第56話 黒い月を前にした俺が、怪物の大群を迎え撃つ話。
「神の脳……カンナヅキ」
アイカはそう呟いて目を眇めた。
「確かにこうして見ると……あの樹の形、人の脳に見えなくもないわね」
日頃から人の血流を視ているアイカらしい感想だった。
半球状の樹冠は大きく二方向に枝ぶりを伸ばしている。さしずめ右脳と左脳だろうか。
「全ては、世界が崩壊する前の話じゃ。今ここにあるのは、あくまで遺物に過ぎぬよ」
遠い目をして、エルはリンゴ飴をかじる。
アリスもエルに買って貰ったらしいリンゴ飴を舐めながらしばらくカンナヅキを見上げていたが、
「行きましょう、トヲルさん」
と、彼の袖を引いた。
巨木の形状をした幹の部分が近付く。
アイカの表現を使えば、脳から続く脊髄部分だ。
数十メートルはある太い幹は間近に近付くとまるでそそり立つ壁のようだった。
表面は繁茂する蔦や苔で覆われているが、その下に隠れているのは植物の幹などではなく、黒曜石のように黒光りする硬質な物体だ。
もう一度、左腕のガントレットで光る魔石を見たトヲル。
「招待状……か」
ゆっくりと、左手を幹の上にかざした。
その瞬間、ひと際強く魔石が青い閃光を放った。
思わず目を背けるトヲル。
「見て、トヲルさん!」
アリスが幹の方を指差している。
見ればガントレットの魔石と同じように、幹に無数の青い光の筋が浮かび上がっていた。
樹木が地中の水を吸い上げるかのように、青い光の筋は上方に向かって勢いよく伸びていく。
「これは……」
光の筋を目で追う。
青い光は樹冠部まで駆け上がり、枝の隅々まで行き渡った。
巨大な樹全体が、日中でもまばゆいくらいに青い光に包まれている。
トヲル達はもちろん、公園を利用していた市民たちまでもが光り輝くいのちの樹――カンナヅキを呆然と見つめていた。
ふと我に返ったカグヤが、周囲に向かって声を張り上げる。
「ひ、避難ッ! みなはん! 事情は後で説明するよって、急いでこの場から離れておくれやす! ほら早く逃げなはれ!」
慌ててトヲル達も辺りへ大声をかけて避難を促した。
ただならぬ雰囲気は明白だ。訳が分からないままながらも、市民はざわめきながら山の下へ向かう道へと向かい出した。
「急に騒がしなってえらいすんまへんなあ、くれぐれも落ち着いて、急いでおくれやす」
軽々と彼女を担いで走るシェカールの上でカグヤは絶えず声をかけ続ける。
青い光を放ち続けるカンナヅキに、エルはリンゴ飴の残りを口に放り込んでステッキを前に構えた。
「このカンナヅキは沈黙していたはずじゃ……魔女め、何をした……」
広場にいた市民は全員避難したようだ。
トヲルはアリスを抱きかかえて、カンナヅキから距離を取った。
カンナヅキが、さらに強く光を放つ。
その強い光は指向性をもって、直上の空へと上って行った。
青空へと吸い込まれていく青い光。
「上に……一体何が?」
ディアナは背中のホルダーから大剣を抜いて光の行く先を見上げる。
「ち、ちょっとあれ! 空が!」
クロウが太刀の先で空を差した。
青い光の当たった空の一部が、黒く変色していく。
まるで塗装が剥がれていくかのように、みるみるうちに黒い色が空に広がって行った。
「そ、空が崩れていってるのであるよ?」
「違う。崩れてるのは障壁……」
アイカがそう口にする。
「マルガレーテが空中に作り出した障壁が崩れていってんのよ……!」
そこには黒く、巨大な物体が上空に浮かんでいるのだった。
今の今まで、空に隠されていた。
それがアリスのもたらした招待状によって披露されたのだ。
その巨大な物体は球状をしてるようだ。
「……黒い……月……?」
ディアナが目を見張る。
「見えてきたわ――」
アリスも上空を指差した。
「あれが、カヴンステッドよ」
「カヴン……ステッド……!」
完全に姿を現したその桁外れに巨大な黒球は、おりしも頭上に差し掛かっていた陽の光を遮る。
カヴンステッドによる日食が、辺りに濃い影を落とした。
*
巨大な黒球――カヴンステッドが出現すると共に、カンナヅキの発光は止まった。
ゾーイが、眼球を望遠レンズに変化させてカヴンステッドを観測している。
「何か見える? ゾーイ」
掌を筒状にして目元に当てているゾーイに、アイカが問いかけた。
「うーん……表面に隙間が見えるのである。あれは正確には球状の塊ではなさそうであるな。六角形のパネルが何らかの力で無数に集まって球面を作っている感じ。大きさほどの質量は無いのかも……」
「つまり?」
「……多分、中が空洞なのである。アリスはあの中にいたのであるよな?」
アリスはうなずく。
「ええ。中は広いわ、建物もあるのよ」
「じゃあやっぱりメイもあの中に……」
トヲルはカヴンステッドを見つめた。
「まさか空にあるとは思わなかったよねえ」
「それもうちとこの真上のお空やなんて、いつの間に……勝手なことしはるわ」
カグヤはそう憤る。
「とにかく行ってみようよ。一度には無理だけど、ひとりずつならぼくが持ち上げられるしさ」
クロウは太刀を納めて、宙に浮きあがった。
そのクロウをエルが片手で制する。
「わしがフランケンシュタイン号で全員を近くまで運んでやろう。移動距離が短い方が、おぬしの負担も軽いじゃろう」
「なるほど、ディアナとかは重そうだから確かにその方がいいかもねえ」
「……。装備だよな? 装備のことを、言っているのだよな?」
「みんな……ちょっと待つのである」
ゾーイはまだカヴンステッドの方を遠望していた。口調が硬い。
「表面のパネルがあちこちで開いているのであるよ」
「そこが入口?」
「いや、そんな感じでも……中から何か、緑色をした……あれは液体?」
それは、望遠レンズをもたないトヲル達の目でも確認できた。
カヴンステッドの表面が、何かぬらぬらと反射するもので覆われているようだった。
確かに内側から液体が流れ出ているように見える。
その緑色の液体は黒い球体の下部に溜まっていく。やがてそれは自重に耐えきれなくなるような形で、雫となった。
アイカの顔色が変わる。
「ゾーイ逃げて! みんなもよッ!」
目元に白い布を巻いて眼球を元に戻すゾーイ。その布で振袖を襷掛けしながら、彼女は慌ててその場から駆け出した。
そのゾーイの背後へ、緑色の巨大な雫が地響きを立てて落ちる。
落下した衝撃で大小様々な塊が大量に飛び散った。
それぞれの塊は、意思を持つかのように蠢き始め、ゆっくりとトヲル達の方へと近付いて来る。
「な、何だこれッ?」
「トヲル離れろ! それは怪物、スライムだ!」
ディアナが鋭く告げた。
「す、スライム? 何であんな場所から」
足元に近付いて来る拳大の緑色の粘液に、アリスを背中にかばいながらトヲルは思わず後ずさる。
「招待客への挨拶って感じね」
アイカが指先から血液の弾丸を射出してそのスライムを撃って粉砕した。
「障壁が崩れた時に備えてた防御機構って所かしら」
間近に迫る身長程のスライムに、ゾーイが振り向きざまに腰を捻って拳を叩き込んだ。
「この――ッ」
スライムは半分に砕けたが、まだ動いている。
「あああッ? 腕が溶けた! いた、いたたたたッ!」
反対にゾーイの拳が急速に腐食されていく。
咄嗟に白い布を巻きつけて、傷口を修復した。
「ば、バカ! スライムを生身で攻撃してどうすんの! 触れるだけで溶かされんだから、痛いで済むのはあんたぐらいよ!」
「て、照れちゃうのである。うふふ」
「褒めてねーわ!」
半分に砕けたスライムを、アイカが射撃する。さらに半分に砕けるが、まだ活動を続けるようだ。
「分裂する……かなり細かく砕かないと動きを止めないか……!」
「さすがIDには詳しいのであるなあ、アイカは」
「呑気か! あんたもID研究者の端くれでしょうが。クロウもディアナも武器で攻撃したらダメだかんね、溶かされちゃうから!」
「う、うむ……分かってはいるが」
「これじゃ手の出しようがないよねえ」
二人とも剣を構えたまま、迫りくる粘液の塊から距離を取るばかりだ。
「私が前に出ます!」
跳躍するシェカールの姿。
着地と同時に踵で地面を踏み込んだ。
辺りに強い冷気が流れ込んだかと思うと、目の前のスライム数体が一瞬で凍りつく。
凍ったスライムを、シェカールが腰から引き抜いた山刀で斬りつけて粉々に砕いた。
シェカールの肩の上に乗ったカグヤはその間に弓を引き絞っている。鋭く放たれた矢が別の凍ったスライムを打ち砕いた。
「ほほ、シェカールの〈グレイシャルピリオド〉の恰好の餌食やな」
「そうか、凍らせれば剣撃も通用するのだな!」
ディアナの大剣が残った氷漬けのスライムを粉砕する。
「〈ザ・ヴォイド〉!」
トヲルが右手をかざすと、目の前のスライムが消失した。
「よし……俺もいける!」
「うん、対処できそうね。でもこの数……長期戦になるか」
広場一面が緑色の粘液で覆われているかのようだ。
「エル、あんた先に行って飛行船を動かす準備を進めてくんない?」
「構わぬが……わしの加勢は不要か?」
エルが指を伸ばした先の巨大なスライムが、破裂音と共に蒸発する。手袋を着けた彼の指先が、ぱちりと爆ぜるような音を立てた。
電気を操る彼の特性〈雷電〉も、スライムには有効なようだ。
「そりゃいた方が助かるけど、アリスもここから逃がさなきゃなんないし」
「分かった……まあ、見る限りおぬしらなら問題はあるまい」
「アリス、〈ワンダーランド〉をお願い。エルを発着場まで連れてったげて」
「う、うん!」
コンコン、ココン。
アリスがリズミカルに空間をノックすると、扉の形に歪み、異空間への入口が開いた。
エルとアリスの姿が異空間に消えると同時に、その場所へとさらに粘液の塊が落ちて来る。
「新手……ッ?」
見上げると、カヴンステッドの中からスライムは溢れ続けており、球体の下部にはまた新たな粘液が溜まりつつつあった。
「姫、カヴンステッドの位置が市街地上空へ移動しています。このままでは市民のいる場所にスライムが」
「厄介な代物や……」
シェカールに言われたカグヤは端末の音声通信を起動させ、機関に連絡をつけた。
「……うちや。市民のみなはんに警報を出しとくれやす。スライムの大群が迫ってきとる。危険やさかい、屋外へ出えへんようにてな」
重さに引っ張られ、スライムの塊がまた落下して来る。
下にあるのは市街地だ。
次の瞬間、まばゆい閃光がスライムを貫き、粘液の塊は上空で霧散した。
「命中ッ! ……ぼくの〈ドーンブリンガー〉も有効だよ!」
白い仮面を額に押し上げたクロウが空中を舞う。その両眼が白い光をたたえていた。
「クロウはんええ感じやわ。普段から元気な人はやっぱ違うなあ」
シェカールによって凍らされたスライムを、カグヤの矢が砕く。
その隣でアイカが散弾状にした血液を打ち込み、緑色の粘液を粉砕する。
「でもあのコの熱線、消耗が激しいから温存しないと……」
カグヤはほほほ、と軽く笑った。
「何言うてはんの、アイカはん。うちの特性をもう忘れてしもたん?」
「そっか、気力を操る〈ホワイト・ラビット〉なら疲労も回復できる……」
「せや。クロウはん、うちがサポートするさかい、広場が片付くまでその調子でお気張りやす!」
クロウは市街地を守るように旋回した。
「任せて! よおし、全部撃ち落としちゃうぞ」
スライムの掃討は続く。
トヲルは直接消失させ、アイカは分裂できなくなるサイズまで血液の弾丸で粉砕する。
ディアナ、ゾーイ、カグヤはシェカールが凍結させて粘性を失ったスライムを攻撃して砕いていく。
クロウは熱線を放ち、上空から落下してくるスライムの塊を全て焼き尽くしているようだ。
街中には警報が鳴り響き始めた。
先ほどカグヤが指示した避難指示が繰り返し音声で流されているのだ。
シェカールの踵が地面を打つと同時に周囲のスライムが凍りつく。
素早く山刀で叩き割る彼の横で、ゾーイの横蹴りが別のスライムを粉々に砕いてみせる。
「お見事です。かなり片付いてきましたね」
シェカールは静かに眼鏡の位置を指で直す。
周囲のスライムは目に見えて分かるほど減って来ている。
「いやあ、腕が溶けたのはびっくりしたけど、シェカールがいて助かったのであるよ」
「向こうはんにとっては相手が悪かったみたいやなあ。せやけど、もうそろそろしんどい。うち、お日様の下が苦手やの」
シェカールの肩の上で、カグヤが次の矢をつがえつつ軽く息を吐いた。
「あともう少しですよ、姫」
「〈ザ・ヴォイド〉!」
トヲルが周囲のスライムを消失させた。
その背後で、ディアナの豪剣が複数体のスライムを撃砕する。
「……どうやら、これが最後のスライムだったようだな」
「上から降って来るスライムも――」
シェカールが顔を上げた。
「今、クロウさんが倒したもので最後のように見えますね」
「うん……でも、姿が見当たらないのが気になるな……」
アイカは取り出したロリポップを咥えながら言う。
「……ロビン・バーンズ、だよね」
「そう。ほとんど知性の無いスライムみたいな怪物が波状攻撃してくるなんて、あの男が操ってるとしか思えないけど……」
都市中に鳴り渡る警報のなか、海辺近くの発着場から盛り上がるような巨影が見えた。
フランケンシュタイン号が浮上し始めたらしい。
「……早いわね、もう動き出した」
ロリポップを口の中で転がすアイカ。
「ねえ……でもあれ、何かちょっとおかしくない?」
上空から降りてきたクロウは、白い仮面を目元に下ろしながら怪訝そうに言う。
確かに、先端が過剰に上を向き、斜めに傾くような形で高度を上げて行っている。
あれではゴンドラの中が立っていられないくらいの傾斜になっていることだろう。
フランケンシュタイン号の周囲に、何か無数の黒い影がまとわりつくように飛び交っているようだ。
「あれは――」
コンコン、ココン。
その時、ノックの音と共に空間が歪み、アリスが異空間の向こうから転げ出て来た。
「た、大変! みなさん、大変なの! 飛行船が怪物の群れに襲われているわ!」
つづく
次回「第57話 怪物に襲われる飛行船へ乗り込んだ俺が、世界の管理者の力を見る話。」
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