その6 「ドクダミ」
小鳥遊みらのは動かない。
雨の土曜日、朝8時半。
彼女の家の前である。
ぱらぱらと、やけに大きく雨の音が響くのは、彼女が透明なコンビニ傘をさして、塀ぞいに並べた植物たちの鉢の前にしゃがみこんでいるからだった。
下は中学のジャージ、上はパジャマがわりのスウェットという休日スタイルで、長い黒髪は濡れたアスファルトに触れないように、右側だけの下げ鬟にしている。
そこそこ強い雨が降る道ばたに、若い女性が傘をさしたままでじっとうずくまっているというのは、事情を知らない者にとってはとても不気味で、見れば思わずぎょっとして立ち止まりかけ、
(あの子は、気分でも悪いのか? それとも、悲しみに打ちひしがれているのか? それとも、ヤバい人なのか?)
などと考えて、チラ見しながらも素通りしてしまいそうだが、何しろ朝からずっと雨が降っているので、人通りはまったくなかった。
(よしよし)
雨の降る道ばたで、みらのはひとりプランターをのぞきこみ、満足している。
そのプランターには、表が濃いみどり、裏が赤みがかった紫に近い色合いの、ハート形の葉をもつ植物がびっしりと芽吹いていた。
ドクダミだ。
このプランターは、彼女の「ドクダミ畑」なのである。
思い返せば去年の春、いったいどこからやってきたのか、家の横手のコンクリートの隙間から、ぼうぼうとドクダミが噴き出しはじめた。
それはまさに「噴き出す」という表現が適切な勢いで、切ろうが抜こうが効き目はなく、みどりの炎が燃え盛るごとく、どんどん無限に生えてくる。
あまりの勢いに諦めて放っておいたら、初夏のころには白いきれいな花――正確には白い部分は花びらではなく「苞」らしいが、それはそれとして――が、たくさん咲いた。
調べてみると、ドクダミは葉を乾燥させてお茶にすることができるばかりか、この白い花や蕾をホワイトリカーに浸け込むことで「チンキ」を作ることもできるという。
(花や蕾を浸け込むって、ちょっと面白そうかも。……いや、でも、こんな道ばたに生えてるものだし、汚れてるだろうから、これで試すのはやめとこう)
みらのは元来が植物を愛するたちだから、まあ、これはこれで、とすっかりドクダミを受け入れる気持ちになり、鉢植えに水をやるついでに、最後にちょっと残った水をやったりしていた。
だが、このことが、思わぬ災いを招くこととなった。
ドクダミがあまりにもぼうぼう生えすぎたためか、その辺り一帯に「誰も管理してない感じ」が漂ってしまったらしく、どこかのマナーのなっていない人間が、あろうことか散歩させたペットの尿を流すことなく塀のかどに残し、さらには、フンまで道に放置していくようになったのだ。
ゆゆしき事態である。
このことを知ったスパルタ人はおもむろに武器をとり、
「この槍の届くところまでが我らの国境ッ」
と言い出したが、もしも犯人が町内の人だった場合、討ち果たしてしまっては、のちのち問題になりかねない。
一応、塀に貼紙をしてみたりもしたのだが、効果はなく、見た目にもよくなかった。
みらのは、ドクダミ掃討作戦に乗り出さざるを得なかった。
青銅の縁取りの盾にとねりこの槍、脛当てもまぶしい完全武装でスパルタ人がおごそかに見守るなか、軍手にマスク、安全ゴーグル、ハサミ、スコップの完全武装で、みらのはちょっと悲しい気分になりながら、フンを拾って捨て、ドクダミたちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、45リットルゴミ袋の半分ほどの量を刈り取り、根こそぎ引き抜いた。
それから、すごく悲しい気分になりながら、ホームセンターで買ってきた、ふだんは決して使うことのない薬――除草剤を撒いた。
効き目は抜群で、わずか3日後には、そこは茶色い枯草がへばりつく不毛の地になっていた。
その枯草の中には、みらのがひそかに気に入っていた、名前のわからない小さなタンポポのような花を咲かせる草や、米粒のような白い花を咲かせるハコベもまじっていた。
悲しい気分を晴らすように、次の土曜日になると、みらのは夏の暑さにも乾燥にも負けぬ強い植物たちを買い入れ、植え替え、その鉢を、不毛の地となった塀ぎわにずらりと並べた。
ここが断じて無法地帯ではなく、植物を愛する者が統べる秩序ある地なのだということを、通行人たちに知らしめなくてはならない。
「よいか、貴様らこそがスパルタの城壁」
と植物たちに訓示を述べるスパルタ人のかたわらで、みらのはゴミ拾い用のトングとちりとりとを手にうろうろし、通行人があるたびにさりげなくカチカチとトングを打ち鳴らして威嚇しながら、細かいゴミを拾ってまわった。
すると、夕方になって、ふわふわした犬を連れたおばさんがやってきた。
おばさんは、みらのの姿を見ると、遠目にも分かるほど、うろたえるような様子を見せた。
しかし、ふわふわした犬のほうは飼い主の様子には頓着せずに、ぐいぐいとリードを引きながら塀のかどに近づいていった。
みらのは、赤い花をつけたマンデビラの鉢植えを眺めるふりをしながら、横目をつかって、カチ、カチ、カチとトングを鳴らした。
その横にスパルタ人もやってきて、盾と槍とを激しく打ち鳴らした。
「こら、こら、こら」
明らかに用を足そうという動きを見せた犬を、おばさんは焦って抱き上げ、そのまま、小走りに角を曲がって去っていった。
みらのとスパルタ人も追いかけて角を曲がり、トングをカチカチ、盾と槍をがんがん打ち鳴らしながら、おばさんの背中が見えなくなるまで、じーっと見送った。
「今の感じ、絶対、あの人のしわざだったよね!」
「次に現れた時が、奴がハデスへ赴く時だ……」
「いや、町内の人かもしれないから、冥府行きはちょっと」
「犬は許す。罪は人にある」
「いや、人も勘弁してあげて、今回は」
「だが、次があれば……ふん、このあたりのアザミは弱々しくていかんな」
「それ『アザミの鞭打ち』やるつもりだよね、スパルタの若者たちがやられるやつ……スパルタのアザミほどとげとげしたやつは、このへんには生えてないよ」
「ぬう。では、ノイバラの枝を」
「今、うちに薔薇はないから」
そんな会話をしながら家に戻ったみらのは、ふと、庭のすみに置いたゴミ袋から、ドクダミの根が一本、袋をやぶって飛び出しているのを見た。
(もしかして)
みらのは、ドクダミについて調べたことを思い出した。
ドクダミは「ぜったいに地植えにするな危険」と言われるほど生命力が強く、わずか数センチの根の切れ端からでも再生し、うっかり広い土地に植えたが最後、どんどん広がって手が付けられなくなるという。
春先、切っても切ってもコンクリートの隙間から生えてきたあの「噴出」の勢いを思えば、その警告にはたいへん説得力があった。
(と、いうことは……この根を土に埋めておけば、来年には、またドクダミが生えてくるんじゃないの!?)
みらのはゴミ袋の口をほどき、節のある、淡い茶色の根を引っぱり出した。
引っこ抜いているときにはまったく気づかなかったが、よく観察すると、新しい芽が今にも噴き出そうとしている箇所が、いくつも見つかった。
みらのは芽のあるところを中心に、数センチの長さに根を切って、あいていたプランターに土を入れ、そこへ並べて植え付けた。
目の届きやすい玄関わきの、日当たりのいい場所に置き、芽が出るように祈りつつ水をやり続けてしばし――
なんと、小さいけれどもたしかに見覚えのある、あのハート形の葉が、地面から姿をあらわした。
本当に、たった数センチの根の切れ端から、ドクダミは復活したのだ。
みらのの「ドクダミ畑」は、少しばかりひょろひょろとしながらも、順調に成長を続け、夏を越し、秋を越し、冬になってとうとう枯れた。
だが、みらのは慌てなかった。
ドクダミが、冬には地上部を枯らして地下で越冬し、春には再び芽吹く植物だということを、ちゃんと調べて知っていたからだ。
そして季節は巡り、春――
(1度目に生えてきたときよりも、がっしりしてるね)
雨のなか、傘をさして道ばたにしゃがみこみながら、みらのはポケットからスマホを取りだし、「ドクダミ畑」を撮影した。
芽吹いてから今日まで、1週間おきに撮影し、ドクダミ育成の記録を残しているのだ。
小学生のころに行った、アサガオ観察記録のようなことである。
(よっし)
みらのはおもむろに傘をたたむと塀にたてかけ、雨に濡れるのもかまわず、「ドクダミ畑」のプランターを持ち上げて、玄関から庭に運び入れた。
今年の花が咲いたら、蕾や花を集めて、チンキを作るつもりなのだ。
そのためには、今から、少しでも汚れの少ない環境で育てておいたほうがいいだろう。
扉を閉めてから、みらのは立てかけておいた傘を再びさして、そのまま、家の周囲の植物たちを見回りはじめた。
すると、家の横手に、スパルタ人が立っていた。
彼は真剣なおももちで地面を見下ろしていたが、やがて、みらののほうを見た。
「これは」
「うん。全然、元気だったよね」
コンクリートの隙間からは、除草剤の効果を振り切り、根だけとなって生き延びたドクダミたちが、みどりの炎のように勢いよく噴き上がっていた。
心なしか、前よりも勢力が増している気さえする。
「ノイバラの鞭は用意したか」
「いや、あのおばさんは、もう来ないと思うよ。私、最近このへん、ものすごく掃除してるし。こないだなんか、とうとう、あっちの角のおじいちゃんから『がんばっとるねえ』って話しかけられたし」
「あの毒の攻撃を生き延びるとは、真の勇士よ……貴様らには三百人の仲間に加わる資格がある」
「ドクダミに言ってる?」
初夏には、ここにも「ドクダミ畑」にも、あの美しい白い花が咲くだろう。
そうしたら、チンキを作って、蚊に刺されたところに塗って、効果を検証してみよう、と、みらのは思っている。