06話
――『計画』……!?
その言葉を聞いて、スピカはすべてを理解した――乗馬の稽古前にジェレミーに呼び出されたのは、彼が一部の兵士と結託してスピカの誘拐を企てていたためだったのだ。国王に話が通っているというのも彼の嘘で、おそらく誰も助けに来てはくれない。
――こうなったら……!
手に持っていた彫刻を振りかぶり、スピカは客間に入ってきた二人の兵士を殴りつける。二人とも意識はまだはっきりしているが、痛みに悶えてすぐに立ち上がれそうにはない――逃げるチャンスは今しかない。
「お願い、一緒に逃げて……!」
突然空から落ちてきた青年に対してスピカは懇願する――突然現れジェレミーを気絶させたことや、その後の様子からも彼が誘拐の協力者である可能性はほぼない。
城内の人間がどれほどジェレミーの味方をしているのかも分からないため、一人で移動するのは危険だ。巻き込んで申し訳ないが、彼の協力を得たかった。
「い、いや、逃げてと言われましても……」
当然の反応である。突然人を殴り倒した初対面の人間から一緒に来いと言われても、そう簡単に了承できるはずがない。
しかし、青年はそう言いながらジェレミーの手から落ちた短剣とスピカの必死の眼差しを交互に見た――完全にではないにしろ、スピカが窮地であることを理解したのか、青年は小さくため息を吐くと覚悟を決めたようにスピカの手を取った。
「よし……! どこへ逃げましょうか、お姫様」
「とりあえず城の外まで。使用人たちのうち、誰が敵なのか分からないわ」
「なるほど……」
青年はそういうと、ベランダから続く屋根の斜面を見渡して、何かを考える風に空を仰ぐ。そして、何かを思いついたのか、バッグから紐を取り出してベランダの手すりに括り付けた。
「ちょっと手荒になっちゃいますが、許してください」
「んぐ……なにが……」
青年が何やら準備をしていると、気絶していたジェレミーが意識を取り戻した――咄嗟にスピカは彫刻でジェレミーの頭を殴ると、うぐっ、と声を上げた彼がまた力なく倒れ込む。
「えぇ……」
「あ……ははは……」
青年がスピカの暴力に恐れおののいていたため、ぎこちない笑顔でごまかす――どうやらそれは逆効果だったようで、人を殴った後に笑っているスピカを見て、青年はさらに渋い表情をしていた。
そんなことをしていると、今度は二人の兵士がスピカに殴られた箇所を抑えながらもよろよろと立ち上がり剣を構える。先ほどは不意打ちで何とか殴りつけることができたが、十分警戒している今の二人に対してはそうはいかない。打開策もないまま先ほど二人を殴った彫刻を構えていると、背後で青年が声をあげた。
「王女様! 捕まってください!」
突然の声に振り返ったスピカに対して、青年が手を差し伸べている。彼の体には先ほどから用意していたらしい紐が結ばれており、それはベランダの手すりに繋がっていた。
言われるがままスピカは青年の手を取ると、そのまま力強く引っ張られ膝を抱え上げられたため、咄嗟に彼の首に手を回ししがみつく。昔読んだ童話の中で、王子様にこうやって抱えられているお姫様の話を見て少しだけ憧れていたスピカは、急に恥ずかしくなってしまう。
「ちょ、ちょっと何を……!」
ベランダの手すりに立った青年は、そこから続く屋根の斜面を見下ろしている。
――まさか、ここから降りるつもり……!?
青年に抱えられた状態だと下の景色をうまく見ることはできないが、吹き抜ける風がスピカの恐怖心をさらに煽ってくる。
「貴様! 何をしている!」
城兵がすぐ背後まで迫っている――もう迷っている時間はない。
「……いきますよ!」
「ちょっとまって……嘘でしょ!」
体に紐を巻き付けた青年は、ベランダの手すりから飛び降りると、屋根の斜面を蹴りながらそこを斜めに走っていく――走るというよりも、速度からしてもはや落下に合わせて足を動かしていると言った方が適切かもしれない。
「きゃあああああ」
これほどまで足元が安定しない場所を移動するのは、スピカにとって初めて経験であった。
屋根はどこまでも続いているわけではなく、途中で垂直な城壁に繋がっているため、このまま走り続けても城の一階に着くことはできない。屋根の斜面が終わるまさにその瞬間、青年はそこから大きく跳躍し、その勢いのまま二人は落下していくのであった。
もはや叫び声をあげることもできないスピカは、ふわりと体が浮く感覚に恐怖しながら青年の首にさらに強くしがみつく。しばしの間二人が落下した後、ベランダの手すりと青年の腰に括り付けられた命綱がピンと張り、その瞬間衝撃が二人を襲う――その後振り子のように落下していき、やがて地面が近づいてきたところで青年が命綱をほどくことで、二人は地面に着地した――否、それはもう落下に等しかった。
「あっ!」
着地に失敗した青年は思わず声を上げ、足がもつれてスピカを抱えたまま城の中庭の芝生の上を転がった。二人の通った後には芝生が巻き上がり、やがて回転が止まると、二人は隣同士仰向けになって空を見上げていた。
ベランダからここまで降りてくる間、時間にすればほんの一瞬の出来事だったにも関わらず、これまで体験したことのない恐怖と同時に、スピカは胸の高ぶりを覚えていた――そして、どこまでも続く青い空に向かって、スピカは声を上げて笑い出してしまう。
「くふっ……あははははは」
「えぇ……」
突然笑い出したスピカに、青年はまたしても顔をしかめてしまうのであった。