プロローグ
日付が変わったころにもう一話アップ予定
その日も彼、柏木啓太はうんざりしていた。一週間のうち大体六日くらいはうんざりしている彼は、その気持ちを処理することにもそれなりに慣れていた。
しかし、それでも――
その日の少女の言動は、改めてうんざりせざるを得ないものだった。
幼馴染の少女、氷川直美が、日曜の昼下がりに突然啓太の部屋に押し掛けて来て、怪しげな本を手にこう口走ったのだ。
「召喚魔法よ!」
直美は、毒々しい紫色に染まった皮の装丁の本を小脇に抱え、瞳をキラキラと、いやギラギラと輝かせている。啓太の経験からすると、彼女の瞳が輝くとロクなことにはならない。
しかも本日の輝きっぷりときたら、当社比三百パーセントくらいはありそうであった。
「……今日は何?」
啓太は内心に渦巻くうんざりした気分を隠しもせず、ベッドに腰掛けたまま、入口に仁王立ちになっている直美に半眼を向けた。しかし直美は気にした様子もなく、腰に手を当てて、中学二年生の割には発達した胸を張った。黒髪のポニーテールがぴょこんと跳ねる。
「だから、召喚魔法よ! わからないの?」
「あいにくとさっぱり。せっかくの休日に突然カチコミをかけられた挙句に、電波とも言えないようなことを口走られても、何が何やら」
啓太は思ったことを正直に述べたが、なぜか直美はムッとした表情を浮かべた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに気を取り直して言ってくる。
「なんか大津波を起こす蛇とか、敵を一刀両断にする騎士とか、核の炎をまき散らす竜を呼べるのよ! 凄いでしょ!」
「いや、呼べたら凄いけど……何と戦うつもり?」
「世界を覆う暗闇とよ!」
啓太の渾身の突っ込みにも即答が返ってきた。この時点で、啓太は逆らうことをやめた。
代わりに、気になっていたことを尋ねる。
「その本は?」
その言葉に直美はニタリ、と笑みを浮かべた。せめてニヤリにしてほしい、と啓太は心から願うが、生憎とその願いが通じたことはない。
「古物商から手に入れたの。なんかすごい物を召喚できる方法が書いてあるんだって」
「古物商なんて近くにあったっけ?」
「ほら、ショッピングセンターの近くの」
直美は啓太の当然の疑問にも滑らかに答えてきた。答えてきたものの、啓太には心当たりがなかった。
「ただのリサイクルショップじゃん!」
しばらく考えてようやく直美がどこのことを言っているのか思いつき、啓太は叫んだ。
直美が僅かに目を逸らす。
「ま、まあそうとも言うらしいわね、ここ数週間では」
「いやいや、できた時から普通のリサイクルショップだから」
直美はパタパタと手を振る啓太から一歩下がったが、すぐに二歩踏み出してきた。
「そんな些細なことはいいのよ! これを見なさい!」
そう言って、眼前に本の表紙が突き出される。金箔の型押しで高級感を出してあるその本のタイトルは――
『ネクラナミコミ』
何故かローマ字だった。しかもどこかで聞いたような、けれど正確ではない微妙さだった。
「ちょっとなんか凄そうでしょ!」
「何その微妙な自慢! というか、明らかにおかしいよ! なんでローマ字?」
「そんな細かいことはいいのよ! なんか有名な魔術書っぽいでしょ!」
「名前がバッタもん丸出しな上に、召喚と関係ないから、その本!」
啓太の心の叫びは、かけらも直美には届かなかった。
「そんなことないわよ! ちゃんとここに書いてあるから!」
言って直美が開いたページ、要するに本の冒頭には――
『本書は魔王っぽいものを召喚するための本です。説明書を正しく読んで、用法、用量を守ってお使いください。使用しない時は、直射日光に当てず、お子様の手の届かないところに保管して下さい』
と書いてあった。日本語で。
啓太は思わず天を仰いだが、年月が醸し出す染みが目立ってきている天井しかなかった。
「……」
もう何も言えずに絶句していると、直美は満足したように頷いた。
「ようやく啓太も納得してくれたようね!」
「……もう好きにして」
こうして啓太は、人生で何度目になるか、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの諦念に満たされて、そっとため息をついた。
しかし、直美が思いつきでどこからか怪しげなものを手に入れて来て、なにやら試そうとするのはいつものことなので、まあいいか、などと思っていた。
もちろん、今回ばかりはそれが間違いであったことを、彼は嫌というほど思い知ることになるのだが。
魔王様(*?▽?):出番だ