繰り返され、その態度があまりにも悪いことから元の場所にいたままでは誘拐されてしまうのではないかと不安げに進言したのも彼女だった。
少人数による世話を提案し、実際には仲間内で王女の為の予算を使いこみ、それがバレるのを畏れて、王女に家庭教師がつくことを嫌い、「王女が会いたくないと部屋に閉じこもっている」などと嘘をついては解雇させていたのだ。
前女官長が高齢により体調を崩し、後任として選ばれた時も、王女の為の予算を賄賂として配ったのだという。
「それでローラは、女官長に聞くようにと言ったのに、前女官長のところへ行ったのか」
関係者を一堂に集めての説明の場で、国王陛下は頭を抱えた。
新しい女官長を気に入っていた王妃も額を押さえて目を閉じた。
そうでもしないと叫び出したい気分だった。
重用していた相手から自分が騙されていたということに、腸が煮えくり返っていた。
「そうか。私達が見せられていた妹の姿は、すべてあの女狐が作り上げた幻想だったのか。可哀想なことをしてしまった」
次代を継ぐ者として呼ばれた兄王子も顔を顰めた。
勉強嫌いの偏屈な異母妹。綺麗なドレスを厭い、化粧もせず、勉強もせず、ふらふらと王城内を歩き回っている変人だと思い込まされていた自分が情けなかった。
「あれはボロに見えるようなデザインの新作ドレスなどではなく、まったくの古着でした」という報告がされた時は、全員が頭を抱えて会議が止まったほどだ。
そうして、王妃や王子が悔やんだ気持ちのその何倍も、国王は悔やんでいた。
呼び出しても来ないのではない、ローラは何も知らされていなかっただけだった。
「あの子がしたいようにして欲しいと周囲に伝えたことが間違いだった」
母親を亡くした幼い娘への愛情の発露の仕方を間違えていたのだと、最悪の形で結果が出てしまった今なら分かる。
女官長が交代し、今やその役職が元の自分の専属侍女へとなっていることすらローラには知らされていなかった。それが許される状況を作り上げたのは、王自身だった。
今この席に前任の女官長がいないのは、ローラの訴えについて新任の女官長と言い争いをしている内に激昂したのか、倒れたままになっているからだ。
その事についても、調査してようやくわかった有様だ。
王女が古着を与えられそれ以外の予算を使い込まれていたことに誰も気づかなかったのは、王城内の女性使用人たちの長となる人間になった者の犯行だったからだった。
周囲がどんよりと反省する中、調査担当者の説明は続く。
「あの賊は、ローラ殿下の伯父である彼の国の王が送ってきたものでした。矢には眠り薬が塗られており、掠るだけで意識を失います。護衛がいればそのまま殺し、ローラ殿下を連れ出すつもりだったそうです」
説明が進む度に、それを聞いている者たちの顔色が憤怒に塗れていくので、担当者は生きた心地がしなかった。
亡き側妃を愛していた王は彼女の母国と戦争を構えるつもりはなかったが、ついに完全に怒ってしまい、国交断絶を言い渡した。
「あの流行り病の時に、我が国が特効薬を少数しか送れなかったことを彼奴はいつまで恨んでいるのだ。だが、この国でも同じ病が流行っていて、友好国相手であろうとそれほどの量を融通できる訳がなかった」
それでも、側妃たっての願いで国王など高齢者たちの分ぎりぎりを送ったらしい。
しかし時の宰相であった伯父は、自分の派閥内にすべて配ってしまったのだ。
体力のある大人ならば苦しもうとも死ぬことはない。にもかかわらず、人気取りの為に使い切ったのだ。
そうして国王と王妃の分すら残さず、彼らが重症になったら追加でもっと送ってくるだろうと高をくくったのだ。
けれどこの国がそれを受け入れる筈もない。それを今も逆恨みし続けているのだという。
「挙句、側妃が亡くなったら、お前を持参金つきで国へ戻せと言い出してな。どうなったらそんな考えになるのだと断った」
次々と明かされる幼いローラには教えられることのなかった内情に、目を白黒させるしかない。
「済まなかった。側妃に恨まれているのが怖くて、そのせいで晩年を寂しく過ごさせた。そしてお前からも。きっと嫌われ……いや、憎まれていると思っていたのだ。お前がしたいと望むことをすべて受け入れることが罪滅ぼしだと思っていた。だが、そんなことは間違っていた。私は自分の罪から逃げていただけだった。間に誰かを挟まず、お前とこうして話し合うことこそをするべきであったのに。許せ、とは言わない。だが、すまなかった。謝罪だけは言わせてくれ」
目を潤ませてそう言った父に、ローラはひとつだけ質問を返した。
「国王陛下は、母の事を、愛していたのですか?」
「国王…へいか」
うぐぅっと呻き声を上げながらも、ローラへしっかりと視線を合わせて、国王は話し出した。
「愛していた。控えめに笑う仕草も愛らしく、守ってやりたいと思った。だが、彼女が母国に残してきた愛する両親ではなく、この国の民を守ることを選んだ私を、あれは恨んでいたのだろう。気にしないでいいと口では言いながら、私を見るだけで辛そうだった」
母国に残してきた両親と愛する夫を天秤にかけてもどちらが重いかなど決められるものではない。
あまり仲の良くない兄のせいで、嫁ぎ先に迷惑を掛けていることなどが重なってしまったのだ。母も父も悪くない。悪いとすれば伯父だろうとローラの心は判断した。
「母は、父上がいらして下さることを、最後までお待ちしておりました。亡くなったのは突然で私も母の最期を見送った訳ではありません。それでも起きている時は、父上とのなれそめを嬉しそうに語り、時には胎の子を産めなかったことへの謝罪を繰り返し、それでもやっぱり、会いに来て下さる日を指折り数えて楽しみにしておりましたよ」
母は父を恨んでいた訳ではなかった。ただ、自分が国王である愛する人を悩ませてしまった事と、両親が亡くなったのは実兄のせいであるのに、それをその愛する人ならなんとかできたのではないかと考えてしまう自分こそが、嫌だったのだ。だから、会いたくても会いたいと伝えられなかったのだと、今のローラは思った。
そうなのだ。母は父に会いたがっていた。その来訪をずっと心待ちにしていた。
だが、それを聞かされるのはローラだけだった。
会いたいのだと口にする母は、けれど最後には必ず「誰にも内緒よ」と口止めをしてくる。
だからローラはその約束を守り、誰にも教えたことはなかった。けれど。
「誰かに、伝えればよかった。母に内緒だと言われても、母が父上に会いたがっていると、そう伝えて、来てもらえるように、たのめば……」
頼んでいたら、何かが、すべてが変わっていたのかもしれない。
「すまない。私に勇気が持てなかったばかりに。お前にもあれのことも苦しませた」
大きな腕に抱きしめられて、ローラは初めて、父の愛を知ったのだ。
*****
「それで? ローラはものすごく強いそうだな」
その場にいた全員が泣き出して、笑い合った後、仕切り直しに酒が振舞われると、王が笑いながら切り出した。
「それはもう! まさか俺がローラ王女に守って貰う事になるとは思いませんでした」
「いえ、あれはもう必死で」
慌てるローラに、周囲の視線が集まる。
「『リオン様は、私が守る』と言われた時には痺れました」
「リオン様!」
ローラの抗議に、リオンは笑顔を向けるばかりだ。
「ほう。我が国の騎士団長を守るとは、なかなか愉快だ。しかし、それほどの腕をどこで身に付けたのだ? 家庭教師にはついた事がなかったということであったが」
「それはその、最初はダンスレッスンを覗き見して、自室で練習をしていたのですが、ちいさな姿見では移動するとすぐに映らなくなるので。それでまったく上達しなくて嫌になった時に、騎士団の練習が目に入りまして。それで、あれなら鏡の前から動かなくても練習になるな、と。クローゼットの中の棒を一本外して、その」
「ずっと振り回していたのか。それで? それだけで?」
「そうです。鏡の前で、ずっと振っておりました! それだけです! もういいではありませんか!!」
真っ赤な顔をして怒ったローラがひとり席を立つ。
バルコニーへと出て行く後ろを、王が追おうとするのを周囲が止めに入った。
「その役割は、父上のものではありませんよ」
「ぐぬぬ」
「いいじゃありませんか。わざわざ、あの子が見つめる先にいる男性を探してまで縁づけたのでしょう? 仲がよろしくて何よりだわ」
王子と王妃に諫められ、王は肩を落として諦めた。
そっと、婿に定めた男の後ろ姿を見送る。
「さぁ。今夜は飲みましょう。結婚式の準備もやり直さなくては」
「えぇ、時間もお金も使って、盛大なものに致しましょう。王女に相応しいものに」
ローラの部屋にあったウェディングドレスと思しきものを見せられて、怒りのままに破いたのは王だった。王妃も一緒になって踏んづけた。
このふたりはある意味お似合いの夫婦なのだ。
*****
「結婚、ですか」
「あぁ。婚約者がいないことは知っている。それで? 想う相手などはいないのか」
“など”と濁されているが、そこに大人の付き合いを含んでいること位は、リオンにも察することができた。
婚約者がいる訳でもなく、結婚している訳でもないリオンが自由恋愛をしていたとしても誰に憚るものでもないが、高位貴族と縁を結ぶとなると問題になるのだろう。
しかし不甲斐ないことではあるが、リオンにそういった色めいた話は一切なかった。色恋に興味がない訳ではない。
──我ながら子供のような片恋に縛られている。
頭を掠めていくその姿に、苦笑した。
子爵家の次男如きが手に入れられるような恋ではない。そもそもこの想いを恋だと言い切っていい物かどうかすら、分からないでいる。
不遇の姫を守る騎士になりたいだけなのかもしれない、とも思う。
ただあの方の視線が、自分以外の男に向けられているかもしれないと思うと、どうしようもなく苛立つ。
手に入らないからこそ、守れる者になりたかった。
強くなりたいと本気で思い始めたのはそれからだ。
「新騎士団長として辺境の地を守る各地を回る遠征に出る前に、そなたの考えを確かめておきたい。幾つか縁談の口利きも頼まれておる。私から薦めたい相手もいるのだが、しかし、そなたが心に決めた相手がいるとしたら無粋だと思ってな」
じっと国王陛下に見つめられて、息を呑んだ。
この御方に直接願い出ることが可能な今ならば、もしかしてこの恋を叶えることができるかもしれない。
それはあまりにも大それた願望で、むしろ無謀でさえあっただろう。
そもそもあの方が野良王女と呼ばれるようになったのは、国王陛下の愛情故だ。
母を亡くし、頑なに人との交流を拒むようになった王女の我儘をすべて受け入れることにしたのは王その人だからだ。
王女としての教育もなにもかもを放り出して王城内をひとり彷徨うように歩き回る。わざとそういう服を新品で作らせてまで着ているというボロボロの服は、リオンから見てもまるで似合っていない。
その行動が寂しさから生まれるものであるならば、自分がその寂しさを埋めたかった。
「実は、ずっと気になっている女性がいます。私如きが想うことは許されないと思っておりましたが、それでも言葉にすることを許していただけるなら、今だけでも」
「ほう。それで、その女性とやらは?」
「それは……」
恐れ多くもその名を口にすれば、図らずも王から許しを得られた。
望外の喜びに天にも昇る気持ちだった。
「そうかそうか。よかった。実は、あれが見つめている先にいる男がいると聞いていて、縁を結んでやりたいと思い、お前を呼び出したのだ。だが、まさかふたりが想い合っていたとは。予想していなかったな」
「まさか。それは、本当のことですか」
やはり、とまではさすがに言えなかった。
それでも実は両想いであったのだと示唆されて、高揚しない訳がない。
訓練中に視線を感じると思っていたのは、気のせいや自意識過剰などではなかったのだ。
遠征中はずっと、会えたらどう想いを告げようかと考えていたのに。
まさか名前も顔も知らないと切り捨てられた時には、不敬ではあるが王の調査不足を恨んだ。
恋かどうかわからないなど、あやふやな言葉で自分を騙すことすらできないほど、心はすでに傾いてしまっているというのに。
つまり他に想いを寄せる男が騎士団の中にいるのだ。そう思うだけで胃の腑が捩れる。
だから、白い結婚を申し入れた。
傍に囲い込んで甘やかし、ゆっくりと俺の想いを伝えていけばいいのだと。
同じ時間を過ごすことで、彼女の心の中にいる男を追い落とし、その真ん中に居座ってやろうと浅ましい考えを巡らせた。
そんな恋に狂った男の見苦しくも愚かな考えは、ローラ王女の高潔な心にすべて打ち砕かれた。
『許さない。リオン様は、私が守る 』
新たな恋に、目が覚めた。
*****
「ローラ王女」
「知りません」
「ローラ王女、こちらを向いて下さい」
「……」
愛しい人に甘く名前を呼ばれて、無視できるほどローラは強くない。
誰かに名前を呼んで欲しいとあれほど渇望していたのはそれほど昔の事ではない。
「強くなりたかったのは、在野に降りるつもりだったからなんですよね」
やさしく問われて、頷いた。
「この城には、私を必要としてくれる人は、誰もいないと思っていたの」
母亡きあとは、誰もローラを見ていないと思っていた。
邪魔だと思われているとばかり思っていた。
「俺がいます。訓練場で、ふと見上げるとあなたがいることに気が付いてから、ずっとあなたを探していました。あなたを守れる人間になりたいと思った。そうして強くなったつもりだったんですけど、まさかそのあなたに守って貰えるとは思いもしませんでしたけど」
「もう! またそれを繰り返すの?!」
「いいえ、そうですけど、そうじゃない。聞いて下さい。俺を守ると言い切って飛んでくる矢を次々とはじき返すあなたに、二度目の恋をしました」
「リオン様」
「守られるばかりではない、あなたを守る盾と剣に、なりたいのです。愛しています」
ぎゅっと抱きしめられて、声が詰まる。
「多分、王も、誤解が溶けた今は、王妃や王子たちも、きっとあなたを大事に思って下さるでしょう」
「そうね。でも、その中でも、あなたは特別なんでしょう?」
「勿論です。あなた様の特別に、していただけますか」
勿論よ、とローラが囁いて、ふたりは顔を寄せあった。