「責任はとる。結婚しよう」「いや真面目か」
最初に思わず手が出てしまったことは、状況的にしょうがないと思ってほしい。
山本琉生は、十九歳の男子学生だ。深夜のコンビニバイトを終えて、一人暮らしをしているアパートに帰宅する。
「つっかれたぁ。とりあえずお風呂に入ろっかな」
シャワーで汗をしっかりと流し、今日は休日だからこのまま起きてゲームでもしようかと頭をタオルで拭きながら考える。
体の水滴もしっかりと拭き取ってから浴室の扉を開けると、目の前に知らない男が立っていた。
「は?」
男は百九十センチほどの背丈があり、何やら変わった服装をしている。まるで西洋の騎士のような恰好だ。彫りが深い顔立ちは、日本人のもとは違う。茶髪の短髪に、緑色の切れ長の大きな目はこちらを呆けたように見つめている。そして、土足。
泥棒か!
瞬時にそう判断すると、手に持っていたタオルを男の顔に向かって投げつける。そうして生まれた一瞬の隙に距離を詰め、鳩尾に狙って右足を突き出す。
が、相手はそれをあっさりと左手ではじく。
上等じゃん。
勢いのままに二手、三手と繰り出すが、男はいずれも受け流していく。その流れで反撃してくるかと思っていたが、戸惑いの表情を浮かべるだけで決して反撃はしてこない。
男はこちらに向けて何か言葉を発しているが、耳を澄ましても何を言っているのか聞き取れない。英語ともまた違う、初めて聞くような言語のように感じる。
琉生が攻撃の手を止めると、相手はホッとしたような表情になり、また話し掛けてくる。
「ごめん、何を言っているのか全然わからない」
こちらの言葉も通じていないのであろう。男は意志の強そうな眉を八の字にして、今度はジャスチャーで何かを必死に伝えようとしてくる。
「わかったわかった! とりあえず話? は聞くから服だけ着ていい? 僕まだ裸のままなんだよね」
琉生は両手のひらを前に突き出してストップしてほしいことを伝えた後、自分の体を指差して裸であることと、服を着たいということをジェスチャーで伝える。
そうすると、男もハッと気づき、慌てて頭を下げてくれた。
服を着終えると、場所をリビングに移し、テーブルを挟んで向かい合って座る。
まずは自己紹介するべきだろうと、琉生は自分を指差しながら「る、い」と名乗る。名前を名乗っていることが男に伝わったようで「ルイ」と、確かめながらしっかりと言葉に出してくれた。肯定するようにひとつ頷くと、男も頷き返してくれる。
今度は、男が自身を指差しながら「ギルバート」と発音する。琉生が「ギルバート?」と確認すると、ギルバートは「ギル」と返してきた。ギルと呼んでもいいということだろうか。改めて「ギル」と声に出すと、ギルは満足そうに微笑んでくれた。
その後、ギルはジェスチャーを交えながら必死に自分に起きたことを伝えようとしてくれた。
両手で大きな丸をつくって、そこに吸い込まれる動作をした後、一度ジャンプして降り立ったようなポーズをしてから浴室前を指差す。
にわかには信じがたいけど、地球とは違う世界から何か大きな穴に吸い込まれて、出てきた場所が僕の部屋の浴室前だったってこと……で、いいのかな? まじか。
ギルは他にも「ライナス」と、おそらく人名を言った後に口をパクパクさせながら自身の頭を指差していたが、ごめん、よくわからない。
とりあえずもう夜も明けようとする時間になってきたし、自分も頭の中がパンクしそうなので、一度寝ようと思う。うん、それがいい。
ギルに、ベッドを指差して寝たいことをジェスチャーで伝えると、どうぞというようにジェスチャーで返される。
「ギルも一度寝たら?その恰好だと寝づらいだろうし、服も貸すよ」
クローゼットから比較的大きめのスウェットを出すと、ギルに差し出して着るように伝える。着替えた後、ベッドを指差してここで寝てほしいことを伝える。
「お客様用の布団なんてないし、床はフローリングで硬いしさ。シングルで狭いけど、まぁ我慢してよ」
ギルは慌てたように両手を胸の前で振って固辞しているようだったけど、こちとらバイト明けに予想外のことまで起きて体が疲れているんだ。早く寝たい。
「遠慮はなし! いいから寝るよ!」
ギルの右腕を掴むと、問答無用に一緒のベッドに引き込む。ギルは遠慮してベッドの端ぎりぎりに横になっているが、もうそれは放っておこう。
「起きたら全部夢でした~、なんてことになってないかなぁ」
なっていなかった。
目を覚ますと、横にはギルがお行儀の良い姿勢で寝ていた。
琉生が起きた気配が伝わったのか、ギルもすぐに目を開けた。
「おはよう、ギル。朝ごはんでも食べる?」
こうして、男二人の奇妙な生活は始まった。
ギルに料理や洗濯を頼もうと思ったのだが、どうやら彼が住んでいた世界とは様式がまったく違うらしい。ガスコンロや洗濯機を見て、顔中にはてなマークが浮かんでいるのがとても伝わってきた。
中途半端にジェスチャーで伝えて大変なことになってもよくないので、まずは日本語を覚えてもらうことから始めた。
ギルはとても飲みこみが早かった。2ヶ月ほど経った頃には、日常の簡単な会話ならやり取りができるようになった。
ここに来るまで、色々とあった。
初めてテレビを観た時、ギルはとても驚いていた。そこまでは想定内だったが、テレビで戦闘シーンが流れ始め、テレビの中の人物がこちらに向かってナイフを振り上げた瞬間、ギルは近くにあった掃除機を掴んでテレビ越しの人物めがけて思い切り振り上げた。一瞬のことで制止は間に合わず、当然テレビは修復不可能な状態に。以降は、テレビなし生活にした。
トイレについては、便座横にある色々なボタンが気になったようで、ウォシュレットのボタンを押して本人やトイレの中がびしょ濡れになった。体格のいい男が情けない顔で必死にウォシュレットの水を両手で止めようとしている姿は、本人には悪いが思い切り笑ってしまった。
「ルイ、お風呂の掃除が終わった。洗濯物はもう取り込んでいいか?」
「うん、ありがとう。お願い~」
ギルがある程度言葉を覚えると、家事をお願いするようになった。ギルは、家事が一切できない男だった。話を聞くと、国の部隊? に所属していて、寄宿舎では専属の者が雇われていたから家事はしなくても良かったそうだ。
琉生は小さい頃に両親を亡くし、母方の祖母に育てられてきた。そのため、小さい頃から家事全般は叩き込まれていた。育て上げてくれた祖母も他界したため、現在は家を引き払って一人暮らししている。
ギルに家事を教えると、すぐに覚えて器用にこなしてくれている。バイトから帰ったら綺麗なお部屋で美味しいご飯が待っている生活、最高。
「さきほどライナスから交信が来て、そろそろ元の世界に戻る術式が出来上がるそうだ」
ギルがこちらに来た日「ライナス」という名前を言っていたが、どうやらこの人物が今回の出来事の元凶のようだ。
ギルがある程度日本語を話せるようになってから聞いた話だと、ライナスは魔術が使える人物で、彼が時空の検証をしている時にたまたま居合わせたギルが、時空の引力に引っ張られ、気付いた時にはこちらの世界にいたという。不憫だ。
ライナスとは、こちらの世界に来てから定期的に交信が来ていたとも話してくれる。「俺は魔術が使えないから、一方的な交信だけどな」と、いうことだそうだ。
「そっか。ようやく戻れるんだね。良かったじゃん」
「ありがとう。ルイの元へ飛ばされていなかったら、今頃俺はどうなっていたことか」
「あはは、大げさだなぁ。こちらこそ家事を色々としてもらっちゃって、大助かりだったよ」
二人で和やかに話していると、ギルが突然頭に手を当てて慌てだす。
「は? いや、ちょっと待て。急すぎる!」
「え、なに、どうしたの?」
「ライナスが、術式が出来上がったから今から戻すと……」
ギルがそこまで言ったところで、彼の真後ろに黒い大きな穴が突如出現した。そのまま吸い込まれていく時、琉生はハッと気づく。
「待って! こっちに来た時に着てた服……!」
ギルがこちらの世界に来た時に着ていた鎧一式について、なくさないように袋へ入れて壁にかけておいたのだが、それを慌てて掴んで彼に手渡そうとする。
琉生が穴に向かって袋を掴んでいる手を伸ばすと、その手がグイッと引っ張られる感覚に襲われる。
「は? え、ちょちょちょちょちょっと待って」
慌てて手を引っ込めようとするが、時すでに遅し。体全体が強制的に穴へと引き寄せられていく。
「うそ! やば……っ!!」
「ルイ!?」
ギルは、琉生が吸い込まれそうになっていることに気付くと、大きく目を剝く。
琉生は逃れられないと悟ると、咄嗟にギルの服にしがみつき、ギュッと目を瞑る。
『ルイ! おい、大丈夫か!?』
……ギルの声?
フッと目を開けると、目の前に心配そうな表情を浮かべているギルの顔が見えた。
『あれ、ギル? 僕どうして……』
琉生は、ギルに上半身を抱きかかえられた状態で床に座っていた。
周りを見渡すと、見たことがない薬草のようなものが壁に無造作にぶら下がっていたり、紙が乱雑に高く積み上げられた上で少し崩れていたりする。
部屋は全体的に薄暗く、そこに溶け込むように一人の人物が立っていた。
黒いローブを頭から足首まで被っていて、黒のブーツを履いている。ローブから覗く髪色は紫で、長い髪をサイドでゆるくまとめている。こちらを好奇心いっぱいに見つめてくる少し垂れた瞳は黄色い。
何やら話しかけてくるが、さっぱりとわからない。
『すみません、何を話されているのかわかりません……』
琉生の言葉を聞いたギルは、ローブの男性に向かって何か話している。
ギルの言葉を聞いた男性は納得したような表情をすると、右手の人差し指を琉生の額につけ、ぶつぶつと言葉を紡ぐ。
「さて、これで言葉がわかるようになったはずだけど、どうだろう?」
「あ、わかります」
良かった良かったと、ローブの男性はにんまり笑ってから両手を広げる。
「私はライナス! そしてここはミルムーア! 我々の国へようこそ!」
元気いっぱいに言われてもテンションについていけず、琉生はぽかんとする。
てかライナスって、元凶のやつじゃん。
その様子を見たギルは、ため息を吐く。
「すまん、ルイ。ライナスは我が道を行く奴なんだ。こいつのテンポに合わせる必要はない」
「なんとひどい! 天下の大魔術師様に向かってあまりな言葉じゃないかい? ま、気にしないけど」
気にしないんかい。
琉生が心の中でつっこんでいると、ギルが現状について説明してくれる。
「俺が時空の穴に吸い込まれる時、ルイも一緒に吸い込まれてしまったんだ。ここは俺が元々暮らしていた国で、ミルムーアという。この部屋は、ライナスが魔術の研究をする際に使用する部屋だ」
なるほど。だから言語はわからなかったし、部屋は怪しい雰囲気だったのかと納得した。
「巻き込んでしまってすまなかった。ライナスにルイの住んでいた場所まで時空をすぐに繋げてもらおう」
「それが無理なんだよね~」
「「は?」」
無理だというライナスの言葉に、琉生とギルは同時に反応した。
ギルは、琉生を抱えていた手を離すと立ち上がり、ライナスに詰め寄る。
「無理とはどういうことだ」
「そんな怖い顔しないでよ~。凛々しい顔が台無しだよ? あ、ごめんごめんごめん殴らないで。人の魂には色というものがあってね。一人として同じものはないのだけど、今回、別の次元にいるギルの魂の色に座標を定めて引き寄せるための術式を組んだ上で、こちらに戻したんだよね」
「いつ俺の魂の色を知ったんだよ……」
「天才魔術師様だからねっ」
「答えになっていない」
話が逸れてしまっているので、元に戻そうと琉生が質問する。
「あの、魂の色とかは関係なく、たった今繋げていた時空の穴をもう一度出現させることはできないんでしょうか」
「うーん、ごめん。ギルという座標があったから繋げられたのであって、もう一度そちらの世界に繋げることはできないんだ。時空の穴は作ることができるけれど、それが元いた世界に繋がっている保証はないしね」
「そう……ですか」
それと……と、ライナスは少し気まずそうに琉生の首から下に視線を向ける。
「まだ気付いてなかったりする?」
「何にですか?」
「君の体」
体?
ライナスの言葉に琉生が自身の体を見下ろすと、固まった。
ギルも琉生の体がどうしたのかと目を向けると、同じように固まった。
「え、なんで胸が膨らんでるの……?」
琉生は、バッと自分の両足の付け根の間に手を当てる。
「ない……」
男であれば存在しているものが、そこにはない。
そういえば、声も高くなっている。琉生もギルも、そのことには気付けないほど混乱していたということだろう。
ギルは、青い顔をライナスに向ける。
「おい、これはどういうことだ」
ライナスは誤魔化すような笑顔を浮かべ、右手人差し指を自身の頬につけてコテンと首を傾げる。
「この世界に戻った時の時空の穴なんだけど、元々ギルだけ通す計算で作り上げたものだったから、ルイも一緒に通そうとすると男の姿では骨格的に通せなくてね。通れなくて時空の狭間に置き去りになっても大変でしょう? 女性の姿にして通れるようにしたんだ」
「も、戻せるんですよね……?」
琉生は期待をこめてライナスに視線を向けたが、思いっきり逸らされた。
「この私にしても、一度性別を変えると二度目は無理なんだ……」
終わった。
ライナスは琉生の方に顔を戻すと、フォローの言葉を掛けてくる。
「落ち込むことはないよ! ルイって名前は女性でも使えるものだし、見た目もとても可愛らしいよ! 黒髪は艶があるし、二重のぱっちりとした黒目は吸い込まそうな輝きだ! 顔のパーツも主張しすぎていないから、控えめな印象で素敵だよ!」
「それはどうも」
投げやりな返事をした琉生の前に、ギルが片膝をつく。
「ルイ。俺たちの騒動に巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」
ギルは、緑の瞳をこちらに真っすぐ向ける。
「責任はとる。結婚しよう」
「いや真面目か」
ギルの話はスルーして、今後の身の振り方を考える。こういう時、楽観的な自分の性格に救われる。起こってしまったことはしょうがない。この先のことを考えていこう。……うん、いや、さすがに女性になったことは受け入れて慣れるまでに時間が必要そうだけど……。
「この世界で生きていくとして、衣食住が保証されているお仕事を紹介してもらうことってできる?」
仕事をして自活ができれば、この世界でもまともに暮らしていけるだろう。
琉生に問いかけられたギルが顎に手を当てて考えていると、横からライナスが手を挙げる。
「はいはーい! 騎士団の宿舎の掃除をしてくれる人を募集してるみたいなんだけど、どうかな? 住み込みで、朝昼晩のご飯付き! 制服ももちろん支給されるよ~!」
それは魅力的な提案! ギルは、初めて知ったというような顔をしている。
「そうなのか? 俺は何も知らないが」
「しばらく向こうの世界にいたからね~。ちょうどギルの隊に空きが出てるよ」
「ギルの隊?」
ギルの隊とはどういうことだろう。
「あれ、教えてもらってないの? ギルは騎士団第一隊の隊長をしてるんだよ」
隊長!! どうりで。
日本にいた時、時々近くの公園で手合わせをしていたのだ。琉生は元々空手を習っていて、全国大会で優勝したことがあるほどの実力者である。初対面の時にやり合った際、お互いなかなかの実力の持ち主だと感じ合い、一緒に住むようになってからは時々近所の公園で体がなまらないように手合わせをして過ごしていた。
「ギルの隊なら当然本人がいるわけだし、一人でも知ってる人が近くにいれば安心するでしょう?」
うん、私ったらできる男~、と自分で自分を褒めているライナスは置いておいて、確かにギルの隊で働かせてもらえたら、何かわからないことがあった時にはギルに聞くことができる。
ギルも納得したようで、ひとつ頷く。
「そうだな。その方が俺も安心だ。募集については俺の方から話をつけておこう」
「掃除の侍女服姿も、ルイならきっと可愛く着こなせると思うよ! あ痛っ。え、何もおかしいこと言ってなくない? ここで生活する上で必要なものも、一式揃えておくから安心してね!」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
琉生がお辞儀をすると、ギルが心配そうに声を掛ける。
「宿舎の掃除は体力がいる。ルイなら大丈夫だとは思うが、辛い時は遠慮なく言ってくれ」
「ありがと。まぁまずは頑張ってみるよ」
うん、想像以上でした。
ギルがすぐに手続きしてくれたおかげで、スムーズに仕事を開始することができた。
最初に騎士団宿舎の掃除の侍女を統括している人から、掃除具の場所や掃除をする場所、洗濯のやり方などについて丁寧な説明があった。
「洗濯物の量、これで一日分なの?」
思わず独り言が出てしまうほど、洗濯物が山高く積まれていた。洗濯をする道具もやり慣れていないものだったから、最初のうちは洗濯物をやっつけるだけで半日を費やした。洗濯機が恋しい。
トイレの掃除に初めて入った時には、思わず手で口を押えてしまった。
「臭っ! え、どうしたらこんなに汚せるの?」
あまりにも汚い状態に、怒りが沸いてきた。
「おばあちゃんが、トイレは綺麗に使わないと心が汚くなるって言ってたぞ!」
琉生は、やってやるとばかりに腕をまくり上げ、口には布をあてて頭の後ろで固く結んだ。徹底的に磨き上げた時の達成感は半端なかった。
せっかくここまで綺麗にしたのにまた汚されるなんて冗談じゃないと、トイレに入っていった隊員を見つけた際、追いかけて声を掛ける。
「あの! 用を足す時は綺麗に使ってもらえると嬉しいです!」
琉生がそう言うと、隊員は用を足している格好のままこちらを驚いた表情で見ている。
どうしたのだろうと思い、すぐにハッと気づく。
そうだ、女になっていたんだった。
「し、失礼しました!」
それだけ言うと、すぐにトイレから出た。
ハプニングもあったが、半年が経つ頃には仕事もそつなくこなせるようになっていた。
自身が女性であることにもすっかり慣れ、最初の頃のように隊員のトイレ中に突撃するようなヘマはしていない。
ギルとは早朝、人目につかない裏庭でひっそりと手合わせをしている。やっぱり体を思い切り動かすのは気持ちが良い。
ギルは、琉生が大量の洗濯物を干している時、高いところに洗濯物をかけようと背伸びをしていると、さりげなく手助けしてくれた。
掃除のために重いものをどかそうとしている時には、後ろからサッと持ち上げてくれることもあった。
ギルは気が利くし、顔も整っている上に隊長職に就いているから、さぞかしモテモテなのだろうと思っていた。
しかし、琉生の仕事場にライナスが遊びに来た時にその話をすると、考えを一蹴された。
「ギルが女性に人気があるって? それはないよ〜。ルイはもう十分知ってると思うけど、真面目すぎるからね〜。残念な真面目くんだよ!」
ギルは真面目過ぎるが故に、女性の言葉の裏をまったく読まず、そのままで受け取るらしい。
ある女性から食事に誘われて行った際、女性が「ギルバート様のお好きなお店でいいですよ」と伝えると、男性しか行かないようなメガ盛りの料理を提供する大衆食堂に連れていったという。女性はお店の前で立ち止まり、そのまま踵を返して帰っていったそうな。当然だよね。
またある女性が、ギルに対して「前髪を少し切りすぎてしまって……変でしょうか?」と聞くと「短くても長くてもあまり印象は変わらないから問題ない」と、ばっさり言い切ったらしい。違うだろう。
「だからね、顔はいいけど女性は寄ってこなくなっちゃったんだよ。あぁ可哀想なギル」
ライナスは、大袈裟に泣き崩れる真似をした。
「ルイがギルと本当に結婚しちゃえばいいんじゃないかな! ね!」
「そんな軽く言われても」
ちぇ〜、名案だと思ったんだけどなぁ、とぶつぶつ言っているライナスはスルーする。
「そういえば、今度騎士団全隊が参加する武闘会があるのは知ってる?」
「武闘会?」
なにそれ楽しそう。
年に一度、国王王妃両陛下が城下の街をパレードでまわる大規模な催しがあるらしい。武闘会で優勝を勝ち取った隊には、両陛下の周りを警護する誉れが与えられるという。去年はギルの隊が優勝を勝ち取ったとのことだ。
「魔法とかも使用するんですか?」
「魔術のことかな? ふっふっふ〜。魔術はこの国で私しか扱えないんだよ〜! 褒めて! 凄いって言って!」
「スゴイデスネー」
「心がこもってなーい! ま、気にしないけど」
気にしないんかい。
「ライナスさんが言ってたけど、今度武闘会があるんだって?」
早朝の手合わせを終えてから、琉生はギルに聞いてみた。
「あぁ、そうだな。当日は闘技場で行う予定で誰でも観戦できるようになっているから、良ければ観に来るといい。そういうの、ルイは好きだろう?」
「本当!? 行く行く! ギルのこと全力で応援するよ!」
「それは頼もしいな。ありがとう」
試合が目の前で観られると知って嬉しそうにしている琉生を見て、ギルは目元を和らげて琉生の頭にぽんと手を乗せた。
琉生は、今日も今日とて大量の洗濯物を抱えて歩いていた。
「はぁ、おっも! だめだ、一回休憩しよ」
宿舎の裏手付近で、洗濯かごを一度地面に置く。
いつもは分けて運ぶのだが、今日はこれから武闘会があるため、早く終わらせたくて洗濯物をまとめて運んでいた。
やっぱり一度に運ぼうとするのは無謀だったかと考えながら両腕をほぐすように振っていると、複数の足音が聞こえてきた。
サボってると思われるのではないかと焦っていると、足音はこちらまで来る前に止まった。ホッとしていると、足音の人物たちが話している声が聞こえてきた。
「本日の武闘会、準決勝は隊長と新人隊員二人の共闘戦になっている。ギルバート率いる第一隊は、今年もそこまで勝ち上がってくるだろう。……わかっているな?」
「はい、ディーゼル様」
「ふっ。ならば良い。両陛下の護衛、本来であれば近衛隊がするべきなんだ。それが数年前から武闘会なんぞ開かれるようになって……これ以上は不敬か」
何やら不穏なやり取りだ。今日の武闘会の準決勝で何かする気なのだろうか。
「準決勝は、お前がギルバートと共闘する予定だからな。しっかりと働いてくれたら、お前を約束通り近衛隊に推薦してやる。任せたぞ――ミゲル」
「ありがとうございます。必ずや、ディーゼル様のご期待に応えてみせましょう」
二人は短い会話を終えると、そのまま元来た道を戻っていった。
「やばくない……?」
琉生は、一人残ったその場で小さく呟いた。
ギルは今の時間、すでに闘技場で準備を進めているだろう。琉生の立場では関係者の場所まで行けない。
どうするべきか考えながら宿舎の前を意味もなくうろうろとしていると、底抜けに明るい声の持ち主が話し掛けてきた。
「あ、ルイいた~! もうお仕事終わったかな? 一緒に闘技場行かなーい?」
琉生が声のした方へ顔を向けると、ライナスがいつもの黒いローブ姿でこちらに手を振りながら歩いてきている。
「いいところに!」
「ほえ?」
きょとんとした顔をしているライナスに、先ほど聞いた会話の内容を伝える。
「ふむふむ。近衛隊にとって、ギルの隊は目の敵にしている相手だからねぇ。だからといって、正々堂々と勝負しないのは許せないなぁ! ライナス怒っちゃう!」
ぷんぷんとしているライナスに、琉生はどうすれば良いか相談する。
「このままだと、ギルは準決勝で一緒に闘うミゲルという人から何かされるんじゃないでしょうか? 武闘会が始まる前にギルへ伝えましょう!」
ライナスならギルと接触することができるのではないかと思ったが、ライナスは「うーん」と考えてから、パッと顔を輝かせた。
「いいこと思いついた! ルイが代わりに武闘会出ちゃうよ作戦でいこう!」
「意味がわかりません」
「まぁまぁ私の話を聞いてよ」
どうやらギルの隊で新人隊員なのは、ミゲルという人物だけだそうだ。ミゲルが棄権ということになると、代わりに出られる者がいなくなるためギルの隊は不戦敗になってしまうらしい。それはいけない。
「そこでルイの出番だよ! ギルから聞いているけど、ルイってなかなか強いらしいじゃない?」
「何故自分の出番なのか意味がわかりません」
「さっきから意味がわかりませんばっかり言ってるけど、大丈夫? あ、そんな残念な人を見る目で見られても……慣れてるから問題ないけどね!」
話をまとめると、ライナスが関係者のいるところに入って準決勝が始まる少し前にミゲルをこっそり誘拐(大魔術師様なら楽勝らしい)、ライナスの魔術によって琉生がミゲルに変身をして出場することになった。
「ミゲルは、自分から国境沿いの隊に異動したいと願い出るようにしておくね!」
「意味がわかりません」
「ルイったら、まーた意味がわかりませんって……あ、いえ、ごめんなさい。私は天下の大魔術師様だからね!」
琉生は深く考えるのをやめた。
「ライナスさんがその気になれば、国ひとつ簡単に落とせそうですよね」
「安心して! 私は平和主義者だから!」
こうして話している間に、武闘会は始まってしまっている。急いで会場へ向かった。
会場に着くと、ライナスは宣言通り、あっという間にミゲルを捕獲。関係者出入口の近くの目立たないところで待機していた琉生のところまで戻ってくると、琉生をミゲルの姿に変えて送り出した。
ミゲルの姿になった琉生は、ドキドキしながら会場内に入る。
まずはギルの隊に合流する必要があるのだが、どこに行けば良いのかわからず焦る。ギルはどこにいるだろうかとキョロキョロしていると、後ろから「ミゲル!」と、よく知っている声が聞こえてきた。
振り向くと、ギルがこちらに向かって小走りにやってきている姿が見え、ほっとした。
「ミゲル、探したぞ。もうすぐ準決勝が始まるから行こう」
「は、はい!」
今回、ミゲルの正体が琉生であることは、ライナスと相談をした上でギルには伝えないことにしている。ギルは大がつくほど真面目な性格をしているので、こうなるまでに至った経緯を先に伝えると、潔く棄権しようと言い出すだろう。それだと近衛隊が優勝する可能性が高まるし、面白くない。試合がすべて終わったら、ギルへ正直に伝えて謝罪するつもりである。
「ん? ミゲル、剣を帯同していないようだがどうした?」
しまった。
忘れたと言っても代わりのものを用意されそうだし、ここははっきりと伝えよう。
「あの、自分、剣よりも拳で闘った方がやりやすいことに気付きまして! 今回、剣は使用せずに挑めたらと思っています!」
「昨日までは剣を振っていたようだが……?」
「き、今日! 今日の朝、そのことに気付いたんです!」
「そんな急に?」
「そうです!」
「……そうか」
ギルは納得がいっていないような顔をしているが、これ以上追及はしてこないようなので良かった。
琉生は、準決勝が始まる前に確認しておきたかったことについて聞く。
「ギ……隊長。準決勝の勝敗の決め方について、今一度確認しておいても良いでしょうか」
「ああ、いいぞ。準決勝は、武器は何を使用しても自由。二対二の闘いになるが、先に相手方二人とも戦闘不能にした方が勝利だ」
「戦闘不能って、剣で刺されたら死にません!?」
「剣は刃がつぶれているものを使用するから、それはない。上手く防がないと、骨折とかはあるかもな」
ここまで説明をすると、ギルは心配げな眼差しを向けてきた。
「お前、緊張しすぎて定め事を忘れているのか?」
ぎくり。
「あ、あはは、そうみたいです~!」
「それにお前、そんな話し方をする奴だったか?」
ぎくぎくり。
「あれ、自分おかしいですか? 準決勝戦前で、気持ちが高ぶっているからかもしれませんね!」
「なるほど。お前にとっては初めての舞台になるからそれも仕方ないか。大丈夫だ、俺が一緒にいる。お前は思い切り暴れればいい」
ギルは琉生の右肩にぽんと左手を置き、安心させるように力強い笑みを向けてくれる。頼もしい。
結果を先に伝えると、第一隊が見事勝利した。
琉生は、相手方の新人隊員から繰り出される剣技を上手くかわしながら鳩尾に拳を一発打ち込み、相手が少し体勢を崩した隙に、今度は右足で顎に蹴りを入れて戦闘不能にした。
その勢いで相手方の隊長へ切り込む。隊長が振り下ろした剣に足を掛けて一瞬の動きを止めると、その一瞬の隙を見逃さなかったギルが距離を詰め、剣を相手の喉元に刺す手前で止めた。そこで勝負がついた。
試合を終えて舞台から降りる際、強い視線を感じた。視線の感じた方へ顔を向けると、一人の男が琉生を思い切り睨んでいた。おそらくあの男が、ミゲルと話をしていたディーゼルなのだろう。
ずっと黙っていたギルが、徐に口を開いた。
「なぁ、ミゲル。お前が試合中にしていた技なのだが……」
琉生はそこまで聞くと、これ以上の会話はしない方が良いと判断し、逃げることにした。
「あぁ! 痛っ! いたたたた! なんだか急にお腹が痛くなってきました! すみませんお手洗いに行かせてください!」
一方的にそう言うと、琉生はギルの前から走り去った。
そのまま闘技場の外まで出ると、茂みの中に身を隠す。ライナスより事前に受けた説明から、姿を変える術は長い時間保てないとのことだったので、元の姿に戻るまではここでやり過ごすことにした。
しばらくして元の姿に戻ったので闘技場の中に戻ると、決勝はすでに終わっていた。近衛隊と第一隊で決勝戦を行ったようで、近衛隊の面々は悔しそうな表情をしていた。その中に、先ほどミゲルの姿になっていた琉生を睨んでいた人物も見えた。
第一隊の優勝で、武闘会は幕を下ろした。
「ギル! 優勝おめでとう!」
琉生は、ギルが一人になったタイミングを見計らって声を掛ける。
「ルイか。ありがとう」
ギルは言葉を返すと、琉生をじっと見つめた。
「え、な、なに?」
「準決勝のミゲル」
ギルがそれだけ言葉に出すと、琉生の肩がビクッと反応した。「やはりな……」と、ため息交じりに吐き出したギルをおずおずと見ながら、琉生は疑問を口にする。
「どうして僕がミゲルになっていたってわかったの?」
「ミゲルが繰り出した技、俺がよく見知っていたものだったからな。ルイと二人で手合わせをするようになって、どのくらい経ったと思っているんだ。ルイの技や癖は、把握しているつもりだ」
「うぅ、すみませんでした」
「大方、ライナスが提案してきたんだろう?そもそも誰かを違う姿に変えるなんて、奴にしかできないしな」
全部お見通しというわけか。
琉生が一人反省していると、頭上から「ふっ」と吹き出す声が聞こえてきて顔を上げる。
「ははは! いや、悪い。 なんだか無性におかしくなってきて。まさかルイと共闘するなんてな」
「ふふ、確かにね。騙して出場したのは申し訳なかったけど、ギルと一緒に闘えたことは嬉しかったな」
くっくっくっと笑っているギルにつられて、琉生も一緒に笑う。
ギルは琉生の左腕にふと目を止めると、持ち上げる。
「これ、どうした?」
琉生が自身の左腕を見ると、肘下に大きな青あざがあった。
「あれ、気付かなかったな。準決勝で相手の新人隊員からの攻撃を左腕で受け流した時があったから、その時のかな」
青あざを見ながらそう答えると、ギルは眉を寄せる。
「痛そうだな」
まるで自分が怪我を負ったかのような表情をしていたので、琉生は気にしなくてもいいように明るく返す。
「これくらい大丈夫大丈夫! 心配してくれてありがとね」
しかしギルは納得しきっていない表情を浮かべ、次には真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「女性の体に傷を作ってしまい、申し訳ない。俺がもっとフォローすべきだった」
そこまで言うと言葉を区切り、一呼吸あけてからあの言葉をまた切り出してきた。
「責任はとる。結婚しよう」
「いやだから真面目かって」
ありがとうございました!