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第60話 黒い月に乗り込んだ俺が、白い影と再会する話。

 クロウに連れられて降り立ったカヴンステッドの地面は、柔らかな草に覆われている。 


「本物の地面みたいだねえ……」

 そう言いながら、クロウは気を失っているヴィルジニアの身体をそこに横たえた。

 早速ゾーイが彼女の傷ついた脇腹に白い布を巻きつける。


 白い布を解くと、すでに傷口は跡形も無く消えていた。

「これでよし……カグヤも回復を頼むのであるよ」

「えー? 傷は治しはったんやろ。こないなやくたいなコ、その辺にほかしといてええんと違う?」

 カグヤはぶつぶつと言いながらも、指先で摘まむような仕草をして、淡く光る気力の玉を生み出した。

「鼻の穴に入れたろかな、もう」

「やめなさい姫」

 シェカールにたしなめられつつ、カグヤは気力の玉をヴィルジニアの口に入れ込んだ。


 土気色をしていたヴィルジニアの顔色が次第に戻って来る。


「うん、これでじき気がつくはずである。エルも傷を見せるのであるよ。何で平気な顔してるのか分からないのであるけど、胸を思いっきり槍でぶち抜かれてたのである」

 ゾーイが巨人の胸に抱かれているエルに呼びかけた。


「ああ……いや、わしは大丈夫じゃ」

 電撃の走る音がして、“(デウス・エクス)(・エレクトリカ)”は瞬時にばらばらな元の建材へと戻った。

 エルの電磁気に操作され、整然と地面に積み上がる。


 着地した彼は穴の開いた詰襟の胸元をはだけてみせた。槍の穂先を受けたはずのその場所に傷はない。

「大事な服は駄目になってしまったがな。わしは身体の一部を電気に変じることができるのじゃ。あの程度の傷、どうとでもなるわ」

「ホントだ……心配して損したのである」

 ゾーイはエルの華奢な胸元を掌でべちんと叩いた。

「よさんか。傷はないが負傷はしておったのじゃ。雑に扱うでない」


 アイカが詰襟のボタンを留め直しているエルに言った。

「つかあんた……本気でヴィルジニアを殺そうとしてなかった?」

「わしを見くびってもらっては困る……殺す気であればとっくにそうしておったわ」

 エルは不機嫌そうに口元を曲げる。

「とはいえ本気は出した。おぬしらに言った通り、手加減して敵うような相手ではなかったゆえ」


「ま……そうことにしとくか」

 アイカは新しいロリポップを取り出して口に咥えた。

 そのアイカの足元に隠れるようにアリスがいる。

「大丈夫? エルさん、もう怒ってないのかしら……?」


「わしはヤクモ機関長として動いたまでじゃ。別に怒ってなどおらんよ……いや――」

 エルは倒れているヴィルジニアを見下ろした。その右手には、気を失ってもなおHEXの注射器がしっかりと握られている。

「この者がHEXを自らに使おうとしたことには、怒りを覚えたじゃろうか。使われておればそれこそ、この者の命の保証はできなんだやも知れん。よもやこのようなものを隠し持っておったとはのう……」

 彼はヴィルジニアの手から注射器を取り上げた。

 ばしりと電撃音がして、エルの手の中で注射器が粉々に砕ける。

「……〈特性〉とは、かけがえのない肉体と魂が結びついた命そのものよ。いたずらに付け加えるなど、およそあってはならんことじゃ」


「それはまあ、ぼくも同じ意見だね」

 つぶやくように言ったクロウの方を見る。

「クロウ……」

 トヲルの視線に気付いた彼女は仮面の下で小さく笑みを浮かべた。

「天空を舞う〈エアダンサー〉にして、黎明(れいめい)を呼ぶ〈ドーンブリンガー〉。ダブル〈特性〉の特別枠をそう簡単に譲る気はないってことだよ」

 ディアナがそっとクロウの肩に手を置いた。

「そうだな。それこそが今やきみの、唯一無二の個性だ」

「だよね……カッコいいよね?」

 彼女を見上げるクロウに向かって、ディアナは優しく微笑んだ。

「ああ……カッコいい」


 心地よい風が、辺りを吹き抜けて足元の柔らかな草を揺らしていく。

 シェカールが眼鏡の位置を直しつつ、遠くを見渡して言った。

「それにしても空洞世界……ですか。私達が今立っているここが、あの球体の内壁だとはにわかには信じられないですね」

 遮るもののない開けた空間だが、地平線はない。視界の届く限り、緑の草原がどこまでも続いていた。


 鮮やかな景色を前に、カグヤは眉をひそめている。

「無闇に綺麗な様子なのんがかえってけったいな感じやわ……さっきまでうちとこに襲いかかってきよった怪物はここにおったんやろ」

「うん……でも今はそれらしい気配は感じないね」

「まあこの場合、あらかた倒しきったって考えていいんじゃな――」

 トヲルの言葉に同意しかけたアイカが、そこで動きを止めた。

「……ゾーイ」


 彼女は視線を一点に向けたまま、ゾーイに呼びかけた。ゾーイも何かを察して、目元に白い布を巻きつける。

 眼球を望遠型に変形させ、行く手に目を凝らしていた彼女が小さく声を漏らした。

「……いる!」


 それはゆっくりとこちらへと近付いてきていた。

 次第にトヲル達の目にもはっきりと見えてくる。


 白い着流しの上に黒いコートを羽織った人影だ。頭には白い頭巾を被っている。

「……ロビン・バーンズ……」


 クロウが太刀を抜き放ち、ディアナも大剣を構えた。カグヤは矢筒から矢を取り、シェカールが腰の山刀を抜く。

 身構えるトヲル達だったが、ロビンは緩慢なペースを崩すことなく歩を進める。

 ゆらゆらと、それはおぼつかない足取りのようにも見えた。


 十数メートル先にある岩の横で、ロビンは足を止める。

「……ヴィルジニアもやられたか。畢竟(ひっきょう)、情によって動いていた女だ。脆弱(ぜいじゃく)なものだな」

 頭巾の下で彼はそう言い、もたれるように岩へと腰を下ろした。

「とはいえさすがは、レッドドラゴンを(ほふ)った勇者どもよな……手強いものだ。カンナヅキの代理人は私を残すのみとなったか」


 アイカは警戒の色を浮かべながら言った。

「そういうあんたも、だいぶ限界がきてるように見えるけど?」


 ロビンは大きく息を吐いて、頭巾に手をかけた。

「……そうだな。それは認めざるをえまい」

 引き下ろされた頭巾の下を見て、トヲルはぎょっとなった。


 頬はこけ、目の周囲は昏く落ちくぼんでいる。頭髪はほとんど残っていない。

 朽ちたような唇は閉じることはなく、歯並びがそのまま見えていた。


 ほとんど人の頭骨だ。


 最初に彼を見た時は白髪を蓄えた壮年の様子だった。

 この短期間で目を疑うばかりの変貌だ。

「……」

 言葉を失っているトヲルに、ロビンは言った。


「私の特性〈レガトゥス・レギオニス〉を……怪物を操る能力だと、そう理解していただろう?」

 事実、集団暴走(スタンピード)や、レッドドラゴンを初めとして彼は無数の怪物を操っていた。

「外観的には変わらぬが、正確には違う。私の能力は……無限の自我を操る能力だ」


「無限の……自我……?」


「全て私という自我なのだ。ゴブリンも、オークも、シーサーペントも、ワーウルフも、スライムも、デーモンも、そしてレッドドラゴンもな。お主らに襲いかかった無数の怪物は全て、私だ」


 喋っている間にも、ロビンの顔の皮膚は乾き、風化していくように見える。

「私は、無数に分裂した自我を操り、別のIDに憑依させることができる。そして自我を移したIDを自分と同等に扱えるのだ。この――笛の音をトリガーにしてな」

 彼は懐から黒い横笛を取り出して、そのまま力無く足元に捨てた。


「人格を有しているようなIDにも憑依自体は可能だが、やはり十全たる人格に分裂した自我は及ばぬ。先日のマーティのように、人格を失いかけたIDに対しては成し得たが……自然と操るIDは人格を有していない怪物が主となっていった。ひとりで何千体何万体という兵力を扱える一方、怪物の死とともに自我が何千回何万回という死を迎える。この特性とは、そうしたものだ」


 エルが口を開いた。

「なるほどのう。肉体は魂の影響を受ける。その姿は、そうしたおぬしの特性の反動じゃな」


「そういうことだ。人外種ならぬこの身には、無数の自我の死など本来耐えられるものではないのだな。見る間に老いさらばえてゆき、今やこの有様だ」

 エルの目は冷厳にロビンを見据えている。

「甘んじて受け入れよ。カンナヅキの代理人などを(かた)り、世界の秩序を破壊せんと目論(もくろ)んだ。その報いじゃ」


 ロビンはかたかたと揺れるように笑った。

「騙りなどではない。最前に言ったであろう、無知とは愚かしいものだ、とな。お主がただ知らぬだけよ」

「……?」

 黙って眉を寄せるエル。

「カンナヅキは(うしな)われたのではない。ただ、代理人を替えただけだ。お主らから、我々にな」

「……馬鹿な」

「全てはカンナヅキの意思だ。人類文明の大崩壊も、カンナヅキによってもたらされた」

「ありえん話じゃ」


「我らは、竪琴の音を聞いた」


 竪琴?

 唐突に出た不自然な単語に違和感を覚え、トヲルはエルの方を見やった。

 彼は動きを止め、目を見開いている。

「……何じゃと……」


 ロビンの節くれだった指が頭上を指差す。

「まだ気付かぬか? そうか、もう気付くことすらできぬか。上で輝いているあの光に」


 カヴンステッドの中空で、太陽のように輝く光。

「あれこそがカンナヅキだ」


「……」

 光を見上げるエルの顔が蒼白になっていく。

「そんな……」


「どないしはったの、エルはん。竪琴って何の話や」

 呆然と立ち尽くしているエルの小さな肩を、カグヤが軽く揺する。


 その様子をよそに、ロビンは腰かけていた岩から鷹揚(おうよう)に身を起こした。

「……大崩壊の前より続くカンナヅキの意思とは、すなわち世界の改変だ。カンナヅキの魂は、マルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒが生み出したヘックスなる術式をもって、ようやくふさわしき器を得た。生み出されたのは、全知全能の特性――」


 ロビンが高々と上空の光を指差す。

「〈ザ・ワン〉」


 トヲル達は、ただ黙ってその光を見上げるだけだ。

「特性〈ザ・ワン〉が新たなる創世をもたらす。我ら、カンナヅキの代理人による真なるヤクモ機関が、必ずその意思を執行する。(ふる)き世界の者どもは座してその時を待て。全ては――」


 ロビンが上空へ向けて骨ばかりになった両腕を大きく広げた。

()()()()()


 一陣の爽やかな風が吹き、ロビンの身体はその場でばらばらと崩れ落ちた。

 地面に落ちた骨もその衝撃で粉々に砕け、風に飛ばされていく。


 今、ロビンが死んだ。

 彼は最期に、一体何を語っていたのか。


 黒いコートと白い着流し、白い頭巾が地面で風に揺れている。

 トヲルは晴れない不安を胸に、それを見つめていた。



 アイカはアリスの顔を抱き寄せて、衝撃的なロビンの最期を見せないようにしていた。

「大丈夫よ、アリス。もう終わった」

 震える彼女の頭を、アイカは軽く叩いてやる。

「……エル、あんた何か様子がおかしかったけど、ロビンが言ったことに何か心当たりがあんの?」

 彼女は上空の光を見上げたまま動かないエルに声をかける。


 束の間、彼は虚ろな目をこちらへ向けたが、すぐにふるふると首を振って表情を取り戻した。

「ん? いや……気のせいじゃ。何でもない」

「……何なのよ、ったく」


「とにかく……あのロビンは、自分の特性で自滅したってことでいいのであるか?」

 そう言うゾーイにシェカールはうなずく。

「私にもそうとしか思えませんでしたが……“全てはこれからだ”……いまわの際に遺す言葉にしてはいささか異様ですね」


 その時、ヴィルジニアが、小さくうめき声をあげた。


「あ、ヴィルジニアが起きそうだよ」

 クロウは太刀を納めて彼女の側に近付いた。

「……念のため、縛っておこうか」

「せやなあ、またてんごされても難儀やし」

 とりあえず、ということでゾーイが手持ちの白い布を細く裂き、ヴィルジニアの両手首と親指同士を縛り付けた。

 シェカールが、その結び目を冷気で凍結させる。


「冷たい」

 ヴィルジニアは寝言のようにそう漏らすと、ゆっくりと目を開いた。

 取り囲んでいるトヲル達を見回し、小さく身をよじる。両手を拘束されていることに気付き、黙って仰向けに寝転んだ。

「……助けたのか、このおれを……」


 アイカが言った。

「まあね。どうする、まだ諦めないつもり?」

「いや……もういい。手も足も出ないままにやられて、あげく助けられたんじゃあ立つ瀬もないよ。完全におれの負けだろ」

「ちなみにロビンも今そこで死んだのである」

 ゾーイが言うと、ヴィルジニアは驚いたようだった。

「……あの男がか? だとしたら結局、ここまでだったってことか」


「もう自棄(やけ)になったりしちゃ駄目だからね?」

 クロウがヴィルジニアの顔を覗き込むと、彼女は苦笑した。

「分かってるよ。やれやれ……おまえ達に出会ったのが、おれの運の尽きだったぜ」

 彼女は仰向けのまま、深呼吸するように大きく息を吐き、やがてゆるく首を振る。

「……いや違うか……おまえ達に出会えて、おれは運が良かったんだな……」


 ヴィルジニアは力無くトヲルの方を見た。

「トヲル、おまえの妹がカヴンステッドにいるって聞いた時から、ひょっとしたらこうなることが決まってたのかも知れない。いくらこの世界を変えたいと願っていても、誰かを犠牲にすることはおれの性に合わなかったんだろうぜ。悪かったよ、ごめんな」

「ヴィルジニア……」

「よく聞いてくれ。おまえの妹は、多分、今もマルガレーテの所にいると思う。おれ達の計画はまだ最終段階じゃない。今なら間に合うはずだ」


 トヲルは息を呑んだ。

「そ、そのマルガレーテは今どこにいるんだ?」

「このカヴンステッドにいるのは確かだ。やつがいないと動かないからな。それ以上はおれにも分からない。けど大丈夫、ここまで来ることができたんだ。おまえなら、きっとたどり着ける。大切なきょうだいを――おまえは、助けてやってくれよな」

 トヲルは口を引き結んでうなずいた。

「……分かった。ありがとう、ヴィルジニア」

「ばか言え、そりゃこっちの台詞だ。こんなおれでも助けてくれてありがとう。トヲル……みんな」


 ヴィルジニアは小さく笑って、目を閉じた。

「あーッ、言いたいこと言ったし、さすがにおれも疲れたぜ。あとは煮るなり焼くなり好きにしろ」


 アイカがヴィルジニアの腰の上に跨って座った。

「いくらあんたが水産物でも、半魚人を煮たり焼いたりする趣味はないわね」

「水産物じゃねーわ……」


 彼女のブラトップの紐を掴んで、無理矢理引き起こす。

「待て待てコラ、どこ掴んでんだおい。こぼれちゃうだろ、トヲルとかエルとかがいるんだぞ!」

「心配かけさせて……もう二度と変な気起こさないように、お仕置きが必要ね」

「おまえ……泣いて――」

 アイカはロリポップを外すなり大きく顎を開いて、ヴィルジニアの首筋に牙を立てて噛み付いた。

「ぎぃああああッ?」


「ちょ、アイカ! いくら何でも今血を吸うのはヤバいのである!」

「あほか、うちがせっかく回復したったのに何してはんの!」

「みんなアイカを止めろ! ヴィルジニアが白目剥いてるぞ!」

 トヲル達は慌ててアイカを引きはがしにかかった。



つづく

次回「第61話 月人と別れた俺が、敵地で弁当を頬張る話。」


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