第4話
約束の店に着いた時、紀恵は店の前で待っていた。鮮やかな赤いドレス風のワンピースを纏い、通り掛かる人の目を引いていた。
驚いたのは、これまでの清楚な感じではなく、少し大人びたメイクになっていた事だ。目力を感じさせるアイライン、目元や頬にキラキラとするラメ、深紅の口唇など、服に合った派手目な化粧は、彼女の美しさを際立たせていた。しかも、胸やお尻も今までになく強調されていた。これは男の目を引くだろう。
紀恵は俺に気付くと手招きしてきて、そのまま一緒に店内に入った。座敷の個室に案内され、向かい合う。俺は胡坐をかき、紀恵はゆっくりと膝を折って座布団に座った。室内にふんわりとフローラルな香りが漂う。この前の車内とは違う匂いだ。料理を食べる時にはあまり強い香りは好ましくないので、紀恵はほのかに香る程度に抑えているようだ。
「紀恵に通行人が見惚れていたじゃん」
「そう? うふふ」
微笑む紀恵の顔は輝いていた。室内の薄暗い照明が、目元や頬のラメに反射していた。目は煌めき、赤い唇と白い歯が大人っぽい印象で、心まで鷲掴みにされそうだった。
和食の店で、酒も日本酒が中心だった。最初だけビールで乾杯したが、その後は紀恵が地元の美味しい酒を見繕ってくれて、それを注ぎ合って堪能した。ただ、さすが日本酒、料理を摘まみながらとはいえ、すぐに酔いが回ってきた。
また料理や最近の暑さの話などに終始していたが、気付くと一時間が過ぎていて、そろそろ切り出さなくてはと思い、俺は一度トイレに立った。戻ったら、まずは謝るつもりだった。
「おかえりなさい」
戻るとすぐに酌をされた。俺はそれを一気に飲み干すと、決意を固めて口を開いた。
「俺、言わなきゃならない事があるんだ……」
「急にあらたまってどうしたの?」
紀恵は首を傾げながらこちらを見て、また空いた盃に注いで来る。その表情は、ほんのり頬が赤く染まって、色っぽく見える。注がれた以上、また口を付けるしかなかった。半分くらい飲んで、話を始める。
「中学の時、本当にごめん。ずっと謝りたいと思ってた」
俺は頭を下げた。紀恵がどんな顔をしているのか見るのが怖くて、なかなか顔を上げられなかった。彼女は黙っている。沈黙に耐え切れず、頭を上げてその顔を見た。
「ごめんって何が?」
表情のない冷たい顔に驚いた。再会してから初めて見た顔だ。美人の氷のような眼差しに俺は圧倒されそうになった。
「その……中学の時、俺、紀恵に……」
上手く言い出せない俺を紀恵が睨むような目で見る。美しいながらも迫力があり、ある種の凄味がそこにはあった。そして、俺が言葉を繋ぐまで黙っている。まるで取り調べでも受けているかのような心境だ。さらに何も言わずに注いでくる。俺はそれを受けて杯を空にして、切り出した。
「俺さ、中学の時、紀恵をイジメ……てたように思う。それを謝りたくて……」
ふうんと鼻で笑うような返事をして、また酒を足してくる紀恵。今の状況では、これを飲まざるを得ない。
「偶然、また会って、二人で食事とか出来て、本当に嬉しいけど、過去の事、ちゃんと謝れてない事が気になってて……」
俺が言葉を続けても、紀恵は無言で見ている。その目を見ていたら、催眠術にでもかかったかのように頭が朦朧としてきた。いや、きっと酒のせいなのだろうが。
「紀恵、いや水島さん、本当にごめん」
俺はもう一度頭を下げた。また返事はなく、俺はゆっくりと顔を上げる。すると、異様な程、頭がくらくらして吐き気を催し、併せて尿意も催して来た。急に酒が回ったような感覚だ。俺はトイレに立とうとしたが、その手を紀恵に押さえられた。
「大事な話してるんでしょ。ここで立つなんて、男らしくないわ」
「少し気持ち悪くて。それにトイレも……」
「そんなのいいから」
紀恵の目力は俺を縛り付けた。そして、半ば強引にさらに酒を注いでくる。俺は無理だという意思表示をしたが受け入れられず、入れられた酒を口に含むしかなかった。
「うぷっ……」
胃から上がって来る感覚があるが、紀恵の手が逃がしてくれない。ただ、彼女の手も前回飲んだ時の帰りと同じように震えていた。
「あなたにとっては単なる悪戯だったのかもね。でも、私の心に消えないモノを残した」
紀恵が言葉を発し始めた。やはり、根に持っていたのだ。
「そんなに震えて……やっぱり気にしてたんだな。本当に申し訳なかった……げふっ」
俺は再度謝りながらも、猛烈な気持ち悪さと尿意が襲ってきて決壊し掛かっていた。
「気にしてた? そうなるのかな。でも、これは武者震いよ。ようやくあなたを中学の時と同じ目に遭わせられるって思ったら嬉しくて震えが止まらないの。この前だって、もう少しで吐かせられそうだったのに……ね!」
そう言って紀恵は俺の腹部を手で押してきた。「うおわっ」と自分でも声にならない叫びが漏れ、同時に上からも下からも我慢していたものが漏れ吐き出されてしまった。
「あ~あ。やっちゃったね」
紀恵は蔑むような目で俺を見る。まさかこんな失態を演じてしまうとは。これ程までの吐き気と尿意は初めてで、紀恵に押されたのがスイッチになり、どうにも出来ぬまま一気に噴出してしまった。
「みっともないなあ。今どんな気分?」
紀恵は明らかに悪意の籠もった笑みを浮かべていた。俺も中学の頃、彼女をこんな目に遭わせたのだ。自業自得と言えばそうなるのだろう。嘔吐物と尿の臭いが漂うが、紀恵は拭こうともせずに言葉を続ける。
「私も中学の時、そんな姿を見られて恥ずかしくて仕方がなかったよ……。だから、同じ目に遭ってもらったんだ」
俺は思わず彼女の顔を見返した。一瞬、紀恵の顔が中学の頃の醜い容貌に戻ったように見えた。しかし、すぐに現在の美しい顔に戻った。俺が酔っているのか、それとも本当にそういう表情に変わったのか、それはわからない。第一、意識も若干朦朧としていた。
「お酒にね、ちょっとお薬入れさせてもらったんだ。前回も凄く効いたでしょ。ふふふ」
紀恵は美しい魔女のように、冷笑を浮かべて俺を見下ろしていた。俺は彼女の言葉に精神的にも参ったのか、もう一度吐いてしまった。驚く事に、嘔吐物が飛び散っても紀恵はさほど気にしていないようだった。
「区役所で会ったのだって偶然じゃない。あなたがいるってわかってたから行ったの」
紀恵の口から真相が明かされ、俺は呆然としていた。彼女の外見は美しくなったが、精神はあの頃のままなのかも知れない。容姿や態度、言葉は演劇で身に着けた演技だったのだろう。俺は自分がピエロに思えて、穴があったら入りたい心境だった。しかし、その後、紀恵はさらにとんでもない事を言った。
「でも、これは単なる仕返しじゃないよ」
「えっ?」
「中学の頃、あなたは私を辱めたと思ってるみたいだけど、私はあの時虐げられる事に快感を覚えたの。だから、あなたには感謝してる」
あのイジメの裏で、紀恵にそんな性癖が芽生えていたなんて……。彼女が見せた泣き笑いのような嗚咽には、被虐的なものとは別の意味があったのだ。
「一方で相手を虐げてやりたい感情も覚えた。演劇をやって、自分が両方の感情を持っている事に気付いたの。言ったでしょ、大学時代の男とは上手くいかなかったって」
「あ……」
以前の紀恵の言葉が腑に落ちた。それが本当なら、いくら美人でも、男の方が辟易するのも無理はない。これまでの清楚な紀恵と、眼前の派手なメイクの紀恵が、その時々の性癖に応じて現れるのかも知れない。
「だから原点である、あなたの前に姿を現した。私の気持ちを知った今のあなたなら……どうかしら?」
彼女は再度妖艶な笑みを浮かべると、嘔吐の汚れなどまるで気にせず俺の口にキスした。俺は嬉しいのか悲しいのか恐ろしいのか判断が付かず、頭と胸の中を色々な感情が駆け巡っていた。
少しお見苦しい作品で失礼いたしました。
感想等もらええたら喜びます。




