第48話 研究所跡地を離れる俺が、仲間達と焚き火を囲む話。
「ヤクモ機関の……本流……?」
トヲルはアイカの横顔を見やった。
雨に濡れた金髪を顔に張り付けて、アイカは黙ってヴィルジニアを見つめるだけだ。
宙に浮かせていた紅い槍は引力に耐えきれず、血液に戻って地面に広がっている。
「ヤクモ機関の離反勢力がマーティ・サムウェルで、おれの標的だったってのは本当だ。調査対象としてじゃなく、監視対象として――だけどな」
平然と語るヴィルジニアをロビンがたしなめる。
「ヴィルジニア、教える必要のないことだ」
「別にいいだろ。この件は片が付いたんだし、こいつらは当事者だ」
ヴィルジニアはアリスの背中に手を当てた。
「アリス、おまえは中に戻ってろ。せっかく貰ったぬいぐるみが濡れちまうぞ」
アリスは不安そうに彼女を見上げたが、何も言わなかった。
トヲル達を振り返りつつ異空間の向こうに姿を消す。
「……あえて、あの男を泳がせていたのか?」
ディアナが口を開く。
「マーティはレッドドラゴンという厄災級の力を手に入れて、その力でこの世の全てを破壊しようとしていた。もちろん到底見過ごせない危険な思想なんだが、ヤクモ機関としてはそれを完全には否定しなかった。つまりうまくやれば――確かに世界を掌握する最強のツールが手に入るかも知れないって考えたんだな」
レッドドラゴンで……世界を掌握する?
本当にヤクモ機関がそんなことを考えていたのだろうか。
「マーティ・サムウェルの蜂起を適切にコントロールする。それがおれ達に与えられた任務だった」
ロビンも諦めたようにヴィルジニアに合わせた。
「……ゆえに私が研究所襲撃に失敗したマーティに接触し、彼とマルガレーテを引き合わせることで彼の目的の手助けをすることにしたのだ」
ゾーイが言う。
「……マーティは、最初からおまえ達に利用されていたのであるな」
「マーティもある程度そのことには気付いていただろうよ。向こうは向こうで私を利用していたのだ。口癖のように、自分は何も信用しない、と言っていたからな」
「ロビンがマーティの計画を手助けする任務をこなす一方で、おれは計画を阻止するっていう全く相反する任務についた。さっき言ったみたいに、本気で敵対するんだ。何しろモノはレッドドラゴンだ。あとで何か問題が起きたら取り返しがつかないからな」
「任務でわざわざ対立を……?」
「意図的に負荷の高い環境を作り出すことで、状況の危険性や脆弱性をあぶり出そうとしたのだろう」
腑に落ちない様子のトヲルに、ディアナが言う。
「兵団で言うところの軍事演習に近い考えだ」
「もう少しでレッドドラゴンを制御下に置ける所だったが……ヴィルジニアを始めとするお主らにしてやられたよ」
「おれだってシーサーペントに呑み込まれるは、毒で身体ぼろぼろになるはで散々な目に遭った。けど――」
ヴィルジニアはそこで破壊尽くされた辺りの様子を見回した。
「おれはこれで良かったと思ってる。〈ドゥームズ・デイ〉はヤバい。制御できたとしても、周囲への被害が計り知れないよ」
「まあ、結果は結果だ。厄災級の怪物とて最強たりえぬ。そういうことなのだろう」
そう言ったロビンはトヲルの姿を見据えた。
「……ヴィルジニア、やっぱりよく分からないよ。結局きみはアイカやゾーイと同じヤクモ機関なんだよね? あっち側もこっち側もないじゃない。おかしいよ、どうして距離を取ろうとしてるんだよ」
と、クロウが呼びかける。
「同じじゃないんだ。昨日話したカンナヅキのこと、覚えてるよな?」
カンナヅキ。
ヤクモ機関の創設者。
機関長のエルはカンナヅキの生き残りで、マーガレットは記録に残っていないカンナヅキのひとり――そう聞いた。
「あの時の説明は間違いでもないが、正確じゃない。カンナヅキってのは――意思だ」
「意思……?」
「ヤクモ機関の上位意思、だな。つまりヤクモ機関の創設者は、カンナヅキの意思を実行する代理人みたいなもんだった。で、今はおれとロビンが代理人だ。昨日と同じ言い方をすれば、カンナヅキはおれ達――ってことになる」
「ヤクモ機関の本流ってのは、そういう意味?」
アイカは静かに言った。
「ああ。ヤクモ機関の深部、と言ってもいいかな。カンナヅキの意思はこれから次の段階に進む。だからおまえ達と一緒に行動するのは、ここまでなんだ」
そう言ってヴィルジニアは翠色に光る瞳を寂しげに細めた。
雨音が辺りを包む。
誰しもが濡れることを忘れたかのように、無言だった。
無言のまま、話は終わったとばかりにロビンは石壁に開かれたままの異空間へと足を踏み出した。
ヴィルジニアもそれに続いて踵を返す。
「ヴィルジニア!」
トヲルはその背中にもう一度呼びかけた。
「……俺達は敵同士になるのか?」
「それはおまえ達次第だ」
背中を向けたまま、ヴィルジニアは答える。
「トヲル、妹の消息が分かって良かったな。トヲルの妹ならおれの妹だって言ったのは本心だぜ。おれもカヴンステッドにおまえの妹がいたなんて思いもよらなかったし、普通に嬉しかったんだ。でも――」
彼女は少し上を向いて続けた。
「でもな、助けを必要としてるきょうだいは他にもまだ世界中にたくさんいるんだ……そいつらを放ってはおけないだろ。カンナヅキの意思を実行することで、そいつらを助けられるはずなんだ。悲しいけど、そのためには犠牲も生まれちまう。助けられるもんなら全員を助けたいけどな、できる限りのことをするしかない」
「ぎ、犠牲……?」
ヴィルジニアが異空間に向けて歩を進めると、濡れた黒コートが広がった。
「……おまえがカンナヅキの意思を阻もうとすれば、おれ達は敵になる」
言い残して、彼女の姿は消えた。
「……犠牲……犠牲って何だ? まさかメイのことを言ってるのか」
ヴィルジニアの姿が消えたことで、〈フライングソーサー〉の影響も消えた。
黙って異空間へと向かうマーガレットへ、トヲルは思わず数歩踏み出した。
「マーガレット! 答えてくれ! あんた達は何をしようとしてるんだ、それに俺の妹は関わっているのかッ?」
「……」
マーガレットは足を止め、帽子の陰から暗黒の瞳で彼を黙って見下ろした。
「メイ・ウツロミを知ってるんだろ! 俺はトヲル・ウツロミ、メイは俺の妹だ!」
トヲルの声が雨音に吸い込まれていく。
マーガレットの帽子にばらばらと雨粒が当たる音が耳に届いた。
「トヲル・ウツロミ……うぬが……メイの兄」
地の底から響くような声が、彼女の口から洩れる。
やはりマーガレットは妹のことを知っている。
マーガレットの表情が、そこで初めて変化した。
それを目にしたトヲルの背筋がぞくりと凍り付く。
彼女の口の端が、漆黒の三日月のように吊り上がっていたのだ。
笑顔だ。
暗闇が迫って来るような、根源的な恐怖を感じさせる笑顔だった。
「……覚えておこう」
マーガレットが帽子のつばに手を添えた時、不気味な笑顔は消えていた。
そのまま、〈ワンダーランド〉へ足を向ける。
「待てッ! 答えろ、カヴンステッドって何なんだ! メイはそこにいるんだろう、返せ! 妹を、メイを返せッ!」
「……トヲル」
アイカが叫ぶ彼の肩に手を置いた。
異空間の扉はすでに閉じ、朽ちた尖塔がただ雨に濡れている。
荒い呼吸が熱を帯びる。
「俺……俺は」
もう少しだ。
妹にもう少しで手が届くはずなのだ。しかし不安が拭えない。
アイカは濡れた髪をかきあげて、ふと気の抜けた声をあげた。
「……雨で身体が冷えちゃった。トヲル、コーヒー淹れてくんない?」
*
研究所跡地を後にしたトヲル達は、馬車を置いた道端まで戻ることにした。
レッドドラゴンによって森は縦横に破壊され、雨の中、あちこちで炎を燻らせていた。
すぐ側の木々まで焼けていたにもかかわらず、馬車は奇跡的に無事だった。
二頭の白馬も自力で逃げ出していたらしく、アイカが指笛で呼ぶと腐葉土を軽快に踏み鳴らしながら戻って来た。
「良かった、カーミラとローラも無事だったか」
ディアナは馬達を見上げて嬉しそうに尻尾を振っている。
人型だったら、首の辺りを撫でていたことだろう。
「トヲル、彼女達も〈ドゥームズ・デイ〉の影響を受けているかも知れない。毒消しを頼めるか」
「そ、そうだね……〈ザ・ヴォイド〉!」
トヲルは馬達の首筋に手を当てて、特性を発動させる。
体内の変化を感じ取ったのか、馬が鼻息を鳴らした。
「正直、馬車のことはうっかりしてたな。何も被害が無くてホント助かった。これから雨の中徒歩で戻るとかしんど過ぎだもんね」
アイカは馬車の雨避けを広げ、その下で火を熾している。
馬車の中には乾いた薪が常備してあるらしい。
焚き火の炎が大きくなって辺りを暖かく照らし始める。
火に当たっているうちに、トヲル達の表情もどこか柔らかくなった。
「ゾーイはお肌が乾燥しがちだから火は苦手なのであるが……こういう時はいいものであるな」
ゾーイが焚き火に手を向けながらため息をつく。
焚き火の近くに寄ったディアナが、ふるるっと勢いよく全身を震わせた。濡れた毛皮から周囲に大量の水が飛び散る。
「ぷうわああッ! な、なになにッ?」
先ほどから口数が減っていたクロウが、思いっきり水を被って悲鳴をあげた。
布で目元を覆っているので見えないのだ。
「ちょっと、ディアナ! 火が消えんでしょうが!」
火の側にいたアイカも頭から水を被っている。
「す、すまない。反射的に……つい」
「もー、何するんだよ! ディアナぼくが拭いたげる! こっち来て!」
少し笑顔になったクロウが乾いた布でディアナを押し包んでわさわさと乱暴に拭いた。
「ふぐっ……クロウ……手探りで拭くのはやめて……」
クロウにもみくちゃにされているディアナは逃れようともがいている。
トヲルはミルで挽き終えたコーヒー豆をドリッパーのフィルターに敷き詰めた。
焚き火に据えた三脚で沸かしたお湯を、ゆっくりと回し注ぐ。
「へえ……それがアイカこだわりのコーヒーであるな。いい香り……」
ゾーイが鼻を動かした。
「俺も手元が見える状態でコーヒー淹れるのは初めてだよ……よし、何だかうまくできた気がする!」
会心の出来のカップを、トヲルは高く掲げた。
「ゾーイはコーヒー初めてでしょ? お先にどうぞ」
「いいのであるか? では遠慮なく」
アイカに勧められてカップを手に取ったゾーイはふうふうと息を吹きかけ始めた。
「いつもの試練だな」
「試練って言わないで、ディアナ」
しっかり冷ましたカップに口を付けた彼女はわずかに目を見開いた。
「おお、これは……今まで経験したことない味であるが……うまいのである! 香りがほっとするし、苦味で気分もすっきりする」
「お、なかなか見込みあるじゃん、ゾーイ。どれどれ……」
アイカも自分のカップに口をつけ、小さくうなずいた。
「うん、おいしい。トヲル、味が安定してきたわね」
「やった!」
笑顔のトヲルの背後で、クロウとディアナがひそひそ囁き合っている。
「……ヤクモ機関の人はみんな味覚おかしいのかなあ」
「その可能性はあるな」
「こういうの、慣れや雰囲気って部分もあるから。クロウもほら、騙されたと思って」
「いやぼくは一度騙されてるんだけど……」
渋々ながらアイカからカップを受け取り、舐めるように中身を口に含んだ。
「……あれ? 何か嫌な苦さじゃないなあ」
意外そうな声で、もう一度コーヒーを飲む。
「うん……平気だ。何だか今はおいしく感じるよ。確かに気分が落ち着くねえ」
「……クロウ、きみは疲れているのだ」
「う、うん。疲れてはいると思うけど、憐れむような言い方しないでよ。ぼくは正気だよ。ディアナもホラ」
「お、狼がコーヒーを飲んではいけない。中毒症状を起こすからな」
クロウの差し出すカップから首を背けるディアナ。
「中毒ってあんた、ニンニクのパスタ作って食べてたでしょうに」
「……バレたようだ」
ディアナは恐る恐る舌を伸ばしてコーヒーを舐め取った。
ぴくりと彼女の耳が動く。
「……。不思議だ、こんなに爽やかな味わいだったか? これは美味と表現してもいい気がする。前に宿で飲んだ時とは全く違うぞ、あの時は畑の土を煎じて飲まされたのかと思った」
「そんなこと思ってたんだ……その印象を払拭できたなら良かったよ」
ゼノテラスの宿でディアナに振る舞った時は、アイカも飲んですぐ吐き出していた。
そのアイカがおいしいと言っているのだから、あの時から味が変わったのは確実だろう。
「……ヴィルジニアが飲んだらどんな反応してたか、見てみたかったねえ」
クロウがぽつりとつぶやいた。
アイカが軽く肩をすくめて言う。
「……別に、この先だって飲ませる機会はあんじゃない?」
「うん……そっか、そうだよね。別れた理由にぼくはまだ納得してないもの、会ってちゃんと話さなきゃ」
と、彼女は小さく笑った。
雨避けの向こうは、相変わらず雨が降り続いている。
それでも揺れる焚き火の炎を見つめていると、くつろいだ気持ちになった。
トヲルは温かいカップを手で包むように持って、コーヒーを飲んだ。
苦味とともに、深い香りが口に広がる。
雨で冷えた身体に、熱いコーヒーが染みわたっていくようだ。
「……ありがとう、アイカ。やっぱりコーヒーはいいね」
「コーヒーを淹れたのはあんたよ、お礼言われても困るんだけど?」
アイカは長い金髪の水を布で拭いながら応じた。
「何だか一度に色んなことが起こって動揺してたよ。でもこんなことで足を止める訳にはいかないんだ。メイと再会するまで、俺は絶対に立ち止まらない」
トヲルの瞳に、焚き火の炎が映って燃えている。
「だからみんな……また俺を助けて欲しい」
そう言うと、アイカが微笑んだ。
「当たり前でしょ。今さら大事な助手に離脱されても困るっての」
「ゾーイもおまえに付き合うのである。ヤクモ機関のこと、色々と気になってきたのであるよ」
腕組みをしたゾーイがそう言って顔を上げる。
「それね。とりあえずあのエルを締め上げて知ってることを吐かせなきゃ」
「わたしも、きみの妹に会えるのが待ち遠しいよ」
緩く尻尾を振るディアナの横で、クロウも笑顔で言った。
「任せて、トヲル。さらにパワーアップしたぼくの力に期待するといいよ!」
雨の降りしきる夜の森は少し先も見通せないほどに暗い。
その暗闇を貫くかのように、焚き火の炎は勢いよく燃え上がる。
火を囲む仲間達に、トヲルは力強くうなずいてみせた。
第二部 完
次回「第49話 悪夢と再会した俺が、世界の管理者の敬礼を受ける話。」
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