第66話 鬼火と出会った俺が、消失の手を創造主に向ける話。
トヲルを乗せて、ジャックの駆る首無し馬が暗闇を速歩で進む。
「……余が封じたレッドドラゴンを、そなたらが退治してくれたのだったね。ありがとう、感謝するよ」
ジャックの言葉に、トヲルは気になっていたことを思い切って尋ねた。
「俺は……そのレッドドラゴンを封じる時にジャックさんが亡くなったって聞きました。一体あなたは何者なんですか?」
彼は笑った。
「余がジャック本人ではないと疑っているのかな」
「いや、それは別に……」
こんな異様な場所でわざわざ故人になりすます理由など考えられない。
「そなたの聞いたことに間違いはないよ。余は“タマシズメ”なる技をもってレッドドラゴンの魂を封じてみせた。しかしその代償として、余は自らの生命力を使い果たしてしまったのだ。余の特性〈タマタマルタマ〉とは、命と引き換えに魂を操るという能力だからね」
ジャックは続けた。
「もっとも――自らの魂に関しては、その限りではない」
「え……?」
「代償を伴わない、ということだよ。余の魂を余自身が操るのだ、当然といえば当然の話だね。余のIDが生命活動を停止して魂ごと死を迎える前に、余は自らの魂を肉体から切り離し、逃がした」
「逃がしたって……一体どこに?」
ジャックは少し顔を上に向けた。
「魂のゆらぐ世界――いわゆる、ソウル・フラクチュエーション空間だよ」
ソウル・フラクチュエーション――通称SF。
魂のゆらぎという、不滅の力を利用した万能技術。ヤクモ機関――カンナヅキがもたらしたその技術は、全世界のインフラとなった。
SF空間という言い回しはよく使われるが、本当にこのような広大な空間が広がっているとは。
魂のみをSF空間に――。
「でも……例えそんなことができたとしても、魂だけでは人は自我を保つことができないって……」
同じような話をロビンから聞いたばかりだ。
「確かにそういうものかも知れないな。しかし言っただろう、余の特性〈タマタマルタマ〉は魂を操る能力だ。肉体が無くても、余の魂は余として存在し続けることができる」
ジャックはあっけらかんとした様子で言った。
「逆に言えば肉体を失った余は、もう新たに特性を発現することはできない。特性とは、魂とIDが結びついて生まれるものだからね。余は何もできないまま、ただSF空間をさまよう亡霊と化している訳だ」
規則正しい蹄の音が耳を打つ。
「ど、どうしてそこまでしてこの場所に……」
「愚問だね。後に残していくアリスのことが気掛かりだったからに決まっているではないか。あの子は七歳のまま永遠に歳を取ることがない〈ナイトメア〉。もはや余から彼女に何をしてやることもできはしないが、せめてそばで見守ってあげたかった」
「……」
ジャックの気持ちはトヲルにも何となく分かる。
妹をもつ兄同士なのだ。
「アリスの〈ワンダーランド〉には、SF空間からも入ることができるのか……」
トヲルのつぶやきを耳にしたジャックは少し考えた様子の後、言った。
「うむ……というより今いるここが、すなわちSF空間だ」
「この暗闇が……」
トヲルは周囲の闇を見回した。
「……SF空間?」
「暗闇なのはそなたの魂が今もIDと繋がっているからだろう。SF空間とは本来、人の立ち入るような場所ではないからね。あの世――と言ってもいいのかも知れない」
ジャックは器用に手綱を操っている。
「あの世……って、ここはアリスが〈ワンダーランド〉で作った異空間じゃないんですか?」
「そもそも彼女の特性の本質は、異空間を操ることなどではないのだよ。〈ワンダーランド〉とは、SF空間に直接干渉することができる能力だ」
「SF空間に、直接干渉……」
小ぶりなキッチンナイフ一本で異空間への裂け目を切り開いた姿を思い浮かべる。
「SF空間とは、あらゆる魂がゆらぐ場。SF空間に干渉できるということは、あらゆる魂に干渉できるということでもある。幼い彼女にはおよそ強大すぎる力だと思うよ」
強大には違いない。だが、トヲルにはまるで想像が追い付かなかった。
それこそ夢の世界の話のようだ。
「ゆえに余は“ヴォーパル”という名のもとに彼女の力を制限させた。異空間を作り出し、その異空間を使って遠隔地へ移動したりするような技は、本来の力が制限されたうえで派生したものだ。それでも充分、彼女の役には立っていただろう。“ヴォーパル”として禁じられていた力は、別にアリスにとっても必要のないものだったと思うよ」
それをあの子はあえて禁を破ったのだ、とジャックは少し嬉しそうに言った。
「そなたと、そなたの輩のためにね。魂に直接干渉する〈ワンダーランド〉……無論、それはロビン・バーンズの魂も例外ではない。確かにかの者に取り込まれてしまったそなたの輩を救うには、この方法しか無かったかも知れないよ」
トヲルは不意に顔を俯けた。
「俺は……またみんなを巻き込んでしまった。レッドドラゴンの時もそうだ。俺は、自分が妹に会いたいだけの一心で、みんなに無理を強いて……自分ではどうにもならない事態を作ってしまうんだ」
ジャックは手綱を引いて馬の足を緩めると、トヲルに言った。
「それが、どうかしたのかな」
思わずジャックを見上げるトヲル。
「……え?」
「そなたは、よもやいかなる事態をもおのれでどうにかできるとでも考えているのか?」
「それは――」
「それは、驕りというものだよ。人ひとりの力などたかが知れている。たとえそれが見知らぬ誰かであったとしても、ひとりではないからこそ人は強いのだ。現に余が封印することしかできなかったレッドドラゴンを、そなたが倒してみせたのではなかったか」
ジャックは厳しい目をトヲルに向けている。
「まして輩なのだろう、心から助けを求めるといい。大いに頼りなさい。それを苦痛に感じるような者達が、なにゆえそなたのそばにいてくれるのだ。そばにいてくれる者達をなにゆえそなたが軽んじるのだ」
「……!」
「気を確かにもちなさい。そなたが口にした苦衷はそなたの動揺が作り出した錯覚にすぎない。そうだろう? 大切な輩を軽んじるような者が、彼らを助けるためにこんな場所にいるはずがないのだから」
トヲルはジャックの厳しい目を、しばらく見返して言った。
「……ごめんなさい。俺がここで落ち込んでいる所を見られたら、きっとみんなにも怒られた気がします」
「違いない。束の間、この場でそなたを手助けしている他ならぬ余ですら、少し腹が立ったよ」
ジャックは表情を緩めて、トヲルの頭に軽く片手を置いた。
「トヲル、ランタンを上に掲げてくれ」
言われるままに手にしたランタンを持ち上げる。オレンジ色の光は帯を引いてたゆとい、蛍の群れのように暗闇の奥へと流れていく。
「そなたの心が灯と結びついてしるべとなっている……」
あの光の向かう先に、アイカ達がいるのだろうか。
「……トヲル、アリスの“ヴォーパル”について、もうひとつ伝えておくべきことがある」
光の帯を目で追いながら、ジャックは言った。
「マルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒも、“ヴォーパル”のことを知っているのだ」
――わたしのお兄さんもマルガレーテさんも、この合言葉を使ってはいけないと言っていたわ。
確かにアリスは、そう言っていた。
「マルガレーテはその上で、ずっとアリスをそばに置いていた。アリスの異空間を使った移動能力を有用なものとしていたことは確かだろうが、他に思惑があろうことは否定できない」
「そしてその思惑は、ロビン達とは異なっている……」
ロビンの目指す理想の世界――新たなる創世に、アリスの力は必要とされていない。その証拠に、ロビンはアリスを排除しようとしていた。
ジャックは小さくうなずく。
「そうだ。アリスのことが気掛かりだが、私はもはやここで見ていることしかできない。いかにも無力だ。だがこうしてそなたと巡り合えたのも何かの縁だと思っている。トヲル……我が妹のこと、これからも頼めるだろうか?」
「それはもちろん。ジャックさんがずっと見守っていたことも伝えます」
そう言うと、彼は首を振った。
「ありがとう。だが、その必要はない。彼女にとって兄は、おぼろげな思い出のままでいいのだ」
「でも――」
「……彼女はまだ七歳だ。そして七歳のまま成長しないのだよ。せめてその思い出は、楽しいもので満たされていて欲しい。兄との別れを、今また上書きするのは忍びない」
ジャックは橙色の瞳を伏せて続ける。
「それに、余はこうも考えている。魂によってIDは少なからず変わる。充実した日々を過ごしていれば、〈ナイトメア〉も八歳になれる日が来るかもしれない。そうして彼女の思い出のかさが増えたなら、その時は余の思い出が増えても彼女の笑顔が曇ることは無いかもしれない、とね。そなたらといれば、それが叶う気もするのだ。……はて余は、兄馬鹿が過ぎるだろうか?」
アリスはもっと強いんじゃないか、とトヲルは感じている。
今のままでも、彼女はジャックとの別れを受け入れたうえで笑顔になれるんじゃないか。
トヲルは少し言葉に詰まった後、微笑んで言った。
「……いや、兄としては普通だと思います」
「そうか……そうだな、確かに普通だ。ならば良いか」
ジャックも歯を見せて愉快そうに笑った。
*
「……夢でも見ていたのか……?」
低く唸る笛のような風の音に、ロビンの低い声が響く。
地面にうずくまるトヲルの紅いマントが、風に揺れていた。
トヲルの周囲を、ID素体の白い群れが取り囲んでいる。
紅いマントに包まれたまま、トヲルがもぞりと身を起こした。
「……私の隙を突いてアリスがお主に何かをさせようとしていたようにも見えたが……結局そこで倒れたまま動かぬとは、それはそれでいささか意表を突かれた」
ロビンの虚ろな眼窩が、その姿を見下ろしていた。
そこは巨大な骨格が天を覆い、無数のID素体が地を埋め尽くすカヴンステッドの荒野。
トヲル以外の全員がロビンに吞み込まれた場所。
「……倒れた……? 俺は……」
トヲルの顔が呆然とした様子で、ロビンの髑髏に向けられる。
「……取り越し苦労だったか」
ため息のように、髑髏の口元で風が鳴った。
ゆっくりと持ち上げられた右手が、トヲルに向かって振り下ろされる。
「これで終いだ。お主も他の者どもの後を追うがいい」
迫る巨大な掌をただ見上げるだけのトヲル――。
次の瞬間、その表情が変化した。
口の端が吊り上がり、
「いやあ――」
舌を見せて、笑顔になる。
「あんな暗い場所、二度と勘弁なのである」
「ッ!」
ロビンの動きが止まった。
風に翻る紅いマントの下、白い振袖に瑠璃色の袴を身にまとっている。
振袖の袂から白く細長い布を取り出して、頭部に巻きつける。解かれた白い布の下から現れたのは、さらさらの黒髪に浅黒い肌の女性。
「……トヲルだと思った? 残念、ゾーイなのである!」
そこにいたのはトヲルではなく――彼に成りすましたゾーイだった。
「……」
絶句しているロビンの視界の中で、ゾーイから紅いマントが外れて宙に舞う。
空中を流れた紅いマントを掴む細い腕。
そこから滲み出るように姿を現したのは、アイカだ。
不機嫌そうな顔でマントを肩にかけると、長い金髪を指で後ろにかきやった。
マントに合わせてインバネスが風になびく。
小柄なエルが、アイカの隣でステッキを手に立っていた。
「お主ら……どこから……」
ロビンのつぶやきをよそに、エルのかたわらにシェカールの長身が現れた。
スーツのネクタイを直し、眼鏡のブリッジに指を当てる彼の頭上から、舞い降りる白い羽根。
広げた純白の翼を折り畳みながら、背を伸ばすクロウの黒髪が揺れた。
やおら抜き放った太刀を肩に担ぐ。
さらにその隣で、大剣が深々と地面に突き刺さった。
柄頭に両手を乗せ、仁王立ちになるディアナ。軽く首を振って銀髪を後ろに流す。
「馬鹿な、我が〈レギオン〉から逃れ出たとでも言うのか……!」
「ま、そういうことね」
平然と告げるアイカの声。
「……おのれ、どうやって……いつの間にッ!」
「またぞろ不意打ち一発で呑み込まれちゃ堪んないからさ、あんたの注意を引くためにちょっとしたサプライズかましちゃった。そういやあんたは知らないんだっけ? 〈インヴィジブルフォーク〉ってのは――」
アイカは不機嫌そうな顔のまま、口元だけ笑みを浮かべた。
「自分以外も透明にできんのよ」
トヲルの姿が、アイカの目の前に現れた。
すでに両手をロビンに向けてかざしている。
「おのれ……ッ! おのれえええ――」
「〈ザ・ヴォイド〉ッ!」
トヲルが叫ぶと同時に、頭上を覆い尽くしていた巨大な骨格が――消失した。
笛のように鳴っていた風の音もそこで絶える。
「……」
大きく息をついて両膝に手をついたトヲルの背中を、アイカがぽんぽんと軽く叩く。
「お疲れ」
「……うん」
トヲルは泣き笑いのような顔で彼女を見返した。
変わらないアイカの姿にほっとする。
かなり長い時間SF空間にいたような気がする。だが先ほどのロビンの様子からするとこちら側ではほとんど時間が経っていないようだった。魂の空間では時間の流れ方が違うのかも知れない。
「良かった……」
アリスが、エプロンドレスの前を握り締めたままそこに立ち尽くしていた。
「みんな……戻って来た……」
ディアナが胸元からハンカチを取り出して、アリスの前にしゃがみ込んだ。
「……きみがトヲルをわたし達の所へ連れて来てくれたのだな。よく頑張った、ありがとう」
「うう……」
しゃくりあげるアリスの目元と鼻をハンカチで拭ってやりながら優しく微笑んだ。
「心配をかけてすまなかった、だがもう大丈夫だ。さあ、綺麗にしよう。きみはとても素敵なレディなのだから」
アリスはハンカチを顔に当てたままこくこくとうなずいた。
「……やれやれ……わしとしたことが、ぬかったものよ。ヤクモ機関長として、つくづく情けないものじゃ」
エルが帽子に手をかけて小さく息をついた。
「全く恥ずかしい限りです。わざわざ勇者に同行しておきながら目の前で不覚を取るとは。二度と同じ轍を踏むわけにはいきません」
そう言ってシェカールは遠くに目を向けた。
その目線の先を、クロウも眺めやっている。
「そうだねえ……まあ、これから挽回することにしようよ」
彼らが見つめる先に、山のように盛り上がっていく白い塊がある。
巨大な骨格の姿を成し、頭部の眼窩が、緋色の光を放つ。
「無限の自我、だっけ。当然、復活してくるわよね」
「……しかしあらためて大きいのであるなあ。あれがロビンだと聞いてびっくりしたのである」
アイカの横で、ゾーイが淡々とした声を漏らす。
巨大な骨は一体だけでは無かった。二体、三体と、新たな白い塊が盛り上がっては視界を埋めていく。
「ふむ。正念場かのう」
エルが帽子の陰で不敵に笑った。
ディアナも精悍な笑みを浮かべてトヲルを見やる。
「……逆襲の時間だな」
トヲルは黙ってうなずいた。
一陣の風が、並んで立つ彼らの間を吹き抜ける。
つづく
次回「第67話 仲間と再会した俺が、創造主に反撃する話。」
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