第45話 崩壊する大穴から脱出した俺が、白い影に気がつく話。
ヴィルジニアがマーティにもたらした桁外れの引力。
マーティは彼自身によって引き寄せられた岩の下敷きになったが、その引力はなお弱まることなく、巨大な竪穴全体の崩壊は止まらない。
ヴィルジニアはマーティが埋まった岩石の山に引力を加え続けていたが、穴全体が半分ほど埋まった辺りで、自らの引力を反転させて出口に向かって身を浮かせた。
「……ここまで崩れれば後は勝手に埋まるだろ」
降り注ぐ瓦礫を避けながら、彼女は上を目指す。
「あ、見えた! おーい、急いで急いで、穴が崩れながら広がってるよ。上のドームが落っこちちゃうよ!」
穴の上に浮かぶクロウが、ヴィルジニアに手を振っている。
「おう」
ヴィルジニアも彼女に対して手を振り返す。
その時だった。
地の底から一条の赤い熱線が真上に突き上がり、ドーム天井に開けられた穴を抜けて夜空を雲まで焼いた。
咄嗟に身を翻したクロウが穴の底を振り返って叫ぶ。
「ヴィルジニアッ!」
バランスを崩したヴィルジニアは竪穴の岩壁にぶつかった。
その上から瓦礫が降り注ぐ。
「く……ッそ……ッ!」
穴に向かって急降下しようとしたクロウだったが、ヴィルジニアの姿は隙間なく降る瓦礫の雨の向こうに見えなくなってしまった。
「……!」
思わず踏み止まる。
「クロウ、ヴィルジニアはッ?」
ドームの上に避難していたアイカがクロウに呼びかける。
「ど、どうしよう……見失っちゃった」
クロウは泣きそうな顔を向けた。
「今の熱線は――避けられたのか」
「うん、当たってなかったと……思うけど」
ディアナの問いにも、クロウは不安そうに応じる。
ゾーイがアイカの全身に白い布を巻きつけ、解いた。
乱れた長い髪を手櫛で梳いたアイカが言う。
「熱線を喰らってないんだったら……あのコが崩れる岩なんかにやられるとは思えないな」
「そ……」
クロウはぎこちない笑みを返した。
「そうだよね、大丈夫だよね。彼女ってばシーサーペントに呑みこまれた時だって戻って来たんだもん。今度もきっと……」
ゾーイはディアナにも布を巻きつけて解く作業を繰り返す。
蒼白だった彼女の顔色もいくらか元に戻ったようだ。
穴の崩壊はドームの基礎にまで及び、ドーム全体が傾き始めている。
「彼女を信じるしかないであるよ。さ、クロウも。念のため、〈ブラック・ファラオ〉で身体をリセットするのである。毒は消せないけど、傷ついた部分があれば元に戻せる」
「右目が痛いのも治る?」
頭から白い布を巻かれていくクロウが尋ねた。
「出血した部分の傷は治ると思うけど、痛いのはきっと右目を酷使したからであるな。疲労回復はあまり期待しないで欲しいのである」
クロウはむぐむぐと何か言ったが、口元まで布を巻かれてよく聞こえない。
「しかし先ほどの熱線……〈レッドドラゴン〉はやはりまだ生きている、か」
ディアナが崩れていく穴に視線を注ぐ。
「何せ不死だかんね……このまま穴の底に閉じ込めることができれば手の打ちようもあんだけど」
布を解かれたクロウがアイカに言った。
「それじゃあこっちも攻撃できないでしょ? まあ攻撃できても足止めくらいにしかならなさそうだけど……毒あるし」
ゾーイの能力によっていくらか体力が回復したトヲルが口を開いた。
「……俺の特性……だね」
「え? でも……」
「そう。トヲルの能力にも射程があって、距離が離れると狙いがつかなくなる。何より対象が地面に埋まってるんじゃ狙いをつけようもないんだけど――」
アイカはクロウの方を見た。
「クロウ、あんたのHEXをトヲルが消失させた時、跡形も無く消してみせたのよね。あんたのうなじに埋まってたインプラント部分も含めて。だからこのコの存在を消す能力には本来、死角がない――かもって思うワケ」
「そっかあ……傷が残ってないのはトヲルのおかげか」
クロウはうなじの辺りを片手で撫でた。
「今回は相手が全く見えないうえに距離もあるから、確実じゃないけど……」
自分の掌を見つめるトヲルにディアナがうなずいてみせる。
「試してみる価値はあるな」
その時、軋みながらドームが大きく傾いた。
「このまま上にいると危ないね。みんな一度ドームから離れて――」
そう言いつつ、アイカは辺りを見回した。
「ねえ……敷地内にいた怪物の群れはどこ行ったの?」
空には雲が広がっていて、研究施設の敷地は闇に沈んでいる。
時おり途切れる雲の隙間から月が差し込むと視界が広がった。
目に入る限りは、怪物の気配が消えていた。
「……わたし達が穴の中に入る時まではまだいたと思うが……」
ディアナは隣の建物跡に跳び移った。
「ロビンの特性の影響が、完全に消えたのであるかな」
〈ブラック・ファラオ〉で自分の脚を伸ばして、ゾーイもディアナに続く。
クロウはトヲルを抱きかかえて空中に浮き上がった。
「散り散りになってどっか行っちゃったってこと?」
「んー……警戒は続けた方がよさそうね」
空中に設けた血液の足場に立つアイカ。マントと金髪を風になびかせながら、崩れ続ける大穴を見下ろしている。
傾いたドームは耳障りな音を立てて捻じ曲がりながら壊れていった。
崩壊は周囲の建物跡の基礎も飲み込んでいく。
やがてもとの大きさからふた回りほど広がったすり鉢状の窪地となって、穴が崩壊する動きは止まった。
「おさまった……のかな?」
クロウは空中から窪地の縁に舞い降りてトヲルを下ろす。
地響きが止まった辺りは、静寂に包まれている。
どこかで小石の転がる音がするばかりだ。
コンコン、ココン。
そんななか、聞き慣れたリズムのノック音がした。
特性〈ワンダーランド〉――窪地から数メートル離れた場所の空間が歪み、扉のように開く。
扉の奥からアリスを伴ったマルガレーテが姿を現した。
帽子の陰に隠れた彼女の表情からは何も読み取ることはできない。
ただ、マルガレーテのコートにしがみついているアリスは心細そうな顔をこちらに向けていた。
異空間を移動する能力をもつアリスなら大穴の崩壊も問題にはならなかっただろうが、トヲルはその姿を見て少し安堵した。
がらり。
窪地の底で、大岩が転がる音がした。
がらがらとさらに複数の岩が動く。
「……」
動く岩の様子に、トヲル達は黙って目を見張った。
どこか遠くで雷が鳴る。
天候が悪化しているらしい。
がらん。
岩の転がる窪地の中央部分が、膨らんでいるように見えた。
「……ヴィルジニア……?」
瓦礫の引力を操作して、上に昇ってきたのだろうか。
次の瞬間。
窪地の底が吹き飛んだ。
弾け飛んだ瓦礫が周囲に飛来する。
地中から突き出ているのは一〇メートルは優に超えるであろう巨大な腕だった。
天をわし掴まんばかりに開かれた五指には、鋭く長いかぎ爪。
それら全てが鉱石のような鱗に覆われて、煌々と赤い光を放つ。
トヲルは下唇を噛んで身を起こした。
疑いようもない。
レッドドラゴンが地の底から上がってきたのだ。
*
「まさかあれ……レッドドラゴンの腕であるか? でかすぎる!」
窪地から離れながらゾーイが叫んだ。
「他に何があるってのよ!」
巨大な腕が、地響きを立ててその場を踏みしめた。
窪地の瓦礫ががらがらと崩れ、肘から肩と露になっていく。
肩の先から現れたその首は長い。
首の数は、七本。
それぞれの首にはいくつもの角を生やした鰐に似た頭部が付いている。
全ての顎を大きく開き、大気を震わせ咆哮を放った。
さらに窪地の周囲まで地割れが広がって行く。
「何だかまずそう……トヲル、飛ぶよ」
クロウがトヲルの手を取って空へと距離を取る。
地割れした場所が、噴火したかのように赤い光と共に爆発した。
現れたのは、一対の赤い翼。
端から端まで数百メートルはあるだろう。
太い胴体に両脚、長大な尾。
地中から全身が現れ、そのまま空中に浮き上がる。
それはレッドドラゴン――赤い厄災そのものの姿だった。
もはや人型だった時のマーティの面影はない。
雷が近付いている。
稲光が雲間を照らし、雷鳴が辺りに轟いた。
おもむろに開かれた大顎の奥で、赤い光が強く閃く。
まるで暴発するかのように、七つ首のそれぞれから、四方八方へと熱線が放たれた。
赤い光が、あるいは遠方の山を貫き、あるいは荒野を引き裂き、あるいは夜空を焦がす。
「くうううッ、トヲル! ちゃんと掴んでてよ、ぼくも避けるので精一杯なんだからね!」
無秩序に辺りを焼き尽くす熱線を避けて飛びながら、クロウは叫ぶ。
激しい旋回を繰り返すクロウの手を放さないように握りしめる。
「ごめんクロウ、重いだろ!」
「大丈夫! 重さがあった方が運んでる感があるし、かえって落っことしちゃう心配がないよね!」
この状況下でどこまで本気か分からないことを言う。
夜の闇が、複数の赤い光で縦横に刻まれていく。
ほかの仲間もきっとうまく避難している。
そう信じてこちらはこちらで回避に専念するしかない。
「伝えておいたはずだ――」
辺りを奔る業火のなか、低くともその声はよく響いた。
マルガレーテだ。
空を飛ぶクロウの横にいる。
アリスを小脇に抱えたまま、器用に爪先をペンの上に乗せて立っていた。
ペンが宙を飛んでいるのだろうか。
「肉体と同様に魂が再生し続けるか否かは、うぬ次第だとな。攻撃を受けすぎたな、マーティ……うぬの魂はすでに形を保てなくなっている。このままあえなく怪物と化すか」
赤い竜は、長い首のひとつをめぐらせた。
「ああ……」
熱線の放射を止めたその喉から、不明瞭な声が発せられた。
「どうやらそうらしい……どうにも身体の自由が利かないよ」
「笑止な。我が術式をもってしてもレッドドラゴンのIDを扱いきれず、もとの自滅と再生を繰り返す無為な存在となり果てるか――」
帽子を押さえながら質すマルガレーテ。
「今少しは、我が叡智への欲を充たすに足るものと考えていたのだがな」
「あなたの思惑に興味はないが……この力をみすみす無駄にする気もない……こうなることは……始めから想定できていたことだよ……」
声は不明瞭だが、口調はマーティのものだ。
「僕の意識が完全に途絶える前に……怪物となって理性を失う前に……託すとしよう」
託す……?
その言葉に不穏な気配を感じる。
「……悔いが無いとは言えない……最後まで見届けることができなくてとても残念だ……けれどやむを得ない、僕は僕の役目を果たす……」
マーティだったレッドドラゴンは、最後にこう告げた。
「……次はあなたが役目を果たす番だよ。ロビン・バーンズ」
ぴいっ、と甲高い音色が辺りに響き渡った。
それが笛の音と悟ると同時に、トヲルの背筋に冷たいものが走る。
「ロビン――」
トヲルとクロウはほぼ同時に叫んでいた。
「バーンズッ?」
笛の音が止むのに合わせて、レッドドラゴンの動きが止まった。
激しく蠢いていていた七つの首が整列するかのように等間隔に並び、熱線の放射は止まった。
辺りに燃え広がる炎に不気味に照らされ、大きく広げた翼で空中に泰然と浮かぶ。
トヲルを連れてクロウが着地したのは、研究所跡地を見下ろす場所の崖の上だった。
トヲルはそこから必死に視界をめぐらせる。
ぽつりと、闇の向こうに白い影が見えた。
かろうじて破壊を免れていた尖塔の上だ。
白い着流しに、白い頭巾を被った男が、黒い横笛を唇に当てて立っている。
「ゾーイ、あいつはあんたが仕留めたんじゃ?」
アイカが血の足場を駆け下りながら、トヲル達のいる崖の上までやって来た。
崖の下から、腕を伸縮させて跳び上がって来たのはゾーイだ。
「う、うん。気絶させて縛っておいたのであるよ」
レッドドラゴンの口が動いた。
『ああ全く、私としたことが情けない話だ……小娘ごときに昏倒させられてしまうとはな』
「マーティ……? いや、喋っているのは――」
ロビン・バーンズ。
特性〈レガトゥス・レギオニス〉、怪物を操る能力の持ち主。
『この老いさらばえた肉体は暴力には弱いとは言うものの、油断が過ぎた。いかな私の特性とて、ゴブリンの不器用な頭と体を使って拘束を解かせるには骨を折ったよ。だがまあ……間に合ったのだから良しとすべきか』
「……想定できていた……とマーティは言っていたな」
崖の下から高々と跳躍して身軽に着地したディアナも、崖の上でトヲル達に合流した。
「始めから……あの男の特性を要としていたのか? 拠点の防衛や集団暴走による襲撃ではなく?」
アリスを抱えたマルガレーテも空中からふわりと舞い降りてペンを胸元にしまった。
「マーティの理性が失われる前にロビンの能力に委ねることで暴走状態を防ぐか。あの男の力がマーティの人格に取って代わったようなものだが、さすれば魂に紐づいた特性〈ドゥームズ・デイ〉も確かに残ろうというもの。特性を宿した怪物を、純粋な兵器のように運用してみせようと言うのだな」
彼女はその漆黒の瞳を昏く光らせた。
「もうしばし、ことの成り行きを見届けてもよかろう」
レッドドラゴンの口を使って、ロビンは言う。
『お主らは先刻承知であろうが、改めて挨拶させてもらおう。私はロビン・バーンズ。特性〈レガトゥス・レギオニス〉。それは怪物を操る能力――そう受け取ってもらって差し支えはない』
レッドドラゴンの七つ首が一斉に顔を上げ、その顎を大きく開く。
『レッドドラゴンの力は私が預かった。まずはマーティの意思を尊重し、邪魔なお主らを滅するとしようか』
レッドドラゴンの喉の奥が赤い閃光を放った。
つづく
次回「第46話 赤竜と対峙した俺が、空に轟く雷光を見上げる話。」
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