名試合
とある居酒屋。席に座る二人の男女。彼らは恋人同士。しかし、楽げな様子というよりも……
「はぁ……」
「……なぁ」
「なに?」
「今ので四度目だぞ」
「なにが」
「溜息だよ溜息。この店に入る前もだ。なんなん? 俺といるのがつまらないわけ?」
「別にそういうんじゃ……」
「じゃあ、ちょっとは愛想を良くしたらどうなんだよ。萎えるなぁ」
「なに、その言い方……。こっちは今日、具合悪いのに来たんだけど!」
「な……でもそれはそっちの体調管理の――」
『0(ラブ)-15(フィフティーン)!』
「は?」
「は? ってなに? 言いたいことあるなら言えば?」
「い、いや、え? こいつ、お、おい、あんた誰だ?」
「なに話逸らしてんの? はぁ、ホント、嫌になるなぁもおぉぉ」
「な、なんだよ。じゃあ帰ればいいだろ……無理してくる必要だってなかったんだ」
「またそういう言い方を……」
「いや、べつに今のは思いやりだよ……まあ、いいや。ほら、ここ奢ってやるから機嫌直せよ」
「え……うん」
「さ、変なのもいるし、もう店を出……あれ?」
「どうしたの?」
「いや、さ、財布、落としたかも……」
「……は!? じゃあどうするの? 偉そうに奢ってやるとか言っておいてホントなんなの! 安い居酒屋だし!」
「い、いや、お、俺は別に……」
『0(ラブ)-30(サーティー)!』
「しまった!」
「ホント、だらしない。けっこー忘れ物だってするし、私、お金ないよ! はぁー、もうはぁぁーあ!」
「い、いや、事情を話せば別に警察を呼ばれることも……てかさ、お前、人の金で飯食う気満々だったんだな。
さっきも『え? 奢って当然でしょ?』って顔してたもんなぁ!」
「なっ!」
『15(フィフティーン)-30(サーティー)!』
「よし!」
「よしってなによ! それにいつもそっちが払ってるじゃん! 習慣よ習慣!」
「いやいや、それが当たり前になっているのが図々しいっていうかさ、そういえばお前、最近は財布出す振りもしなくなったなぁ」
「しょうがないでしょ! 女の子はね、美容代とか、色々お金がかかるの!」
「の、割りには髪とか顔とかに手抜きが見られますなぁ」
「な、なによその言い方! ひどい……」
「おいおい、泣けば許されると思っているのか?」
「……どうしてそんな言い方するの? いつもはそんなんじゃないのに!」
「俺も我慢してたってことだよ!」
「そう……なの」
『30-30(サーティーオール)!』
よしよし、と男はニヤッと笑う。
やはり相手が言い返せなかったり、言い淀んだ時にポイントが入るようだ。ラリーを続けつつ、相手の隙を窺いそして……と俺は何真面目に考察してるんだ。
それにしても、この審判みたいな男。彼女には見えていないのか? 幻覚? 飲みすぎ? まさかな。何にせよ、こんなことやめて仲直りを……
「まぁまぁにいちゃんたち、痴話喧嘩はその辺で……」
『レット!』
「部外者は引っ込んでてくれ! 大事な局面なんだ!」
「す、すまん……」
と、声をかけてきた他の客を一喝。マナーのなっていない観客だなと睨み、再び身構えサーブ権は今どちらにあるのかと審判を横目に見る彼。が、それこそが隙であった。
「……じゃあ、別れて欲しいの?」
「え? いや、俺は、別に、そんな……い、いやまあ、その選択肢はなくはない!」
「妊娠してるの……」
「え……」
『30(サーティー)-40(フォーティー)!』
「しまっ、い、いや、ほ、本当に?」
「うん」
「じゃ、じゃあ具合が悪いって言うのも」
「うん、そうなの……ごめんね、当たり散らしちゃって。でもほら、あなたにはもっとしっかりして欲しくて。おなかのこの子のためにも……」
「い、いや、いいんだよ。そんなの」
「でも別れたいんだよね……?」
「い、いや、その、まずい」
「まずい?」
「いや、審判が、いや、あ、お、俺と結婚しよう!」
「え、ほ、本当に?」
「ああ!」
「そんなすぐ決断してくれるなんて嬉しい! 私のこと本当に愛してくれてるのね!」
「え、あ、まあ、その、それは、まあ、えっと……あ」
『ゲエエェェームセット!』
ゲームの終わりを告げる、咆哮にも似た審判の高らかな声。肩落とす彼、しかし、体を包むその熱き歓声と拍手に、いい試合をしたという、満足感が込み上げてくる。
彼は彼女と手を取りあい、そして観客たちの祝福に耳を傷めてしまうな、と困ったように片目をつぶりつつ、手を振り笑顔で応える。
「おめでとう!」
「男だぜにいちゃん!」
「おめでとー!」
「いいぞー!」
『ウォンバイ! 托卵女!』
「おめでとう!」
「おめでとー!」
「幸せになー!」
「おめでとおおおおう!」