第63話 創造主の目的を知った俺が、妹の居場所を知る話。
呆気に取られているトヲル達の中で、最初に口を開いたのはエルだった。
「創造主とは……随分と大それたことを吐かすものよ。おのれで口にしていて気付かんのか? おぬしとて特性〈レガトゥス・レギオニス〉をもつIDじゃろうて」
「……そうだな。ただの人は、ただの人であるがゆえにそうならざるを得なかった」
広げた腕を戻し、ロビンは軽くうなずいた。
「人は、理想を求めてやまぬ。カンナヅキに答えを求め、IDという答えを得てもなお、それが理想の世界だと確信には至らなかった。その確信を得ることができるまで、ただの人は肉体を捨て、SFという魂の海原から世界を観察し続けることにした」
「肉体を得ず、魂のままでいることを選んだということですか? そんなことが可能とは思えませんが……」
シェカールが言うと、ロビンは答えた。
「結論としては――不可能だった。確かに肉体という“枷”をもたぬ魂に寿命は無い。だがそれは同時に肉体という“器”すらもたぬということ。広大無辺なSFという場において、器無きただの人の魂は固有の自我を保ち続けることができなかった。寿命は無くとも、長い年月を経るうちに人の自我は崩壊していったのだ」
彼は自分の掌に目を落とす。
「皮肉にも、自我の崩壊の歯止めとなったのはIDという肉体だった。ひとつのID素体を依り所として、ただの人の魂は溶け合うようにひとつに収束した。特性〈レガトゥス・レギオニス〉という無限の自我を操る能力はそれが由来と考えてもいいだろう。つまり、それが私――ロビン・バーンズだ」
「……それじゃあんたは、あんたの言う“ただの人”として、この世界をずっと観察してたって言いたいワケ?」
アイカがその紅い瞳を眇めた。
「そういうことだ。特性〈レガトゥス・レギオニス〉によって常に新たなIDへ自我を移して行けば、人外種ならずともそれは不老不死と変わらないからな」
ロビンは大階段の踊り場から一段、踏み下りた。
「しこうして観察を続けていくうちに、予期していた通り、カンナヅキはその考えを改めた。かつて示した道は、誤っていた。今のこの世界は、あるべき姿ではない。全てを破棄し、元へ戻さなくてはならない――カンナヅキはそう判断したのだ」
自ら生み出した世界の在り方を、自らで壊す――。
カンナヅキの自己矛盾は、ロビンにとっては些末な問題らしい。
「カンナヅキとは、意思。自ら学び、進化していくのだ。より良い答えを求めんとするは進化の表れよ。いたずらにかつての考えに固執していては、先に進むことなどできはしまい? それが理想へと続く道ならば、私はカンナヅキの代理人として、その意思を実行するだけだ。そしてそれをなしうるのが、全知全能の特性〈ザ・ワン〉なのだ」
エルはステッキで床を突いて、小さくため息をついた。
その吐息に小さく電撃が奔る。
「それがおぬしの行動原理か……いずれにせよ、それがこの世界の秩序を破壊することに繋がるのであれば、わしはここでおぬしを討つ。それが世界の管理者たる、ヤクモ機関の役目じゃ」
「いくらお主の力が強大でも、私を討つことなどできはせぬよ。この身をいくら破壊しようとも、私の自我は無限に再生するのだからな」
ロビンは不敵な笑みを浮かべた。
「いずれ〈ザ・ワン〉が新たな創世を遂げる。そこに布かれるは新たなる秩序だ。ヤクモ機関はカンナヅキの意思の執行者だ。その役目が世界の秩序を守るものだとするならば、その役目を担うにふさわしきは、お主ではなく、カンナヅキの代理人たる私の方だ。もはやお主らにこの流れを止めることはできぬ」
沈黙が降りた広いホールに、残響がこだまする。
「……でも」
しばらくして、トヲルは探るように口を開いた。
「……俺はここにいる」
ロビンの目が、ゆっくりとトヲルに向けられた。
「……」
「……マルガレーテに呼ばれて俺達がここにいるのも、あんたはカンナヅキの意思だと言っていた。あんたにとっての“理想の世界”というものに答えを出すことが、本当にカンナヅキの意思だとしても、それだけじゃ俺達がここにいることについては説明がつかないはずだ。理想の世界なんて関係ない、俺が探しているのは妹なんだから」
トヲルはロビンの目を挑むように見返した。
「思いのほか聡い男だな……カンナヅキへ贄を捧げる魔女の儀式、という理屈ではやはり納得できぬか。認めよう……確かに自ら進化するカンナヅキの意思の全てを推し量ることは、私にも不可能だ」
ロビンはもう一段階段を降り、言った。
「だが折よく、この場にはマルガレーテがいる。マルガレーテ、お主ならば答えられよう。私達の計画がここまで進んだのもお主の力無くしてはありえぬことだったが――その上でなぜこの者達をこの場に呼び込んだ?」
黒い仔猫は、長い尻尾をゆらりと揺らした。その口からマルガレーテの声が返る。
『……知れたこと。このトヲル・ウツロミこそが、メイ・ウツロミの実の兄に当たるがゆえよ』
「何……?」
ロビンは黙って眉根を寄せた。
『この男はエクウスニゲルの業火を生き残り、この地へ至ったのだ』
ロビンの表情が険しさを増す。
「……どういうことだ……あれに兄がいる、だと。なぜそのような存在がこの場にいなければならぬ。〈ザ・ワン〉は、このままではまだ完全ではないということか? それがカンナヅキの意思なのか」
言葉の意味を理解する前に――トヲルは、身体の内のどこかがどくん、と跳ねるのを感じた。
「……〈ザ・ワン〉……」
全知全能の特性だとロビンは言う。
はたしてそんな能力が存在するものだろうか。
いや――。
そこではない。トヲルが引っ掛かったのは、もっと別の部分だ。
そうだ――。
特性は、IDと魂が結び付くことで生まれるものだ。
特性と称するならば、それを備えたIDがなければならないのだ。
特性〈ザ・ワン〉を備えた、IDが――。
「……メイ……なのか?」
いつのまにかからからに乾いていた喉から、トヲルは声を漏らした。
「……トヲル?」
クロウが不安げな声で呼びかける。
「……あんたが言っている、〈ザ・ワン〉っていうのは……俺の妹のことなのかッ?」
小さく叫んだトヲルの声に、ロビンはしばらく沈黙を返した。
「答えてくれ! 妹はどこにいるんだッ?」
ロビンはおもむろに口を開く。
「……十年前……マルガレーテがアリスと共にひとりの少女をエクウスニゲルから連れ出した。まだ七歳に満たぬ、汎用IDの少女だ。カヴンステッドにてチューニングされた少女は、私達にとって理想の特性を備えた固有IDを得た。彼女こそが〈ザ・ワン〉であり、私達の計画の要だ。お主が言っているのが、その少女のことなのであれば――」
彼の人差し指が静かに真上に向けられる。
屋内にいる今、その光は見ることができない。しかしその指の先にあるのは、ロビンがカンナヅキと呼んでいた光点だ。
カヴンステッドの中空に浮かんでいたあの強い光に違いなかった。
「お主の妹は、あれだ」
「……ッ!」
トヲルは不意に目の前が暗くなった感覚に襲われ、思わず膝に手を突いた。
*
勝手に呼吸が上がっていく。トヲルは身を屈めたまま、荒い息で足元を見つめた。
アイカがそんなトヲルの背中に手を当てた。
「……しっかりして、トヲル。場所が分かったんだから、これからそこに行って確かめればいいのよ」
「……ああ……そうだね……その通りだ」
トヲルは膝に手を突いたまま大きく息を吐き出し、身を起こした。
「トヲルさん、わたしが会ったメイさんは固有IDだったのよ。だから、その、今はここにいないだけで……」
懸命に何かを訴えようとしているアリスの頭を、トヲルは静かになでた。
「分かってる……大丈夫だよ。ここまで来たんだから、また前に進めばいいだけだ」
黒猫もそのつぶらな瞳をトヲルに向けている。
『しかり、うぬは進むべきだ。うぬら両者の衝突がいかなる仕儀をもたらすか。相克あるいは相生、相殺あるいは相乗……いずれにせよ、そこより得られる未曾有の叡智は、このうえなき我が糧となろう』
「魔女めが……よもや本当に贄としてこの男を呼び込んだというのか? ……いや違う。そうではないな」
ロビンは思考を巡らせるように口元を手で覆いながら目を伏せた。
「計画の真の障害となるのが、この男だからだ。エルの率いるヤクモ機関どもではなく、勇者たるこの男……」
彼は、口元に手を当てたままトヲルをにらみ据えた。
「前に進む――と言ったか、今。そうはいかぬ。お主の目的が〈ザ・ワン〉というのなら、捨て置くことができるはずもあるまい。最前までは降りかかる火の粉を払う程度の構えでお主らと対峙していたが、これは真の障害を排除するためにカンナヅキによって用意されたしかるべき手続きだ。勇者よ、お主を積極的に排除する理由ができた」
トヲルは身構えながら言った。
「どうして俺達なんだ。どうして……メイなんだ」
ロビンはさらに階段を一段降りる。
「……エクウスニゲルの山間にあった研究所は、封印されたレッドドラゴンを秘密裡に研究する施設だった。秘匿性の高い場所というのは、外部との連携が限られているゆえ攻撃には弱い。エクウスニゲル研究所を、私達が密かに占拠し、私達の目的のために使用していたとしても――エル、お主らは気付いてはおるまいな」
「……研究所の人員は、ヤクモ機関の研究員と事務員じゃ」
「立場上は、な。マーティ・サムウェルの襲撃によって研究所が壊滅する頃には、ほぼ私達の息がかかった人員に入れ替わっていた」
「……そんなことって……」
困惑したようにエルの方を見るゾーイに、苦虫を嚙み潰したような表情でエルは首を振った。
「……ヴィルジニア・セルヴァの例がある。今さらあやつの言い分を否定することはできんな。わしには多くの見落としがあったということじゃろう。機関長としては忸怩に堪えん事実じゃが」
「無論、マルガレーテもずっとあの場にいた。正確には、カヴンステッドはかつてエクウスニゲル上空にあった」
「……」
エルは小さくうなった。
「マーティ・サムウェルの研究所襲撃によってレッドドラゴンの暴走という大事故が起きたのは知っての通りだ。ヤクモ機関本体や近縁地の城塞都市ゼノテラスも調査に入るだろう。さすがに“秘密の研究所”という体裁は望めなくなったため、私達は活動の痕跡を抹消したうえでかの地を放棄することした。研究所はもとよりレッドドラゴンによって破壊し尽くされていたゆえ苦労は無かったが、問題はエクウスニゲルの街の方だった」
「エクウスニゲルの街の方……だと」
ディアナが声を発した。
「理想の世界へ導く、理想の特性とIDを生み出すことが私達の目的なのだ。エクウスニゲルはその研究成果を検証するための、言わばテストサイトだったのだ」
「……テスト……サイト……ッ?」
アイカの顔がにわかに青褪めた。
「実験場ってことじゃない! まさか――」
「誤解するな。別にあの場で生体実験を繰り返していたという訳ではない。理想の特性とIDを生み出すことが目的だと言っただろう。人為的にIDを操作したところで極めて不安定な結果しか生み出せぬ。到底、私達が目指すものには届かぬのだ」
恐らく、それをやろうとしていたのがゼノテラス兵団研究計画局の〈HEX計画〉であり、あのニコラス・ゼノテラスなのだ。計画は、中隊規模の部隊壊滅という虐殺事件を引き起こした。
「実験というならば、社会実験に近い。街の環境や住民構成を操作し、理想の特性とIDが生み出される社会全体を設計する。エクウスニゲルとは、そうした場所だった」
「……だとしたら、随分と気の長い話ですが」
シェカールが半信半疑という様子で言う。
「問題はない。幸い、私は寿命というものに縁がないのだ」
「ねえ、待って……」
クロウの声は少し震えていた。
「さっき、活動の痕跡を抹消するって言ったよね。エクウスニゲルを……どうしたの?」
ロビンは言う。
「お主らも更地となった場所を見たであろう? 当時はあまり猶予が無かったゆえ、いささか乱暴な手段だったが――滅ぼした」
ディアナが目を見開いた。
「十年前……エクウスニゲルはワーウルフの大群に襲われて壊滅した……!」
ロビンは当然のようにうなずく。
「そうだ。そのワーウルフの大群は、私の〈レガトゥス・レギオニス〉によるものだよ」
レッドドラゴンの暴走による研究所の破壊。
ワーウルフの襲撃による街の破壊。
エクウスニゲルという地で、極めて短い間隔で起こった二つの事件は、やはり偶然でも無関係でもなかったのだ。
「当然、私はエクウスニゲルのテストサイトも失敗に終わったと考えていた。だが何を思ったかマルガレーテはそこから例の少女を救助していた。今にして思えば魔女には何かが視えていたやも知れぬが……結果としてエクウスニゲルの研究は充分な成果を出していたということだ」
聞こえているのかいないのか、黒猫は尻尾を振るだけだ。
「……俺の故郷を襲ったのは……あんたか」
トヲルの声に、仲間達の視線が集まった。
「……そうなるな。私を恨むか?」
ロビンは冷静な様子でトヲルを見下ろしている。
「……恨みはしない。あんたのせいで、俺は故郷を失い、妹と生き別れた……でも、恨みはしない」
トヲルは顔を伏せ、噛みしめるように言葉を紡いだ。
「街が襲われたから、俺はディアナと出会えた。故郷を失ったから孤児院でシスターやクロウと出会えた。生き別れた妹を捜し始めたから、アイカと出会えた。エルやヴィルジニア、ゾーイ、ヤクモ機関のみんなと出会うことができたんだ。みんなと出会えなかったら、今の俺はここにいない。あんたを恨むことは、そんな出会いも否定することだ。これまでの俺を否定することだ。だから恨まない」
「……トヲル……」
アイカは切なげに彼の名だけつぶやいて、唇を引き結んだ。
「でも、許すことなんてできない」
トヲルがそう続けると、ロビンは口の端で笑った。
「まあ……そうだろう、当然だな」
「……一番許せないのは、メイを利用したことだ」
トヲルは両手の拳を握り締める。
「理想の世界……? カンナヅキ……? 特性〈ザ・ワン〉……? 知ったことか。それは……ッ!」
顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。
「俺の大事な妹だッ!」
トヲルの叫び声が、ホール全体を震わせた。
つづく
次回「第64話 魔女の城を後にした俺が、創造主の真の姿を見る話。」
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