起立、礼、謎解き! 三時間目「ナゾナゾの遺産」
第一章 起立
八月も半ば。最近は、それはもう暑い日が続いている。外に出ただけで、一日のやる気を全て削がれるような、猛暑だ。
特にここ一週間くらいはずっと晴れ続き。ここら辺でも猛暑日を何日も観測したというから、外はカラッカラの暑い空気だ。
僕、堺町友介は、熟練のラグビー選手もしくは筋骨隆々の新人力士と間違われるような、巨大(身長185㎝越え)なイカつい体つきをしている。果たしてその正体は……
地元の時任中学校に勤める新人教師である。三年四組のクラス担任で授業の担当は数学、そして吹部副顧問であるという、バリバリインドア系。見た目とはとてもほど遠い性格をしている。
さて、この猛暑だが……。「教師というのはこんな日にも学校へ行かなくてはいけないのか」「大変で嫌な仕事だな」なんて意見は大違いだ。確かに、学校まで行くために家を出た瞬間、猛暑に全てのやる気を削がれるが、学校へさえ行けばそこはまるで天国。何せ、冷房が効いているのだ。
今ドキの学校は、全室に冷暖房完備だなんてとても素晴らしい! 冷暖房なんてもってのほか、あっても扇風機が一室に一台だったひと昔前とは大違いだ。
僕が副顧問を務める吹奏楽部も部屋の中で練習するわけだから、僕は我が物顔で冷房を堂々とつけられるのだ。
でもだからといって、ずっと冷房の心地よさに浸っていては、外で部活せざるを得ない運動部の生徒や顧問の反感を買ってしまう。だから、運動部の顧問以外の先生のほとんどは部活へ顔を出して、アイスやお菓子、飲み物などを差し入れする。
僕も今日は男子バスケットボール部へ顔を出すことにした。部員全員分のクー○ッシュを持って。
体育館へ着いた。外よりも湿気がこもったモンワリとした熱気が、肌に直に伝わってくる。体育館の真ん中あたりに、男子バスケットボール部が試合の実戦練習をしているのが見えた。
僕はある一人の生徒を探す。そして、見つけた。
体の大きさは、三年生男子の中でも普通くらい、健康的な体だ。でも、その体のあちこちには、筋肉が程よくついた鍛えられた体つきが垣間見える。
その顔は、男の僕が見ても文句なしのモテ顔で、楽しそうに練習試合に励み汗を流すその顔は、とても輝いている。
敵味方問わず誰かが点を決めれば駆け寄って褒め称え、そして自分自身でも見事なシュートを決める。
左門悠吾とは、そういう生徒だ。
運動能力の高さは学年で一位二位を争う、運動が好きなお調子者である。いや、お調子者という点に関しては学校で一番かもしれない。
「あ! ウド先生じゃん」
左門は試合中にもかかわらず、僕に気づくと叫んだ。男子たちの顔が一斉に僕に向けられて、少し恥ずかしい。
ちなみに、僕のあだ名であるウド先生を名付けたのも左門だ。
そしてそのバカ、いや悠吾は、僕が手に持っているクー○ッシュを見つけた途端、
「ラッキー!」
と叫んで駆け寄ってきた。
「まだ試合中だろ!」との顧問の怒号が飛ぶ。
しかし、悠吾にはまるで聞こえない様子。顧問はため息をつきながら、部員たちにしばらくの休憩を言い渡した。
こんな練習態度の悠吾だが、これでもいつも試合に出ているスタメンの一人だ。その理由は、悠吾の本気の力にある。
実際、悠吾のバスケは強く、いつも試合で活躍するため、チームの勝利に欠かせない存在だ。それに、悠吾は普段と本番のギャップがすごいとも有名だ。マジの左門に生半可な気持ちで挑むと痛い目を見る、と言われるほどに試合本番の悠吾の気迫は凄まじい。
そういうわけで、お調子者とはいえども、決して人が嫌だということはしないし、周りの人からの人気や信頼も厚いので、こうて試合に使われているのだ。
ところで、今日、僕がこの男バス部に来たのは、ただの差し入れではない。左門に用があったのだ。
あの、峰形先生の話を確かめるのだ。
峰形先生は時任中学校の教務主任。話というのは、今年の初めに職員室で話してくれたことである。
あの時先生は、僕が受け持っている三年四組の生徒のうち、六人の名前を挙げてこう話した。『この六人は、警察も顔負けの推理力を持っている』と。
簡単には信じられない話であったから、僕はこれまで六人のうち二人に、僕が遭遇した事件や知り合いの刑事から頼まれた事件のことを伝え、実際に推理してもらった。すると、なんとその二人ともに、その真相をことごとく当てて見せたのだ。
でも完全には信じがたい話だから、こうして、六人の一人一人の推理力の有無を確かめているのである。
そしてその中の一人に、左門悠吾が挙げられていた。僕が峰形先生の話を信じられないと一番の理由だと言っても過言ではない生徒だ。
何せ、悠吾の成績は上の下ではなく、下の上。通知表で評価がいいのは体育だけで、決して頭がいいとはいえない生徒なのだ。
もちろん、推理力と実際の学力が決して比例するものではないということは頭の隅でも理解しているが、それを抜きにしても信じがたい。
とりあえず、確かめてみないことには何も始まらない。
僕は、懸命にクー○ッシュを最後の一滴まで飲み干そうとしている悠吾に声をかけた。
「なあ、バスケ楽しいか」
「楽しいっすよ」
「良かったな」
早速会話に詰まった。『推理力があるのか?』などという馬鹿げた質問を口にするのがどれだけ恥ずかしいことか。この話を切り出すのだけは、何回やってもどうしても慣れられない。
僕がそうモゴモゴしているのを、悠吾は見つめていた。
僕は十数秒考えていたが、あまりキョドっていては悠吾になめられるかもしれない(ウド先生というあだ名をつけられている時点でだいぶなめられてはいるのだが)と思って、ついには聞いてみることにした。
「なあ悠吾」
僕が悠吾がいたはずの場所を向くと、そこに悠吾はいなかった。少しあたりを見回してすぐに見つけた。
悠吾は、クー○ッシュがおいてあるアイスボックスの近くにいて、クー○ッシュをその手に握っていた。
「おい、悠吾」
僕がそう声をかけると、悠吾は鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をして固まった。どうやら早々とクー○ッシュを食べ終わったから、もう一つ食おうとしていたらしい。
しかしクー○ッシュは人数分ぴったりしか用意していない。ということは、今悠吾が食べようとしているのは……
「おい悠吾! それ俺のだぞ」
トイレに行っていた部員が走ってきて、見事に悠吾の手からクー○ッシュを奪い、自分の分を守り抜いた。
「ったく、油断ならねえ」
部員はそう言って早速クー○ッシュを食べ始める。
「もー、先生のせいだよー」
クー○ッシュを取り損ねた悠吾はブーブー文句を言いながらこちらへ戻ってきた。
「それで、なんですか」
僕の隣に腰を下ろす。手元の空のクー○ッシュの容器を綺麗なフォームで投げると、体育館ゴミ箱に見事なシュートを決めた。
その綺麗さに僕が一瞬呆気に取られていると、
「さっき俺のこと呼んだじゃないですか」
と悠吾から話を元に戻した。
「あぁ、うん」
僕は悠吾に視線を戻すが、正直に言って、さっきのクー○ッシュ盗難未遂事件を見て、なおさらバカらしくなってきてしまっていた。こんな男に、推理力なんてあるのか……?
それでも、やはり気になる気持ちも残っている。やっぱりここは素直に聞こう。
「なあ悠吾」
「何すか」
「お前ってさ、推理するの好きなの?」
「お?」
「お?」てなんだよ、「お?」て。僕が悠吾の曖昧な答えに戸惑っていると、悠吾が笑いながら聞き返してきた。
「何か推理できる事件でもあるんすか」
そういう悠吾の目は、試合開始直前のような本気の目をしていた。
流石に部活の休憩中を使ってしまうのは申し訳ないと提案したら、悠吾は部活後に体育館に残ると言ってくれた。だから僕はそれまで職員室で暇を潰すことにした。
この前授業でやった小テストの採点も終えたし、次の定期試験の問題もあらかたは考えた。要するに暇ということだ。
そして、ふとスマホの画面に目を落とす。八月十五日の今日、着信履歴のところに同じ名前が連なっている。この一日か二日の間にも何度もその人物から連絡があった。
大ヶ崎晴哉。この男こそ、僕が一昨日から面倒だと思っている相手であり、そして、今回悠吾に相談しようと思っていたのもこの男に関することだった。
始まりは一昨日、八月十三日の夕方ごろに遡る……。
第二章 礼
僕がその電話に出た時の相手の第一声は、
「俺だよ俺」
だった。
オレオレ詐欺というのはこんなにわかりやすいものだったっけ、と思いながらすぐに切ろうとすると、その相手は焦って名乗った。
「大ヶ崎だよ、大ヶ崎晴哉」
名乗られても名前に心当たりがなかったので、記憶の中を探して漁って角を突いてほじくって、ようやく相手が誰かがわかった。
大ヶ崎晴哉というのは僕の高校時代のクラスメートだった。と言っても、晴哉と一緒になったのは高校一年生の時だけ。晴哉の方が転校してしまったのだ。
しかし、クラスメートといっても親しいわけではなかった。連絡先交換だって、当時の僕らは携帯電話というものに興奮するあまり手当たり次第連絡先を交換していたので、その中の一人に晴哉がいたというだけだった。きっと、当時のクラスメートの多くは、連絡先を整理する時にすでに消している人も多いだろう。僕はたまたま昔の連絡先をそのままにしていたから、晴哉に目をつけられたのかもしれない。
それだけでなく、晴哉たちが住んでいた家が僕の家と近かったことも、晴哉に僕が特別気に入られた理由の一つかもしれない。
正直にいうと、僕は晴哉に良い印象を持っていなかった。彼はいわゆるボンボンで、何よりお金を大事にし、常日頃から高圧的な態度でいたので、僕以外にも苦手にしている人が多かったと思う。
晴哉の父、大ヶ崎晋太郎さんは一代で会社を作り上げた人だった。うろ覚えだけど、主に子供向けの書籍を扱う出版社だったと思う。童話、昔話、伝記、物語……、数多くの子供向け書籍を出版してきたが、僕が思うに一番力が入っていたのは、ナゾナゾ本だったと思う。
新進気鋭のナゾナゾ作家を多く引き入れ、子供が楽しめるものから大人も隙間時間に楽しめるものまで、多くのナゾナゾ本を出版していた。子供に一番人気だったのは言葉遊びのナゾナゾで、大人に一番人気だったのは数独だったらしい。
数独というのは、縦9マス横9マスのマス目に、縦・横・ブロックごとに同じ数が被らないように並べるものだ。ナンプレといえばわかってもらえるだろうか。
そんな本を多く出版していた会社の社長・大ヶ崎晋太郎さんは、とても子供好きな優しい人だった。
僕と晴哉は、家が近かったことから、通学路でたびたび顔を合わせていた。その時に晋太郎さんにもよくあっていた。
人見知りだった僕にも気さくな感じで話しかけてくれて、僕は彼のことが好きだった。新しいクイズの本が出ると、店に出すよりも先に僕たち晴哉のクラスメートに配ってくれた。感想を知りたいという理由でくれたその本は、日々の勉強の合間に遊び感覚で頭をほぐすのにぴったりで、僕たちに大好評だった。
そういうわけで、大ヶ崎晋太郎さんは人柄のいい人だった。
しかし、息子の晴哉は晋太郎さんとは全く違う人格に育った。何も欠けることのない恵まれた生活に自惚れてしまったのかもしれない。学校でも晴哉の金持ち自慢がちょっとひどかった記憶がある。それに、金持ち自慢の時に、よく晋太郎さんのことを「ATM親父」と言っていた。
今になって思えば、晋太郎さんが僕たちにクイズ本をくれる様子を、晴哉は疎ましそうに見ていた。もうすでに晴哉の頭の中では、晋太郎さんは金を出してくれる存在にしか見ていなかったのかもしれない。だから、他人に優しくしている晋太郎さんを好きになれなかったのではないだろうか。
そしてさらにひどいことに、その晴哉の妹や弟も、晋太郎さんではなく、晴哉に性格が似てしまった。
晴哉の二つ下の妹・大ヶ崎佐奈は、いつも新しいものばかり持っていて、それで友達にマウントをとってばかりいるような女子だった。女子のカーストでも常に上位にいて、常に周りを見下しているような感じだった。
晴哉の四つ下の弟・大ヶ崎博己も酷かった。とにかくわがままで、好き放題やっていた。人のものを壊し、人を使いまわし、人を泣かせ……。なんでも、許されると思っていたからこそ成せた所業だろう。
当時まだ高校生だった僕でさえも、晋太郎さんの唯一の汚点だと思っていたほどだ。
でも、それには大ヶ崎家の事情があった。当時僕も知らなかったが、晴哉が転校した後に母さんが教えてくれたことだ。
僕は、大ヶ崎三兄弟のお母さんを見たことがなかった。でもそれは当然のことで、実は彼らのお母さんはすでに亡くなっていたのだ。
晴哉たちが幼稚園に通っていた時のことで、晴哉がちょうど年長組、つまり六歳の時だったそうだ。不運な交通事故に遭い、そして命を落としてしまった。
それから晋太郎さんは男一人で三人もの子供を育てた。しかし、どれだけ懸命に動いても、所詮、会社経営の片手間になってしまう。家政婦は雇っていたようだが、その環境が大ヶ崎三兄弟をあの性格に育ててしまったのかもしれない。
しかし、そんな家庭環境だったことを考慮したとしても、彼らの行動はひどいものばかりだった。
だから晴哉が転校すると決まったときも、誰もそこまで悲しまず、僕たちクラスメートも一時間だけ形だけのお別れ式を開いて、それっきりだった。
そのクラスメートの雰囲気に晴哉が気付いていたのか、今となってはわからないが、そうして大ヶ崎家は引っ越していった。
晴哉の電話を受けて、僕が思い出したのはこんなことだった。
「あぁ、大ヶ崎くんか」
「そうだよ、久しぶりだな堺町」
僕は気を遣って〝くん〟付けで呼んだのだが、晴哉は気にも止めず苗字の呼び捨てだった。向こうがその気なら、僕も呼び捨てでいいだろう。
「どうしたの」
「それなんだけどよ、お前ナゾナゾって得意か」
「いや、それは知らないけど……」
「まあいい、とりあえず知恵を貸してくれよ」
いきなり連絡されてただでさえ頭が混乱していたのに、大ヶ崎は言葉を連投した。
それに、どうして〝ナゾナゾ〟なんだ?
「お前さ、俺の親父から昔、ナゾナゾかなんだか知らねえけどクイズ本もらってただろ。その恩返しだと思って、知恵貸してくれないか」
恩返しって……。お前に恩はない、お前のお父さんに恩があるんだ。
そう心の中でぼやきながらも、こんなにいきなり連絡してきた理由は少なからず気になっていたから、口にはしなかった。
「ナゾナゾ解いて欲しいんだよ」
晴哉はそう続けた。
「どうしても解いてもらわなきゃ俺が困るんだよ」
「どういうことだよ」
「ちょっと面倒なことになってよ。俺の生活がかかってるんだ。実は、一ヶ月前親父が死んでさ……」
「うんうん…ってえぇえぇ!」
親父が死んだ。つまり、晋太郎さんが亡くなった。
晴哉はそのことをさらっと言ってのけた。
「そんなに驚くことかよ」
「そりゃそうだろ。仲良くしてもらったんだから」
晋太郎さんが亡くなったなんて初めて聞いた。おそらく、このことを知るのは当時のクラスメートの中でも僕だけだろう。
「仲良くしたって、所詮他人だろ」
「どうしてお前はそんなに冷静でいられるんだよ。お父さんが亡くなったんだろ」
「別に興味ねえよ。まあ、死因は心臓発作だったし、親父もぽっくりと苦しまずにいけて本望じゃねえの?」
その言葉と態度を聞いて、僕は晴哉が昔からちっとも変わっていないことを知った。逆に昔よりひどくなっているのかもしれない。お父さんが死んだと言うのに、こんな酷いことをさも当たり前かのように口にするのだから。
僕は内心イライラしていたが、我慢して通話を切らずにいた。
「それで話っていうのがな、親父が死んだことに関係があるんだ」
「葬式とか通夜の話か」
「いや違う、そんな面倒くさいのはもう終わらせてある」
面倒くさいなんて言葉を、親との別れの式を表現するのに使うだろうか。やっぱり嫌な男だ。
だけど晴哉が、
「実は遺産の話なんだ」
と切り出したのには、僕も驚いた。
「い、遺産!?」
「そうだ。親父の遺産、つまり大ヶ崎家の莫大な遺産だよ」
そういう晴哉の声は鼻につく嫌な声だった。
「興味あったか」
「んなわけあるか。僕が大ヶ崎さんの遺産をもらう謂れはないよ」
「その通り、立場をわきまえているようだな」
「じゃあ、なんで連絡してきたんだよ」
「実はな、遺産のことで問題があってよ……」
「問題って?」
そう晴哉に聞いてしまったのが悪かった。晴哉は「そうこなくっちゃ」と嬉しそうに言うと、長い話を語り始めた。
「ここ一年くらいの俺はとんでもなく金が足りなくてよ……」
俺は高校卒業した後、一応大学に入学したんだが。
まあ、面倒くさくなってすぐに退学したわけだ。俺は仲間とつるんで大学で好き勝手やってたから、大学側には何も言われなかったな。
だけど親父がうるさくってよ。大学中退するために入学金を出したんじゃない、って。だから言ってやったんだ。
てめえは俺のために金出しときゃいい、俺の人生に口出しされる謂れはねえ、ってな。
そしたら大人しくなってよ。そのまま俺は大学を中退したんだ。
俺はその後、大ヶ崎を出ることにした。
近くのそこそこいいマンションを契約して引っ越しもした。
頭金とかはどうしたかって?
そりゃ家の金庫から取ったさ。一応家族なんだから金庫の開け方と暗証番号くらいわかってるよ。それで、マンションの頭金と当面の間の家賃と生活費、引っ越しの代金はそこから出した。ついでに、遊ぶ金として二百万くらいももらったな。
金はたくさんあったぜ。あの時見た札束の量じゃ、一億くらいはあるだろう。俺は手前の方の札束を取ったが、奥の方にも札束はたくさんあったからな。
ところが、それを親父に見られちまった。怒られる〜怒鳴られる〜と思ったんだけどよ、親父はダンマリしたままなんだ。
俺も固まっちまってたんだけど、親父は一言、
ー最後の小遣いがわりに、持って行って構わん。
とだけ言ってどっかに行っちまった。
俺もびっくりしたんだが、くれるって言う金だ。ありがたく頂戴したよ。
そして俺は一人暮らしを始めた。楽だったぜ。金は十分にあるからそんなにムキになって働かなくたっていい。一週間に二、三日、一回二時間程度のバイトだけで事足りたんだ。
競馬に競輪、麻雀にパチンコ。ありとあらゆるギャンブルで遊んださ。賭け金には困らねえから、たくさん注ぎ込んで、どっぷりと儲ける。それが気持ちいいのなんのって。
儲けた金でまた賭けたり、いいもん食ったり、キャバクラ行ったり。数年間俺はそうして遊びまわってた。
だけど一年前くらいから一気に風向きが変わっちまってよ。ギャンブルで負けが続くようになったんだよ。注ぎ込んだら注ぎ込んだだけ持ってかれちまって、残るのは雀の涙ほど。借金だってたくさん作っちまって。
俺でもこりゃやばいって思ったね。だけど、どうしても働く気にはならねえんだ。
俺が、もう一度大ヶ崎の家に金をたかりに行こうと思ってた時だったんだよ。親父が死んだのを聞いたのは。
名前は確か……そうそう、林原だ。林原とかいう弁護士から連絡があったんだよ。親父が亡くなって、死後のことを頼まれたって。
林原は葬式だ通夜だって色々話してたが、正直言って興味はなかった。親父が死んだって聞いた時から、遺産のことしか考えていなかったからな。
そしてその連絡の最後の最後で、遺産の話が出たんだ。
俺は長男だからな。当たり前に大ヶ崎の家の遺産をもらえる。
そう思ったんだが、林原はふざけたことを言い出したんだ。
「故人・大ヶ崎晋太郎様の意向で、まだ遺産の受取人は決まっておりません。故人の意向によると、貴方のお父様・晋太郎様は……。
ナゾナゾによる遺産決定を要求しています」
「ナゾナゾだと!?」
「えぇ。ナゾナゾです」
「ナゾナゾって、あのナゾナゾだよな」
「えぇ。あのナゾナゾです」
「ナゾナゾってあれであってるよな」
「えぇ」
………
あまりの驚きに、俺は何度も聞き返してしまった。
遺産に、ナゾナゾ? 馬鹿げている。それとも、俺が知らぬ間に、ナゾナゾの定義が変わって、遺産がわりにできるようになったとでも言うのか。
「一体全体、どういうことなんだ」
「簡単に言いますと、故人・大ヶ崎晋太郎様の意向としては、貴方を含める三人の御子息たちにナゾナゾを出して、それを解いた方こそが遺産を手に入れることができるようにしようということです」
その説明で簡単にしたつもりなのか? なおさら頭が混乱してきた。
要するに、親父はナゾナゾという子供遊びで、遺産相続権という重要な物事を決定しようとしているということか。我が親父ながら狂っている。
しかし、遺産は欲しい。
「わかっていただけましたか?」
「あぁ、わかったわかった。だから、さっさとそのナゾナゾとやらを教えてくれないか」
「いえ、それは無理です。期日も時間も指定されていますし、三人全員がいる場での発表という指示なので、日を改めて、御三方に集まっていただくことになります」
「三人ってことは、佐奈と博己も来るってことか」
「そうです。ただ、博己様はすでにご結婚されていますので、配偶者である奥様の鈴様もお呼びするつもりです」
「あぁ? 博己が?」
俺は聞き返した。当たり前だ、博己が結婚してたなんて初耳だったんだから。
まあ、俺ら大ヶ崎の兄弟はお互いに干渉し合わなかった。良く言えば〝干渉し合わなかった〟のだが、悪く言えばお互いに興味がなかったのだ。
かといって、実の兄弟に結婚を伝えない者がいるのだろうか。
ーま、聞いたとしても、結婚式なんて面倒臭いし、ご祝儀なんてのに金がかかるのは嫌だったから、祝福する気はゼロだっただろうけど。
「博己結婚してたのか」
「聞いていなかったんですか!?」
「まあな。ま、興味ねえから別にいいよ」
「……」
これには林原もあっけに取られたようで、しばらく黙っていた。が、呆れたようにまた黙々と話し始めた。
「それでは、その遺産相続に関するナゾナゾの開示日をお伝えしようと思います。
開示日は八月十日、正午ぴったり。場所は大ヶ崎家の応接室です。少しでも遅れた場合は、遺産の相続権は破棄されます」
「八月十日ね。わかったよ」
俺はその日に予定がないのを確認した……とは言っても元から予定など一つもない。
「よろしくお願いします」
そう言って、林原は電話を切った。
俺は携帯を耳から離すと、ふと憂鬱になった。佐奈と博己と会うのも面倒だったからだ。
林原からその電話を受けたのは、八月一日のことだった。
その日から九日までの間、俺の退屈だったはずの日常は変わった。遺産が手に入るかもしれないんだ。
おそらく、今の大ヶ崎家の遺産は、安く見積もっても、数千万はあるはずだ。多ければ億まであるかもしれない。
その遺産が入るとなれば。俺のこの日常は薔薇色に変わるだろう。
俺は早速行きつけのキャバクラに行った。いや、かつての行きつけと言ったほうがいいかもしれない。
最近のギャンブルでの負け続きのせいで俺はキャバクラのツケをためていた。百数十万万くらいだ。だから、キャバクラのブラックリストにも乗ってしまい、俺は通わないようになっていた。
だけど、大ヶ崎家の遺産が手に入るとなれば話は別だ。これまでのツケなんてすぐさま払って、そして、さらに美味い酒にイイ女を楽しめるってもんだ。
俺が遺産の話をすると、店の方も目を輝かせて、俺をVIP席に案内した。そして、いつも以上に可愛い女をつけてくれた。
俺が受け取ったのは遺産の相続権〝を得るチャンス〟であって、まだ遺産相続が決まってないことは言わなかった。
どうせナゾナゾだ。所詮子供の遊びだ。1タス1は田んぼの田、くらいの問題だろう。そんなの楽勝だ。
そうして、俺はキャバクラでその日、新たに何十万というツケをためた。
そうして、日はあっという間に過ぎていき、いつの間にか八月九日の夜になっていた。
結局この数日の間に、新たに借金し、全部で何百万円の借金を作ってしまった。遺産相続に期待するしかない。遺産が相続できなければ、俺は破滅だ。
だが、所詮ナゾナゾなんだ。遺産なんてもらったも同然だろう。
俺はその日、酒を煽ると布団に入った。
翌日、八月十日。約束の日だった。
俺はいつも通り十時ごろに起きてカップラーメンを食った。しかし、今日のカップラーメンはいつもと違う味がした気がした。事によっては今日、遺産が手に入るかもしれないのだ。
俺は着替えて家を出た。大ヶ崎の家からは電車で三十分以上かかるぐらいのところに住んでいた俺は、電車やバスを乗り継いで、一時間後に大ヶ崎の家に着いた。
何年ぶりだろうか。高校卒業後初めてだとすると、十数年ぶりになる。久しぶりに帰るはずの家に、俺は懐かしさなどあまり感じなかった。
住宅街の中に、一つだけ、門と広い庭と大きな建物をもつ大ヶ崎邸。ベランダも広く、玄関からして他の家とは格が違っていた。閑静な住宅街には少しも似合わない風景だが、俺がそれを鬱陶しく思ったことはなかった。
だって他の奴らに見せつけることができたからだ。貧乏な他の奴らは恨めしそうな目でこの家を見ている。それが俺は気持ちが良くて仕方がなかった。
俺は堂々とその家の門をくぐった。近くの家の奴らが俺のことを見ているのがわかった。
『ほら、あのボンボンよ』
『帰ってきたのね』
『家から金をとって、勝手にどっかへ行ったとは聞いていたけど』
『とんだ親不孝ものね』
そんな会話が聞こえてくる。俺は鼻で笑い飛ばした。言いたい奴には言わせとけばいい、自分達が貧乏だからってひがんでいるんだ。
俺はそのまま家の中へ入って行った。
「げ、なんだよこれ」
俺は靴を脱いで顔を上げた時、目に入ったものに驚いた。
『かしらに従うべし』
そう書かれたでっかい書き初めのような書が飾られていたのだ。その字はクセが強く、親父のものだとすぐわかった。
「親父、みみずが踊ってるみたいな下手な字だったな」
俺は苦笑いした。
だけど一体どうしたんだろうか。こんな馬鹿でかく『かしらに従うべし』だなんて。
俺の記憶では、親父は部下に優しかった。親父は社長なんだから部下を好きに使ったっていいだろうに、親父はそういうことは好まなかった。俺が何かやらせようとするたびに、俺は親父に注意されていた。
親父のそういうところが俺とソリが合わなかったのだが、それにしても、親父が『かしらに従え』などと部下に命令するような男ではなかったのは間違いない。
俺が出て行った後で、親父の性格が変わったのだろうか。
俺はそんな疑問を残しながら、久しぶりの玄関を数秒ほど見回してみた。
そして一枚の写真を見つけた。
その写真の中では、三人の子供たちが、若い夫婦に囲まれてはしゃいでいる。桜の木下、お弁当を広げている。子供のうちの男子と女子は弁当箱の中の唐揚げを取りあっていて、それを夫婦のうちの男が止めている。子供のうち一番小さい男子はべそをかいていて、夫婦のうちの女がそれをあやしている。
言わずもがな、三人の子供は俺たち兄弟、そして夫婦は親父と、昔に逝っちまった俺のお袋だ。
ーま、今はもう、親父も逝っちまったけどな。
写真の中には、かつての大ヶ崎けの姿が写っていた。かつての大ヶ崎家は花見をしているようだった。
お袋がなくなったのは、俺が幼稚園で年長の時。写真の中の俺も年長だった。
俺が通っていた幼稚園では、年齢ごとに組み分けする際に、花や果物の名前を使っていた。0歳児はイチゴ組、5歳児はタンポポ組という具合にだ。そして、それらをかたどった名札をつけることになっていた。
写真の中の俺たちは、ヒマワリ、サクラ、モモの名札をつけていた。年長(6歳)がヒマワリ組、4歳児がサクラ組、2歳児がモモ組だったと記憶している。
だから、ちょうど、この花見の写真の時、俺たち兄弟は、俺が6歳、妹の佐奈が4歳、弟の博己が2歳だったというわけだ。
つまり、この花見の写真の数ヶ月後に、お袋は事故で死んだことになる。
一番最後の家族全員が揃った写真。親父は玄関にそれを飾っていたのだ。
俺は写真立てを裏返した。『19××年 五香川・夫婦桜の下にて』と書かれていた。
五香川というのはこの近くを流れる河川の名で、ここらへんでは桜が綺麗な花見の名所として知られている。四季折々の風景と人それぞれにある特別な日の風景の、四プラス一の香りを楽しめるから、〝五香〟川を名付けられたという。
夫婦桜というのは、写真の中のおれたちが座っているところに生えている桜の木のことだ。根っこが地面から飛び出ていて、二つに分かれている。この桜の木の、二つに分かれた根っこが一本の桜の木となっている様子が、まるで夫婦のようだと有名になり、夫婦桜と呼ばれている。
俺はしばらく、ぼーっとその写真を見つめていたが、辛気臭いのが嫌いだった俺は、さっさと写真立てを元に戻して、玄関を上がった。
応接室にはすでに、二人いた。
派手な化粧と、それなりのブランド品で身を包んだ女。佐奈だ。
「誰? って、兄貴か」
佐奈はタバコを手にしながら言う。昔は俺のことを〝お兄ちゃん〟と言っていたのが、今は態度も言葉遣いも格好も全てが変わってしまった。……俺自身も変わったのは間違いないのだが。
もう一人は、綺麗なスーツを着たメガネの男で、直立不動で立っている。胸元には弁護士バッジが見えるから、おそらくこいつが林原とかいう弁護士だろう。
俺は応接室の椅子に腰を下ろした。佐奈は、まだ半分も残っているタバコを灰皿で消すと、こちらを向いて話しかけてきた。
「ねえ、兄貴ってさ、大学中退で家出たじゃん」
「あぁ」
「実はアタシも家出てたんだよね」
「え」
これには驚いた。佐奈も高校卒業の時に家を出ていたという。
「兄貴さ、家出る時金持って行ったじゃん。あれ、ずるいなーって思っててさ、アタシも同じことしたんだよね」
そう言って佐奈は話し始めた。
俺と全く同じで、佐奈は家を出る際に金庫の金から、住むところにかかる金・生活費・遊ぶ金を数百万持ち出して行ったという。俺と違うのは、大学へ入学したかどうかくらいだ。
「その時父さんに見つかったんだけど、父さんは怒らずに、最後の小遣いだって言っただけなのよ。見つかったら怒られると思ってたのに」
親父の反応もまるで一緒だった。
「金取ったときね、少しは減ってるかなって思ってたけど、全然減ってなかったの。今も少しずつ増えてるのかしら」
どうやら金庫に金がたんまり入っていたのも俺の時と同じらしい。
まあ、佐奈がどんなことをしようが、遺産が残ってさえいれば、俺には何の問題もない。
佐奈は話し続ける。
「兄さん、色々困ってるからここ来たんでしょ」
「あぁ」
隠す必要もないから、俺は俺のことを全て話してみせた。
「兄貴らしいね」
佐奈は笑ったが、俺は聞き返した。
「お前だってどうなんだよ。何も聞いていないが」
「アタシはねー」
佐奈も包み隠さず話し始めた。佐奈の話を要約すると、こういうことだった。
佐奈は家を出た後、小さな個人営業の会社で事務職に就いたそうだ。しかしそこは年老いた夫婦が営んでいるところだったから、履歴書を法に触れない程度に書き換えて簡単に通ったらしい。
面倒ごとを起こさないよう表向きは真面目に働いていたのだが、夜は合コンに通うようになり、そのうちある男性に好意を抱くようになった。そしてその男性にできるだけ近づけるようにブランド品を漁るようになる。
さらに、初めは女みがきを理由にしたホストクラブもいつしかただ男目当てに行くようになり、今ではほぼ毎晩高い酒を開ける常連に。
こうなると、月の給料や家から持ち出した金をほぼ全て注ぎ込み、最近はローンまで組むようになった。俺と同じ、何百万もの借金を溜め込み、いよいよ生活も返済もやばくなるという時に、遺産相続権を得るチャンスの話を林原から聞き、喜び勇んでここへ来たという。
「なるほどね。お前も大変なんだな」
「兄貴こそ、でしょ」
佐奈は俺を蔑むような目をしながら新しいタバコに火をつけた。
どうやら俺の知らぬ間に、かつての可愛らしい妹は消え去り、ブランドと男に目がないクズな人格が出来上がってしまったようだ。かくゆう俺は賭け事に目が眩んだクズなのだが。
特に何も話すことがなかったので、俺はタバコを吸っている佐奈を置いて、家の中を少し歩くことにした。
キッチン、洗面所、風呂、昔の俺の部屋、リビング……。懐かしいといえば懐かしいが、それ以上はない。ましてや、感涙にむせぶなんてことはなさそうだ。
一周して玄関に立ち戻った。相変わらず、『かしらに従うべし』の意図はわからなかった。疑問に感じながら戻ろうとした時、見慣れない杖を見かけた。
杖たては玄関のドアの影にあったから、入った時は気づかなかったのだろう。その杖は結構太めで半径1cmほどだろうか。持ち手はごく普通で、折れ曲がっているだけの安物だ。
俺がまだ家にいた頃から杖はたくさんあったのに(お袋が「杖は持っているに越したことはない」と言って集めていたのだ)、この杖は、俺が見たことがないということは、最近になって買ったものらしい。
「親父の考えることはわかんねえな」
俺は玄関から応接室に戻った。
佐奈はネットショッピング漁り、俺は競馬の勝ち馬予想に、夢中になっていた時、もう一組やってきた。
小太りで髪の毛を中途半端に金に染めている〝イタい〟男と、それにピッタリくっつきながらレースのついたドレスを着ている、これまた〝イタい〟女。博己と嫁の鈴だろう。
「やあ、兄さんじゃないか。久しぶり」
「こんにちは〜、お義兄さん〜」
二人は馴れ馴れしく近づいてくる。俺は一歩ひきながら「おぉ」とだけ返した。博己と鈴は俺と同じように佐奈にも挨拶したが、こちらにも軽くあしらわれた。
二人は応接室の椅子に(重量系の博己の方は本当に)どっしりと腰を下ろした。そして、勝手にピーチクパーチク話し出した。
「兄さん姉さん金貸して、って言いたいとこだけど、どうせ兄さんたちも金がなくてここ来たんだろ。俺たちも同じでさ……」
これまた同じ繰り返しだった。博己と鈴は自分たちの身の上を話し始める。
家を出ることにした博己も金庫から数百万の金を持ち出した。そして、それも親父に見られたが、そこでも親父は『最後の小遣い』と言っただけ。
そして、その時も金庫いっぱいに金はあったらしい。
博己のこれまでを要約すると、こういうことだった。
博己は俺と同じで大学は進んだらしい。しかし、その実態は毎日遊び三昧。ワル仲間とつるんで、女関係の揉め事も増やし……。その中で出会ったのが鈴だったそうだ。当時から金持ちをアピールしていた博己に鈴が目をつけたんだろうが、鈴もそこまで悪い見た目じゃないから博己の方も悪い気はしなかっただろう。
その博己が家を出たのは、大学を中退した後だった。卒業間際に単位が全く足りないことに気づいて面倒になったからというのがその理由。
驚くことに、家を出た後二人はすぐに入籍し(俺や佐奈には知らせずに)、さらに行き当たりばったりで会社まで作った。甘い文句で何人もの従業員を騙し騙し働かせ、それなりの儲けを得ていたらしい。
実際の会社では、厳しい残業やノルマを強要していた上に、博己のセクハラや鈴のパワハラが重なり、巷ではブラック企業と有名になっていた。
しかし、経済も社会も勉強していない二人のやることだから経営は立ち回らなくなり、泣きっ面に蜂で、そこに従業員が反発したらしい。労働組合も関わる告訴問題に発展し、二人はすぐに会社を手放し返済や補償に充てたらしい。
「……けどさ、まだ慰謝料が足りないってうるさい奴らがいるんだよな」
「ねぇ〜ほんと」
長い話の終わりに博己と鈴は顔を見合わせて微笑んだ。
要するにこのバカ夫婦も、俺や佐奈と同じで借金だらけというわけだ。
博己と鈴は、俺や佐奈なんていないかのように、二人でいちゃつき始めた。俺たちも、一応、自分達のことも話した。
とりあえず、こうしてお互いの近況報告は終わったわけだ。
俺たちの話を、林原は顔色ひとつ変えずに、私語もひとつも発さずに聞いていた。ちょっと気味が悪いな、こいつ。
しばらくの間は、特にたわいのない話でことは進んだ。度々、佐奈や博己と鈴も部屋を出て家を漁っているようだが、目新しいものは何もないようだ。
ただ、『かしらに従うべし』の掛け軸は三人も気になったようで少し話していた。
「親父ってああいうタイプだったっけ」
「そんなわけないじゃない。父さんはアタシたちが見ていてうざったらしいほど、部下に優しかったでしょ」
「変わったのかもしれませんよ〜」
だが、答えは出なかったようだ。
応接室に全員が戻ってきて、しばらく経った時だ。
〝ボーンボーン〟
応接室にある時計の鐘が鳴って、十二時を示した。
「時間になりました」
林原がいきなり口を開いた。俺たちは驚いてしまった。
が、林原はツカツカとテーブルの正面に立ち、カバンから封筒を取り出した。ちょうど三つある。
「まだ開けずにお待ちください」
林原は丁寧かつ迅速に配り始める。それぞれ、「晴哉へ」「佐奈へ」「博己へ」と書かれている。
応接室の雰囲気はガラッと変わって、俺たちは今にもその封筒にかぶりついてしまいそうな気迫だ。
この封筒の中には一体どんなナゾナゾが入っているのだろうか。
林原は封筒を配り終えると、また別の書類を取り出した。
「こちらは、故人・大ヶ崎晋太郎様の遺言です。読み上げます」
応接室がしんと静まり返る。林原はその静寂の中で顔色ひとつ変えずに、その口を開いた。
「多分、今お前たちがこれを読んでいるときには、無情にも私はこの世と、離別しているのだろう。皆には遺産の相続権、つまりチャンスをやろう。ところがこれから、林原弁護士に伝えてもらう、複数のナゾナゾの答えを、突き止め、解決しなくてはいけない。解決できたら、ン千万という私の遺産を手に入れられるだろう。
つまり、選ばれしもの、のみが、並ならぬ遺産をその手に、獲得することができるのだ。
勝負の時間だ。羅針盤も地図もない過酷な宝探しになるだろうが、ベースとなるナゾナゾは、用意してある」
林原は一息ついて、
「健闘を祈る。ーー以上です」
俺たちは困惑していた。あまりにも林原の話し方が不自然だったからだ。ところどころ、はっきりと区切るようにして話していた。
「こちらの書類は一枚しかありませんので、皆さんに掲示しておきます。写真を撮るなどしてお持ちください」
林原は読み上げたばかりの書類を、テーブルの真ん中に置いた。
俺たちは早速スマホで写真を撮った。
しかし、やはり文面に違和感があった。『離別』や『ン千万』など、遺言書でこんな言い回しをするだろうか。ただ、林原の本名が林原樹ということはわかった。
だが、親父が何を考えているかなどわからないから、今は放っておくことにした。肝心なのは、ナゾナゾの方である。
「ナゾナゾは一体どこにあるんだよ」と博己が言った。
「バカね、この封筒の中でしょ。林原さん、もう開けていいかしら」
佐奈は封筒を手に取る。
「もうよろしいですよ。この遺言書がナゾナゾのスタートですので」
ナゾナゾのスタート。さっきから続く林原の不思議な物言いに、俺は疑問を抱いたが、俺たちは封筒を急いで開けた。
封筒の口は丁寧にのりで封をされていたが、適当に破ると、中には一枚だけ紙が入っていた。
「なんだよこれ」
そして、その紙を見て、絶句した。
なんなんだ、このひらがなの羅列は。
「てくといの……くろむき……めれちと?」
口にしてみたが、意味不明のままだし、特にリズムや規則性も見つからなかった。読み方が違うのか。横読みじゃなくて縦読みとか?
「てこのい……てふまぬ……ここせ?」
わからない。それに、わからないのは、ひらがなの羅列だけじゃない。これまた意味不明な二つの文章。
「腑抜けな焼き鳥を射抜く…、うがいの間違いを手書きで指摘する…?」
何を言っているのかもわからないし、ところどころの単語が太くなっているのも違和感がある。
佐奈や博己はどうだろうか。俺は顔を上げて三人の方を見た。三人とも紙と睨めっこしている。俺は恐る恐る声をかけた。
「なあ、お前ら。お前らの紙はどうなんだ」
三人はしばらく躊躇っていた。
そりゃそうだ。この時点で、俺たちはもう敵同士。大ヶ崎家の遺産をめぐる、バトルの火蓋はすでに下ろされているのだから。
「別に、お互いに見せ合っていただいても構いません。というより、そちらの方が皆様にとっても都合が良いかと」
ふと林原がそういった。見せ合った方が、都合が良いだと?
しかし、それで佐奈たちも紙を見せ合う気になったらしい。佐奈と博己はテーブルの上に、互いの紙を出した。もちろん、俺もだ。
二人宛の二枚も、俺のと同じで不可解なものだった。
「何これ、全員こんなのなの」
「やだ、鈴、わかんなーい」
「参ったな、こりゃ」
佐奈たちほど俺はしゃべらないが、俺自身もこの紙を見て、言い知れない不安を抱えていた。
これを解かなければ、遺産は手に入らない。遺産が手に入らないことは、すなわち、俺自身の破滅にもつながる……。
おそらく、それは、佐奈も、博己と鈴も一緒。
ふと三人の顔を見ようとした。ちょうど、全員と目が合った。
全員、同じことを考えていたようだ。借金を抱えているのは、誰も一緒だからな。
全員の目が鋭い。まるで、獲物を血走った目で見定める、野生の獣のようだ。おそらく、俺もそんな目をしているのだろうけど。
負けられない。この遺産は、自分のものだ。
誰もが、今日初めて、お互いにそんなことを思ったに違いない。
そう、もう、俺たちは敵なのだ。この大ヶ崎家の遺産をめぐる戦いの。だから、共闘なんて、できるわけがない。
「ねえ。ここからはもう個人戦にしない?」
真っ先に口を開いたのは博己だった。
「俺と鈴、佐奈姉さん、晴哉兄さん、三つに分かれてさ」
自分のわがままに素直な博己だからこそ真っ先に言い出せたのかもしれない。俺や佐奈だったらきっと言い出せずにモゴモゴしていたから。だが、そのおかげで、俺の口から言い出す必要は無くなったというわけだ。
「……いいわよ」
佐奈が答える。
「賛成だ」
俺も頷いた。
鈴は何も言わないが、(博己くん頼もしい〜)とばかりに拍手している。
「とりあえず、このみんなに配られた紙は、それぞれ写真撮っておきましょ」
「なんでだよ。個人戦なのに」
「バカね、さっき林原さん言ってたでしょ。三つ揃ってた方が、都合がいいって。どうするの、三つあってようやく解けるナゾナゾだったら。あなた、遺産欲しくないの?」
佐奈の提案に博己が食ってかかったが、あっさり論破された。俺も佐奈とは同意見だ。
「俺も写真くらい撮っておいた方がいいと思うぜ。お互いがそうするんだ。なんの不公平にもハンデにもならねえよ」
流石の博己も賛同して、その場で全員が三人分の手紙の写真を撮った。
写真を撮った後、またお互いの顔を見合った。
俺は長男だ。ここで一つこいつらを牽制しておこうじゃないか。
「遺産は俺のものだ。こんな子供騙しなんて、ちょろいもんだぜ」
俺はそう言い放った。
「あら、兄貴、遺産は私のものよ。子供騙しって言ったって、兄貴みたいな男に解けるわけがないでしょ」
佐奈も負けじと。兄貴〝みたいな〟男だなんて、言ってくれるじゃねえか。
「兄さん姉さん、何か勘違いしているみたいだけど、この中で唯一大学に長く通ったのは僕だけだよ」
「そうですよ〜、博己さんが遺産を手に入れるんです〜」
博己と鈴も。減らず口が上手くなったもんだ、ムカつく野郎め。
そして、俺たちは誰が最初とも知らずに立ち上がった。
そう、これはもう、大ヶ崎家の兄弟の絆など一切存在しない、もはや断ち切ったも同然。
誰が遺産を手に入れるか、そして誰が蹴落とされるか……。
俺たちは最後にお互いの顔を睨め合うと、各自の行動を始めた。
どうやら、佐奈は親父の書斎に、博己と鈴は親父たちの寝室に行ったらしい。応接室には俺と林原だけ残った。
林原は相変わらず、直立不動のままだ。
気味の悪いやつだ。そう思っていた時、ふと違和感があった。
林原を、どこかでみたことがあるような……。
ま、いいか。どうせ道端ですれ違った程度だろう。俺は、そんな無駄なことに頭を使っている暇はないんだ。
俺は応接室を漁り始めた。
「まあ、ここまでが前編だと思ってくれや」
晴哉はそこで話を一旦区切った。よくもまあ、三十分も話し続けられたものだ。
僕は聞くだけでも疲れて、ため息をついた。
ちなみに、大ヶ崎家三兄弟にそれぞれ配分されたという謎の手紙の写真は送られてきた。僕も見たが、さすがは大の大人を二日以上悩ませている難問、僕は何を意味するのかちっともわからなかった。
「大まかなことはわかってくれたよな」
「あぁ。要するに、お前が言っているナゾナゾというのは、晋太郎さんが出したナゾナゾのことなんだな。そして、そのナゾナゾには遺産を手に入れる権利がかかっていて、お前はそれを解きたいと」
「その通り」
なんて図々しい奴だ。もちろん、晴哉の真似をして大ヶ崎家から金を取って家出した佐奈と博己もひどいが、そもそも晴哉がそんなことをしなければよかったこと。それを他人事のように語る晴哉に、僕は胸糞の悪さを感じていた。
「それでだ。その後のことなんだがな」
「まだ話が続くのか」
「もちろん。
その後の、俺たちのしたことなんだけど……」
話はこうだ。
晴哉も、佐奈も、博己と鈴も、全員がナゾナゾの答えを出せずにいた。その日、八月十日は、全員大ヶ崎家に泊まり、翌日もずっと考えていた。
朝飯も終えて、しばらく考えていると、そのうち、佐奈が電話を始めたという。それも全員の前で堂々と。
『あ、タクヤくん〜、タクヤくんってさ〇〇大卒だよね……』
どうやら、知り合いの男性の中でも特に頭がいい人にかけたらしい。ちなみに、〇〇大学とは日本でも屈指の優秀大学だ。
これには晴哉も博己と鈴も咎めた。
しかし、それに対する佐奈の答えは、
『人脈だって、その人の力の一つでしょ。邪魔しないで。それが嫌なら、あなたたちだって利用すればいいじゃない』
これに晴哉はあっけにとられたものの、博己と鈴は
『その手があったか』
と勇んで電話を始めた。
『おい、お前、今お前のスマホに画像送ったから、このナゾナゾ解け。
あぁん? 無理です、だと? 黙れ、このドアホ! お前、一度は俺の部下についたやつだろ。だったら上司の命令は絶対なんだよ』
『そうよそうよ』
博己の言葉に鈴も加勢した。
その時晴哉にはパッと思いつくような連絡先はなかった。結果的に一人だけ、誰にも電話することができなかった。だから晴哉は、この二人の電話の返事がとても気になっていたらしい。
「解かれちまったら、遺産持ってかれちまうもん。やべえだろ」
僕は、(心配するとこそこかよ)と思ったが、晴哉の話は続く。
しかし、その晴哉の心配は杞憂に終わったようだ。
また半日ほど経った八月十一日の夕方ごろ。
まず電話がかかってきたのは、博己の電話だった。
『あぁ? やっぱり無理です、だと? どうしても、意味がわからない言葉の羅列になってしまう?
チッ、使えねえ! てめえみたいな使えねえクズなんぞ、さっさといなくなっちまえばいいんだよ!』
『そうだそうだ、いなくなっちまえ』
博己と鈴は一分以上にわたって、散々電話の相手を罵倒してから切った。博己はスマホをテーブルに放ると、バツが悪そうにどっかに行ってしまった。
佐奈はその様子を笑いながら見ていたという。
「あいつからしたら、〇〇大卒の男に頼んでるんだもん。もう勝ったも同然だったろうな」
晴哉もそう思ったらしい。
しかし、その一時間ほど後、佐奈にも電話がかかってきた。
佐奈は、喜んで電話に出たが、
『えっ、意味がわからないの?!』
一言目にそう言って佐奈は俺たちの目線が気になったのか、電話の口元を押さえて別の部屋へ移動した。
それでも多少は話が聞こえてくる。
『どうしても無理? 最後の最後で意味がわからない?
もー、タクヤくんって、使えないのね。もういいわ、あなたに期待した私がバカだった。もう、関係も終わりにしましょ』
これまた一分ほど、相手との電話は続いた様子。そして、佐奈は電話を切った後、
『私に、遺産を手に入れさせてくれない男なんて、いらないわ』
と呟くと、部屋に戻ってきた。そして、博己と同じようにバツが悪そうに別室へ行ってしまった。
「ほんと、ザマアミロだよな。ズルなんてすっから」
お前だって今こうしてズルしているんじゃないのか、と思ったけど口には出さない。
「それでその後は?」
「特に何も進展はないさ。また考えたんだが、どうしてもわからなくてな」
「じゃ、もう話は終わりだな」
「いやまだなんだよ」
ナゾナゾを解いてみたいから、とでも理由をつけて電話を切ろうとしたけど、無理だった。
「だってもう終わりだろ。ナゾナゾが公開されて、お前たちはなんとかして解こうとしたけど、無理だった。それで、今に至る。他に何があるんだよ」
「いやさ、その後、なんかもう一人変な奴が来てさ……」
晴哉の話がまた始まった。
宇多真路、とその男は名乗った。
「宇宙の宇に、多いという字に、真実の真で、最後は道路の路。それで、うだまさみち、と読みます」
宇多はそう言ったが、別にそこまで説明されても興味はない。
この宇多という男、十二日の午後一時くらいにやってきた。親父の会社で働いていたらしい。まあ、俺たちが見たことのない男だったから、働いていたと言っても入ったばかりのやつだろう。
その時、俺たちはちょうど応接室に集まっていた。みんな二日間探しに探したが、ついには何の手がかりも得られなかった。疲れて戦意も喪失しかけ、一旦休戦協定を結んでいたというところだ。林原が紅茶と茶菓子を用意してくれたので、それを頂戴していた。
そこに入ってきた宇多は、まだまだ二十代ほどの若造だった。
宇多は入ってくると、紅茶を出そうとした林原を断って、椅子やソファではなく床に直接座った。
いきなり来て何者か、とは思ったが、床に直接座るところを見ると自分の身分はわきまえているようだ。関心関心。
宇多はそのまま話し出した。
「実は僕、生前の晋太郎さんにはめっちゃお世話になってて。いろんなこと教わって、仕事も日常生活でもたくさん世話してくれて。本当に、憧れの先輩だったんです」
宇多はかすかに目を潤ませていた。ま、どれだけ宇多が親父のことを尊敬していたかは知らんが、今はお涙チョーダイ物語を聞くつもりなんてない。
「それで」
「さっさと話終わらせろよ」
同じことを思っていたようで、佐奈と博己もそう宇多を急かす。
宇多は俺たちを一瞬、悲しげな目で見たが、話を続けた。
「お願いなのですが、晋太郎さんの遺品を一つ、一つだけでいいんです。僕にくださいませんか」
思わぬ嘆願に俺たちは驚いた。
「本当に一つです、それ以外は求めません。それに、もし、僕が選んだものをみなさんが手放したくないものであれば諦めます。十分に品定めしてもらっても構いません。
どうか、お願いします。僕の一生の頼みだと思って」
俺たちは顔を見合わせた。
今見知りあったばかりの人に、一生の頼みをねだられたって……。
「それで、ちなみに欲しい父さんのものってなんなのよ」
それによるわね、と佐奈が言った。確かにその通りだ。親父の遺産が丸ごと欲しいなんてお願いだったら聞けるわけがない。
宇多は少し考えていたが、
「杖です」
と答えた。
『杖?』
俺、佐奈、博己と鈴はそう聞き返した。
「えぇ、杖です」
それでも宇多は毅然として答える。
俺たちはまた顔を見合わせた。杖くらいだったらくれてやってもいいんじゃないのか。そう思ったのは四人全員同じだったようだ。
「杖なら、別にいいよな」
「あぁ」
「ちょっと、どの杖が欲しいのか、持ってきてみてよ」
佐奈がそう言ったので、宇多は部屋を一旦出て、杖を一本持ってやってきた。
あ、あの杖は……。
宇多が持ってきたのは、俺が大ヶ崎家に来て玄関で見かけた、見慣れない杖だったのだ。
「なんだそれ」
「そんなのあったっけ」
博己と佐奈も口々に言う。
「ま、でも別にいいんじゃないか。見たところ金にならなそうだし」
「そうね。ゴミ回収にかかるお金だって今はバカにならないんだし。持っていってもらったほうがいいわよ」
二人はすぐにその杖を手放した。博己の後ろでは鈴もうんうんと頷いている。
残るのは俺の判断な訳で宇多が俺を見たが、俺も即答で答えた。
「あぁ、別に構わねえよ」
「ありがとうございます!」
宇多は頭を床に擦り付けるようにして感謝の意を示した。
「それで十分だろう」
俺はしつこく頭を下げ続けている宇多に声をかけた。
「俺たちにはまだ片付いていないことがあるんだ。さっさと帰ってもらわないと、気が散っちまうんだよ」
宇多は一瞬驚いたような、呆れたような、悲しいような……そんな微妙な顔を見せた。俺には一瞬、その顔つきが引っかかったが、特に気にもとめなかった。
「そうよ、兄貴の言う通り」
「さっさと出ていってくれないか。その杖でもう十分なんだろ」
「そうよそうよ」
佐奈、博己と鈴も続けて言う。
宇多はその声に押されるようにして、応接室、そして大ヶ崎家を出ていった。
俺たちの見慣れない、ごく普通の金になりそうにもない杖を持って。
「ま、ここで話は終わりだ」
晴哉も長い話に疲れてお茶でも飲んでいるようで、僕も数秒間ほっと一息つくことができた。
僕は、晴哉の話など興味もなしに聞いていたつもりだったが、すっかり引き込まれてしまっていた。手元には一応、これまでの晴哉の話をメモした紙がある。それを見返して僕も考えてみた。
あの優しかった晋太郎さんが書いた不思議な言葉『かしらに従うべし』、意味不明なひらがなの羅列、見慣れない杖に、それを懇願して持っていった宇多真路という男……。
何から何までわからないこの遺産相続をめぐる一連の出来事。それはまさに、ナゾナゾの遺産……。
「なあ、どうだ。何かわかったか」
一息ついた様子の晴哉が問いかけてくる。
「いや、今のところは全く」
「解けそうか」
「どうだろう」
どうだろう、と答えておきながら、僕には奥の手があった。そう、我がクラス三年四組にいる、推理力の高い六人組だ。彼らに解いてもらうのがちょうどいいだろう。
だけど、僕の答えに、晴哉は落胆の声を上げた。
「お前もダメかー…」
晴哉は大袈裟にため息をついた。
僕は、ナゾナゾを解ける見込みがあることは晴哉には言わないことにした。
もし解けなかったらそれはそれでうるさそうだし、それに……。
やはり、晋太郎さんの遺産が、晴哉のような男に渡ることに、どうしても嫌悪を抱かずにはいられなかったのだ。
〝もし〟だ、〝もし〟生徒たちがこのナゾナゾの真相を暴けたら、それから晴哉に伝えるか考えようと決めたのだ。
「とりあえず、解けるかはわかんないけど僕もちょっと考えてみるよ。ここまで話されちゃあ気になっちゃったから」
ははは、と僕がから笑いすると、晴哉は、小さく舌打ちした。
そして、晴哉が確かに「使えねえな」と小さな声で言ったのを聞いた。
それを聞いて僕はやっぱり悲しい気もしたが、これが今の晴哉なのだ。もう、この性格は治らないだろう。
「ま、話を聞いてくれてありがとうよ」
声を変えて、晴哉はそういった。
「おう、またな……」
僕が話を終わらせる前に、電話は切れていた。
僕はスマホを机に置いて、椅子に背を預けて、天井を仰いだ。
疲れた。その一言に尽きる。
僕は、すっかり変わり果ててしまった、いや、元からの悪いところがさらに伸びて直ることもなく大人になってしまった晴哉からの電話を終え、すっかり疲労してしまった。
まあ、晴哉のことはさておき……、
この晋太郎さんのナゾナゾのことだが、確かに僕も気になる。
さて、誰にこの〝謎〟を解いてもらおうか。僕は、いまだにとっておいてある峰形先生からもらった名簿を見た。そう、僕のクラスの中で、推理力が特に高いという六人の名が書かれたものだ。
僕は、彼らが本当に推理力の高い生徒であるかどうかを確かめてみたいのだ。名簿の六人の中の、森田真、広末美琴はすでに推理力が高いことを身をもって確かめた。
残った四人の中で、ナゾナゾが得意そうな生徒は誰だ……。
僕はそう考えて、一人の生徒を選んだ。
その男子は悪戯好きで、成績は悪いけど、運動神経のいいあくまでも良い意味でのバカ(バカに良い意味があるのかはわからないが)。
その男子というのが、左門悠吾だったのである……。
悠吾は僕のこれまでの話を、黙って聞いていた。
「ナゾナゾが得意そうなやつを探してみて、お前が適任なんじゃないかと思ったんだ」
そう最後に言って、僕の話を終わらせたが、悠吾はまだ黙ったままだった。
さっきまで職員室で晴哉との話の内容と思い返していたが、男バスの部活が終わる時間になったので約束通り、体育館で待つ悠吾の元へ向かった。
そして悠吾にも晴哉との話を聞かせたのだった。初めの方は「先生にも高校時代あったんすね」とか「今度先生の電話番号教えてくださいよ」とか茶化していた悠吾だったが、晴哉の話が本格的に始まった途端に静かになってしまった。
まるでバスケの試合中に虎視眈々とボールの動きを見極めようとしているかのような悠吾の視線に、僕も少し驚きを感じながら話をしていた。
黙ったままの悠吾を見て、このまま一生動かないつもりなんじゃないか、と僕が不安に思ったその時。
いきなり悠吾は立ち上がって体育館の職員室へ入ると、鉛筆と紙を持ってきた。そして床に紙を置いてうつ伏せの姿勢になると、鉛筆で何やら書き始めた。
「何書いてるんだ?」
僕は覗き込もうとしたが、悠吾にそれを制されてしまった。
「もうちょっと待ってて、先生。思ったよりメンドくさいっすね、このナゾナゾ。先生も考えて待っててくださいよ」
考えた末に結局分からずお前に聞いているのだが……。そう思ったが口にはせず、改めて整理することにした。ちなみにスマホは、晴哉たちが配られたというあの紙を見せるために、悠吾に貸している。
実は、答えは分からなかったものの、僕の推理にも進展はあったのだ。あの紙に書かれていた文章が、いわゆる〝たぬき〟構文であったのに気づいた。
〝たぬき〟構文というのが正式名称なのかは分からないが、暗号やナゾナゾの解読においては最も有名な手法だと思う。
例を挙げると【たこたんにたちは(たぬき)】
『たぬき』だから『た』を抜くのだ。だからこの場合は【たこたんにたちは】から『た』を抜いた【こんにちは】が正解となる。
この解き方を利用して、あの三人に送られた手紙の文章を少し読み解くことができることに気づいたのだ。
まずは長男・晴哉のもの
てくといのやてふうやよまるくろむきよいうくここれまろるちふきうくるのちとの
こせめむむろこのうやてまむまれきせちことてせやくいよむるせいよれめふのぬれきよせめれちと
○腑抜けな焼き鳥を射抜く
『ふ抜け』『やき取り』『い抜く』というわけだ。
そして、あのひらがなの羅列から『ふ・や・き・い』を抜いて読むと……
てくとのてうよまるくろむようくここれまろるちうくるのちとのこえめむむろこのうてまむまれせちことてせくよむるせよれめのぬれよせめれちと
になるのだが、もちろん、まだ意味のわからないままだ。
まあ、そこまでわかったことは、僕にとっては一歩前進だと思って、晴哉以外へのものも考えてみた。
長女・佐奈へのもの。
『お取り』『た抜き』『か無し』だから、『お・た・か』を抜いて読むと、
せへつんなむかねたかおねかへたゆりんあんこかけむほぬねむゆぬたほせつおりむあたこなぬゆつろあゆほけおたつつななぬろねんへかりけほりろあけりへぬせむくけせこおせゆろ
↓
せへつんなむねねへゆりんあんこけむほぬねむゆぬほせつりむあこなぬゆつろあゆほけつつななぬろねんへりけほりろあけりへぬせむくけせこせゆろ
次男・博己へのもの。
『さ抜き』『ぼ取る』『す取ろー』『は無し』だから、『さ・ぼ・す・は』を抜いて読むと、
あみらそしよそわしくぼれあくのさなくににはわけすぼはよれひほけらしさそもすさはあわぼひによくぼみほよわにもれけさひひもみすはすゆのらほもあれそけそみほなのわしのな
↓
あみらそしよそわしくれあくのなくににわけよれひほけらしそもあわひによくみほよわにもれけひひもみゆのらほもあれそけそみほなのわしのな
まあ、こうなるわけだ。もちろん、何を言っているかはわからない。だけど、たぬき構文という考え方は正しいと思う。多分。きっと。
頭の中でそんなことを整理しているうちに、悠吾に考えろと言われてから、二分経っていた。
目の前の悠吾は、紙に向かって真顔で鉛筆を走らせている。
普段の定期テストや模試の時にもそれだけ熱意があればいいのにな……と思いながら、僕は悠吾の様子を見ている。
〝カリカリカリカリ……〟
誰にも話しかける隙を与えない、そんな集中力を身に纏いながら、一心不乱に鉛筆を動かしている様子はこれまでの悠吾のイメージを大きく変える。
きっと、悠吾が学年一の人気者であるのは、ただのどうしようもないアホではなく、このようにちゃんとメリハリのある性格をしているからに違いない。あの毒舌だけど天才の森田真が、悠吾と親友であるのもそれが理由だろう。
そう思っていると、
〝パンッ!〟
と、悠吾が鉛筆を置いた。
僕がビクッと驚くと、悠吾は満面の笑顔で言った。
「解けましたよ!」
「おお」
僕が感嘆の声をあげる。
「じゃあ、早速聞かせてくれないか。あとさ、僕も僕なりに考えて、すこし推理も進展したんだ。それも聞いて欲しいんだが……」
興奮する僕をよそに、悠吾はどこか冷めた態度。
そして、悠吾は頭をポリポリ掻くと、はっきりと言った。
「でも、もう、遺産は手に入らないと思いますよ」
はっ? これもナゾナゾ?
第三章 謎解き
遺産は、もう、手に入らない……? どうして?、だってナゾナゾは解けたんだろう? なら遺産を手に入る権利とやらも見つかったはず……。
悠吾の言葉に、僕は頭の上に大きなハテナを浮かべた。一方の悠吾はあっけらかんとしている。
「待て待て。遺産が手に入らないってどういうことだ。ナゾナゾが解けたなら、遺産が手に入るはずだろう」
「まあ、色々あるんすよ、色々。一言で言うと、時間切れなんです」
「〝時間切れ〟?」
時間なんて決まっていたか? いや、晴哉の話ではそんなことはなかったはず。あいつが僕には話していなかったのか? いや、ナゾナゾを解かせたいのに、時間制限があることを話さないやつなんていないはず。
「まあ、そのことは置いといて」
「いや、気になるよ」
「まあ、まずは、ナゾナゾを先に片付けましょ」
僕が悠吾に問いかけても、悠吾は一切答えてくれない。それどころか、僕の戸惑いも気にせず、体育館の職員室から授業に使っているホワイトボードを持ち出してきた。
「ウド先生が生徒で俺が先生みたい。おもしろ」
悠吾はカラカラ笑いながら、ホワイトボードの前に立った。
「じゃ、始めましょっか」
否応なしに僕は悠吾のその言葉に頷いた。
「じゃあ、さっき先生が言ってた、推理の進展って何ですか」
「ん? あぁ、そのことか。……」
僕は悠吾に、さっき頭の中で整理していた〝たぬき〟構文の考え方に沿った推理を話した。
悠吾は僕の話を黙って聞いていたが、話終わると、
「なるほどね」
とつぶやいた。
「うーん……、惜しいっすね」
「惜しい?」
「100点中30点」
三分の一かよ。
「まあ確かに、たぬき構文に当てはめても意味不明の文章のままだったけど」
「確かに、たぬき構文の読み方をするって言うのは正解なんすよ。ただし、それだけじゃなくて、もっと手間をかけなきゃいけないんですよ」
「手間?」
「はい。ちなみに先生、このひらがなが全部で何文字あるか数えました?」
「文字数か? いや、気にしたこともなかったな」
「じゃ数えてみてくださいよ」
「あ、あぁ」
僕は悠吾からスマホを返してもらい、あの紙をみた。そしてひらがなの数を数える。
「えっと……二、四、六、八……、八十一字だな」
「そうです。実はこれ三つとも、全部そうなんですよ」
「そうなのか。それで、それが何になるんだ?」
悠吾は僕をバカにした顔で、やれやれと言うように手を振ると話を続けた。
「さっき話に出てましたけど、その大ヶ崎さんが出版していたクイズ本の中で人気だったものって何でしたっけ」
「子供向けでは言葉遊び、大人向けではナンプレだったな」
「その通り。じゃあ、もしこのナゾナゾがそれにちなんで作られてたとしたら?
だとしたら〝たぬき〟構文は言葉遊びっすよね」
「そうだな」
「じゃあ、ナンプレ要素はどこにあると思います?」
ナンプレ要素? ナンプレといえば何だろう……。
これでも僕は数学教師だ。だから人よりはナンプレも得意のつもり。僕は悠吾の問いかけを考えた。
ナンプレとは1から9の数を入れる脳トレだ。ということは単純に考えて、数が関係しているのだろうか? いや、他にも何かあるはず。
ナンプレといえば、あの特徴的なマス目だろうか……。
「マス目?」
そうつぶやいた僕を悠吾は見ている。
「あのマス目は9マスかける9マス、つまり八十一マスだ。そして、ひらがなの文字数も八十一文字!」
「そうっす。このひらがなは、ナンプレのマス、つまり9かける9の枠にはめることができるんすよ」
僕は立ち上がって、ホワイトボードのそばにいる悠吾からマーカーを受け取ると、ホワイトボードに大きい三つの枠を書いた。もちろん、9マスかける9マスのものだ。
それが書き終わると、続けてそのマスの中にあのひらがなを当てはめた。
「今回は何も指示がないんで、左上から横に埋めていって端まで行ったら次の段へいってまた左から埋めていく、って感じでいいと思いますよ」
と悠吾がいうので、その通りにした。(手順①)
五分も経ってようやく完成した。なにしろ、八十一文字もある上に間違いがあるといけないから確認も必要だったからだ。
「ふぅ〜、とりあえず書き終わった」
「その後は? わかりますよね」
「あぁ、こうしてからの〝たぬき〟構文だったんだな」
悠吾は「じゃあ早く早く」と言って、自分はバスケットボールを持ち出してシュート練習を始めた。
一瞬イラッとしたが、指示通りに、晴哉のものからは『ふ・や・き・い』を、佐奈のものからは『お・た・か』を、博己・鈴のものからは『さ・ぼ・す』を抜き出して、その枠を薄く黒で染めてみた。(手順②)
「なるほど、これで何かが浮かび上がるということか……
って、まだ意味がわからないままだぞ」
僕は悠吾の方を振り向いた。だけどそこには悠吾の姿はなく、体育館を見まわしてもその姿は消えていた。
「お、おい、悠吾?」
ふと馬鹿げた思いつきだが、クラスで誰かがしていた話を思い出した。
学校の七不思議の一つ、異次元体育館。体育館で、ある特定の日時に、ある行為をすると異次元に連れ去られてしまうらしい。
まさか、それが今日のこの時間で、ある行為というのがシュート練習だとしたら。さっきまでここでシュート練習をしていた悠吾は……。
「ばっからしい……」
我ながら馬鹿らしい妄想だと笑い飛ばしたが、悠吾がいなくなったのは事実。
「ったく、あいつどこ言ったんだ」
僕は体育館を歩き回って、倉庫やステージ裏、二階などを探した。
「え、いない……」
三分ほど探し回っても見つからない悠吾を、流石に僕も心配し始めていた時。「先輩すげえ」
「あの人って男バスのエースだろ」
「サッカーもできるのかよ」
外の校庭の方からそんな声が聞こえてきた。あそこでは今頃、サッカー部が練習している最中のはずだが……。
まさか、悠吾のやつ……。
僕が校庭へ走って出ると、案の定、そこにはサッカー部に混じる悠吾の姿があった。サッカーボールを華麗に操りながら、相手の体の間を器用に走り抜けていく。
見たところ、サッカー部の休憩中に遊んでいるだけのようで、監督らしき男性も悠吾の走る姿を興味深そうに見ている。
悠吾一人に対してディフェンスをするのは五人、けれどその数の差を感じさせないほど悠吾の動きは機敏だ。サッカーに何の見識もない僕でさえ惚れ惚れする動きをしている。
それを見ている男子たちが各々声を上げる。後輩たちは「先輩すげえ」声を上げ、同じ三年生からは「俺たちの見せ場奪うなよ」と嫉妬の声もある。
さすが運動バカ……ってそうじゃない。
あいつ、何を考えているんだ。たとえ学業に関することではないとしたって、教師である僕と話していたはずなのに勝手に抜け出すとは。
「おい、悠吾…」
〝バシュッ!〟
声をかけようとした時、悠吾が見事なシュートを決めた。歓声が上がり、ディフェンスの面々も手を叩いて悠吾をたたえる。
「じゃ、君たちもサッカーの練習励んでくれたまえ」
悠吾はわざとらしく偉そうなことを言うと、サッカー部に手を振りながら僕の方へ向かってくる。
怒る気もなくした僕は完全に呆れて、
「気が済んだか」
を悠吾を迎えた。
「もちろん!」
悠吾は嬉しそうな表情で僕よりも先に体育館に戻って行った。
悠吾は体育館のホワイトボードに僕が書いたものを見て、
「なるほど。そこまで行ったんすね」
と呟いて腕を組む姿勢になった。
勝手に外に出たことに関して全く謝る様子もないが、そこも悠吾らしい。怒ったほうがいい気もするが、今は状況が状況なのでとりあえず話を続けよう。
「お前の言った通り、9かける9のマスに当てはめて、たぬき構文の読み方をしたけど、結局、意味不明なままだぞ。これからどうするんだ?」
「先生、紙にはもう一文書かれてたの覚えてますよね」
まさかね?と言わんばかりの、悠吾の視線に答える。
「もちろん。確か……
晴哉には『うがいの間違いを手書きで指摘する』
佐奈には『笑顔に寝顔に変顔』
博己と鈴には『日傘をにがす』
だったな」
「そうですよね。
先生、自分で言ってて、何か気づいたことないすか」
「え、これだけでか?」
「ちょっと、もう一回、ゆっくり言ってみてくださいよ」
「あぁ、わかったよ……。
『うがい』の『まちがい』を『てがき』でしてきする……」
僕はそう口にしてみて、初めて気がついた。
「そういうことか。
『うがい』は『う・が・い』だから、『う』を『い』に変えて読めということか。
〝たぬき〟構文のように名をつけるとしたら、まさに〝うがい〟構文だった、というわけだな」
「そういうことっす」
「だとすると、だ。三人それぞれのひらがながこう変わるんだな。
晴哉のは『う・ま・ち』は『い』に、『て』は『き』に。
佐奈のは『え・ね・へ・ん』が全て『お』に。
博己と鈴のは『ひ』が『さ』に、『に』が『す』に。
というわけか」
僕は改めて、ホワイトボードを見た。三人のそれぞれのマス目に、確かに『う・ま・ち・て』『え・ね・へ・ん』『ひ・に』が含まれている。
そして、それらの文字を指示に従って変えると、『い・き』『お』『さ・す』になるわけだが、それらは全て、さっきの〝たぬき〟構文の指示で抜かれるべきひらがなだ。
「なるほど。〝たぬき〟構文と〝うがい〟構文。両方の読み方を取り入れなくては、このナゾナゾは解けなかったのか」
「その通りっす」
相変わらず左門は軽い返答を返す。
しかし、これで、このナゾナゾは解けたも同然。僕は早速、〝うがい〟構文の読み方も踏まえて、またホワイトボードのマス目を薄く染めていった。(手順③)
そして浮かび上がったのが……
「『ヒマワリ』に『サクラ』に『もも』……」
三つのマスの上にそれぞれ、それらの花の名前が浮かび上がった。
僕の頭の中に、晴哉の話が思い出される。
確かに晴哉は、この花たちの名前を何かしらの話であげていたはず。何の話だったんだっけ。思い出せ、僕……
そうだ あれは確か……
〝写真の中の俺たちは、ヒマワリ、サクラ、モモの名札をつけていた〟
〝一番最後の、家族全員が映った写真〟
「家族最後の、花見写真……」
『ヒマワリ』は晴哉で、『サクラ』は佐奈で、『もも』は博己。
大ヶ崎家の家族全員が揃ってうつった、最後の写真。晴哉も、佐奈も、博己も、晋太郎さんも、そして、晴哉たちのお母さんも……。
それに気づいた時、僕はナゾナゾの答えがようやくわかった。ストンと納得したと同時に、目頭がジンと熱くなる。
「そうか……そうだったんだ。
晋太郎さんが出したこのナゾナゾの答えは、思い出の……〝家族最後の花見〟だったんだ……」
悠吾も、どこか悲しげな顔で頷いた。
「ちょっと付け足しすると、佐奈さんでしたっけ……〇〇大の知り合いにこのナゾナゾを解いてもらっていたじゃないすか。
俺、多分その人は、この花たちの名前までたどり着いていたと思うんすよ。
だけど、そこから〝家族最後の花見〟という答えには辿り着けなかったんだと思います」
「……そうだよな」
このナゾナゾは、たとえ花たちの名前にたどり着いても、その奥に眠る真の答えには辿り着けない。
そう、家族最後の花見の思い出を晋太郎さんと共有した、晴哉と佐奈と博己の三人にしか、辿り着けないはずの答えなのだ。
「実は、紙の下の方に書いてある、このヒントってのもこの答えを示していたんすよ」
「この『晴哉は一番目、佐奈は二番目、博己は三番目』っていうやつか。僕もこれは全く見当がつかなかった。
だって、晴哉は長男だから一番目、佐奈は長女だから二番目、博己は次男だから三番目。当たり前だろ」
「そういうことじゃないです。これも言葉遊びなんですよ」
言葉遊び?
「文字に注目して考えてみてください」
文字、か。
「晴哉は一番目……はるやは一番め……。そういうことか」
悠吾も「そうっす」と言う。
『晴哉は一番目』、これはつまり『は・る・や』の一番目と言うこと。それは『は』だ。
佐奈も、博己も一緒。この考えで読むと、『さ・な』の二番目は『な』、『ひ・ろ・み』の三番目は『み』だ。そして、それを繋げて読むと……
「は・な・み。〝花見〟だったんだ」
まさか、ひらがなの羅列の謎を解かずとも、ヒントだけでも解ければ、ナゾナゾの答えに大きく近づけていたなんて。
「ナゾナゾは、これで解けたか……」
僕は悠吾の推理を聞いて、しばらく呆然としていた。
悠吾のおかげで顕になった答えを前に、晴哉のことを思い出したのだ。あの晴哉は、きっと今も答えが出るのを待ち望んでいるだろう。
どうしよう。僕は晴哉に、このナゾナゾの答えを伝えるべきだろうか。おそらく金にしか目が眩んでいない晴哉に。
そう思い悩んでいた時、悠吾が話し出す前に言った言葉を思い出した。
「なあ、悠吾、お前が言ってた……」
「『時間切れ』のことっすか?」
悠吾はいつの間にか持っていたバスケットボールをドリブルしながら話し出した。……こいつは動くことしか頭にないのか。
けれど悠吾のおかげで、少し潤んでいた目の涙もいつしか引き、口からは笑みが溢れていた。僕は悠吾の無邪気さに助けられたのかもしれない。
「『時間切れ』ってのは……」
僕は静かに悠吾の推理に耳を傾ける。
その話を聞いて、僕はまた驚きを隠せなかったのだった……。
悠吾にナゾナゾを解いてもらった日の夕方、僕は車を走らせてとある場所にやってきた。大ヶ崎家だ。
悠吾を帰した後、僕は晴哉に電話をかけた。「ナゾナゾが解けた」と伝えたのだ。
『おお!、そうかそうか! さすが、堺町だ!
実はまだ佐奈も博己たちも謎を解いていないんだ!
よし、これで遺産は俺のものだ!』
晴哉は電話口の向こうでそう歓喜の声を上げた。しかし、僕は晴哉に淡々と告げた。
『悪いけど、この電話だけでは伝えられない。みんなが揃った前で話したい。それが条件として飲めないんじゃ、この答えは教えられない』
『はぁ? お前、ふざけんじゃねえよ。みんなの前で教えたら、遺産が俺一人のものにならねえだろうが。何のためにこうやってお前に連絡したと思ってるんだよ』
思っていた通り、晴哉は強気で反対してきた。
『いいから今言えって』
『無理だ』
『だから、俺一人に教えりゃいいんだって』
そうして無駄なやり取りを繰り返した末に、ついに晴哉のほうが折れた。
『チッ、わかったよ。じゃあ今からさっさと家来い』
ぶっきらぼうにそう言い切ると、またさっさと電話を切ってしまった。だけど、今度は僕はやけに冷静だった。
そうして僕は車に乗り込んだのだった。
大ヶ崎家に着いた僕は、早速玄関からお邪魔した。
玄関を見回してみると、そこには晴哉が言っていた通り、写真と謎の掛け軸があった。
写真には確かに、『ヒマワリ』の名札をつけた晴哉と『サクラ』の名札をつけた佐奈と『もも』の名札をつけた博己が写っている。他にも、晋太郎さんと、三兄弟のお母さん。
お母さんの方は初めてみる顔だったが、二人とも、嬉しそうに楽しそうに、そして何より、幸せそうに笑っていた。
そして、僕はその写真を見て思った。
晋太郎さん、あなたは、誰よりも晴哉たちのことを想っていたんですね……。
そして、静かに、写真に手を向かって手を合わせた。
僕の気配に気づいた様子の晴哉が、玄関の近くにある応接室から顔を見せた。
今までは電話だったから、改まって顔を見るのは何年ぶりになるだろうか。久々に見るその顔はすっかり変わっていた。無精髭を生やし、顔もゴツゴツしていて、そう良い暮らしはしていないとすぐにわかった。
「ったく、お前の言う通り、佐奈も、博己と鈴も、あと弁護士の林原も集めておいたぜ」
偉そうに「さっさと応接室来い」と言う晴哉。僕はそれに従った。
部屋には男性二人、女性二人がいた。男性一人は立っていて、それ以外はソファに座っている。
「何、その人がお兄ちゃんの友達なの? 顔はそこそこいいけど、体がゴツすぎるわね」
化粧の濃い女性が僕にいう。佐奈だ。
「初めましてー」
「初めまして〜」
小太り金髪の男性とレースのついた服を着た女性。博己と鈴だ。
少なくとも、晴哉とクラスメートだった時に兄弟たちとも会っているから佐奈と博己とも初めましてではないのだが、僕のことなど忘れているようだ。
林原弁護士は僕の方を見て会釈した。
「堺町友介です。よろしく」
僕も簡単に自己紹介した。
「そんなことより、あなた、ナゾナゾが解けたんだってね。兄貴から聞いたよ」
早々と話を切り出したのは佐奈だった。目を輝かせている。
「それにしてもいいんすか? 兄さんの友達なんでしょ。ナゾナゾの答えを兄さんだけに教えずに、俺たちにも教えちゃって」
そう言う博己の横では、鈴もうんうんと頷いている。そして、やはり二人の目も輝いている。
「ほんとだよ。俺だけに教えてくれりゃよかったのに」
そう言う晴哉の目は僕を睨みつつも、やはり輝いている。
「兄貴だけには教えたくないっていう、優しい人なんじゃないの」
「兄さん、嫌われてたりして」
「は、うるせえよ」
「そう言うところですよ、お義兄さん〜」
四人の、聞いていて無意味なやり取りを、僕は終わらせることにした。
「今から、ナゾナゾの答えを話すから、黙ってください」
四人のうるさい口が一斉に閉まった。
そして僕は、悠吾に教えてもらった、〝たぬき〟構文と〝うがい〟構文の解き方に沿ってナゾナゾを解説した。四人とも黙って聞いていた。あんなに文句を言っていた晴哉もだ。
途中、四人は各々、紙とペンを用意して自分でも実際に試したりしていた。そして、僕の解説で全員が納得した。
「じゃ、じゃあ、遺産の居場所ってのは、花見をした場所ってことか」
博己は目を爛々と刺せながらつぶやいた。
「あれ、どこだったかしら」
佐奈がそうつぶやいたのと同時に、晴哉は跳ね上がるように駆け出して応接室を出て行った。
「ちょっと兄さん!」
「兄貴!」
佐奈、博己、鈴もその後を追う。
僕と林原弁護士もその後に続いて応接室を出ると、晴哉があの写真の裏を見ていた。
「やっぱりここだ!」
そういうと、家の戸締まりもせずに晴哉は駆け出ていった。
「ここね!」
「ここか!」
佐奈、博己と鈴もその後を追う。
そう、彼らは〝五香川・夫婦桜の下〟を目指しているのだ。
残った僕と林原弁護士は、彼が預かっていたと言う鍵で家の戸締まりをすると、家を出て五香川に向けて歩き出した。
道中、少し話をしながら……。
五香川に着くと、すでに四人は一つの木を見つけ出していた。二本の根っこが一つの木になっている桜の木。夫婦桜だ。
「この下か……」
晴哉たちはそう呟きながら夫婦桜の周りを歩き始める。
そして、不自然に土が盛り上がっている場所があった。
僕も驚いてその場所を見た。が、よくみると、土がまだ湿っているように見える。この一週間晴れ続きだから乾いているはずなのに。
もしかして、誰かが最近掘り起こした……?
僕はそんなことを考えたが、晴哉たちはそんなこと気にせずにそこを掘り返し始めた。四人全員我先にとばかりに、手を土で汚しながら掘り進める。お互いの手がぶつかり合い、お互いが罵り合い、お互いを睨み合いながら牽制し合う。
その目は、獲物を貪り喰らう獣のようで金にしか目がない様子だ。
数十秒後、声を上げたのは晴哉だった。
「やった、やった、やったぞー!!」
その手には黒い木箱が握られている。
「は、ちょっと私の方が先に触ったでしょ!」
「ちがう、俺だろ!」
「私よ!」
他の三人がそれを奪おうと晴哉に襲いかかる。
「へっ、負け犬が」
晴哉も必死にそれを奪われまいとする。
そしてその乱闘の中で、晴哉が木箱を開けた。
「な、なんだこれ……」
中には入っていたのは、一枚の紙だった。
「ちょっと、邪魔だよ」
晴哉が他の三人を突っ返してその紙を開いた。他三人もまだ木箱を奪おうとしているが、木箱の中身は気になるのかすぐに黙り込んだ。
「な、なんだよこれ……」
晴哉は紙を見るなり、黙り込んだ。
そこに書かれていたのは、
『遺産はもうない』
の一言だけ。
「遺産は……もうない、だって……」
「ど、どういうことよ……」
四人が一斉に青ざめて、ワナワナ震えている中、僕は思った。
やっぱり。左門の推理通りだったのだ……。
晴哉たちと僕と林原弁護士は、とりあえず家に戻った。林原弁護士が全員分の紅茶を淹れてくれたのだが、全員それを飲む気にはなれなかったようで黙り込んでいる。
「どうして、なかったんだよ……」
口火を切ったのは博己だった。
「百歩譲って、初めに木箱をさわれなかった俺たちはともかく、木箱を真っ先に奪った兄さんにも遺産がないなんて、おかしいだろ」
そう言って博己は晴哉を見る。晴哉は罰が悪そうに俯いた。
「博己の言う通りよ。だとしたら、初めから遺産なんてなかったってことなの……?」
佐奈も力なくつぶやいた。
みんなが集まる応接室には重い空気が漂う。四人全員が抱いているのは、遺産がないという事実への絶望感だろう。
ついに僕は、この〝親不孝〟者たちに、この遺産の真実を教えることにした。
「遺産は、あったんだ」
僕がそうつぶやいたのに、晴哉たち四人が敏感に反応してこちらを向いた。林原弁護士はあくまで落ち着いてこちらを見た。
「どう言うことだ、堺町」
晴哉が尋ねる。僕は淡々とそれに応えた。
「時間切れだったんだよ」
「時間切れ……だと?」
晴哉が聞き返してきた。佐奈と博己と鈴も顔を見合わせて困惑している様子だ。
僕は林原弁護士に、
「あの、遺言書の紙って貸してもらえますか?」
と声をかけた。林原弁護士はすぐに手元の封筒からそれを取り出して、僕に渡してくれた。
「それがなんなんだよ」
晴哉が少しイライラしながら聞いてくるが、気にせずに話を続けた。
「みなさん、この家の玄関に入った時に、掛け軸があったのを見ましたか」
「あぁ。あの『かしらに従うべし』のだろ」
「あれが何になるのよ」
「変な言葉だとは思ったけど」
やいのやいのまた騒ぎ始めた四人に、僕は告げた。
「その通りに、かしらに従えばよかったんですよ」
応接室が静まり返る。
「どう言うことだ…」と呆然とする晴哉。
僕はポケットからボールペンを取り出した、林原弁護士から受け取った遺言書の紙に書き込み始めた。
「この四角で囲まれた中の文章に注目するんだ」
晴哉たちも僕の書き込んだ紙を覗き込む。
「でも〝かしら〟って……」
晴哉がそこまで言いかけて、気づいたようだ。
「文のかしら、つまり〝文頭〟のことだったのか!」
僕は黙ったまま作業を続ける。
そして、句読点(、や。)で区切られた文の頭一文字に線を引き終えた。
「ひらがなやカタカナはそのまま、漢字はひらがなに直してから、文頭の一文字を繋げて読むと、どうなる?」
僕はまだ呆気に取られていた四人に尋ねた。四人が、まるで釣り上げられた魚のように、口を震わせながら、ゆっくり答える。
「た…い…む…り…み…つ…と…は…ふ…つ…か…か…ン」
タイムリミットは二日間……
「つ…え…の…な…か…」
杖の中……
「し…ら…ベ…よ…」
調べよ……
「タイムリミットは二日間。杖の中調べよ」
もはや息も絶え絶えになりかけている四人にとどめを刺すように、一文全てをすらすら読み上げたのは林原弁護士だった。
「そう、このナゾナゾがお前たち四人に開示されたのは、八月十日の正午ちょうど。そして今は、八月十五日の夕方。
開示されてから二日間は、もうとっくにすぎているんだ」
続けて、僕も四人に告げた。
「杖の中って……まさか!」
博己が大声を上げた。
「宇多が持っていった杖のことなの!?」
佐奈も続けて声を上げた。
晴哉は急いで玄関へ走る。そして、すぐに戻ってきた。力無い足取りで。
「……なかった。あの、見慣れない杖……」
「ま、まだよみんな、あの杖じゃないものかもしれないじゃない!」
鈴が発狂しながら玄関へ走り、杖たてをごっそり持ってきた。かなり重いはずなのに、呆れるほどの遺産への執着が力を掻き立てているのかもしれない。
しかし、鈴の意見に三人も同感し、まるで餓鬼のように杖を漁り始めた。杖のあちこちを叩き、振りまわし、じっくり観察し、杖の中を見ようとしていた。
しかし数分後、それは全て無駄に終わった。残された杖に、隠し場所や不自然なところは何一つなかった。
やはり、遺産の遺言書が示す杖というのは、宇多という男が持って行った杖だったのだ。
「そんなぁ……ぁぁぁああああ!!」
博己が泣いて発狂してその場に突っ伏した。鈴はさっき杖たてを持ってきたことで全力を使い果たしていたのか、その場にただ膝をついた。
「……」
佐奈は、無表情のまま、その近くの壁に寄りかかった。目は虚空を描いていて、ぶつぶつ何か言っているようだが一切聞き取れない。
「……終わったな……」
晴哉も糸が切れたマリオネットのように、すぐそばのソファに倒れ込んだ。
それもそうだ。みんな、遺産が手に入らないと決まった時点で、生活の破滅は確定的なのだから。
「さようなら」
僕はそんな四人の親不孝者たちに別れを告げて、応接室を出た。林原弁護士だけが見送りに来てくれた。
「後は任せて……友ちゃん」
林原弁護士、いや、キーちゃんはそう僕にいった。
そ林原樹は僕の幼馴染だったのだ。そして、高校でも僕と三年間クラスが一緒だったから、晴哉ともクラスメートだったはずなのだ。
僕は、晴哉の話を聞いていた中で林原樹という名前が出てきたので、すぐに気がついた。『樹→木→キーちゃん』が呼び名の由来だったし。
キーちゃんは高校卒業後、弁護士になるための進路に進んだと聞いていたから、その通り弁護士になれたと知った時は友人として心から喜んだ。
久しぶりに二人で話をしたのが、あの時……晴哉たちがこぞって五香川に走り、二人で大ヶ崎家に残った時だったのだ。
その時キーちゃんはこんな話をしていた。
ボクの務める弁護士事務所に、ボクを指名して大ヶ崎さんから依頼があったんだよね。それで、大ヶ崎さんの家に行ったの。
ちょうど一人の男の人が出てくる所だったんだけど、その人こそ、ボクと晴哉たちの前で宇多って名乗った人だったんだけどね。
ま、それは置いておいて。
大ヶ崎さん、やっぱり僕のことを知ったうえで依頼してくれたらしくて。ボクが『弁護士として晴哉に顔を見せてバレないか』って心配したんだけど、大ヶ崎さんには『きっと大丈夫だから』って乗り切られちゃった。
まぁ、実際に晴哉に弁護士として初めて会った時も、全然気づいてなかったけど。
とりあえず、そのまま大ヶ崎さんの依頼を受けて、今回遺産相続のあれこれを担当することになったんだ。
というのが、キーちゃんが今回弁護士としてこの場に現れた経緯だという。
「ま、後の晴哉たちは任せて、帰っていいよ、友ちゃん」
「あぁ。頼んだ」
「これも弁護士の仕事の一つだろうし」
キーちゃんはまだ叫び声が響く応接室を見てため息をついた。
「それとさ、今思ったんだけど」
キーちゃんがつぶやいた。
「宇多さんが来たという話は晴哉から聞いていたよね。
あの人の名前、宇多真路って言ってたけどさ、その漢字を全部音読みするんだ。すると『う・た・し・ん・ろ』になるだろう。
それを、並び替えると『し・ん・た・ろ・う』つまり『晋太郎』になるんだよ」
「あ」
僕もキーちゃんのその話を聞いて納得した。ここでも、並び替えという言葉遊びが隠されていたなんて。
「あの人は本当に大ヶ崎さんのこと尊敬しているみたいだったから、偽名に名前を借りたのもそれが理由かもしれないね。
彼の本名は僕も知らないんだ」
キーちゃんと僕はふと口をつぐんで、どこかにいるだろう〝宇多真路〟に思いを馳せた。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
オレは住んでいたアパートに別れを告げてタクシーに乗り込んだ。もちろん、宇多真路という名前であの家から持ち出した杖も一緒だ。
晋太郎さんから話に聞いてはいたが、あまりにもひどい子供たちだった。晋太郎さんの金にしか目がない、遺品なんてゴミ同然に扱う……、そんな奴らならこんな結末もお似合いだろう。
晋太郎さんはオレにとって第二の父親だった。オレの両親はオレがまだ小さい頃に事故で死んだ。オレは行き場をなくし、施設に預けられそうになったのだが、そこへ現れたのが晋太郎さんだった。
彼は、妻を事故で亡くし、息子たちには散々な家出をされていたという。そして、オレのことを引き取りたいと申し出てくれたのだ。
そして、オレのことを育ててくれて、学校も世話してくれた。優しく、時には厳しい育て方をしてくれた。どうしてこんなに良くしてくれるのかと聞くたびに、悲しそうな顔で、
『僕は息子たちの育て方を間違えてしまったから』
というから、あまり触れられなかったけど。
その後、大学まで出たオレは、晋太郎さんの出版会社で働きながら、晋太郎さん直々に会社運営について学んだ。
『誰もが楽しめる本を出版するのが一番』
と笑いながらよく言っていた。とても楽しそうに仕事をするのを間近で見てきた。
しかし、晋太郎さんも死を覚悟するようになった。
そしてつい先日、晋太郎さんから話をされたのだ。
『正直にいうが、この大ヶ崎の家にはそんなに多くの金は残っていない。会社を運営するのでいっぱいだ。
息子たちに持って行かれてしまったからな。
きっとあいつらはたくさんあると思っているだろうが、本当は多くない。金庫に入っている札束は偽物、新聞紙で作ったものだ。
そこで、その遺産の全てを君に相続してほしい。
ちなみに会社は、僕が死んだ後に畳む手配はすでにできている。もちろん、君が火の粉を被らないように。
この遺産はわずかだが、何かを始めることができるくらいは残っている。例えば、新しい出版会社を立ち上げるとか、な。
僕の今の会社も、初めはとても小さかった。会社なんてビルの一室を借りていたくらいだ。だけど何年も努力して、今の会社まで立ち上げることができたんだ』
色々と昔を思い返して時おり幸せそうな顔をしながら話す晋太郎さんを見て、オレの目からも涙が流れ始めていた。
『どうか、君には僕の跡を継いで、新しい会社を立ち上げてほしい。もちろん、君の将来を僕が決めることはできない。だから、考えてほしいというだけだ』
もちろん決まっている。晋太郎さんの仕事ぶりを見ていて、オレもみんなが楽しめる本を出版するという仕事に強い憧れを抱いていた。だから、晋太郎さんのいう通りにするつもりだった。
だけどそのあと、晋太郎さんはこうも続けた。
『だけど、息子たちがいるのも確かだ。だから……』
そこで、このナゾナゾの計画を聞かされた。
『頼む。この計画に従ってくれないか。もし、息子たちがこのナゾナゾを解いて、遺産を手に入れるとしても、所詮それは雀の涙。それに、そうだとしても、君にも少し遺産は残るようにしてある。
そして何より、二日間たったら、遠慮しないで杖を持っていっていい。
息子たちが杖の持ち出しを拒否したらどうするのか、だって? 安心しなさい、息子たちはそんな性格じゃないんだ。それは、育て方を間違えた僕が一番知っているよ……』
オレは深く頷いた。
『よかった、ありがとう、ありがとうね、……君』
オレも晋太郎さんも泣きながら笑い合った。
それが、オレと晋太郎さんの最後の会話だった。
オレは大ヶ崎家から杖を持ち出したあと、杖を調べた。
すると、持ち手のあたりに切れ目を見つけた。そこを捻ってみると開けることができて、中は筒状の小物入れになっていた。そこには印鑑とメモと鍵が入っていた。
晋太郎さん曰く、遺産は銀行の貸金庫に入っているということ。それには、金庫の鍵・印鑑・暗証番号(メモに記載されている)が必要だった。
オレは貸金庫を開け、中から遺産を確認した。全部で合わせて数百万だった。オレはありがたくそれを受け取った。
そしてそのあと、五香川の夫婦杉を探し、晋太郎さんの言いつけ通り、目印がつけられていた土のところを掘り起こして木箱を取り出した。そして、中の手紙を預かっていた別のものと入れ替えた。
ちなみに手紙を読んでみると、
『遺産は銀行の貸金庫にあり。杖の中に、印鑑・鍵・暗証番号を書いたメモがある。』
と書いてあった。
木箱を戻し、交換した手紙を破り捨てて川に流して、アパートに戻った。
すでに、アパートの荷物は新しい住居に運んでいたから、後はオレ自身が移動するだけだ。
そして今、オレはタクシーの中で揺られている。
晋太郎さんに頼まれた通り、彼の社訓を継いだ出版会社を起業するつもりだ。それに、晋太郎さんの会社でよく働いてくれていた人や、ナゾナゾの作門者の何人かは、オレが起業した時に協力することを約束してくれている。
晋太郎さんのおかげでお金はたくさんある。けれどオレは、晋太郎さんの遺産は使わないつもりだった。
これから、何ヶ月、いや何年かかるかわからないけど、いろんなところで働いてお金を貯めて、自分のお金だけで起業するつもりだ。晋太郎さんのお金は使わずに、本当に必要な時だけのためにとっておくつもりだ。
晋太郎さん、見ていてください。必ず、必ず……誰もが楽しめる本を出版してみせます。
オレは、自然と膝の上で握る手に力を込めた。
タクシーの窓から見える夕焼けが、やけに鮮やかだった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
僕とキーちゃんは一分ほど話して、僕は帰ることにした。あまり長居しても晴哉たちの叫び声が聞こえてくるだけ。それに、キーちゃんの弁護士としての仕事を邪魔してもいけないと思ったからだ。
僕たちは後日また会おうと言う連絡を取り付けて、僕は家を出た。
僕の去り際、キーちゃんがつぶやいた。
「それにしても、友ちゃんの話に出てきた、その悠吾って子。
ボクら大人よりも、大人なのかもしれないね」
僕もうんと頷いた。
車に乗り込んで、走らせる。
頭の中で、僕は悠吾とのやりとりを思い出していた。
悠吾は、ナゾナゾの時間切れの意味を説明した後、最後にこういった。
『もしかしたら、この結末まで全部ひっくるめての遺産だったのかもしれないっすね。
きっと晋太郎さんは、晴哉さんたちがお金をとって家出した時点で、諦めはついていたのかも。晴哉さんたちにも、そんな子に育ててしまった自分にも。
だからこそ、最後の最後で親としてのけじめとして、このナゾナゾと結末を用意したのかも。
晋太郎さん、今頃あの世でこう思ってるんじゃないかな……自分の力で生きてみろ、って』
まあわからないっすけどね、と悠吾はおちゃらけた様子で笑って見せたが、本当にそうだと思う。
晋太郎さんはそう言う人だったんだ。育て方は間違ってしまったかもしれないけど、最後の最後は晴哉たちのためになったと思う。
突き放す。それが、今の晴哉たちに大事なことだ。
キーちゃんの言う通り、悠吾はまるで大人みたいだ。普段の様子から見ればただのバカのように見えるけど、実はメリハリがあって、芯の通った良い性格をしている。
そんな悠吾に、僕は人間性で勝てているのだろうか。そう思って僕は苦笑いした。
ふと、車のハンズフリーの電話を起動して、実家に電話をかけた。
『久しぶりにどうしたの、元気でやってる?』
母さんたちのそんな声が今から聞こえてきそうだ。来週の休日にちょっと寄るよ、とでも伝えてあげよう。
今から少しでも親孝行しておこう。
悠吾、いや、一人の探偵の推理を聞いて、僕は思った。
三時間目 終了