第58話 半魚人と再会した俺が、飛行船の真の姿を見る話。
首を失ったグレーターデーモンの両手はデッキから離れ、そのまま落下して行くかに見えた。
翼が大きく羽ばたかれ、再度浮上した怪物の巨大な手が空中にいるエルの小さな身体をわし掴みにする。
しかし瞬時に“雷剣”から無数の剣閃が放たれ、エルを掴んでいたはずの手は細切れに斬り裂かれていた。
残る腕をなおも伸ばそうとする怪物の巨体を、青白く放電するエルの両眼が見降ろす。
「……しぶといものじゃ。これでとどめになるかのう?」
エルは光る剣を元のステッキへ納めると、左手を頭上にかざした。
その手の先に、球状の電撃が生み出される。
「“雷槌”」
小柄な彼の身長の数倍はある雷球が、轟音と共にグレーターデーモンに落ちた。
文字通り消し炭のようになった巨体は、ゆらりと宙を漂い、そのまま崩れながら地上へと落下していった。
エルはデッキに向けて細く電撃を放ち、その磁力を辿るようにして柵の上に降り立った。
「仕留めはったの?」
耳を手で覆いつつそう問いかけるカグヤ。
「あの怪物そのものはな。じゃが操っておったロビン・バーンズは無事じゃろう。気を抜くな、デーモンの群れはまだ残っておる」
エルはそう言ったが、先ほどのグレーターデーモンの撃退を皮切りに群れの後続は途絶えたようだ。
残ったデーモンの掃討が進むにつれ、周囲はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
クロウが懐紙で刀身を拭いながらデッキへと降りて来る。
「辺りを飛んでいるデーモンはもういなくなったみたいだね」
「そうね、ようやくひと段落って感じかな……」
アイカは新しいロリポップを取り出して口に咥えた。
「船内に入り込んだ怪物も全部やっつけたのであるよー!」
と、ゾーイが扉を開けてデッキへ戻って来る。
エルの雷から距離を置くついでに、船内を掃討する役を買って出ていたのだ。
「それよりさっきのエルの光る剣、何なの? 仕込杖? ぼくもそれ欲しい!」
案の定というか、エルの放った“雷剣”は、クロウの琴線に触れていたらしい。
「……仕込杖の形をしてはおるが、刃はわしの〈雷電〉で生み出したものじゃ。わし以外には扱えんぞ」
「まあまあ、そう言わずにちょっと貸してよ。ぼくもバリバリってやってみたいんだよね」
「聞かんか、人の話を」
コンコン、ココン。
リズミカルなノック音と共に、〈ワンダーランド〉の扉が開く。
後衛を務めていたディアナとシェカールを連れ、アリスが中から姿を現した。
「良かった、みんな無事なのね!」
「すまない、遅くなった。もう片付いているようだな」
ディアナはそう言って大剣を背中のホルダーに納めた。
「なんの、ディアナはんこそしんがりお疲れはんやったわ、おおきに。シェカールも」
「姫もご無事で何よりです。地上の人的被害も未然に防げたと思いますが……」
シェカールは静かに眼鏡の位置を直して言った。
「せやな……念のため街の状況は確認しとこか。市民の混乱もまだ治まってへんやろうし」
カグヤが早速端末で通信をかけようとした時だった。
「……まあ、待てよ。まだ終わっちゃいないぜ」
頭上から声がした。
その場にいる全員が声の方を振り仰いだ。
宙に浮く金属の円盤に、人影が立っている。
ゆるく波打つセミロングの黒髪が風になびく。
黒いブラトップにショートパンツ。腰に黒コートを巻きつけている。
大槍を肩に担いでこちらを見下ろしているのは、ヴィルジニア・セルヴァの姿だった。
*
「ヴィル……ジニア」
トヲルの口から、彼女の名前だけが漏れた。
カグヤは手にした端末をしまいながら、油断なく視線を向ける。
「……あらあ、ヴィルジニアはん。この所、あんましええ噂聞かへんえ。みなはんえらい困りはってるんと違う? 大概にしよし」
「おまえのもって回ったような喋り方も相変わらずだな、カグヤ」
ヴィルジニアの乗る円盤はゆっくりとデッキの近くまで高度を下げてきた。
「……結局来ちまったのかよ、おまえ達。カンナヅキの意思を阻もうとすれば、おれ達は敵になる、そう言ったはずだぜ」
クロウは落ち着いた様子で太刀を肩に担いだ。
「そんなの気にしてないよ。そもそもこっちはきみの言葉に全く納得してないからねえ」
「おいおい……」
「俺は――」
トヲルはガントレットに目を落とした。
「アリスから“招待状”を受け取った。ロビンも俺達を贄、だなんて言ってたんだ。俺がここにいるのは――君が言うカンナヅキの意思だ。違うのか」
ヴィルジニアは小さく溜息をついた。
「バカだなあ。ほっといたらこうなるってことが分かってたから、おれはわざわざ忠告したんだ。別におれだって好きでおまえ達と争いたい訳じゃないんだからよ」
トヲルはヴィルジニアの翠色の瞳を見つめる。
「……悪いけど、ヴィルジニア。俺は妹とまた会いたい。あの場所――カヴンステッドに妹がいることが分かってる以上、ここに来ないって選択肢は無かったんだ」
「ま、おまえなら……そう言うだろうと思ってたけどな」
と、ヴィルジニアは困ったように目を伏せた。
「あんた、どういうつもりなのよ。一体何やらかそうとしてんの?」
アイカの問いかけに、ヴィルジニアは軽く応じる。
「ん? 基本的には例のマーティ・サムウェルと同じだぜ。今のこの世界を作り変えるんだよ。知っての通り、マーティは失敗した。ひとつの手段が間違ってたらまた別の手段を選ぶだろ。カンナヅキも一緒だよ」
「作り変えるためには……一度壊さなければならない、か?」
ディアナが低くそう質した。
「ある意味そうだろうな。ゼロベースってやつだ。世界の管理者は世界の破壊者……そういうことだろ」
「ならばわしらはおぬしを止めねばならん。気は変わらんか、ヴィルジニア・セルヴァ。知らん間柄でもない。おぬしが得た情報を全てヤクモ機関に提供すれば、今後の扱いもわしが取り計らってやれると思うが」
エルが一歩前に出て、空中の彼女を見上げる。
「勘違いするなよ、エル。真のヤクモ機関はおれ達の方だ」
「ほほ、戯言を言わはるわ……」
横のカグヤが鼻で笑った。
「そうか? カンナヅキの意思――その執行機関として代理人によって組織されたのがヤクモ機関のそもそもの成り立ちだよな。今はもう、カンナヅキの代理人はおれ達なんだぜ」
エルは帽子に手を当ててかぶりを振った。
「……またそれか……。ヴィルジニア・セルヴァよ、このわしを敵に回す覚悟はできておるのか? よもや勝てると思ってはおるまいな」
ヴィルジニアは物騒な笑みを浮かべて彼を見下ろした。
「楽な相手だとは思っちゃいないけどな、こうなったら仕方がないだろ。それに、本気のおまえと一度戦ってみたかったって気持ちも、少しはあるぜ」
「電力に引力……ともにこの世界が生まれた時からある力じゃ。ならばひとつ、力比べと洒落込んでみるかのう」
不敵に笑うエルの口元でぱちりと電流が爆ぜる。
彼は目の端でトヲル達を見やった。
「おぬしら、手出しは無用じゃぞ」
「……だけど、エル」
「手加減して敵うような相手ではない」
自分の内心を見透かしたようなエルの鋭い言葉に、トヲルは口を噤んだ。
確かに頭では分かっていても、いざ本気で彼女を攻撃できるかどうかは自信がもてない。
「ていうかおれをここまで近付けた時点でおまえの負けだろ、エル。そこはもう、〈フライングソーサー〉の射程の中だ」
ヴィルジニアはおもむろに掌をエルに向けた。
「ふん……ディアナ・ラガーディアならまだしも、おぬしに人の動く速度は超えられまい」
言葉の終わり際では、エルのインバネスが大きく翻っていた。
迅雷の速度で抜かれた仕込杖から、爆音と共に青白い“雷剣”が閃く。
「……ッ!」
ヴィルジニアは身をよじってその剣撃を避けた。
しかし避けきれず、斬り裂かれた彼女の脇腹から鮮血が散る。
その血の色に、トヲルの背筋は凍りついた。
エルは――本気だ。
「く……そがッ!」
彼女は自分の背後の空間に引力を発生させ、エルから距離を取った。
デッキの上を滑るようにそれを追うエル。
ヴィルジニアは迫るエルへ向けた掌を、円く動かした。
頭上から大岩を落とされたように、エルの身体が床に向かって沈む。
「……甘いのう」
引力に圧し潰されるよりも先にエルは目の前の床をデッキごと微塵に斬り捨てた。
引力の発生した場所を砕いて発生した引力を減衰させたのだ。
「……ちッ、しくじった。手の内を知られてるってのはやりづらいぜ」
その隙にヴィルジニアは飛行船のエンヴェロープ部分まで大きく距離を取っていた。
「特性発現のトリガーを、“対象に向けた掌で円く撫でる”という人の仕草にしたことが、その力の限界じゃな」
エルは電流で足元に磁場を作り、エンヴェロープの曲面に垂直に立つ。
青白い刀剣を片手に提げ、ゆっくりとヴィルジニアへ歩を進めた。
「どうした、おぬしが距離を取っては勝ち目がなかろう。とはいえ、おぬしの間合いではわしの攻撃の方が先に届くじゃろうがな」
ヴィルジニアは血の溢れる脇腹を手で押さえて、口の端で笑った。
「まあな……けど、すばしっこいおまえの動きを止めるのが先だ」
「おぬしにそれができるのか?」
ヴィルジニアの掌は、エンヴェロープの表面に触れている。
「そうだな……例えばこういうのはどうだ」
触れた部分を、円く撫でた。
その途端、凄まじい音を立てながらその場所がへこんだ。
金属の骨組みを有する巨大なエンヴェロープが、ヴィルジニアに極大化された自身の引力によって紙風船のようにひしゃげていく。
破裂した部分から、内部の浮揚ガスが噴出した。
太い金属がねじ切れるような耳障りな音を立てながら、飛行船が大きく傾く。
「……やりおった。大事なフランケンシュタイン号を……」
バランスを崩したエルはエンヴェロープの表面から滑り落ちていたが、右手から伸ばした電流の磁力で、ぶら下がるように宙に浮いている。
「ちょっとエル! 飛行船が堕ちてるんだけどッ!」
デッキの柵にしがみついたアイカが叫んだ。
かろうじて残った揚力で、飛行船は空中を踊るように高度を落としていく。
さらに小さくなるエンヴェロープを見上げて、アリスが不安そうな顔のまま声をあげる。
「ま、待って、わたしが地面まで〈ワンダーランド〉を開くわ」
「……落ち着くのじゃ、慌てて動くと思わぬ事故を起こすぞ。そのまましっかり掴まっておれ」
ステッキを腰のベルトに挟んだエルは、左手を上空に漂うカヴンステッドに向けた。
大きく深呼吸して、力を込める。
彼の全身から、まばゆいばかりの電撃が放たれた。
右手から迸る電流が飛行船を包み、左手から放たれた電流がカヴンステッドへと伸びる。
「むうう……ッ」
三者を繋ぐ電流が太さを増す。
エルの電流を通じて、飛行船とカヴンステッドが引き寄せ合っているようだ。
「と……止まったのである」
飛行船の落下は止まり、そればかりかカヴンステッドへ向かってゆっくりと上昇していく。
「……あの小さな身体でこの巨大な飛行船を引き上げているというのですか? 信じられない……」
シェカールは呆然とひとりで飛行船を支えているエルの姿を見上げていた。
「まったく……敵に回すとこれほど厄介なやつはいないよな」
そこへ上空から勢いよく舞い降りてきたヴィルジニアの大槍が伸びる。
槍の先端がそのままエルの胸を貫いた。
「……脇腹の礼だ、ジジイッ!」
「がは……ッ」
エルの口元から血がこぼれる。
「エルッ?」
「おのれ……このおさな子に対して容赦がないものじゃ……」
エルはしかし、血で濡れた口で笑ってみせた。
「何がおさな子だ、クソジジイ。こうでもしなきゃ、おまえの動きなんざ止められるものかよ」
「ふん……確かにわしとて飛行船をぶら下げたまま槍で突かれておっては、自在には動けんのう」
「……じゃあ、これで終わりだな」
脇腹を押さえていたヴィルジニアの手は自分の血で真っ赤に染まっている。
その血にまみれた掌をエルに向けた。
「気が早いわ、馬鹿者め」
エルの両眼が青白く放電した。黒い髪までが電気を帯びて青白く光り、軍帽が飛ばされていく。
衝撃でヴィルジニアの身体は槍ごと弾かれた。
「やろう……!」
エルの放つ電撃はさらに強さを増す。
「おぬしら、感電死したくなくばそこのデッキから離れるでないぞ」
激しい電撃は、変形してしまったエンヴェロープを大量の鋼材へと分解していく。さらにゴンドラに迸った電流が、窓、壁、床と粉砕し、飛行船はトヲル達のいるデッキばかりを残して粉々となった。
ヴィルジニアは警戒の色を浮かべつつその様子を見つめた。
「……自壊して軽くするつもりか?」
「そうではない」
建材の集合体となった飛行船が、エルの周囲に引き寄せられていく。
飛来する太い鋼材を避けながら、再び距離を取るヴィルジニア。
建材同士が、音を立てて組み合わさり、いくつかの塊を成形し始めていた。
「まさか……これって」
宙に浮くデッキの周囲を、飛行船の残骸が飛び回り、次々にぶつかっては巨大な塊を作っていく。
辺りを見回したアイカが、思わずつぶやいた。
「ゴ……ゴーレム……?」
作り上げられていく塊は、まさしく人の姿を形どっていた。
四肢に胴、腰、手指に足先、それは全長数十メートルはある、巨大な人型だった。
エルの小柄な姿をその胸元に抱き、全身に電流を帯びる巨人がヴィルジニアに相対する。
「わしが飛行船を身にまとうのよ……よもや、これを最初に見せるのがおぬしになるとは思わなんだ」
電光を前に、ヴィルジニアの顔は一層に蒼白だった。
脂汗を浮かべつつ、笑うように唇をゆがめる。
「……マジかよ……このクソジジイ」
頂点にトヲル達の乗るデッキを据えた頭部が、両肩の中央に収まった。
「“雷神”――起ち上がれ、フランケンシュタイン号ッ!」
エルの声に応じるように、青白く光る巨人の口から雷鳴のような咆哮が響き渡った。
つづく
次回「第59話 世界の管理者の力に面した俺が、透明人間の可能性を広げる話。」
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