第49話 悪夢と再会した俺が、世界の管理者の敬礼を受ける話。
雨が、強く降り続いている。
雷は遠ざかったようだが、濡れた暗い山道を馬車で下るのは危険だ。
トヲル達は夜が明けるまで野営することにした。
馬車の雨避けの下に作った焚き火で、アイカが鍋で何かを煮ている。
「何作ってるの?」
トヲルが彼女の手元を覗き込んだ。
「何って、適当に野菜とソーセージをぶち込んで煮てるだけ……強いて言えばポトフかな。暗いし雨だし、鍋ひとつでできてお腹の足しになるから」
そう答えながら視線を上げたアイカがトヲルの顔を見てびくりとなった。
「……なんか、あんたの顔が見えてると落ち着かないな。ちょっと消えてくんない?」
「ひどい」
「まあ、アイカの言わんとしてることは分かるが、言葉だけ聞けばただの暴言だな」
ディアナは大人しくクロウに毛並をブラッシングされている。
先ほどまで逃れようと暴れていたが、抵抗は諦めたらしい。
「トヲルは透明化を制御できるようになったのだろう?」
「うん、意識を向ければ……」
トヲルの全身が透明になって消えていく。
「なるほど……リサの推測通りなら、あたしらの認知が変えられたってことになるわね。とにかくこれでいつも通りだ」
「えーっ、困るよう。ぼくはまだトヲルの素顔を見てないんだよ」
両目の安静を強いられているクロウは、依然として白い布で目隠しをしている。
「別に戻ろうと思えば戻れんでしょ?」
「そうだね、ちょっと慣れてきた」
トヲルは喋りながらまた姿を現した。
「でも、透明状態の俺を認知できるアイカやディアナはまだしも、クロウやゾーイにとっては透明じゃない方がいいかも知れない。端末が壊れたから、アバターも出せないし」
「そうだよそうだよ、ぼくがまたトヲルに着替え見られたらどうすんの」
「えっ……」
ぎょっとしたようにゾーイがトヲルを見る。
「過去を捏造するな。見てないうえに俺は着替えを阻止した側だ」
とはいえ、あの時のような事故がまた起こらないとも限らない。
「ゾーイとしてもトヲルがどこにいるか分からない方が落ち着かないのであるよ」
「んー、そりゃそうかもだけど……」
不服そうに鍋の中身を器によそうアイカ。
「きっとアイカはトヲルの顔が可愛いから照れているのであぢぃゃあああッ?」
アイカがポトフの具材をゾーイの頬に押し当てた。
「何すんのッ?」
「あ、ごめん。あんた猫舌なんだっけ」
「ほっぺは猫舌関係ないのである! 誰でも熱いでしょうが!」
「しっかり火が通ってるみたいね。食べる?」
ポトフの椀をゾーイに差し出すアイカ。
「顔に当てた具を椀に戻さなかった、今? ……まあ、食べるのであるよ。お腹空いてるし」
ぶつぶつ言いながらも椀を受け取ると、息を吹きかけて冷ましだした。
「ほかにポトフ食べる人?」
「はあい、食べるー」
クロウを始めとして、全員が応じた。
考えてみれば昼過ぎにティーパーティで軽食を取ったきりだった。
塩とスパイスのシンプルな味付けだが、しみ出した肉と野菜の旨みが胃袋から疲れた身体に溶け込んでいくかのようだ。
「ディアナにはお皿でよそったげるね」
「助かる」
目の前に置かれたポトフの皿に鼻先を近づけた彼女は、不意にその耳を立てて森の奥の暗がりに顔を向けた。
「……」
「……何? なんかいるの?」
「今の音は……」
狼であるディアナは、嗅覚と同様に聴覚も鋭敏なようだ。
雨音の向こうに、何かを聞き取ったらしい。
ディアナが見つめる先にトヲルも視軸を向けた。
焚き火の光の向こうは暗闇が広がっている。
その暗闇の隅に、赤いものが揺れた。
その赤いものはこちらへ近付いて来るように見える。
そこには手と足が――。
「ひッ?」
アイカが蒼ざめた顔で小さく息を呑む。
それが何なのかを確かめる暇もなく、その赤いものは駆け寄って来た。
焚き火の光に全身が照らし出される。
「お姉さん達! 良かった、まだここにいたのね!」
それは赤いエプロンドレスを纏い、クマのぬいぐるみを胸に抱きかかえた幼女。
「あ――アリスッ?」
トヲルは思わず声をあげた。
息を弾ませたアリス・ブラックホースが嬉しそうな顔で立っている。
「え、アリス? いるの?」
目隠ししたクロウがきょろきょろと首を巡らせる。
「あんた何でここに――とにかく雨避けの中に入って」
アイカは雨水を拭くための乾いた布を渡したが、アリスはそれほど濡れてはいなかった。
「ありがとう、アイカさん。すぐそこまで〈ワンダーランド〉で来たからそんなに雨に降られてはいないわ」
アリスは自分ではなくぬいぐるみの水気を布に吸わせて、濡れないように馬車の荷台に置いた。
「……やはりな。例のノックの音が聞こえた気がしたのだ」
納得したようにつぶやくディアナをアイカがにらんでいる。
「それならそうと言ってくれればいいじゃん」
「アイカも血液の気配を感じ取れるだろう」
「い、いきなりだったからびっくりしたのよ」
「びっくりしたのはオバケかと思ったからでしょ? アイカの苦手なやつ」
クロウが手元のフォークを振った。
「思ってないし。苦手でもないし」
「後半はただの嘘だよね?」
クロウの言葉は聞き流して、アイカはアリスに言った。
「アリス、あんたもポトフ食べる?」
「嬉しい、もちろんいただくわ」
アリスは笑顔で器を受け取ると、トヲルの方を見た。
「やっとトヲルさんとお顔合わせてお話できるのね。きれいなお顔……メイさんととてもよく似ているわ」
きれいという表現に戸惑いつつも、メイに似ていると言われてトヲルは単純に嬉しくなった。
「……驚いたよ。マルガレーテと一緒に行ったと思ったから」
アリスは器を抱いてえへへ、と笑った。
「わたし約束したのよ、トヲルさんがメイさんと会えるようにお手伝いするって。みなさんをカヴンステッドへ連れて行ってあげないと」
お茶会で彼女が言ったことはどこまでも本気だったようだ。
「じゃあカヴンステッドへ……君の〈ワンダーランド〉を繋げることができるようになったんだ?」
「いいえ、そこはやっぱり〈ワンダーランド〉では行けない場所。マルガレーテさんがそうできないようにしてるから」
「特性による干渉を絶つとかっていう――例の障壁ね」
アイカはポトフの根菜をかじる。
「ええ、きっと。でもマルガレーテさんに行き方は教えてもらったの。だからわたしは案内係なのだわ」
ポトフの具にフォークを刺そうと苦心しているアリスに向け、ディアナが口を開いた。
「それはつまり……マルガレーテが、わたし達を呼んでいるということか」
そのディアナを見て、アリスが目を円くする。
「気のせいじゃなかった、おしゃべりしてる! おっきなわんこ! このコやっぱりおしゃべりしてるわ!」
「わたしは狼……」
「これがディアナの完全体よ」
「ディアナさん? このコがディアナさんなの?」
「勝手に完全体を設定しないでくれ。この姿はむしろ戦闘力が減衰している状態だ」
アリスはポトフの器をかたわらに置いて、伏せていたディアナの腹部に顔面から勢いよく飛び込んだ。
「ぐはぅッ?」
「ふわあ~! もふもふ~ふかふか~」
毛皮に顔をうずめて無邪気に歓声をあげている。
「……ポトフが口から出るかと思った……アリス、話が完全に途切れたのだが」
「何かしら?」
「マルガレーテが、きみをここへよこしたのだな?」
「え? ええ。招待状も預かっているわ」
毛皮に埋もれたままのアリスが鞄から黒い小箱を取り出して掲げた。
小箱を手にしたトヲル。
しっかりと紐が掛けられ、黒い封蝋に六角形の封印まで捺されている。
「招待状……?」
開封すると、中には黒曜石のように黒いパネルがひとつだけ入っていた。
掌に入るほどの大きさで、六角形をしたそのパネルには見覚えがある。
「……HEXだ」
トヲルは眉根を寄せて言った。
わきから覗き込んだアイカがそのパネルを手に取り、焚き火の光に近付ける。
「……確かにとてもよく似てる。HEXはマルガレーテの術式詠唱を再現する装置だって言ってたっけ。そのアイディアを逆に彼女自身が取り入れて使ってんのかもね」
「どういうこと?」
「HEXと同じように、これに何かしらの術式が込められてるって考えていいんじゃないかな。で、カヴンステッドへ行くにはその術式が必要になるとしたらどう? 招待状なんでしょ、これ」
アイカは黒いパネルをひらひらと揺らして見せた。
「なるほど……」
「マルガレーテさんはその黒い石のことを、“魔石”って呼んでいたわ」
アリスがそう付け加えた。
「魔石ねえ……」
「術式が込められた石――魔石、であるか。剣呑な代物だけど、アイカの推測通りだとすれば捨てる訳にもいかないであるな」
冷めきったポトフの器に口をつけつつ、ゾーイが言う。
ディアナも鼻先に警戒の色を滲ませつつ、“魔石”に顔を近づけた。
「しかしどういうつもりなのだろう。これもカンナヅキの意思というものなのか?」
「どうだか……その辺もはっきりしないわね」
クロウがそこで首を傾げた。
「あれ? マルガレーテもカンナヅキってやつなんだよね」
「かつてはそうだったのかも知れないけど。さっきヴィルジニアが言ってたでしょ? カンナヅキの意思を実行する代理人はヴィルジニアとロビン――あのコの言葉通りだとすれば、そこにマルガレーテは含まれてない」
トヲルは、彼女の底の知れない黒い瞳を思い出した。
確かにあのマルガレーテが、自分の意思以外に従って動くとは考えにくい。
「……そういえばアリス、ヴィルジニアのことは知ってたの? ロビンやマルガレーテと仲間だったって」
クロウに話を向けられたアリスは首を振った。
「いいえ。お茶会の時にお話した時もそんな素振りはなかったから、わたしも驚いたわ。黒いコートは三着あったの。二着はマーティさんの分とロビンさんの分だから、もうひとりマルガレーテさんのお知り合いが来るのかしら、とは思っていたけれど」
アリスはヴィルジニアに黒コートを手渡していた。
さしずめあの黒コートが彼女達の合印のようなものなのだろう。
「この招待状が、カンナヅキによる企みの一環かも知れないのであるな」
「ていうかマルガレーテ本人が呼び寄せてんだから、どっちにしても一から十までが罠だけどね」
「だがアイカ。それはわたし達にとっていつものことだろう?」
「まあね――」
ディアナの言葉に、アイカは肩を竦めた。
「こうなりゃ望むところよ。誘いに乗ってやるしかないんじゃない。ね、トヲル」
と、彼に黒い魔石を投げてよこす。
「ああ、もちろん!」
トヲルは右手でしっかりとその魔石を掴んだ。
*
夜が明けても雨は降り続いていたが、雲を通して届く陽の光によって辺りは見通しが効くようになった。
アイカの御している馬車が、エクウスニゲルの山間から麓へと下りて行く。
「……フランケンシュタイン号だ」
と、アイカがつぶやく。
行く手の荒野に、雨で霞む飛行船の巨影が見えた。
「わざわざ出迎えとは気が利くじゃない」
「それにしては何やら雰囲気がものものしいのであるな。職員が下船しているのである。あの数、一〇〇はくだらないのであるよ。ほぼ乗組員全員っぽい」
アイカの横から首を出したゾーイが手を筒のような形にして目に当てている。
「え、ここから見えんの?」
「〈ブラック・ファラオ〉で眼球を望遠仕様に変形させたのであるよ」
「便利ね。何かキモいけど」
「何かキモいとか言わないで?」
ディアナも御者台に前脚をかけて身を乗り出した。
「……しかし、このまま近付いても大丈夫だろうか」
「どういうこと?」
と、トヲルが尋ねる。
「ヤクモ機関長のエルは、信用できる相手なのか? マルガレーテのことも、ヴィルジニアのことも、ましてやレッドドラゴンのことも、彼は事前にひと言も告げてこなかった。だが機関長たる身分の者が、それらを全く知らないはずがない。何より一連の出来事はヤクモ機関の任務だとヴィルジニアも言っていただろう」
――不必要な情報を与えることはないし、質問しても答えることはない。
作戦会議の時に、エルはそう言っていた。
トヲル達が得た情報は、結局ほとんどがヴィルジニアの口から語られたものばかりだ。ヴィルジニアがカンナヅキというトヲル達とは別の意思の下に動いていた以上、それらの情報もどこまで事実かも定かではない。
同時に、ヴィルジニア達がヤクモ機関の本流だという発言も鵜呑みにはできない。
「……あの人が情報を伏せていたのは間違いないよね」
だがアイカは軽い調子で言った。
「だから締め上げて吐かせんのよ、洗いざらいね。最初に言ったでしょ、いけ好かないじいさんだって」
「クソジジイって言ってなかった?」
「それ言ったのはヴィルジニア」
クマのぬいぐるみを抱き締めたアリスが不安げに身じろぎした。
「わたし、ここにいて怒られないかしら? あの人達、マルガレーテさんと仲が悪いのでしょう?」
クロウがのんびりした様子で応じる。
「んー、そんな簡単な感じでもなさそうだけどねえ。いざとなったら〈ワンダーランド〉へ逃げちゃえば平気だよ」
アイカ達の馬車はゆっくりとフランケンシュタイン号へと近付いていく。
ヤクモ機関職員の制服だろう。
男性は詰襟を、女性は振袖袴を着て、雨の中整列していた。
馬車を待ち受けるかのように、微動だにしない。
列の先頭に立っている幼児のような男が、機関長のエル・F・ロッサムだ。
相変わらず詰襟服の上にインバネスコートを羽織り、赤いステッキを突く手には手袋を着けている。
目深に被っている軍帽に雨粒が跳ねていた。
「……」
馬車を停めたアイカが、御者台の上から黙ってその小柄な姿を見下ろしている。
彼女の脇からトヲル達も顔を出し、様子を見守った。険しい顔つきの職員達に怯えた風のアリスは、ぬいぐるみとディアナの毛皮の隙間になかば埋もれている。
沈黙のなか、しばらく雨音だけが耳を打つ。
不意にエルが音を立てて踵をそろえた。
彼が赤いステッキを顔の前に捧げると同時に、並び立つ職員全員も踵を揃えて一斉に馬車に向かって敬礼した。
呆気に取られてその様子を見つめるトヲル達を、エルは敬礼したまま静かに見返す。
「見事じゃった――」
あどけない口元で、世界の管理者たる彼は厳かに告げた。
「稀代の勇者達へ、最大限の敬意と謝意を」
つづく
次回「第50話 世界の管理者と朝食を共にした俺が、事件の背後を聞く話。」
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