第69話 魔女の正体を聞いた俺が、世界の管理者と対峙する話。
竪琴の音が、静かに鳴り続けている。
カンナヅキの中央に埋め込まれて動かないマルガレーテの姿を見て、アイカは息を詰めたようにつぶやいた。
「……使い魔ってのが、必要になるワケだ……」
「そういえばロビンが、カンナヅキへ贄を捧げる魔女の儀式――というようなことを言っていたか。あれ自体は口から出任せの戯言だったのだろうが……」
ディアナも低く呻いた。
「この有様ではまるで、魔女自身がカンナヅキの生贄にされているかのようだな」
「どうしてマルガレーテが……? メイが……ここにいるんじゃなかったのか?」
トヲルも戸惑いを隠せず、マルガレーテの姿を凝視した。
磔のようなマルガレーテの様子にしても尋常ではないが、メイに関してはそれらしい影すら見当たらない。
「マルガレーテ、あんたが俺をここに呼んだんだろう。あんたから受け取った“招待状”がここにある。メイはどこにいるんだ!」
ガントレットに嵌められた、青く点滅する魔石を示しながらトヲルは叫んだ。
『トヲル・ウツロミ……メイ・ウツロミの兄。しかり、うぬは知るべきだろう』
マルガレーテ自身の前にちょこんと座った使い魔の黒猫は、マルガレーテの声で語った。
『そもそもカンナヅキとは意思――それはまた、魂。カンナヅキは学習し、思考し、判断する。それは人を導くべく、人に造られし、人を超えた、神の知性。すなわちカンナヅキは、ある結論を導いた。魂とは、すべからく人格を備わりてあるべきものなり、と。人に造られしカンナヅキに人格というものはない。ゆえにカンナヅキは自ら導き出した結論に則り、人格を生み出すことにした』
カンナヅキは純然たる人工物、と聞いていた。
彼女の語ることが事実だとすると、人に造られたものが、人を創り出すということになる。
「そ、そんなことって……?」
トヲルは思わずかたわらのエルの方を見た。
帽子の目庇で光を避けつつ、彼は静かに応じる。
「……SFやIDなどといった技術を得たとはいえ、わしらは魂の全てを理解しておる訳ではない。人格を生み出す――およそ想像できん話じゃが、この期に及んで疑っても始まるまいて」
『カンナヅキの結論そのものに誤りはなかった。人格の生成も成し得た。が、もたらされた結果はカンナヅキの望んだものとはならなかった。人格と魂とは、本来不可分――新たに生み出された人格は、それ自体が、カンナヅキとは別の魂を備えていた』
「……人格をもたないカンナヅキが、自らのために人格を生み出したものの……結局それは別人になってしまった、ということでしょうか」
シェカールが頭の中を整理するように言葉をつむいだ。
「ならばその別人は、一体どこへ……?」
黒猫はゆらりと尻尾を揺らした。
『……それが我だ』
「え……」
『カンナヅキによって生み出された魂は肉体を得た。我は――マルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒは、そうして生まれた』
トヲルは黒猫の黒い影から、磔になっているマルガレーテの肢体へと視線を戻した。
カンナヅキによって生み出された人格と魂が、マルガレーテ――。
「マルガレーテは、カンナヅキの代理人じゃないって前に話してたけどさ……」
クロウが口を開く。
「確かに代理人どころじゃないよね。分身……って感じかな」
『カンナヅキと我は別個の存在だが、意思は極めて同一に近い。魂の遷移融合を成す我が術式ヘックスの研究は、カンナヅキに欠けし魂を宿らせるための研究だったとも言える』
アイカもマルガレーテの裸身を見上げた。
「……で、これがその研究の結果? あんたの魂が、IDごとカンナヅキに取り込まれようとしてるワケだ」
『違うな』
仔猫が短く否定する。
『確かに術式ヘックスの研究は成ったが、今カンナヅキに宿りしは、我が魂ではない』
「我が魂ではない――って」
「待ってくれ」
反射的にトヲルは会話を遮っていた。
「……ちゃんと……答えて欲しい。メイは、どこにいるんだ」
嫌な予感が胸に湧く。
黒猫はマルガレーテの声で告げた。
『はじめから……我が背後に見えておろう』
「ち、違う。それはカンナヅキだ、そう言ってただろ!」
自然とトヲルの声は震えたが、マルガレーテの声は揺るがない。
『カンナヅキにして〈ザ・ワン〉。これこそが、うぬの妹――メイ・ウツロミよ』
「嘘だ!」
叫んだトヲルは、両手で頭を抱えた。指に力を込めてもう一度叫ぶ。
「……嘘だッ!」
「そうよ、マルガレーテさん!」
アリスが声を張った。
「わたしはちゃんと覚えているもの。メイさんはきれいなお姉さんよ。わたし、メイさんと会わせるためにトヲルさんを連れて来たのだわ!」
黒猫はその場でこちらを振り返った。
『我が術式ヘックスは、魂の遷移を成す。魂は肉体の在り方へと差し響く。うぬら“人外種”とてそうしたものであろう。メイ・ウツロミのIDは、カンナヅキと同化したこの姿をもって〈ザ・ワン〉としての完成をみたのだ』
「……」
トヲルは食い縛った口から荒い息を漏らしながら、頭から下ろした両手を握り締めた。
次いでぎこちなく掌を広げる。
このまま消失の掌を――マルガレーテにかざすのだ。
何のために?
理由なんかまともに考えられない。
俺は――。
妹を――。
震える彼の掌を、別の指が絡めとった。
「……ったく、落ち着きなよ。トヲル」
トヲルの手をアイカが両手で包み込んでいる。
「ア……アイカ」
アイカは軽く微笑んだ。
「平気よ。忘れたの? あんた、ついさっき似たような状態のあたし達を助けたんだから」
「え……?」
アリスが必死な様子で跳びはねた。
「そ、そうだわ。トヲルさん、わたしの力を使うのよ。あの中にメイさんがいるのなら、それできっと会いに行けるわ!」
トヲルは唾を飲み込んだ。
「……“ヴォーパル”、か……!」
全身にこもっていた力が不意に抜ける。
そうだ。俺はまだ、先に進める。
黒猫は無言で尻尾を揺らしていた。
しばらく黙ってその様子を見ていたエルが、小さくうなずいた。
「ふむ……どうやらその手で間違いは無さそうじゃのう」
彼は帽子を取り、かたわらに立っていたゾーイに手渡した。
「ん? どうしたのであるか、エル」
「トヲル・ウツロミよ。わしも、おぬしが妹と出会えることを願っておる」
「エル?」
エルはインバネスを翻しながら黒猫の方へ歩み寄り、こちらに向き直った。
「……じゃが、わしはそれを阻止せねばならん」
「え……ッ?」
「先に行きたくば、わしを消して行け」
ばちり、と電撃の走る音がする。
逆光の中、エルの両目が青白く光った。
*
「ど、どういうことであるか、急に何の冗談なのである!」
慌てて帽子を振るゾーイに、エルは落ち着いた声音で答えた。
「……わしの中で確信に至ったのじゃよ。やはりこれが、ここまでの全てが、カンナヅキの意思じゃとな」
「な、何言ってんのよ?」
アイカも面食らったように言う。
「カンナヅキは人智を超えた存在じゃ。その意思に反して、いい結果がもたらされることはない」
「本気で……そう思っているのか?」
唖然とした様子のディアナ。
「……無論。でなければこれまでのわしはどうなる。わしはヤクモ機関を組織し、SFやIDといった技術を人々にもたらした。結果として人類文明は崩壊し、怪物にあふれた今の世界がある。それが間違いじゃったと、どうして認められよう」
エルは詰襟の襟元を緩めた。
「わしは、ロビン・バーンズと同じじゃ。カンナヅキの意思のもと、その代理人として新たな世界の秩序を作りあげた。あの男のやろうとしていたことと何ら変わらんじゃろう」
「それは……」
「むしろ、ロビン・バーンズよりたちが悪い。わしは自らをカンナヅキの代理人と思い込み、そうした世界の秩序を守ろうとしておったのじゃからのう」
エルは泣き笑いのような顔を向けた。
「わしこそが、騙りじゃったわ」
「ち、違う。エルは――」
「……“雷剣”」
エルは仕込み杖を抜き、青白い刀身を手に提げた。
トヲル達は思わず距離を取った。
「どうして俺と君がここで争わなきゃならないんだ! さっき、俺が妹と出会えることを願っているって言ってくれたじゃないか」
「本心はそうじゃな。じゃがカンナヅキは、おぬしの妹を取り込み〈ザ・ワン〉なる存在として、世界を変えようとしておる。それが、カンナヅキの意思じゃ。けじめじゃよ……わしは散々、勝手な判断で世界の管理者として振る舞ってきた。最期ばかりはきちんと、カンナヅキの意思を執行する代理人としてありたいのじゃ」
トヲルに向けて一歩踏み出す。
「それにおぬしと妹が生き別れたのも、もとを糺せばわしのその勝手な判断に責がある。わしは、おぬしにやられてしかるべき男じゃ。そうは思わんか」
「思わないッ! いいから剣を納めてくれ、エル!」
トヲルは逆光で表情の判然としないエルに呼びかける。
エルはわずかに顔を上に向けた。
「まだ竪琴の音が聞こえるのう……」
「エルッ!」
「どうした。来んのならば……わしから行くぞ」
インバネスが翻り、エルが滑るようにトヲルへ肉薄した。
薙ぎ払われる雷光。
「〈ザ・ヴォイド〉ッ!」
トヲルに届く前に、エルの刀身は消失した。
エルは仕込み杖を放り投げて跳躍している。
「“雷斧”ッ」
跳び後ろ回し蹴りが放たれる。その軌跡が電光となって空間を切り裂いた。
転がるように避けたトヲルの胸元が、焼け焦げている。ジャケットとシャツだけだ。
ぎりぎりで直撃を逃れていた。
トヲルは自らを透明化させる。相手が見えなくなれば、エルでも手出しできないだろう。
「“雷槌”ッ!」
そのトヲル目掛けて左手が振り下ろされる。
巨大な雷球が落ち、爆音が辺りを震わせた。後ろに跳んだトヲルは、その衝撃までは避けきれず背後の枝にぶつかって倒れ込んだ。
「血流を察知できる〈クイーン・オブ・ハート〉ほどではないが、わしの〈雷電〉も生体を流れる微弱な電流を知覚することができる――透明になっても無駄じゃ」
「……くッ」
手を着いて咄嗟に身を起こすトヲル。
だがその彼の顔前には、すでにエルが迫っていた。青白い光の帯を引くエルの瞳。
振りかぶった右拳の、手袋が電撃で爆ぜる。
「“雷鋒”」
雷光に輝く拳が至近距離でトヲルに放たれた。
「〈ザ・ヴォイド〉ォッ!」
両手をかざし、トヲルが叫ぶ。
ばちん。
「……!」
乾いた音がした。
電光の消失したエルの拳が、トヲルのかざした掌を打った音だった。
エルは片頬を歪めて笑った。
「ふむ。やはり……今のおぬしには、いくらわしとて敵いはせんか」
「も、もうやめてくれ、エル……どうかしてる」
荒い息を吐きながら、トヲルはそのまま尻もちを着いた。透明化を解除する。
「そうじゃな。もはやわしに拠り所となるものは無い……どうすれば良いかも分からんわ」
拳を引いてインバネスを払いやると、エルはその場に端座した。
「……わしは気が済んだ。ひと思いに消してくれ」
「だからそんなことできない!」
「トヲル・ウツロミよ、頼む。わしを救うと思え。こうでもせねば、わしはおぬしを妹のもとへ送り出してやれん」
エルは首を垂れた。
「……やめてよ、エル」
そのうなじへと後ろからおもむろに伸ばされる手――そこへ強い冷気が流れ込んだ。
「ぴぃやあああああッ!」
甲高い悲鳴をあげてエルはうなじを抑えつつ後ろを振り返った。
「な、何をするんじゃ! シェカール・ロックッ!」
「どうです、冷たいでしょう。頭が冷えましたか?」
シェカールがエルを見下ろしていた。
「子どもの悪戯じみた真似をするでない!」
シェカールは眼鏡を外し、ハンカチでレンズを拭った。
「ええ。事実、子どもが駄々をこねているようですよ、機関長。アリスさんにも呆れられてしまいます」
「何……」
「私はかつて、とある城塞都市の兵団兵士でした。作戦中、怪物による襲撃を受けて部隊は多大な損害を受けた。私はと言えば、襲撃に怯み、ただ逃げ出した。自分の命は繋いだが、それ以上兵士を続けることは出来なくなりました」
レンズを拭う手元に視線を落とし、シェカールは言う。
「そうして私はヤクモ機関に拾われました。こんな私でもまだ役に立つ場があると――私にとっては、ヤクモ機関こそが拠り所です。文明が崩壊した世界の秩序を、ヤクモ機関は守り続けてきた。そのヤクモ機関をこれまで立派に率いていたのがあなたではないですか。カンナヅキの意思とやらの有無など、一体何だというのですか?」
「それはわしが……勝手な判断を……」
シェカールは眼鏡をかけ直して、真っ直ぐにエルを見た。
「あなたが機関長としてその責任を負う覚悟で、正しいと思って自らくだした判断です。カンナヅキの意思に従うより、遥かに価値のある判断ではないですか。今さら何を臆することがあるのです」
「……」
「まったくである」
指先でくるくる帽子を回しながら、ゾーイが歩み寄って来る。
「ゾーイだって、ヤクモ機関の一員として今まで自分のしてきたことが間違いだったなんて思いたくないのである。騙りなんかじゃなくて、ヤクモ機関の機関長はエル。おまえ以外に世界の管理者なんて背負えないのであるよ。いきなりここで仕事を放り出されても迷惑なのである」
アイカも腰に手を当ててため息交じりに言った。
「……何つうか、あんたは確かにいけ好かないじいさんだけど、世界にはいけすかないヤツってのが必要なの。大切なポジションなんだから、しっかりしてくんなきゃ困んのよ」
毒気を抜かれたように、エルは機関員達を見上げている。
「シェカール・ロックはともかく……おぬしら、他に言いようは無いのか」
「何よ。ちゃんとフォローしてやってんじゃん」
「そうである、感謝しろ」
ゾーイが乱暴に帽子をエルの頭に押し込んだ。
トヲルはほっとしたように口元をほころばせた。
「カンナヅキの意思なんか関係ないんだよ。エルの意思だ。君自身の意思がやり抜いてきたことだ」
そう言う彼を、エルが見つめている。
「君は俺達のことを勇者だって言ってくれたけど、それなら君だってそうだよ。誇りを抱き、胸を張るんだ」
それはかつて、エルがトヲルに投げかけた言葉だった。
「これは堪らん……負うた子に教えられるとは、このことじゃな」
およそ見た目とそぐわない言葉をつぶやいて、エルは帽子の陰で小さく口元を震わせた。
つづく
次回「第70話 魔女の目的を知った俺が、妹に会いに行く話。」
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