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01話



 誰がために星は降る



 囚われの姫君か



 田舎育ちの青年か



 あるいは――








「……ピカ……ま……」


 ぼんやりとした意識の中で、少女は誰かに名前を呼ばれていた。


「――スピカ様!」


ハッと目を覚ますと、城の一室に置かれた机に突っ伏していた少女の視線の先には、家庭教師であるジェレミーの顔があった。どうやら居眠りをしてしまっていたようだ。


「じ、ジェレミー、これは……!」


「スピカ様……これで何度目でしょうか。一体いつになったら私の講義を最後まで聞いていただけるのでしょう」


「ご、ごめんなさい! もうしないわ……だから、このことをお父様には……」


「そのお言葉も、これで何度目でしょうか……まぁいいでしょう。 ただし、次同じことがあった場合には、今度こそ国王陛下にご報告をさせていただきますよ?」


――はい、と小さく答えたスピカという名の少女は、机の上に広がった、この国の歴史について記載された書物に視線を移す。


 ジェレミーはあらゆる科目の教育を担う、王女であるスピカ専属の家庭教師だった。


 黒いダブルボタンのウエストコートに身を包み、立たせた襟は白いリネンシャツのそれと一緒に、顎の下までプリーツ状のストックで巻かれている。リネンシャツの胸元のフリルは、彼の年齢にしては派手な印象を受ける。膝下まである黒革のブーツにしまわれたぴったりとした白の長ズボンは、彼がしっかりと体を鍛えていることが見て取れるほど脚のラインを浮き彫りにしている。ボリュームのあるもみあげとは対照的に髭は綺麗に剃られており、横へ流した髪にはわずかに白髪が混ざっていた。


 確かにジェレミーは紳士的で優秀な家庭教師だったが、どうしても歴史の勉強だけは苦手だった――いくら抗っても、睡魔に勝つことができないからだ。そもそも、夕食を食べ終えたばかりなのに講義をしてくるジェレミーの方がどうかしている。


 その後もしばらく聞いたこともない歴代国王の名前や、やたらと長い名前の他国との交易に関する話を聞かされ続けた。講義の終わりをジェレミーが告げると、永遠とも思われる睡魔との戦いにようやく打ち勝って安心したスピカは、本を閉じて部屋に置いてある繊細な模様が彫られた木製の棚に戻す。


「それでは、明日も午前中に乗馬と剣術の稽古をした後、午後から今日の続きを勉強いたしましょう」


 スピカの私室を後にする際に言い放ったジェレミーの言葉に、――それは無理だ、と心の中で呟く。ただでさえ眠くなる歴史の授業を、乗馬と剣術で体を動かし、さらには昼食を済ませた後に行うなんて――そんなこと、この国で一番の料理人が作ったアップルパイを目の前にして、それを食べるな、と言われるほどに無理な話だ。


――はぁ、と大きくため息をついて、椅子の背もたれに寄りかかり、天井にある、ごく小さな窓を見上げる。


「今年こそ、お城の外で流星群を……」


 冬の寒さはすっかり遠ざかり、段々と気温も上がってきたこの季節には、数年おきに流星群がやってくる。夜空いっぱいに広がる流れ星を見るために、町中の人々が空を見上げる()()()のだが、前回流星群がやってきた時まだ幼かったスピカは、それを煌々と明かりの灯った城のベランダからしか眺めることができなかった。数年ぶりに流星群がやってくる今年、その日はついに残り二日に迫っていた。


 今年で十八歳になるにも関わらず、スピカは物心ついた頃からこの城の外に足を踏み出したことが一度たりともない。さらに、流星群のやってくる日や、国王や王妃の誕生日など、国中が賑わう行事の時には、やたらと警護が増えたり、保護と称して自室に閉じ込められたりする――軟禁されている、と言って決して過言ではない。


 しかし、これも仕方のない事なのだろうか、とスピカは思う。


――ねぇ? マーテル……


「スピカ様、お父上……いえ、国王陛下がお呼びでございます」


 私室の警護を担当している兵士が扉をノックして中へ入ってきた。毎日家庭教師による講義が終われば、国王と王妃に会う時間になっている――しかし、城の中では、実の両親に会うこの時間すらも自由に使うことを許されない。


「……わかったわ」


 返事をしたスピカは、先ほど居眠りをしている最中についたと思われる、レースの付いた淡い紫色のドレスについた皺を伸ばす――そして、手首につけた指三本分ほどの太さの金色のバングルを確認し、兵士と一緒に両親のもとへと向かう。バングルには、スピカの瞳と同じ、エメラルド色をした大きな石が飾り付けられている。


 両親とはいつも、彼らの私室の奥にある寝室で会うことになっている――これは王妃であるスピカの母がその生活の大半を、ベッドの上で過ごしていることが理由だ。


「失礼します、お父様、お母様――」


「スピカ……いらっしゃい」


 シルクのベッドの上に座したか細い王妃に招かれ、スピカは彼女の腕に抱かれるように座った。王妃と自分で私を挟むように座った国王は、娘の頭を優しく撫でる。


「スピカ……今日の講義はちゃんと受けられたかい? ジェレミーの講義は、少し退屈なところがあるだろうが、あれでも多くの貴族たちを教育してきた腕利きの家庭教師なんだ」


 ジェレミーからそれとなく娘の態度は聞いているのか、ある時から父は講義のある日には毎度同じ質問をするようになった。


「えぇ、何も滞りなく――。彼の授業、とても楽しいわ」


 笑ってごまかすのも、毎度のことだ。


「スピカ……今日もお願いできるかしら?」


「もちろんですわ、お母様。手を――」


 スピカは母の両手取ると、静かに目を閉じる――その途端、左手首のバングルが――正確には、そこに嵌め込まれたエメラルドの石が淡く輝きだし、その光が全身を覆っていく。そしてその光を、繋いだ王妃の手に自分の意志で送り込むと、王妃の体全体にゆっくりと広がった光は、やがて静かに消えていった。


「どうかしら、お母様。お体が少しは軽くなって?」


「えぇ……ありがとう、スピカ。とても温かかったわ」


 二人を包んだこの温かな光こそ、城内でもごく一部の人間しか知らない、王女スピカの持つ特別な力――『治癒術』を象徴するものである。

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