スナメリ魔王様、ガス欠!
三人は車座に座り、状況を確認する。ちなみに魔王は正座のままである。
「どういうことです?」
「推測だが、本来人間の赤子を依り代に召喚されるべき私が、このスナメリをモチーフにしたっぽい人形を依り代とさせられていることによって、存在の維持に魔力のほとんど全てを使っている、ということだろうな」
啓太に水を向けられて、魔王は淀みなく答えた。推測とは言っているが、啓太にも無理のない理屈に思えた。
「つまり?」
しかし、直美は理解を放棄したらしい。理由ではなく、ただ現実への影響だけを求めてくる。
「つまり、この魔王さんは魔法が使えないんだよ。多分、ずっと」
啓太の解説に苦々しく頷くスナメリ魔王。その二人の様子を見て、直美は固まった。
「……ずっと?」
「うん」
「それ、何のためにあたし呼んだの?」
「え? むしろ何のためだったの?」
きりきりと眉を吊り上げる直美に、啓太は根本的な疑問で返した。
それに対して少女は高らかに欲望を垂れ流す。
「金銀財宝とか! 永遠の若さとか! 世界征服とか! ギャルのパンティーとか、地球のみんなを生き返らせてくれ、とか頼もうと思っていたのに!」
「何そのどこかで聞いた願い!」
啓太の声はあっという間にボルテージを上げていく直美に届くはずもなく、少女は更に沸騰していく。
「真綿に分解してやるわ!」
「おおおおお、落ち着け!」
「落ち着けるかあ!」
迫る直美から後ずさる魔王。もうカタストロフすぎて啓太は突っ込むのをやめた。
「待て! 何か魔力を補充できるものがあれば、何とかしてやる!」
魔王のその言葉に直美はぴたり、と動きを止めた。ちなみに捕まえる寸前であった。
「魔力を補充する?」
直美が確認するように尋ねると、魔王はうむ、と頷いた。
「何か私が魔法を使える程度の魔力を補充できるものがあれば、一時的に魔法は使える」
「補充できるものって……例えば?」
魔王は我が意を得たり、とばかりに頷いた。
「人間の魂とか?」
しかし直美は感心した様子もなく、スンとした真顔を披露したのみだった。
「やっぱり分解ね」
「ひいあああああ!」
さして広くもない部屋にドタドタと二つの足音が響き、やがて止んだ。
「で、何かエネルギーになりそうなものはあるわけ?」
リアルに顔をパンパンに腫らしたスナメリを、腕を組んで見下ろしながら直美は尋ねた。
「はい……」
妙に従順どころか今にも平伏しそうな様子の魔王に、啓太は眩暈を感じ、尋ねずにはいられなかった。
「魔王さん……何でそんなに卑屈になっているんです? 登場時の威厳はどこへ?」
あるいは怒りを呼ぶかもしれないその言葉に、しかし魔王は哀しげに首を振っただけだった。啓太の瞳と正面からぶつかったその小さな眼は、羨望と憐みを併せ持っていた。
「少年よ、今に君にもわかる」
「はい? 何がです?」
思わず聞き返す啓太に、嘆息に乗せた言葉が返ってくる。
「現実、というやつが」
「何ですか、その疲れたサラリーマンのようなセリフは……」
背中が煤けて見えるスナメリの様子に、啓太は思わず頭を抱えた。
だが、その二人にお構いなしに、直美は続ける。
「で、その魔力にできるものは、何? 魂以外よ」
「人間の生き血」
躊躇わずに答える魔王。卑屈になる割に、懲りてはいないらしい。
「却下」
珍しく直美の判断に啓太も賛成だった。
「宝石」
「……何をするのに、どのくらいいるわけ?」
「飲み水を降らせるのに、時価三千万ほどのダイヤが」
「中古の家が買えるわ! 却下!」
当然のように怒鳴り散らす直美に、魔王はやれやれ、とあるのかないのか微妙な肩を竦めた。
「我儘な娘だ。親の顔が見たいな」
「ほーう」
しかし、低く絞り出された直美の声に、ビクゥ! と後ずさる。
「たっぷりと会わせてやるわよ! 意識があったらいいわね!」
「ま、待て! 今のは言葉の綾だ!」
小さな手でストップの仕草をする魔王は可愛らしいが、顔面は蒼白になっていた。
「じゃあ、あたしのもちょっとした手違い、ってことで!」
肉食獣の顔つきにパーシャルした直美が、魔王に飛びかかろうとする。
「待って待って待って! ループしているから!」
その二人の間に、啓太が身体ごと割って入った。放っておくと惨劇が繰り返されるからだ。
結果、啓太は直美に押し倒された。そのまま喉笛を食いちぎられることも覚悟したが、ごく近い距離で視線が合うと、何故か直美は真っ赤になって飛びのいた。
「あ、危ないでしょ! 啓太!」
「いや、話が進まないから」
啓太は直美の動揺した様子に気づくこともなく、冷静に指摘する。直美の顔がタコのように茹で上がったが、もちろんそれにも気づかない。
「ほー」
魔王が笑みを含んだ声を上げたが、直美が睨みを利かせるとすぐに引っ込んだ。
啓太はパレスチナに赴く停戦監視団はこんな気分だろうか、などと思いながら、意を決して口を開く。
「ともかく、落ち着いて二人とも」
その言葉に、というか勢いを削がれたために冷静さを取り戻した二人はあっさりと頷いた。
「むう、危うく無限ループに陥るところだったな」
「そうね、恐るべきロンダルキアの洞窟、ってところね」
「うむ。落とし穴も異常に多いしな」
いきなり二人が抜群の呼吸で怪しげなことを口走り始めたので、啓太は肩を落とした。
成功と言えば成功だが、今度はこの電波漫才を何とかしなくてはならないようだった。
結局、事態の鎮静化には余分に一時間かかった。
その労力の挙句、出た結論は――
「まあ、何か代わりになりそうなものがないか、試していくしかないでしょうね」
「うむ。それしかないな」
「仕方ないわね」
結論とも呼べない、酷い先送りだった。
三人がああでもない、こうでもない、と騒いでいるうちに時間はすっかりと夕方になってしまった。西に見える太陽は、世界はいつもと同じ一日を過ごしていることを主張するかのように、空を赤く染めている。
「ふう……」
なんとなくメランコリーな気分になって、啓太は小さくため息をついた。
「どうしたの? ため息なんかついて」
直美が珍しく心配そうに声をかけてきたが、
「あたしそろそろ帰るから、後よろしくね」
それも一瞬のことで、すぐに自己中女王ぶりを発揮した。
「うそお?」
啓太は即座に現実に引きずり戻され、驚きの視線と声を送るが、もちろん直美は意に介さない。
「あたしはか弱い女の子なの。こんな妙なナマモノ、連れて帰れるわけないでしょ」
検察側、直美は全く悪びれることなく、主張する。
「ええー。召喚なんて始めたの直美じゃん」
これに対し弁護側、啓太は唇を尖らせて反論した。
「うっさいわね!」
「逆ギレ?」
検察側の怪人、二言目で早くも切れる。対して弁護側の鉄人、必死の突っ込み。
「とにかく啓太が面倒見て! 魔法も使えるようにしといて!」
しかし何故か更にハードルが上がっただけだった。まさに、ザ・逆効果。
ここで啓太は被告に証言台に立ってもらうべく、先ほどから妙に静かな魔王へと視線を送った。するとそこには――
『なんか色々勝手なこと言われているみたいだけど、まあいっかー。正直この少女の方が主人になると大変すぎるしなー。ま、願ったり叶ったりだわな』
とあからさまに現代語を駆使して顔に書いてある魔王が、ごろごろだらだらしていた。
「……」
啓太は色々諦めて、今度は盛大にため息をひとつついた。
「よろしく!」
直美は気遣いもせずに、勝利宣言した。
バタン、と来た時と同じくドアの存在を主張させて、台風が去っていった。
啓太はそれを見送ると、とりあえず本棚に手を伸ばそうとしている魔王に視線を向けた。
「……何、やってんです?」
「いや、邪魔者もいなくなったし、とりあえ乾いた心に潤いを与えようかとな」
魔王は落ち着いた口調で答えるが、取り出した本が『うめぼしの謎』では説得力に欠け過ぎていた。
「それで、漫画ですか。しかも何ですかそのチョイス」
「いや、これは素晴らしいものだぞ。他に例えようもない独特の空気が」
「潤いは?」
――時間が止まった。
「まあ、これを持っている少年なら、潤いとかを超えた素晴らしさをわかると信じているが」
「うっ……それを言われると弱いです」
――が、割とすぐに動き出した。
啓太は、あぐらをかいてマニアックに第二部から読みだした魔王に突っ込むことはやめて、普通の質問をぶつけることにする。
「それで、魔王さんはこれからどうするんです?」
「まあ当面は厄介になる」
さらり、と当然のように答えられ、質問した啓太の方が慌てた。
「いやいやいやいや。不完全な召喚みたいですし、なんか致命的なことになる前に、帰って下さるとありがたいんですが」
案外冷たい啓太の言葉に、魔王は凍りついた笑みを浮かべた。スナメリの愛くるしい顔が、邪悪に歪む。
「私もそうしたいが、魔法が使えん」
「言っていましたね」
「帰還の魔法も使えんわけだ」
言われてみればごく当然の理屈だったが、啓太は無意識のうちにその理屈を避けていたらしい。
「ああああっ!」
頭を抱えて、悶絶する。その肩をスナメリがぽん、と優しく叩いた。
「わかったか、少年」
「は?」
「現実に逆らうことの、愚かさが」
二人はそろって、がっくりと項垂れた。
魔王:動物愛護協会に訴えるぞ!
直美:うっさいわね! デフォルメぬいぐるみのくせに!
啓太:ぬいぐるみなら殴ってもいいのかというと、違うと思う。