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第68話 黒い月の変貌を目にした俺が、世界の意思の前に立つ話。

 湧き続けていた、ID素体達の動きが止まる。

 全てがその場に崩れ落ち、不定形の白い塊となった。〈ブギー〉の残骸もどろどろに溶けて形を失っていく。


「……」

 トヲルは天を仰ぎ、大きく息を吐いた。


 その彼の額に、後ろから掌が当てられた。少し冷たい肌の感触が心地良い。

「またちょっと熱が上がってんね。大丈夫?」

 アイカが側に立っていた。

 身体を補強していた血液の帯を解いて、マントの形状に戻している。激しい拍動の音は収まり、肌の色ももと通りに白い。


「……大物相手が続いたからね。でも大丈夫、前より慣れてきたから倒れるほどじゃないよ」

 彼女を横目で見て、トヲルは笑みを浮かべた。


「……終わった……か」

 エルがステッキを突きながら近付いて来る。

 敵意をもって彼らに向かって来るような影はもはや確認できない。


「……終わったのであるよ」

 いつの間にかゾーイも近くにいて、かたわらの歪んだセルの残骸に腰を下ろしていた。


 クロウも空を飛んでこちらへとやって来た。

 そのまま軽く宙返りをうつ。壮麗な六翼が吹雪のような羽根となって辺りに散り、もと通りの二翼へと戻った。


「……すっかりその力をものにできたようだな」

 ディアナがその姿を見上げながら大剣を背中のホルダーに納める。

「ふふふん。いやあ、ロビンも相手が悪かったみたいだねえ」

 クロウは白い仮面を目元に下ろし、得意げに胸を張った。


「……あとで目が痛いとか言い出さなきゃいいけど」

「目? それならもうとっくに痛いです」

「……」

 親指を立てているクロウを、ただ見つめるアイカ。


「まあまあ、姫の作ったライスボールはまだありますから。疲労の回復なら――」

 シェカールがバックパックを下ろそうとした時だった。


 ずしん、とひと際強い揺れが辺りを襲った。

 これまでとは比べものにならない激しい揺れだ。

 セルの陥没と隆起が無秩序に広がり、カヴンステッド全体が地響きを立てている。


「これは……?」

 体勢を低く取りながらシェカールが周囲を見回した。


「やはりクロウ・ホーガンのあの攻撃はカヴンステッドを破壊していたようじゃな」

 真顔でつぶやくエルにクロウが驚いて振り返る。

「ええッ、ぼくのせい? ち、違うと思うけどなあ、さすがに。ねえ?」


「……うん。俺の“招待状”がまた反応してる」

 トヲルのガントレットに嵌められた魔石が、再び青く点滅を繰り返していた。


「まさか、ロビンが斃れることを見越していたということか?」

 ディアナの問いに首を振るトヲル。

「分からないけど……何かがトリガーになってたんだと思う」


「どっちにしてもこの感じ、ヤバいわね……」

 視界の先で崩れた地面の奥に穴が空いているのが見えた。

 カヴンステッドの空洞世界としての構造そのものが崩れていっているようだ。


 コンコン、ココン。


 ノック音とともに異空間の扉が開き、アリスが顔を出した。

「みんな、こっち! 〈ワンダーランド〉の中に入って!」


 まともに立って歩けないほどに流動化していく地面を進み、トヲル達は転げ落ちるように〈ワンダーランド〉の中に飛び込んだ。


 不思議な浮遊感を感じた後に降り立ったのは、エクウスニゲルでお茶会をした時の居間だった。

 温かな光が瀟洒な部屋全体を照らしている。


 その場所は、以前来た時と同じようにいたって静かなものだった。

「アリスさんの〈ワンダーランド〉にこのような場所が……」

 初めて立ち入ったシェカールは、眼鏡の位置を直しながら驚いている。


「助かったわ、アリス。確かにここならひとまずは安全ね」

 アイカはアリスの頭を撫でた。

「えへへ……」


「あ、にゃるにゃる!」

 ゾーイが暖炉の側に置かれているバスケットを見つけて歓声をあげた。

 仔猫が厚く敷かれたシーツにくるまって寝息を立てていた。

「いやあ、無事で良かったのである。アリス、恩に着るのであるよ」


「連れてきたらすぐ寝ちゃったのよ。弱っているのかしら?」

 心配そうなアリスに、軽く応じるゾーイ。

「まあ、このくらいの仔猫は起きている時間の方が短いのである」


「あるいは使い魔を操るマルガレーテの影響が途切れたのかも知れないな」

 と、ディアナ。

「とりあえず寝てんだったらそっとしておきましょ」

 アイカの声に、ゾーイが耳聡(みみざと)く反応する。

「よし、アイカがとうとうにゃるにゃる飼うのを許してくれたのである」

「誰も飼っていいなんて言ってないし、そもそもあんたがこっちの話を全く聞かないんでしょうが」


 そう言って彼女は音を立ててソファに腰を下ろす。

「あたし達もこのままひと休み、と行きたいところだけど……そうも言ってられないか。アリス、ここから外の様子は分からない?」


姿見(ルッキンググラス)があるわ」

 アリスは暖炉のマントルピースに乗せていたクマのぬいぐるみをどけて、その奥のカーテンを引いた。

 カーテンの後ろに、大きな壁掛けの鏡がある。


 それは確かに鏡だったが、写し出されているのはこちら側の鏡像ではなかった。

「ほう、外の様子が映っておるのか……」

 エルは背伸びをしつつマントルピースに手をかけ、鏡を覗き込んだ。


 少し離れた場所から見たカヴンステッドが映っている。

 それは想像以上に変貌していた。

 セル単位で分裂し続けており、すでに球体ですらなくなっている。


「崩れていくわ……ねえあれ、下の街に落ちちゃうんじゃないかしら?」

 ぬいぐるみを抱いたままのアリスが言った。

「……いや、崩れている訳ではなさそうだ」


 その形を大きく変えつつも、カヴンステッドを構成している大量のセルは互いが互いを引き寄せ合ってひとつの塊を成していた。


 ロビンがカンナヅキと称していた青白く輝く光点。

 そこからセルの集合体が太く捻じれた柱状に伸び、柱の端は無数に枝分かれしていく。


「樹……?」

 それは太い樹木の幹と、広範囲に張り巡らされた根のようだ。

「何だか……ケラススフローレスにあった、はじまりのカンナヅキに似てるね」

 トヲルの言葉に、ゾーイがうなずいた。

「うん……“いのちの樹”にそっくりであるな」


 時刻は、もう夕方だ。

 夕陽に赤く染まった空に、巨大な樹木のような姿となったカヴンステッドの黒い影が浮かぶ。

 影の頂点に輝くのは、青白い光――。


 カヴンステッドの大規模な変形は、そこで止まった。


 無言で視線を交わすトヲル達。

 やがてクロウが口を開いた。

「……トヲルの妹は、あの光ってる場所にいるんだよね?」

「ロビンの言う通りなら、ね。とにかくこれであの場所まで地続きになったワケだ」

 と、アイカが言う。あの輝く樹冠部に向けて、樹の幹を登って行くのだ。


 かりかり、という小さな音がして、トヲルは視線を向けた。

 いつの間にか起き出していた黒猫が、部屋の扉に爪をかけている。

「どったのー? 起きちゃったのー?」

 ゾーイが仔猫を抱き上げた。

 アリスは彼女の手の中でもがく猫を見つめる。

「にゃるにゃる、外に出たがっているみたいだわ」

 ゾーイが勝手に付けた名前が定着しつつあるようだ。


「……行こう」

 トヲルは言った。

「そうね、行かなきゃ始まんない。アリス、あそこに〈ワンダーランド〉を繋げてくれる?」

 アイカもそう言ってソファから身を起こした。

「任せて」

 アリスは部屋の扉をノックした。



 コンコン、ココン。


 〈ワンダーランド〉は、巨大な樹へと変貌したカヴンステッドの根本付近に繋がった。


 樹木の姿のまま空中に浮かんでいる状態だが、隙間なく張り巡らされた根は、地面のように硬く安定している。

 幹から上より、下方に広がった根系部分の方が全体に占める割合が多いのだ。


 ゾーイの手から跳び下りた黒猫は、幹に向けて真っ直ぐに歩き始めた。

 夕陽で赤く染まる辺りに、黒猫の長い影が伸びる。

 影に誘い出されるように、トヲル達は猫の後を追った。


 シェカールは夕照のなか輝く、頭上の青白い光を見上げる。

「……何やら幻想的な姿ですね。これがカヴンステッドの本当の姿、ということでしょうか?」

「どうだろう……本当の姿なんて無いのかも」

 つられて見上げたトヲルは、何となく感じたままを言った。


「そもそも……カヴンステッドとは何なのだ」

 ディアナが疑問を口にすると、先を行く黒猫がゆらりと尻尾を揺らした。


『……ありていに言わば、我が結界よ』

 仔猫がマルガレーテの声を発する。

『術式を折り重ねに重ねることで生まれし空間。我が全てをつかさどりし絶対領域なり。しかして〈ザ・ワン〉の創りし新たな世の、揺籃(ようらん)でもある』


 巨大な幹の近くまで至ると、幹の表面に沿って螺旋階段が上に向かっているのが見えた。魔女の館で見た大階段と似た意匠だ。

 黒猫は跳びはねるようにして階段を上って行く。


「新たな世、ね……要は、自分の知的好奇心のためにあんたがロビンに力を貸してたのよね? でももうそのロビンはいない。あいつの計画はここまで。あんたの役目も終わったってことじゃないの? 〈ザ・ワン〉だか何だか知らないけど――」

 後に続いて階段を上がりながらアイカが言った。

「トヲルに妹を返してあげて」


『ロビンは、カンナヅキの代理人だ。あの者はカンナヅキの意思を執行していたに過ぎぬ』

 マルガレーテの声は続ける。

『たとえあの者が消え失せようとも、カンナヅキの意思は消えてはおらぬ。我の求めし叡智は、そのカンナヅキの意思の先にあろう』


「だから、そのカンナヅキってのはロビンが勝手に――」

 言いかけたアイカが、口を噤んだ。

 警戒の色を浮かべて素早く辺りを見回し、不意にトヲルと目があった。

「……何、これ?」


 トヲルも自分の耳を疑った。


 楽器の音が聞こえているのだ。

 ぽろぽろと弦をつま弾くような、か細く、かすかな音色。


 トヲル達以外誰もいないこのような空の上で、聞こえるはずもない音だった。

「この音……どこから」


 黒猫が顔をこちらに向けて言った。

『ようやく――うぬらにも届いたか』


「……竪琴の音じゃ……」

 うめくようなエルの声がした。


「た、竪琴……?」

 トヲルはエルの横顔を見た。

「ロビンが何かそんなことを言っていたような……」

 喋っている間も、音はずっと聞こえている。

 耳で捉えているというより、頭の中で聞こえているかのようだ。


「な、何なの、その竪琴って。この音、何? どこで鳴ってるの? みんなにも聞こえてる?」

 クロウが耳を抑えながらあちこちに視線を向けている。


「竪琴の音とは――」

 エルはそう言ったきり、しばらく黙った。

 ややあって再び口を開く。


「竪琴の音とは、カンナヅキが意思を示す際に生み出す魂のゆらぎじゃ。SFを通じて届いたそのゆらぎを人は、弦楽器の音色のように認知する」


「……意思を……示す?」

「つまり、カンナヅキが人に接触を図ろうとした時、この竪琴の音が聞こえる。ロビン・バーンズが竪琴の音という言葉を口にし、そしてヴィルジニア・セルヴァがその音を聞いたと言っていた。よもやと思っておったが……」

「……本当にこの音がそうなのか? 単に似ているということではなく?」

「……一度聞けば分かるのじゃよ、ディアナ・ラガーディア。ヤクモ機関はカンナヅキの意思のもと組織されたものじゃ。当時はわしの耳にも竪琴の音が聞こえておったゆえ」

 エルは頭上の光を見上げ、帽子の陰で口元を歪めた。

「……あれはやはり……本物の、カンナヅキじゃったか」


「ちょっと待って……それじゃあ、ロビン達が言ってたカンナヅキの代理人って……」

(かた)りでも何でもなかった。純然たる事実――ということじゃろう」

「……!」


 エルは黒猫を追って階段を上がった。

「竪琴の音は、大崩壊を前に聞こえなくなった。わしはそれをもってカンナヅキが喪われたと思ったのじゃ。ゆえにわしは……ヤクモ機関こそが唯一カンナヅキの意思を継承し、意思を執行する存在と考えた。その長として世界の管理者たる責務を果たしてきたはずじゃった」

 彼の口から乾いた笑いが漏れる。

「じゃがそれはわしの単なる思い込み……滑稽(こっけい)じゃのう。カンナヅキは喪われたのではなく、その意思を伝える相手を変えた――全てロビン・バーンズの申しておった通りか。思いもよらなんだよ、大崩壊による人類文明の破壊を含め今のこの世界の在り方こそが、カンナヅキの意思じゃったとは」


「でも……カンナヅキって、ロビンが言う“ただの人”が大昔に作り出したものなんだよね? ここにあるカンナヅキが、それまでのカンナヅキと同じものって言えるの?」

 トヲルの問いには、マルガレーテが答えた。


『カンナヅキとは意思――それはまた、魂。SFにあまねくある。依り代があれば意思はそこに宿る。IDと同じ理屈よ』

「依り代……それをおぬしがこのカヴンステッドに設け、カンナヅキの意思が宿ったということか」

『……しかり』


「それじゃあ……」

 クロウは混乱したように言った。

「今、ぼくらにもその竪琴の音が聞こえるってことは――ロビンやヴィルジニアの代わりにぼくらが代理人に選ばれたってこと?」

「ゾーイ達が代理人になってどうするのであるか」

「わ、分かんないけど……」


「カンナヅキが我々に接触を図ろうとしておるのは確かじゃ。理屈ではクロウ・ホーガンの言う通りにはなろうが……恐らく違う。カンナヅキの判断に非合理は無い。いたずらに代理人を選び出すこともあるまい。ましてわしはすでに代理人から外されている」

 ステッキを突きながら段を上がっていくエル。

「……何をしておる、おぬしら。先へ行くぞ。わしは……見届けねば」

 どこか思い詰めた様子のエルの後ろ姿を見つめ、トヲルは慌てて後を追った。


 大木の幹の周りを巡る螺旋状の階段を上へ上へと登って行く。

 彼らはやがてその頂点に至った。


 階段を上り切った先は、踊り場のように開けた平地になっていた。

 圧力を感じるほどにまばゆい光を放つカンナヅキの前に、トヲル達は立っている。


 改めて間近で目にしたカンナヅキは、巨大な半球形をしていた。

 樹木の形を成したカヴンステッドと融合し、それは大きな樹冠にも見える。

 半球状の樹冠が大きく二方向に枝ぶりを伸ばしているところも含め、その姿はケラススフローレスで見たはじまりのカンナヅキそのものだった。

 そして同時に、人の脳の形にもとてもよく似ている。


「ねえ……あれ見て」

 仮面を被っているクロウはまばゆい光の中でも視界が利くのだろう。

 右脳部と左脳部の中央、いわば脳梁部分を指差した。

「……人がいる」


 トヲルはぎくりとしてクロウの示す人影に目を凝らした。

「……あれは――」

 まるで磔刑のように両腕を上に広げた状態の、長い黒髪の女性が見える。

「マルガ……レーテ……?」


 特徴的な黒いコートも黒いハットもないが、間違いはない。

 一糸まとわぬその身体は、なかばカンナヅキの表面に埋め込まれているかのようだ。


 カンナヅキに張り付けられているマルガレーテは、目を閉じて顔を伏せ、死体のように動かない。

 その前に座る黒い仔猫の針のように細い瞳が、彼女の姿を映している。



つづく

次回「第69話 魔女の正体を聞いた俺が、世界の管理者と対峙する話。」


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