第46話 赤竜と対峙した俺が、空に轟く雷光を見上げる話。
レッドドラゴンの放射した熱線が迫る。
身体が巨大化した分、熱線の大きさは崖の上全体を覆い尽くすかのようだ。
「〈ザ・ヴォイド〉ォッ!」
トヲルが両手をかざしている。
熱線は、次の瞬間には消失していた。
『……ほう』
ロビンが意外そうな声を漏らす。
「無駄だ……あんたの熱線は、俺達には通じない……!」
トヲルは荒い息を抑えつつ、鋭く言い放った。
「……真っ向勝負はまずいって。あんたがオーバーヒートしちゃうでしょ」
トヲルの腕を取るアイカに、彼は振り返ってささやいた。
「……でもそのことはロビンは知らないよ。はったりでも、攻撃を止めさせることができれば何とかなるかも知れない」
「……何とかって……」
アイカは困惑気にレッドドラゴンの様子を横目で見た。
暗い空に雷鳴が響く。
『……私には見えぬが、そこにひとりいるのだな、透明な肉体の持ち主が。レッドドラゴンの熱線を消失させた、か……何やら絶対的な力を宿しているようだ。私達の側で得ることができていれば有用な特性だっただろうが……まあ、たらればの話を今は言うまい』
赤竜は両腕、両翼を広げた。
赤い光が強くなる。
『このIDの真価は特性〈ドゥームズ・デイ〉だ。この破滅の光を防ぐことまではできておらぬだろう。結果は変わらぬ』
赤い光を放ったまま、竜はゆっくりとトヲル達の頭上へと昇って行く。
いつの間にか空はすっかり低い雲に覆われ、その赤い光を照り返している。
アイカは口元を指で拭った。
指先に付着する血――口の中から出血している。光による身体の破壊が表われ始めたらしい。
そもそも、ゾーイの力でどこまで身体を回復できたかも定かではないのだ。
禍々しい赤い光を見上げて、彼女は声を張り上げた。
「それは――あんただって同じでしょ。この光に曝されて無事なのは障壁を作り出せるって言うマルガレーテとアリスくらいだと思うけど」
『そうだな、その障壁を成すマルガレーテの術式が施されたのがこの白装束だよ。ゆえに私にも影響は及ばない。そもそもマーティの特性からして周囲を毒で侵す〈毒手〉だ。ともに行動していて、無防備でいるはずもなかろう』
ロビンは白い頭巾の向こうでそう言った。
『……お主らの詰みだ。レッドドラゴンを相手に、よく健闘したものだよ。だが惜しいかな、ここまでだったのだ」
「……」
トヲルは黙って上空のレッドドラゴンをにらむ。
その時、あっはっは、と能天気な笑い声がした。
「そう見くびらないで欲しいなあッ!」
白い翼を広げたクロウが、レッドドラゴン目掛けて急上昇していく姿が見える。
「まだまだこんな所じゃ終わらないさ! ぼくはチェスで詰んでも諦めないんだよ!」
『それはお主がルールを理解しておらぬだけだ』
竜がその首を彼女へ向けた。
「純白の翼を広げ、空を駆ける黒髪の乙女、その名は〈天魔〉クロウ・ホーガン! 天空の覇者!」
クロウは口上をあげながら両眼を閉じ、腰の太刀を鞘ごと抜き取った。
「その翼は暗雲を払う白き風、その瞳は黎明を呼ぶ白き光! 赤い悪魔、何するものぞ!」
顔の前で鯉口を切り、なかほどまで刀身を広げるクロウ。
対するレッドドラゴンもその七つの顎を全て大きく広げた。
ぱちん。
太刀が納められると同時に、見開かれた右目が白い閃光を放つ。
「ぶち抜けッ、必殺〈ドォオオオオオン――ブリンガァアアアアア〉ッ!」
『お主らにはどうすることもできぬよ、このレッドドラゴンはなッ!』
竜の口からも赤い閃光が迸った。
再び赤と白の熱線が両者の間でぶつかったが、今度は圧倒的にレッドドラゴンの熱線が上だった。
巨大化したレッドドラゴンの熱線が、今にもクロウの姿を呑み込もうとしている。
「……不撓不屈……全身全霊……ッ!」
クロウの食い縛った口の端から血が流れる。
背中の翼が震え、ばさりと倍の大きさに広がった。
「フ……ル……パワアアアアアああああッ!」
彼女の叫びとともに左目の奥にも白い光が揺れ、鋭い閃光と化した。
両目から放たれる白い光は見る間に巨大化していき、レッドドラゴンの熱線を押し返していく。
せめぎ合う熱線同士が飽和状態になり、大気を震わせながら爆散した。
衝撃が空を覆う雲を円形に吹き払う。
爆炎がおさまった空を、クロウがひらひらと木の葉のように落ちて来る。
大きく広がっていた翼の羽根が空に散っていき元の大きさへと戻っていく。
ディアナが素早く山肌を蹴って跳躍し、クロウの身体を空中で抱き止めた。
「……ふええ、焦げちった、ぼくの大事な翼!」
酷使したクロウの両目から涙と一緒に血が流れる。
「焦げどころか穴が空いてるぞ。重傷じゃないか。まったく無茶をし過ぎだ……」
「ふふふん……でも囮役はきっちりこなせたんじゃない? ドラゴンスレイヤーになるチャンスは逃しちゃったけどねえ」
ほのかに白い光を揺らす両目を細めて、クロウは力なく笑った。
着地の体勢を整えながら、ディアナも呆れたように微笑む。
「まだ狙っていたのか、それを。今はとにかく、ゾーイに怪我を治してもらうんだ」
レッドドラゴンも無傷ではなかった。
七つの首のうちひとつが爆発を受けて傷つき、流体に変化して再生をし始めている。
『ひとりで巨大化したレッドドラゴンとも張り合うとは末恐ろしい娘よ。排除しておくべきだというマーティの直感は間違っていないらしい』
その様子を見上げていたロビンは、おもむろに視線を崖の上に戻した。
アイカが崖の先端に立っている。
「……?」
ロビンが違和感に気付くまでに少しかかった。
アイカが血液で作り出していた紅いマント。
先ほどまで彼女がまとっていたそのマントが、無い。
アイカの視線が上を向く。
ロビンもつられるように上を向いた。
彼の頭上に浮く、レッドドラゴンの、さらに頭上。
熱線の爆発で、雲が部分的に晴れている。
ロビンの目には見えなかった。
しかしその晴れた夜空には、上空から猛スピードで落下してくるトヲルの姿があった。
アイカが自分のマントでトヲルの身体を雲の上まで運んでいたのだ。
身にまとうマントが風を切る激しい音がする。
吹き付ける強風に目を開くのもやっとだが、レッドドラゴンの赤い光はよく見えた。
ロビンは見えないながらも、何か悟ったようだ。
『……あの透明人間か! 先ほどの娘の攻撃は陽動、お主が切り札のつもりだな!』
再生を終えたレッドドラゴンがさらに光を強める。
『だが選んだ攻撃がやみくもな突撃とは何と愚かな。全力で死地に跳び込むなど自死に等しい行為だ。お主はレッドドラゴンを射程に捉えることすらできず、破滅の光を前にこのまま空中で崩壊するッ!』
ロビンの言葉の通りだった。
トヲルの視界が赤黒く濁り始めたのは、眼の中で出血し始めているからだろう。
すでに風の音も聞こえない。噴き出た血が耳を塞いでいるのだ。
口や鼻の奥は大量の血液で充満している。
トヲルは、苦しげに右手を自分の胸に当てた。
*
その少し前。
「……何とかって……」
アイカは困惑気にレッドドラゴンの様子を横目で見た。
「まさか至近距離まで近づいて〈ザ・ヴォイド〉を使うってんじゃないでしょうね」
トヲルはうなずいた。
「それが一番確実じゃないか」
「馬鹿、近付く前にあんたがやられちゃうわよ。あいつの特性、きっと巨大化したことで強力になってる。あたしの〈クイーン・オブ・ハート〉も、あの光からは守ってあげらんないし」
トヲルの胸に人差し指を突き付けるアイカ。
「ぶっ倒れたばかりでしょ。ゾーイの特性だって完全に身体を回復させるものじゃないんだから。これ以上まともにあれを喰らったらあんたの身体はもうもたないって」
「うん、それに〈ブラック・ファラオ〉は死体には使えない。身体の傷を治す前に命を落としちゃったら、ゾーイでもどうしようもないのであるよ」
ゾーイもアイカに同意した。
トヲルは少し離れてこちらを眺めているマルガレーテを見やった。
「俺……さっきマルガレーテが〈ドゥームズ・デイ〉について語ってた言葉を聞いてたんだよ。命を害する物質、破壊の矢が無限に放射されている状態だって」
「あの赤い光がそれってことね。だから近付けば近付くほどヤバいって話じゃん」
「ヤバいのは光そのものじゃなく、命を害する物質――身体に入り込んだ毒ってことだと思うんだ」
「……何が違うのであるか?」
首を傾げているゾーイの横で、アイカの顔色が変わった。
「そしてアイカ、君はこう言ってた。俺の〈ザ・ヴォイド〉――存在を消す能力には本来、死角がないかもって……」
アイカは険しい顔でトヲルを見つめた。
「……あんたが考えてるそれ、あたしが許すと思ってんの?」
「え? え? まだよく分からないのである。アイカ何怒ってるのであるか」
トヲルは言った。
「アイカ……俺を信じられる?」
それは、以前ゼノテラスでアイカがトヲルに投げかけた問いだった。
かつてのトヲルと同様に面食らったようなアイカだったが、少し口を噤んだ後に答えた。
「あんたはあたしの助手でしょ。自分の助手を信じなくてどうすんの」
「……うん、俺も君を信じるし、みんなを信じる。俺は俺を信じる。きっとやれるよ」
アイカは困ったような笑顔を覗かせて言った。
「……あーあ、あんたの血なんか飲むんじゃなかった」
「血? それ何か関係あるの?」
アイカはトヲルからそっぽを向いて、クロウやディアナに声をかけた。
「気にしないの。みんな聞いて、動くよ」
*
体内に入り込んだ毒が身体を壊していくのなら、その毒が無くなれば症状を止められる。
毒は目に見えないけれど、毒の存在そのものを消失させるのだ。
空中を落下しながら、トヲルは胸に当てた右手に力を込める。
そのために、自分自身に対して〈ザ・ヴォイド〉を発動させる。
正確に、緻密に、身体のなかの、毒だけを消さなければならない。
下手したら、自分の力で自分を消し飛ばしてしまう。
アイカが不機嫌になったのはそんな命懸けの行為が彼女の考え方に合わないからだろう。
普段の言動はそっけないが、彼女の本質はとても優しい。
毒の存在をよりはっきりと感じ取るためにも、レッドドラゴンに接近して毒の症状を進める必要もある。
毒が致命傷になる寸前、ぎりぎりの状態で肉体にくまなく意識を向け、精神を研ぎ澄ませる。
全身を無限に貫く破壊の矢。
――消えてくれ。
「〈ザ・ヴォイド〉!」
途端に体中で無数の火花が散ったような気がした。
「ぐぅ……ッ!」
思わず目をつむったトヲルの口からうめき声が漏れる。
「……うあああああッ!」
自分の声とともに、風を切る激しい音が耳を突く。
聴覚が戻った。
全身を覆っていた痛みとも疲れとも言えない悪寒が去っていることに気付く。
――成功、したのか?
トヲルは目を薄く開いた。
視界の端で、紅いマントが風に煽られて激しく動いているのが見えた。
マントだけではない、長い前髪も風に吹かれて視界を遮ってくる。
前髪の向こうに見えるのは、黒いガントレットをはめた両腕。
臙脂色と黒を基調としたジャケット、黒いグリーヴを履いた両脚。
「……俺の……身体が……?」
見える。
トヲルの身体は透明ではなくなっていた。
理由を考えている暇は無かった。
彼は上空から落下中で、すでに目の前までレッドドラゴンが接近している。
トヲルはガントレットを着けた両手を眼前に構えた。
視界の先に迫るレッドドラゴン。
束の間、その青い両目が意思を取り戻したようにトヲルの姿を捉えた。
辺りの時間の流れが遅くなったように感じる。
「……そうか。ついにここまで来たのか、トヲル」
竜の動きもとてもゆっくりに見えた。
「……あんたは……」
それはマーティが喋っているかのようだった。
「……僕の行く手を阻むだけのことはある……結局あなたが先を行くのだね」
あるいは本当に、彼の魂の残滓だったのかも知れない。
「俺は、妹に会いに行く」
トヲルは相手にそれだけ告げた。
気付いた時には、レッドドラゴンは彼に向かって爆ぜるような咆哮を上げていた。
身体の中から毒を消したはずだが、〈ドゥームズ・デイ〉はもうトヲルの身体を新たに蝕み始めている。
トヲルは口から血を散らしながら、自分の特性の名を叫んだ。
「〈ザ・ヴォイド〉ッ!」
消失の手が発動した。
辺りを唐突に静寂が包む。
周囲を赤い光で覆っていたレッドドラゴンの巨体は、もう無い。
熱線によって焼かれた森や山の炎が、そこに厄災級の怪物がいたことを示すばかりだ。
高速で落下していたトヲルの身体は、マントによって徐々に減速し、ゆっくりと研究所跡地の地面へと着地する。
グリーヴを着けた両脚で大地を踏みしめて仁王立ちになったトヲルは、レッドドラゴンが浮かんでいた空を見上げた。
稲妻が雲間を裂き、雷鳴が辺りに轟く。
一陣の強い風が、彼の長い黒髪と紅いマントを大きくなびかせた。
つづく
次回「第47話 透明人間の力を覚醒させた俺が、敵の目的を阻んだ話。」
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