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十九の夏  作者: 海凪 悠晴
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久しぶりの故郷

 さて、なんとか無事に富山駅に着いた夏樹。さらに富山駅の南口ロータリーから乗合バスに乗り、また約三十分かそこら。夏樹が高校卒業まで育った地元の街に向かう。朝早くに東京のアパートを出てきたけれど、今はもう夕方近い時間となっている。越後湯沢での乗り換えにいちど失敗したことも相まって、まさに一日掛かりの移動である。その旅も、もうすぐ終わりなのだ。


 学校が夏休み中であるためか、そう混んではいない車内。夏樹は隣の座席に背中に掛けていたリュックを下ろしていた。バスの他の乗客にちらちらと目を配る。どうも、中高生そうでなければお年寄りという年齢層の両極端の偏りがみられるようだ。公共交通機関におけるこのような年齢層の偏りも田舎ならではかもしれない。現役世代の人間のほとんどは自分の自動車、つまりマイカーで移動するからだ。一人一台は自分の車を持つという、マイカー社会は特にここ富山では顕著であるのだ。都会の人間から見たら驚きの社会構造であるかもしれないが、公共交通機関の衰退もまた顕著である富山では一人一台車がないと、まともには生きてさえいけない、切実な問題ではある。

 ワンマンバスの運転手が夏樹たちのホームタウンの停留所名をアナウンスする。夏樹は降車ボタンをいち早く押し、降車したい意を運転手に告げる。そしてバスが停留所に着くと、手に握っていた整理券と予め計算しておいた運賃分だけの小銭を料金箱に入れてそそくさとバスを出ていく。これで、なんとか地元の街に帰ってこられたのだ。次の停留所に向けて再びバスは発車していく。しかし、発車とほぼ同時に夏樹は重大なことに気がついた。隣の席に置いてあった夏樹のリュックはまだ乗合バスの旅を続けようとしているのだ。


 ああ、夏樹は帰省してきた地元の街でもいの一番からおっちょこちょいをやらかした。幸いにも携帯電話、財布、鍵などは手元にある。持ち物の中でも貴重品と位置づけられるものはいつも持ち歩けるような肩掛けのポシェットに入れているからだ。一先ず冷静になろうと自分に言い聞かせて、真夏の夕方の蒸し暑い空気だけれども深呼吸をする。しばらくして落ち着きつつあるのを感じると、ポシェットから携帯電話を取り出し、電話番号案内でバスの運営会社の番号を尋ね、教えてもらった番号に連絡し事情を説明する。おそらく若い女性であろう電話口の人は親切に応対してくれた。忘れた荷物は富山駅のバスターミナルの事務所で預かるので、本人確認の書類を持った上で、できるだけ早く取りに来てくださいと言われた。お礼を言って、電話を切る。「トラブルはいくつかあったけど、なんとか帰ってきたよ」と、家族に連絡するより先のことではあった。

 リュックの中の荷物。家族への東京土産のお菓子などの他に、大学図書館から借りているものを含む十冊ばかりの書籍類、そして大学生活で使っているノートパソコンなどが入っている程度で当座に必要なわけではない。お土産のお菓子の二鷹名物「タカサブレ」も生菓子などではなく割と日持ちがするお菓子だし、着替えとしての衣類なども春の引っ越しの際にほとんどを東京のアパートに送ったとはいえど、実家にもいくらかは残っているはずではあるから。敢えて書籍やノートパソコンを持ってきた理由も単に暇つぶしのためではある。もう期末試験は終わったので、そう急いで必死に勉強する必要はないのだから。


 長いはずの夏の日も少しずつ暮れかかり始め、空も茜色に染まろうとしている。今日はもう東京からの長い移動でくたくたになっているので、リュックをとりに行くのはまた明日でもいいかなぁ、そう夏樹は思った。防災無線から「夕焼け小焼け」のメロディーが流れて、午後四時五十五分の到来を告げる。「夕焼け小焼け」が流れるのは四季によって決まった時間であり、それが一年三百六十五日の「日常」であり、今までは夏樹もそれに気にも止めなかった。しかし、住民票を移してしまった先から帰ってきた四ヶ月ぶりの地元でそのメロディーを聴いた今、何故だかその「日常」がひどく懐かしく感じてしまった。あれを合図に外遊びを止めてお家に帰る準備をした日もあったよなぁ、とか思い出す。住人としてでも、旅人としてでもない、その中間というべきか第三の立場にあってこの地を踏みしめている、そんな感を受けるのだ。


 とりあえずは実家に帰って風呂にでも入りたいと、疲れている夏樹はそう切実に思う。もちろん、その前に家族と対面するわけだが。夏樹の実家、折原家は父親がローンを組んで買った二階建てのごく普通の一軒家である。そこに父方の祖母と共働きの両親、そして猫一匹が夏樹の家族として住んでいる。猫は茶柄系の雑種のオスで十三歳、名前は「虎龍(コタツ)」。仔猫の頃から折原家にいる。一人っ子の夏樹にとって虎龍はいわば弟のように可愛い存在ではあるが、猫の寿命を考えての十三歳という年齢はもうおじいちゃんである。祖母の配偶者、つまり父方の祖父は今もう亡いのだけれど、代わりに虎龍が祖母の格好の茶飲み友達になっているくらいなのだから。


 ホーム・スイート・ホーム、埴生の宿というわけでもないけれど、久しぶりの生家までもうすぐのところに来ている。地元・富山を離れ、東京に出ることが決まった際の、実家や地元への心残りはそう多くはなかったが、そのうちのひとつだった虎龍に久々に会うこともできるのだ。夏樹はそのようなことを思いつつ、夏の蒸し暑さが残る路面を照らすまぶしいばかりの夕陽を浴びながら、実家までの残りの短い行程を一歩一歩消化していった。


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