第2話
「あ、俺、島谷……」
「あ、島谷君か。電話くれたんだね」
紀恵の調子は明るい。お陰で話しやすくなった。
「あのさ、昼にも言ったけど、一度食事でもどうかなと思ってさ」
俺が昼と同じノリで再度誘うと、
「いいよ。何か美味しい物食べよう」
とすぐに承諾の返事がありホッとした。この後も会話は続き、金曜の夜にイタリアンを食べる約束を取り付けた。
紀恵とはSNSを交換して、直接メッセージをやり取り出来るようにした。旅行関係の仕事をしていると聞いたが、レスポンスも早く、仕事中にも返事を返してくれるのは悪くない気分だった。
そして金曜日、仕事など手に付く筈もなく、早く夕方になれとずっと思っていた。十七時を過ぎて入って来た市民がいたが、受付時間を過ぎていると言って帰らせた程だ。
俺は定時で職場を出た。役所からバスに乗り、繁華街のある駅前へ向かう。約束より十分くらい早く店の前に着くと、入口の扉の脇で紀恵を待った。
「ゴメンね」
少し遅れて紀恵が走ってやって来た。暑さもあって、額や首筋に汗を掻いていたが、水色のブラウスに白いスカートがよく似合っており、色気というよりは清楚さが際立っていた。ただ、先日も思ったが、何処となくイジメていた頃の面影も残っている気がする。
俺たちは店内に入り、奥の方の観葉植物に囲まれた席で向かい合って座った。
「お酒は?」
「大丈夫。飲めるわ」
酒が入らないと言い辛い事もあるので、そう聞いて安心した。せっかくのイタリアンだし、二人で赤ワインを注文する。併せてパスタとピザが付くコースを注文し、先にやってきたワインで乾杯した。紀恵が一気に飲み干したので、俺も慌ててグラスを空にした。
「ごめん。喉が渇いてて、つい……」
舌を出して恥ずかしそうにする紀恵がまた魅力的だった。
「いいさ。どんどん飲もう」
そう言った俺はそんなに強い方ではなく、早くも顔が熱くなってきた。紀恵の顔色は大して変わってないから強いのかも知れない。
「暑いし、ビールにしようか」
紀恵が提案してきたので、俺は頷き、生ビールを注文した。すぐに前菜とともにやってきて、また紀恵は三分の一くらいを美味しそうに飲んでいた。俺も付き合わないといけないような感覚に襲われ、半分くらいを飲み干した。酔ったのは間違いないが、お陰で話もしやすくなった気がする。
「中学の時、色々あったよな。大人しかった紀恵が、こんなに素敵な女性になるとはなあ」
「島谷君は活発だったよね」
少しドキッとした。活発という言葉が、紀恵を虐げていた話に繋がりそうな気がしたからだ。照れ隠しで思わずまた酒を一気に煽ってしまった。その様子を見て、
「お酒強いんだね」
と言われた。グラスが空になったので、俺は同じビールをもう一杯注文した。すぐに来たので、再度グラスを合わせる。
「不思議だな、時を経て、綺麗になった紀恵と飲んでいるなんてさ」
「ありがとう。でも、今一緒に飲んでるのは現実だよ。昔を考えると信じられないかな?」
この言葉も聞きようによっては毒が含まれているのかも知れないが、俺は酔っている事もあって気にせず話を続けた。
「紀恵は中学出た後、どうしたんだ? 明るくなったのも驚いたし」
「普通に女子高行って、N大に進学したよ。明るくなったのは、高校から演劇部に入ったからかなあ。役に成りきる事で、自然と性格も変わっていったのかも」
「そっか、演劇部かあ」
彼女が綺麗になった訳が分かった気がした。彼女は色々な役柄を演じる事で、自分が望む美しい方向に進んで行ったのではないか。そして、県の国立大であるN大に進学したのであれば、さぞモテたのではないだろうか。
「大学でも演劇を?」
「うん。結構、一生懸命やったよ」
「そんなに綺麗だったら、男も放っておかなかっただろう?」
俺は気になっていた事を尋ねた。ついでに今どうなのかも知りたかった。
「何人かお付き合いはしたけど、上手くいかなくて、すぐに別れちゃったなあ」
「そうなの?」
紀恵の見た目は綺麗になったし、明るくもなったけれど、中学の頃のような精神を引き摺っているのであればそれもあり得る話なのかも知れない。だとしたら、その元凶は俺という事になるが。
それで今は? と聞こうとした時、ちょうどパスタとピザが運ばれてきた。ウェイターが丁寧に食材等を説明するものだから、話の流れがぶった切られてしまった。
「美味しそう」
紀恵の興味もそっちに行ってしまい、話を戻すのは容易でなさそうだった。生ハムとチーズのピザや、地元の魚介類と野菜を用いたパスタは、確かに美味しかった。ただ、ビールに替えたせいか、飲酒の方も進んだ。紀恵のペースは結構なもので、俺も何故かそれに合わせて飲む事になってしまった。
「ちょっとトイレ」
さすがに膀胱も膨らんできて、トイレに駆け込んだ。まさに発射寸前で、溜め込んだ水分が一気に放出された気がした。
「おかえり」
戻って来た俺を、紀恵が笑顔で出迎える。何だかいい感じだ。また「乾杯」と言ってグラスを合わせてくるので、グラスの半分以上入っていたビールを飲み干す羽目になった。紀恵が平気で次を注文するものだから、俺も頼まざるを得ない。あまりに酔って、この後出て来たデザートの味はよくわからなかった。
結果、料理と酒の話に終始してしまったのは否めない。予想外に酔っ払ってしまい、過去を謝るような雰囲気でもなかったし、紀恵も終始明るく振る舞っていたので、湿っぽい話にもならなかった。酒だけが進んで、酔いが深まっていった。
「大丈夫?」
店を出る頃には、千鳥足で紀恵に心配された程だ。軽い頭痛に吐き気も催していた。
「う~、ワインで酔ったかな……」
「気持ち悪いなら吐いた方がラクになるかも」
と言うと、紀恵は背中をさすってくれた。しかし、俺は彼女の様子の方が気になった。
「紀恵こそこんなに暑いのに震えてるじゃないか。大丈夫か?」
「大丈夫よ。少し酔ったかな」
確かに具合悪そうには見えない。ただ、彼女の身体が軽く震えているように見えた。俺が酔っているせいではないと思う。
「お互い、こんなだから帰るとしようか」
紀恵も頷き、家の方向が違うので駅前でそれぞれタクシーを拾い、別れたのだった。