スナメリ魔王様、飼育だ!
完全に沈黙したスナメリ魔王(漂白済み)を囲んで、クラス中がなんとも言えない空気に包まれる。
「しかし、なんだったんだ、一体?」
誰かが口にしたその疑問に、答えられる人間はいない。嫌な沈黙が、教室に満ちる。
啓太が、何か言わないといけない空気を察しつつも、どう説明したものか、悩んでいると、
「見たものが、起こったことが、現実だ。俺たちは、受け入れるしかない」
突如哲学的なことを口走ったのは、石川拓海だった。騒ぎの最中、ずっと沈黙を保っていた彼は、一歩進んで、スナメリの首に触れた。
普段であれば誰かが混ぜっ返すような言動であったが、誰も突っ込まない。
東京砂漠のような状態が、クラスメイト達の衝撃を表しているようであった。
「脈はある」
「あるの?」
衝撃の事実に啓太は考えることをやめて、思わず突っ込んだ。だが、石川は無視して、続ける。
「呼吸も正常だ。ただ疲れて……いや、酔いつぶれて眠っているだけだ」
よどみない動作で、スナメリの状態を確認していく様子に、啓太はじっとりと突っ込んだ。
「石川、そんな心得あったっけ?」
「ないさ。けれど、手塚先生によろしくは全部読んでいるから大丈夫だ」
「よりにもよってそのチョイス?」
自信たっぷりに火中の栗を拾いにいく友人に、啓太は思わず悲鳴を上げた。
石川はまたも無視して、啓太を見据える。啓太よりも頭一つ高い親友は、本人的に渋く決まっている、と思っていることに間違いのない表情で、言う。
「問題ない」
「大有りだよ!」
ぜーはー、ぜーはー、と息を荒げる啓太に、石川は胡散臭いものを見る目つきを送ってきた。
「どうしたんだ? 柏木、やっぱり今日ちょっと変だぞ」
「石川こそ昼間は一番動揺する、常識人っぽいキャラで始まったのに、一瞬で順応しているのは一体どういうことだよ」
「気にするな。連載が進めばよくあることだ」
「それは何十巻も続いている、漫画の話だろ!」
啓太は肩で息をしてから、石川と視線を合わせた。そして、そこで気づく。
彼の眼は、笑っていないことに。
その予想が正しかったことを裏付けるように、石川は口を開いた。
「結局、何なんだ? この怪しいナマモノは?」
核心に触れる質問をされ、啓太は苦笑を浮かべた。というか、他にできる動作などなかった。
「まあ、かいつまんで言うと、いつもの通り、直美が」
「暴走したと」
苦しい説明を試みる啓太に、石川がかぶせる。その先読みに苦笑を深くして、啓太は続ける。
「まあ、そうなんだけど」
「その暴走は計算通りか。勝ったな、ってセリフはカッコいいけれど、酷いとか思わなかったか」
もとい、続けようとしたが石川に阻まれた。
「大体あの設定は都合がよすぎるとは思わないか? 後半になればなるほど、あの設定の使い方が難しくなる」
「ストーップ!」
紛れもなく暴走を始めた親友を啓太は大声で止めると、ジロリ、と睨む。
「そのセリフは色々と敵を作るから、やめて」
「む、確かに」
青い顔をする啓太に納得したように頷く石川。啓太はタイミングを逃さないように説明を再開した。
「要するに、直美が思いつきでよくわからない本を使って、よくわからない儀式をしたら、よくわからないモノが出て来てしまったんだよ」
その説明とも言えない説明に、石川は腕を組んで頷く。
「なるほど。それはまったく、よくわからないな」
「だろう? 僕もよくわからなくて困っているんだ」
二人で頷きあっていると、啓太は突き刺さるような視線を感じた。
それは正に、無限の距離を射抜く槍。絶対の力にして、極めし力の一つの形。
「悪かったわね。わけのわからないことしちゃって……」
振り向くとそこにいたのは、バックに天の文字を浮かべながら、殺意の波動を撒き散らす直美だった。
「滅殺……」
「おうわあああああ!」
ゆっくりと、しかし残像を残しながら迫る直美を、啓太は必死に転がって避けた。
「軸移動はルール違反よ!」
「これ、現実だから!」
腰に両手を当ててメタな文句を言う直美に、啓太も反論する。
「そんな技食らったら洒落にならないよ!」
「できるわけないでしょ!」
「いやなんか、直美ならできそうな気がした!」
いつものトーンでまくしたてる直美に、いつもとは違う高いテンションで返す啓太。教室を熱気が包んでいく。
「氷川さん、頑張ってー!」
「柏木、負けるなー!」
いつの間にか教室が男組、女組に別れて無責任な声援を送り始める。
二人もその声に押され、引くに引けなくなっていく。再びの舌戦が再開されようとしていた。
「嫁の尻に敷かれるなー!」
「ダメ亭主を教育しろー!」
「「夫婦じゃない!」」
外野からのエスカレートした声援に、綺麗に声をそろえて――啓太は平然としていたが、直美は顔を赤くするという違いはあるものの――否定した。
「――まあ、かいつまんで言うとこんなところなんだ」
結局事態を収めるために、啓太が魔王召喚のあらましを説明し終えると、クラスメイトのほぼ全員が溜息をついた。
「また氷川か」
「まったく。だけど今回のは突き抜けているな」
「まあ、氷川も進化するんだよ」
「合成とかできないのかな」
「そして合体事故が発生するわけね」
本人たちは小声のつもりかもしれないが、はっきりと響いている。直美の視線がそちらに動いたことにも気づかず、会話は続く。
「正に愚者だな」
「今お前上手いこと言ったな!」
「あなたにしては上出来ね」
「いやいや、それほどで……も?」
そこで彼らはようやく気づいた。直美が仁王立ちしていることに。
「ふ……本当に上手いこと言うわね」
青ざめる男子生徒に、直美はニヒルな笑みを送り、一歩踏み込んだ。
ダガンッ!
床を踏みぬくかのような巨大な音が響き、哀れ男子生徒は吹っ飛ばされた。後には、肘を頭の高さで突き出したまま、残心する直美がいた。
「ふふ、次は誰かしらね。鈴の音が、聞こえるわ……」
その言葉に直美の精神汚染が深刻であると判断した彼らは、迅速に行動した。
「あ。もうこんな時間だ。塾行かないと」
「俺も、犬の散歩が」
「あたしも、サボテンを眺める時間だわ」
わざとらしくスケジュールを申告しながら、三々五々散っていく。
「待たんかあ!」
直美が声をあげると、ネタ合わせでもしたかのように、全員が走って教室から出て行った。
「くそう、逃がしたか」
それを本気で追うわけでもなく、しかしまるっきり悪役の台詞を吐いて、直美は啓太へと向き直る。
「しかし、荒れたわね」
「連れてくるからだよ」
まるっきり他人事目線でのコメントに、啓太は嘆息を隠しもせずに答えた。そのまま、頭を抱えるかわりにかぶりを振る。
「明日から、どうしたらいいんだろう……」
「大丈夫」
ぽつり、と零したのはまたしても酒井だった。
「可愛いから、大丈夫」
「またそれ?」
ある意味一本芯の通った意見ではあるものの、寄りかかるにはあまりにも頼りないその言葉に、啓太は眉をひそめた。しかし、酒井は気にも止めずに、アルカイックスマイルを浮かべる。
「美しいものが嫌いな人がいて?」
「いつの時代の言葉? というか、はるか宇宙世紀はやめてー!」
「行け、ファンネル!」
「違う! 似ているけど別の兵器なの!」
今日の今日まで常識人だと思っていた、クラスメイトにして、直美の親友のトリップした姿を見て、啓太は息も絶え絶え、突っ込むのがやっとだった。
「いかんな、突っ込みに対してボケが多過ぎる。配置ミスだな」
「お前もだー!」
したり顔で分析する石川に脳内で回し蹴りをお見舞いしながら、啓太はそれでも律儀に突っ込んだ。
石川は固有の特技、スルーをいかんなく発揮して、呟く。
「何にせよ、ちょっと扱いが難しいな」
「うん……って明日も連れてくる前提なの?」
言葉に込められた条件をきちんと理解したために、啓太はげんなりした。
「お前が氷川を止められるなら別だけど」
だが、そんな石川の言葉に口をつぐまざるを得なかった。
「無理」
「だろ? じゃあ扱いを考えないとな」
確かに、と啓太は頷いて考えを巡らせる。とりあえずは、食べ物、特にチョコレートを無闇に与えるのは論外と言えた。
「餌を与えないで下さい、とか」
それには全員が同意した。しかし、酒井が反論する。
「でも、一日中何も食べさせないのは、可哀想だよ」
あんな異界のナマモノに可哀想もへったくれもあるかい、と心の暗い部分が囁くのを啓太は確かに聞いたが、強いて無視しながら、酒井の意見を反芻する。
確かに、人道的観点から言えば、彼女の意見は正しい。そしてそうである以上、無視はできない。
「何言ってるの、優花。こんな奴に麦の一粒も与えることはないの! 当然の報いよ!」
しかし、直美が熱に浮かされる革命家さながらに、酒井の意見を一蹴した。だが、いつもならここで引くはずの酒井が、引かなかった。
「でも、直美ちゃんの都合で呼び出したのに、その扱いは可哀想だよ」
これもまた、人道的観点からはまったくの正論であった。うぐぅっ、と奇妙な呻き声を上げて直美が黙る。
それを肯定ととったのか、酒井は更に続ける。
「だから、係を作ろうよ」
「かかり?」
直美が問い返すと、酒井はうん、と頷いた。それでもはっきりとはわからなかったのか、直美が尋ねる。
「いきものがかり?」
「直美ちゃん……音楽ネタは廃れるのが早いよ」
一言で直美を氷漬けにして、ある意味さすが親友、というところを見せつけてから、酒井はあくまでもマイペースに続ける。
「そうじゃなくて、このスナメリ魔王さんの面倒を見る係を作ろう、ってこと。図書委員とかみたいに」
どうやらこの少女の脳内では、ヤバい部分はスキップして、魔王はすっかりと愛玩動物
になっているらしい。
同じ事実にたどり着いた様子の石川が、啓太よりも先に口を開いた。
「それで、酒井さんは自分がその係になる気なんだろう?」
「うん」
酒井は躊躇せずに頷き、眼をハートの形に変えた。
「だって、可愛いもん。わたしがお世話したいなあ」
すっかりと夢見る少女の様子を見せているが、相手はスナメリ魔王(年齢不詳。住所不定。無職)であるためにかなりの危うさを含んだセリフとなっている。
「でも、お世話って具体的には?」
「スナメリさんだから、水槽で飼えばいいんじゃないかな? わたし、餌も上げるし水も換えるよ」
啓太の質問にも躊躇のない答えが帰ってくる。どうやら混じりっ気なしの本気らしいと悟った啓太はしかし、その返事の内容にたっぷりと水分を含んで浮き上がる、ぬいぐるみ水死体バージョンを想像して、世の無常を味わった気分になった。
そもそも今日好き放題やっていた魔王は、姿形こそスナメリのぬいぐるみだが、明らかに陸上生物として動いていた。ダーウィンの進化論を借りるまでもなく――というか、借りようもなく――特にエラをピクピクさせることもなく、ヒレもジタバタさせずに、あまつさえ二本に枝分かれした尾で歩行すらしている。
だというのに、なぜ酒井の中では水棲生物に返り咲いているのか、啓太にはまったく理解できなかった。しかしそれも、無理やりに納得することにする。
すなわち、女の子の気持ちはわからない、と。
啓太が普遍の真理にたどり着き、そのまま出家でもしようかと半ば本気で考え始めた頃、再び直美が口を開いた。
「じゃあ! こいつの学校での面倒は優花に任せるわね! でもうかつに餌を与えたらダメよ!」
親友の意見を受け入れたようで実は単なる責任放棄のその発言に、啓太と石川は文字通り冷や汗を流したが、酒井はぱあっ、と見事に可憐な笑顔を咲かせた。
「ありがとう! 直美ちゃん!」
「いいのよ! 他ならぬ優花の頼みだもの!」
有り得ない友情の確認をする二人に、啓太は呆然とした。
「うさんくさいなあ……」
ごくごく小さく呟いた石川の言葉に、全く同感だったが表情に出さないことに成功し、啓太は小さく、しかも大きく後ろ向きな満足を覚えた。
酒井:だから僕は笑っていたいんだ♪
啓太:よりによってその歌……また電気ネズ以下略
直美︰あれも光、命も光、ギロチンの刃も光。
啓太:こっちの幼馴染は精神崩壊のギロチンマニアになってるし……
石川:乗らないのなら帰れ
啓太:だあああああ! みんなでボケ散らかすんじゃなーい!