第53話 世界の意思の手掛りを得た俺が、温泉でくつろぐ話。
「そしたらこないな所で立ち話も何やし、早速みなさんのお宿に案内しましょか」
と、カグヤはトヲル達を見回す。
「何も珍しいことない小さな街やけど、どうぞ一時でも戦いと旅の疲れを癒しとくれやす」
彼女はそこでふとアイカの姿に気付いて、嬉しそうにその目を細めた。
「あらあ、アイカはんやおへんか。えらいお久しぶりやなあ、急いでぶぶ漬けを用意させるよって食べて行かはったらええわ」
「来たばっかりなのにいきなり追い返そうとすんな」
アイカはロリポップをくわえた口元をへの字に曲げる。
“ぶぶ漬け”とは彼女同士の間で通じるスラングだろうか、アイカは苦手と言っていたものの、二人はよく知った仲のようだ。
「うそうそ、おもてなしの支度が整うてんのはほんまや。せやアイカはんの分も用意せなー言うて、割と早めに思い出したんえ。偉いやろ?」
「何で一回忘れてんのよ」
トヲル達は、カグヤの用意した数台の馬車に分乗して目的地へ向かうことになった。
アイカの馬車は一緒に運んできてくれるらしい。
カグヤの馬車の側では、黒スーツを着込んだ長身の男が控えていた。
「シェカール・ロックです、よろしくお願いします」
男は短く告げて一礼する。
「シェカールはうち専属の秘書兼護衛や。一緒に行動することも多いやろし、覚えといておくれやす」
カグヤも長身な方だが、シェカールは細身であるものの見上げるほどの大男だ。
短く刈り込まれた茶色の髪、隙なく着こなしたスーツと細いフレームの眼鏡がどこか理知的である一方、腰から提げられた大振りな山刀が武骨な雰囲気も漂わせている。
トヲルはアイカ、エルと共にカグヤと同じ馬車に乗り込んだ。
シェカールが御者台に座り、馬車は石畳の道を進み始めた。ディアナ、クロウ、ゾーイ、アリスの乗った馬車がその後ろに続く。
イェルドを始めとするフランケンシュタイン号の職員達が乗る車列は、別の道を進んで行った。
「ここはヤクモ機関のお膝元やさかい、職員はん達用のお宿があんのやわ。アイカはん達は別……あのお山の中腹辺りに迎賓館があって、そこに泊まってもらうの」
カグヤが窓の外を指差した。
建物の灯火に彩られた山が夕空に浮かび上がっている。
「あれ? エルがここにいるんだけど。あっちの道じゃないの?」
アイカがエルを指差す。
「顔を指で差すな。……わしも言わばおぬしらをもてなす側よ。ゆえに迎賓館に泊まる」
「エルはんは何やかんや言うていっつも迎賓館に泊まりはんのや」
「何やかんやではなく、全て正式な理由がある。誤解を招くような言い方をするな……」
顔をしかめたエルは、話題を変えるようにトヲルに言った。
「それよりトヲル・ウツロミよ、事務局長に訊きたいことがあったのではないか?」
「あ……うん」
トヲルは慌てて荷物の中から左腕のガントレットを取り出した。
手の甲の魔石が、青く点滅している。
「カグヤさん、これ……なんですけど」
「ん? 何やのこれ。えらい凝った造りしてはるオモチャやなあ。うちはいらんえ」
「あげないです。オモチャではなくて――」
トヲルはカグヤにマルガレーテの“招待状”について説明した。
話を聞くうちに、彼女の眉間に陰が差す。
「……マルガレーテて……あの魔女はんのことやろ?」
カグヤが見やると、エルは小さくうなずいた。
「ほんでその魔女はんがこのケラススフローレスに呼び寄せはった、と……」
「マルガレーテに関わりがありそうな場所、何か心当たり無いですか?」
点滅する魔石の光が、カグヤの横顔を照らす。
「せやなあ……無くはない。というより――」
カグヤは手にした扇子を口元に添えながら続けた。
「あるとしたら一ヶ所やな」
トヲルは思わず身を乗り出す。
「そ、それって」
「このケラススフローレスはヤクモ機関とゆかりの深い場所やいう話は聞いてはる?」
「え、ええ。発祥の地だって……」
「そうそう。せやからあそこのお山の上に今も残ってんのやわ。かつてヤクモ機関設立のきっかけとなった――」
カグヤは扇子の先で窓の外を差した。
「はじまりのカンナヅキがな」
「はじまりのカンナヅキ……ッ?」
「無くはない、ってか、まさにそこじゃないの?」
勢い込むトヲルとアイカと対照的に、カグヤの反応は今ひとつだ。
「んー……けどなあ……うちはそない期待はできひんと思うの。そやかて――」
「カンナヅキは、もう死んでいるから?」
トヲルはエルの横顔を見やりつつ言った。
扇子を口元に添え、上目遣いを向けるカグヤ。
「あら……知ってはった? せや、あそこにあるのは言うたらカンナヅキの残骸。ヤクモ機関が管理・整備を担ってはおんのやけど、今は辺りを市民の行楽地として公開してもうてるんや。そないな所、わざわざ魔女はんが指定するかなあ」
アイカは軽く肩をすくめた。
「つっても他にアテも無いし、行くだけ行ってみればいいんじゃない」
トヲルは再び魔石の光に目を落とした。
「そうだね、試してみる価値はあると思う」
「ほな今日は日も暮れてまうし、ゆっくりしたらええわ。カンナヅキは今向こうてる迎賓館から行けるさかい、明日案内したげる」
「ありがとう、カグヤさん」
トヲルはほっとしたように笑みを浮かべた。
トヲルの正面に座ったカグヤが、しげしげとそんな彼の顔を見つめる。
「な……何……?」
扇子を口元に添えたまま愉快そうに言った。
「トヲルはん、よう見たらむっちゃかいらしいお顔してはんなあ。竜殺しの勇者て聞いてたもんやから、どないなおとろしい顔したお兄はんが来はんのやろ思うてたんえ」
アイカがロリポップをからりと転がす。
「気を付けなよ、トヲル。このコもこう見えて人外種なんだから。しかもかなり厄介なタイプの」
「何や、別に何もしいひんし。独り占めはあかんえ、アイカはん」
アイカの言葉に、トヲルは改めてカグヤを見た。
「人外種……?」
耳の形が少し細長いくらいだろうか。見た目ではっきりと分かるような特徴はない。
「このコは〈淫魔〉よ。割と見たまんまでしょ」
「誰が淫魔や。あるか、そないな種族」
扇子をアイカに突き付ける。
「そない言うたらアイカはんこそ淫魔みたいなもんやないの。どうせ夜な夜なこのコの体液を口を使って吸い立ててはんのやろ? やらし! こんなかいらし男の子捕まえて! はーやらし! かなんわあ、ほんま」
「そんなことしてないし、あんたの言い草の方がよっぽどいやらしいっての! 〈ヴァンパイア〉をディスってんじゃないわよ、あんたの精気を吸い取る能力こそ、淫魔そのものでしょうが」
「精気吸い取ると違いますぅ、特性〈ホワイト・ラビット〉は気力を操る能力なんですぅ! うちは〈月人〉いう由緒正しい高貴な種族や、あんたはんみたいな生身にむしゃぶりつくような野蛮な種族とは格が違てんの!」
「は? 高貴さで〈ヴァンパイア〉を越える種族なんかあると思ってんの? ウケんだけど!」
とりあえず、カグヤが特性〈ホワイト・ラビット〉、種族〈月人〉というIDであることは分かった。
「……止めないの?」
言い争うアイカとカグヤを横目に、トヲルは隣のエルに囁いた。
「気にするな、いつものことじゃ……あと、止めるとこっちに鉾先が向く」
エルは軍帽を目深に被って素知らぬふりを決め込んでいる。
「えええ……」
トヲル達の馬車はケラススフローレスの中心部を抜け、やがて迎賓館の巨大な門をくぐった。
迎賓館の広い前庭は竹林になっている。
通路の両脇に行燈の光が並び、頭上高くまで伸びた竹を照らし出していた。
夕風が流れると竹の葉がさやさやと鳴り、傾いた夕陽が竹林の向こうで揺れる。
遠くどこからか、小川のせせらぎも聞こえるようだ。
ふと、ひと息つきたくなるような穏やかな空間がそこにあった。
「……」
目の前で言い争っているアイカとカグヤの喧騒も忘れてしまいそうになる。
前庭を抜けると、壮麗な平屋建ての建物が視界の端まで広がって見えた。
周囲を海に囲まれて山がちなこの地では、迎賓館の名に恥じぬ、かなり贅沢な土地の使い方なのだろう。
馬車は正面玄関前の車寄せで止まった。
車から降りたトヲルの様子を見て、ディアナが首をかしげた。
「トヲル、何か顔が疲れていないか? この短時間で何があったのだ」
「いや……まあ、何というか……」
「うふふ、アイカとカグヤの馬車を避けて正解だったのである」
口元を手で押さえて含み笑いをしているゾーイをトヲルがにらむ。
「知ってたんだなゾーイ! なら二人の車を分けとけばいいだろ」
「あの二人は自然と一緒になることが多いのであるよ。きっとああ見えてお互いのことが好きなんであるなあ」
ひとり納得したように頷いているゾーイの肩越しに、小声でまだ何ごとかを言い争っている二人の姿が見えた。
「うん……いや、そうかな? ゾーイの解釈、ホントに合ってる?」
玄関前に揃ったトヲル達に対し、シェカールがカグヤに耳打ちした。
「……姫。みなさんお待ちです」
アイカに対して何か言おうと口を開いた所だったカグヤは動きを止め、小さく咳払いした。
仕切り直すかのように掌を合わせつつ笑顔を作る。
「さ……さあさあ、こないな玄関先で立ち止まりはってもしょうがおへんやろ、中へどうぞ?」
案内された館内は簡素で落ち着いた内装だったが、染み出るような華やかさがあった。
きっと手間を惜しまない、高品質なものばかりが用いられているのだろう。
「まずは当館自慢の源泉かけ流しの温泉や。温泉、入ったことある?」
「聞いたことはあるけど入るのは初めてだなあ」
クロウは期待を隠そうともせず、半ば空中に浮き上がっている。
「クロウ・ホーガンはんやっけ、最初がここでついてはるわ。ケラススフローレスの温泉は美人の湯いうて疲労回復はもちろん、お肌はつるつるになるし、血の巡りも良うなるんえ。しかもうちとこは露天風呂、よそではなかなか見いひんと思うの。きっと癖になりはるわ」
「美人の湯? 聞き捨てならないねえ……」
ゾーイもどこかそわそわしている。
「待ちきれないのであるよ、ゾーイは温泉が無いと生きていけないのである」
「せやった、ゾーイはんもここいらの生まれやしな。ご無沙汰やろ、しっかり堪能しはるとええよ」
「むしろ死ぬ時も温泉の中がいい」
「それは他の人が迷惑やな。どっか邪魔にならへん場所にしときなはれ」
どこからか良い香りまで漂う空間を進み、案内されたのは奥まった場所にある広い部屋だった。
「ここはお風呂上がりの休憩所。ほんであのカーテンの向こう側がお風呂場になってんの」
カグヤは説明しながらそのカーテンの側へ進む。
「やった、お先に失礼するのである!」
ゾーイが真っ先にカーテンの向こうに消えた。
「み、みんなで一緒にお風呂に入るのかしら? どうしよう、そんなの初めてよ」
「……わたしも人前で裸になるのは少し抵抗が……」
「大丈夫大丈夫、ぼく達しかいないんだから。背中流したげるよ、二人とも」
もじもじしているアリスとディアナの背中を押しつつ、クロウもゾーイに続く。
「つうかあんたも温泉入るつもりなの?」
アイカがカグヤを見て言った。
「当たり前やろ、何でうちだけ外で待っとかなあかんの」
そのカグヤの後ろについて歩いていると、彼女は不意に立ち止まってトヲルを振り返った。
「……殿方はんは、あっち」
カグヤが笑顔で指差す先に、同じようにカーテンの下がった入口がある。
見ればエルは慣れた様子でそちらへと向かっていた。
アイカが眉根を寄せてトヲルを見ている。
「……お風呂場だっつってんじゃん。何一緒に入ろうとしてんのよ」
「ち、違う違う! 案内の途中だと思ってただけだから!」
トヲルは慌ててエルの後を追った。
*
脱衣所で裸になったトヲルは、恐る恐る浴場を覗いた。
目に入ったのは風に揺れる竹林だ。
竹林越しに見える美しい夕空にはすでに月が昇っていた。
「うわあ、完全に外だ……これが露天風呂……?」
扉の向こうは正面が大きく外に向けて開けており、あまりの見晴らしのよさに気後れしてしまう。
石組で作られた広い浴槽には、たっぷりと湯がたたえられており、今も注ぎ口から滔々と湯が流れ込んでいる。
どこからか舞い込んだ桜の花びらが時おり湯気に踊る。
先に入っていたエルはもう顎先まで浴槽の湯に浸かっていた。
頭には丁寧に折り畳んだ手拭いを載せ、目を閉じてすっかりくつろいでいる。
「ちゃんと洗い場で身体を流してから浸かるんじゃぞ」
まごついているトヲルに、彼は片目を薄く開いて告げた。
「う、うん……」
言われた通りにトヲルは頭から湯をかぶり、全身を洗い流してから湯船に片脚をさし入れた。
「あちち……熱ッ、熱い! いやあっついなコレ!」
「やかましいぞ、こら。ある程度は我慢して入るものじゃ」
「……が、我慢……」
ゆっくりと浴槽に身を沈めると、滑らかな湯が彼の全身を包み込んだ。高温だが、確かに耐えられないほどではない。痺れるような湯加減に、トヲルは思わず溜息をもらした。
「くああ……気持ちいい……これが温泉かあ……」
エルは、返事ともうめき声とも取れない音を喉の奥で鳴らしたきり、動かない。
ゾーイに負けず劣らず、彼も温泉が好きなのだ。
沈黙が降りると、露天ならではの色々な音が耳に届く。
竹林を流れる風の音。
遠くで流れるせせらぎの音に、浴槽に流れ込む湯の音。
その全てが心地よい。
明日――。
はじまりのカンナヅキを訪れる。
もしかしたらそこから何かがまた新しく動き始めるかも知れない。
今はこの豊かな時間に身を委ねて英気を養おう。
トヲルもそっと目を閉じた。
つづく
「第54話 温泉を堪能する俺が、雪男から静かな激励を受ける話。」
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