スナメリ魔王様、降臨!
日付は変わったけど本日二回目更新←矛盾
「ふんふふ~ん」
鼻歌を歌いながら、直美はさして広くもない啓太の部屋に、大きな紙を広げて敷いた。白地の紙に、魔法陣らしき複雑な文様が赤いペンで書かれている。
そのまま動きを止めずに、カーテンを閉めてから電気を消し、魔法陣の四方に蝋燭を立てていく。啓太の部屋は昼日中からたちまち怪しげな実験室へと変貌を遂げた。
「さて、と」
魔法陣の中心に本棚の上に飾ってあった二つのぬいぐるみのうち、大きなタコを魔法陣の中心に置く。隣のスナメリがポツン、と取り残された。
ちなみに、どちらも直美が置いていったものである。
「これで準備は完了」
軽く手をはたき、満足気に笑う直美は、そうしているととても可愛いのだが、啓太はその感想を口にすることなく、ただ疑問だけを吐きだす。
「で、どうするの?」
「仕上げはもちろん、呪文よ!」
『ネクラナミコミ』のページをめくり、直美が朗々と呪文を紡ぎ始める。
「異界の支配者たる魔王に申し伝える。我、氷川直美の呼びかけに応え、その身を依代へと移し、現世たる世界へとその存在を固定せよ」
啓太は直美が呪文を紡ぐのに合わせ、蝋燭の炎が揺れていることに気づいた。
ふと窓を見ると、カーテンも少し揺れている。
暗い、締め切った部屋に、風が起きていた。だが、呪文を唱えることに集中している直美は気づいていない。短めのスカートから健康的な太ももがチラリと覗き、啓太は目を逸らした。
「我が召喚に応じよ! 魔王!」
赤い魔法陣が、輝く。部屋の空気までもが赤で満たされる。
そして、啓太が驚愕に眼を見開く中、直美が最後の一節を唱えた。
「おいでやすー。ようこそ日本へ」
何故か京都弁だった。
どがあっ! と啓太が派手な音を立ててベッドから転げ落ちると同時に、天井を貫くかの様に一条の雷が落ちた。
本棚の上に鎮座していた、スナメリに。
どんがらがっしゃーん!
まるで頑固親父がちゃぶ台をひっくり返したかの様な音が遅れて響いた。
「やったわ! 成功よ!」
叫ぶ直美と啓太の眼の前で、どの辺が成功だというのか、とでも言うように、魔法陣の中心に置かれたタコが、衝撃でぽてん、とこけた。
当然のように、動く様子はない。
「……」
「……」
啓太と直美が珍しくシンクロして無言でいると、それは、ゆっくりとその身体を動かした。
「私を呼んだのは、貴様らか……」
啓太の耳に響いたのは低い、聞くだけで魂を凍らせるかのような、暗黒の力に満ちた声。
しかし直美には効果がなかった。
「ほらやっぱり、成功よ!」
どころか、ガッツポーズまで決めてしまった。
啓太が頭痛を感じ、思わずこめかみを押さえて、声のした方を振り向くと――
「私を呼んだのは、貴様らか、と聞いている。答えるがいい、人間」
白いスナメリのぬいぐるみが、重く低い声を発していた。
「えーっと。はい、そうです。あの……」
「私は魔王。単にそう呼べばいい」
とりあえず何とか返事をした啓太に、感心したようにスナメリは頷いた。ぬいぐるみのはずが、短い腕――もといヒレ――を組んでいる。
「私の姿を目の当たりにしても、恐慌をきたさぬか。なかなかに芯が強いな、少年」
「いや、あの、魔王さん」
どうしたものか、と啓太が必死にフォローを考えていると、
「あはははははは! す、スナメリが喋ってる!」
直美が指差して大爆笑したために、台無しになった。
スナメリの額にピキリ、と漫画のような怒りマークが浮かび、魔王が不機嫌な声を発した。
「こちらはずいぶんと礼儀をわきまえぬ少女だな。少し教育が必要か」
す、とスナメリが右ヒレを伸ばし――そのまま固まった。
「む? 何だこの腕は?」
「いえ、あのー、魔王さん。あなた今スナメリなんです」
「スナメリだと?」
聞き返す魔王に直美が笑いをこらえながら口を挟んだ。
「スナメリ。砂漠に住む哺乳類の一種。砂の中にめり込むかのように激しく潜っていく姿から名づけられた。砂漠に住む人々にとっては、貴重なタンパク源。じっくりと火を通したステーキがシンプルながら、もっとも美味な料理として名物となっている。明民書籍『世界の珍味大百科』より」
「ええい! 嘘をつくな!」
怪しげな薀蓄をすらすらと口走る直美に、即座に魔王が怒鳴り返した。
「スナメリといえば、ネズミイルカ属の海洋生物。要するに、小型の白いイルカのことだろうが!」
やけに博識なことを叫ぶ魔王に、啓太は苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと話しかける。
「よくご存じですね」
「当然だ。かつても召喚されたことはあるからな。しかし、スナメリが今、どういう関係がある?」
「それなんですけど」
ある意味当然の疑問を口にする魔王に、啓太が手鏡を差し出した。魔王はつぶらな瞳を懸命に見開いて、まじまじと鏡に映る自分の姿を見た。
「さっきも言いましたが、あなた今、スナメリなんですって」
「な、なんじゃこりゃあ!」
魔王は自分の腹が血まみれになっているのを発見したかの様な叫びを上げた。
つまり、まあ、これが。
何かと気苦労の多い少年、柏木啓太と、魔王(スナメリ仕様)との出会いであった。
「とりあえず人間どもそこへ座れ」
ひとしきりパニックを起こした後、魔王と名乗った存在は、啓太と直美に床へ座るように促した。
色々な意味で逆らうのが危険だと感じた二人は、素直に床に並んで体育座りした。
「正座だ!」
瞬間で魔王が沸騰した。
いよいよ事態が危険水域に入った、と判断した啓太は素直に正座するが、直美は従わずに、頬を膨らました。
「嫌よ! なんでスナメリの言うこと聞かなきゃいけないのよ?」
「私は魔王だ!」
「今はスナメリでしょうが!」
叫んでくる魔王に、直美も負けずに叫び返す。それは勇気か、蛮勇か。啓太にはかなりの確率で後者だと思えた。というか、『闇雲に進むのは勇気ではなく、無謀』というフレーズが浮かんだ。
啓太が現実逃避をしている間にも魔王と直美の口論は続き、ついにスナメリが白目をむいた。
「ぶるあああああ!」
「ちょっと、どこの中の人ですか! 完全体ですか!」
「中の人などいない!」
叫び声に思わず突っ込み属性を発揮してしまった啓太は、即座に後悔した。完全に切れている――一体何を言われたのか啓太にはまったくわからないが――魔王が、その短い右ヒレ――面倒なので以下右手――に白く輝く光を生みだしたからだ。
一体それが何を意味するのか、わからないが、本能が危険を告げる。
「原子まで分解してやる!」
「即死!?」
青ざめながらも突っ込む自分の業の深さを感じながら、啓太は眼をつぶった。
魔王の力で死ぬのは、痛いのか? 苦しいのか?
できるなら、文字通り一瞬で終わらせてほしい。
永遠とも思えるほど時間がゆっくりと流れ、啓太はそんなことを思った。
そして、永遠にも等しい静寂が破られる。
――ぷすん。
静寂という名の闇を切り裂いたのは、まるでガス欠のような音だった。
おまけとばかりに、スナメリの手からは白い煙が立ち上っている。
「……」
「……」
「……」
今度は何か痛みとか、やるせなさとか、そういったネガティブさを伴った静寂が訪れる。
それを破ったのは、やはりというか、直美だった。
「どゆこと?」
「……魔力が足りん」
「つまり、まさにガス欠?」
ストレートに核心に迫る直美に、魔王は重苦しく頷いた。
「その表現は、言い得て妙だな」
「……つまり、今のあんたは魔法が使えない、と」
「正にその通りだ」
大仰に肩をすくめるスナメリ。それを直美はジロリと睨んだ。
「そこ、座んなさい」
「はい」
魔王は素直に頷いて、器用に正座した。
魔王:フハハハハハ! 待たせたな!
直美:呼んどいてなんだけど別に待ってはいない。
啓太:これがすべての不幸の始まりでした。