天才の娘
大陸の隅に存在する国。水月國。
その首都の青蓮は大陸内でも屈指の華やかで裕福な都市として有名だった。
その日、紅 紫釉は我が子の供養にその外れの小さな御堂を訪れていた。
子供といっても25年前、産まれる前に散ってしまった顔も知らない子供だ。その後も子宝に恵まれず、こうしてこの時期になると唯一の子供であった赤ん坊が忘れられず、この古ぼけた御堂に足を伸ばすのであった。
しかし、今年だけは様子が違った。
御堂の軒下の雪が一層高くふり積もっている場所に派手な着物が丸めて置いてあるのに気がついた。
紫釉が不思議に思って近づくとそれはモゾリと動く。
恐る恐る布を捲れば、産まれたばかりの小さな命がその身を一生懸命に動かしていた。
紫釉は咄嗟にこれは神様からの贈り物だと思った。
周囲に人が居ないのを確認すると紫釉は何も考えず、ただその子を懐に隠すようにして家までの道を急いだ。
「もう!あなたったら、また父さんの作業場に篭って!」
あれから15年の月日が経った。
雪の日に捨てられたあの赤ん坊は紫釉の娘として少し変わった少女へと成長していた。娘といっても祖父と孫のように歳の離れた親子だ。
紫釉の仕事は国王や高い身分の方に捧げる装飾品作りであった。
それに紫釉は国中にも周辺国のどこにも見つからないほどに腕の良い装飾品職人だった。
水月國は勿論のこと、隣国のプレゴニア王国やリフレ二スタ皇国の王や、その周りにいるもの達の特別に与えられる装飾品などは殆ど全てが彼が作ったものだった。
そんな彼の背中を見て大きくなった彼女もまた、同じように立派な装飾品を作ろうと紫釉や義母である霖の目を盗んではその作業場に忍び込んで新しい装飾品を制作しているのであった。
「出来た!母さん。見て!見て!」
少女は籠っていた作業場の扉を雑に開けると、夕食の準備をする母親の元へ駆け寄る。そして母親のガサガサの掌に美しい装飾の着いた簪を置いた。
「水蓮の簪!父さんが余らせてた水晶の欠片で作ったの。透明な水蓮なんて見たことないけど、綺麗でしょ?」
そう言う少女は興奮し、子供のように笑っていた。
「これ、母さんにあげるわ。明後日誕生日だから」
「え?あなた私のために作ってたの?」
霖は思いがけない言葉に嬉しそうに微笑むと今まで使っていたものを外し、その簪を髪に挿した。
白髪混じりのくたびれた髪に小さな花が咲いた。
「ところで、母さん。父さんはいつになったら帰ってくるの?いくらなんでも遅すぎない?」
その時、ものすごい音を立てて男が家に駆け込んできた。
紫釉と一緒に隣国の王宮へ商品を売りに行っていた男だ。
霖は本能的に紫釉に何かがあったと察した。
「奥さん!旦那が大変だ!」
「どうしたの?落ち着いて話して?」
「旦那がセイレニー神聖国で流行病になっちまってもう死にそうなんだ。あっちのお医者がもう持ちそうにねぇって言うから奥さん呼びに来たんだ!」
少女はドキドキする胸を抱えて、息を切らして喋る男にとりあえず瓶の水を差し出す。
「そ、そうかい。準備するから少し待っておくれ」
霖は青白い顔でも、平然を装ってそう返事をする。
少ない荷物をまとめる霖を見ながら少女は言い様のない胸の苦しさに押しつぶされそうになる。
「いいかい?母さんは父さんのとこに行くから。アンタはこの家を守っていておくれ。留守番頼んだよ」
「う、うん」
さっさと荷物を持った霖は男と共に家を出ていく。
二人を見送った後、少女は糸が切れた人形のように床に座り込んだ。
それから何時間経っただろう。
外はすっかり日が落ちて、家中が真っ暗になっていた。
ドンドンと扉を叩く音に少女は目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。
こんな夜更けに誰だろう?
「ど、どちら様です?」
恐る恐る、扉を開ける。
「遅い時間にすみません。水月國で皇帝の補佐をしております飛颺と申します。紫釉殿はお帰りですか?」
「すみません。まだです」
扉の前に立つ美しい装束に身を包んだ男性はそれを聞いて眉をピクリと動かしつつもにっこりと微笑む。
「なら、いつお戻りになられますか?霖殿は?」
「...すみません。分からないんです。父はセイレニー神聖国の方で流行病にかかったらしくて、母もそちらに出向いております」
その言葉に愛想良く笑っていた飛颺の目は冷たいものに変わる。
「んー。それは、困りました」
「あの、その·····どのようなご要件でしょう?」
そのなんとも言えない圧力に恐る恐る、要件を聞いてみる。
「あなたは紫釉殿の娘さんでしょう?」
「それは、そうですが?」
「あなたは装飾品の加工は出来ますか?例えば····」
飛颺は、霖が今日あげた物の代わりに置いていった簪を手に取る。
「これは…?」
「それは、10歳の時に私が母の誕生日に作った簪です」
ただ金の串に黒石の鳥がとまっているというシンプルなデザインのものだ。
飛颺が持ち上げると光が反射してキラキラ光る。
「いいえ、これは美しいですね。良い品です。この程度の腕ならば...。」
そう言って飛颺が巾着から取り出したのはこの国の禁色である水色の緑柱石だった。
「これで今度新しく禁色を与えられる女性文官の簪を作ってください」
「えっ!私がですか?」
飛颺の言葉に咄嗟に聞き返す。
「ええ、と言っても他の職人たちにも同じように作っていただきますので気楽に思ってください。そのいくつかの中から陛下が禁色の文官に与える物をお選びになられます」
「そうなんですね。なら良かった。それで制作期限は?」
すると思わぬ回答が返ってくる。
「明日です」
「へ?」
突拍子のない期限に間抜けな声が出る。
「明日の夕方までに作ってください」
「明日の夕方!?ちょっと待って下さいー!」
「頼みましたよ」
「えっ、でもー」
飛颺の有無を言わせぬ微笑に言葉が詰まる。
「頼みました」
ニッコリと笑う飛颺の顔が不気味に圧力があって思わず少女は「はいぃぃ」と了承してしまった。
その日の昼過ぎ、飛颺は方々の工房を巡りつつも半ばあきらめてもいた。
たとえ職人が見つかってもこんな短い期間でまともな物が作れるはずがない。
仮に明日の夕方までに作れる人間がいても陛下が納得する出来のものを作れるわけがない。
最後にすがる思いで国宝級職人である紫釉の元を訪れた。
彼が不在であることは勿論、知っていた。
しかし、一欠片の希望を抱いて工房へ向かった。
でも結局彼が不在であったことによって飛颺の希望は打ち砕かれることになった。
娘であるあの少女に一応頼んではみたがあの様子では多分無理だろう。
元々、諦めていたんだから少女が無理でもしょうがない。
寧ろ、出来上がっていたら奇跡だ。彼女は天才だ。
悩める頭を抱えて飛颺は宮廷への帰路を急いだ。
翌日の昼過ぎに締切には少し早いが昨日と同じように飛颺は紫釉の娘のいる真っ暗な工房を尋ねた。
「進捗状況はいかがですか?」
絶対に無理だったろうと思いつつもとりあえずにっこりと微笑み少女にそう尋ねた。
「あの、一応は出来ました」
予想外の言葉に目を丸くする。
少女は飛颺の目の前に木の箱に入った簪が差し出した。
「中身を拝見しても?」
少女の「ええ」という返事を待って飛颺は箱を受け取り開ける。
「こ、これは…」
その出来栄えに飛颺は思わず声を失う。
「あのぅ」
少女の控えめで不思議そうな声に我に返る。
「と、とりあえず、全ての職人と簪を陛下の元へお連れしなくてはなりませんので貴女にも来ていただきます。そんな薄汚れた服では失礼ですね。…その他にマシな服はお持ちで?」
「あー、この服以外には作業用の服しか」
へへっと笑う少女はよく見れば徹夜したのか顔色も悪いし髪の毛もボサボサだ。
「分かりました。その服でいいので最低限の荷物を持って私に着いてきなさい。私の家に妹の服があるのでそれをお貸ししましょう」
「え?いいんですか?ありがとうございます」
「それでは私は外で待ってますね」
少女はすぐに作業で散らかった部屋の整理を始めた。
外に出れば蝉たちのうるさい声が耳に刺す。
「お待たせいたしました。飛颺様」
薄暗い玄関で靴を履く少女の荷物を持つ。
少女は薄汚れた靴の爪先でトントンと地面を蹴ると飛颺に続いて外に出た。
「そういえば貴女の名前を...」
飛颺はそう言いながら振り返る。
そして、明るいところで初めて見る彼女の姿に息を飲んだ。
「私は紅 燈華です」
そこには水月國では滅多に見ない透き通るような群青の瞳の少女がこちらを見つめて立っていた。