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第43話 赤竜の攻撃を受けた俺が、消失の手を相手にかざす話。

 脈動を強くするレッドドラゴンの赤い光球は、ゆっくりと縮小していくように見えた。

 それに伴って周囲にほとばしる紅炎は激しさを増す。

 仰向けに倒れたマーティの肉体はぴくりとも動かないままだ。


 アイカが手を頭上に伸ばすと、霧状に漂っていた血液が指先へと集まってきた。

 宙に浮かぶ血液の塊を硬質化させ、長大な槍を作り出す。

 その穂先は光球に向けられた。


「……HEX……今そう言ったわね」

 アイカの言葉に、マルガレーテはレッドドラゴンの方を眺めたまま応じた。

「術式ヘックス=シフト――あれをそう名付けた。何にでも名はある。名が世界を構成していく」


 HEX――。


 それは、ゼノテラス市長のニコラスが自らの野望のために用いていた装置の名だ。

 一般的なIDを、意図的に人外種――いわくトランストに変じさせるインプラント装置。

 


「……この期に及んで、偶然とも思えない。ゼノテラスにあのHEXをもたらしたのは、あんたなのね」

「ゼノテラス……」

 マルガレーテは少し記憶を辿るように言葉を切った。


「……数年前、我へ接触を図ってきた男が……確かゼノテラスを名乗っていた。固有IDの特性を、別のものへと変異させる手段を模索していたのだったか」


 ニコラス・ゼノテラスのことに違いない。


「ヘックスとは――通常不可分であるはずの魂と肉体の結合を可逆的なものとする作用を起点とした、術式におけるひとつの体系に付けた名だ。どこでそれを聞きつけたか、我の術式がおのが目的に近いものだと悟ったのだろう」

「それでおまえは、その男の求めに応じたのであるな」

 ゾーイの言葉に、マルガレーテは(うべな)った。


「当時より書き綴っていたこのヘックス=シフトの(ことわり)と共通する点も多かった。派生的な術式を試作してみせたが、それを訓練中のある兵士に向けて詠唱しろと言われたゆえ、実行した」


「訓練中の、兵士……」

 トヲルはアイカの方を見た。アイカは小さくうなずく。

「……トヲルの考えてる通りだと思う。その兵士がきっと、ヘンリー・エドワーズよ」


 それが最初に変異を起こしたゼノテラス兵団兵士、ヘンリー・エドワーズ。

 そこからゼノテラスで〈HEX計画〉が始まり、多くの人々が犠牲になった。


「術式は、特性の変異に成功した。より正確には、特性を新たに追加する作用、と言うべきか。我はこれをヘックス=アペンドと名付けた。同体系の術式を実際に詠唱・発現させたことは、我にしても得るものは多かったよ。図らずも、術式ヘックス=シフト執筆の進捗にも大いに貢献した」

「ヘックス=アペンド……」


「試作した時点では色々と粗の目立つ術式だったが、男は満足していたようだ。おのれなりに研究を進めたらしい。詠唱をSF技術で代用する仕組みをあみ出し、小型の媒体に組み込んで自動的に作用するように工夫したと聞いている」


 そうして生まれたのが、六角形のパネル状のインプラント装置――HEXなのだ。


 HEXはクロウの身体にも埋め込まれていた。

 通常ひとつのIDにひとつ宿る特性が、彼女の場合ふたつあるのは、その名残だ。


「術式は状況に応じ変化させていくもの。同じ術式のみ詠唱する仕組みでは、想定外の結果を招くことも多かろうがな……」


 HEXは暴走する。

 ジェフリー・デミトラは暴走によって怪物と化し、クロウも怪物になりかけた。


「なるほど、HEXの語源はそのままヘックス――“魔女”か。“ヘンリー・エドワーズの変異因子(トランスフォーマー)”って推測はハズレだったってことね」

「そうでもないだろ。偶然だったにしても、ネーミングの意図には含まれてんだと思うぜ」


「……本来の意味がどうであっても、俺にとってのHEXは、みんなを苦しめた“呪い”だよ」

 トヲルが言うと、アイカは小さく肩をすくめた。

「まあ、ね。どうもあの女との因縁は思ったより深かったみたい」

「見るのである、レッドドラゴンが……!」

 ゾーイが声を挙げた。


 目の前の光球は縮小を続け、今は人丈ほどの大きさまでになっていた。

 大きさだけではない。

 頭部に胴、両手、両脚――そのシルエットはまさに人型だ。

 人型は六つの紅炎を身にまとうかのように周囲に巡らせる。


 その赤く光る両脚で地面を踏みしめ、両手を広げた。

 頭部にふたつ、青く輝く目が開く。


「目覚めたか――」

 マルガレーテがつぶやいた。

「――マーティ」


 両眼以外も顔のパーツが形作られていく。

 その端正な面差しは、やはりマーティのものだった。


 人型に変じたレッドドラゴンの赤い光球は、深呼吸するかようにゆっくりと胸元を上下させた。

「マーティ……マーティ・サムウェル。なるほど、確かに僕の魂だ」

「IDは魂のあるべき姿を成す。怪物そのものの姿ではなく、かつてのうぬと近い姿となったのがその証左だ」


 赤い光を放つ自らの左手を確かめるように目の前にかざす。

「……毒が無いという状態は、こんな感じだったんだな。久しく忘れていたよ、とても気分がいい」


「変化は毒が消えただけではないはずだが。そのIDはすでに別物だ。かつてのうぬのIDにはレッドドラゴンの魂が宿っているのだからな」

 マルガレーテの言葉通り、先ほどまでぴくりとも動かなかったマーティの身体が身じろぎをした。

 その口から低い唸り声が漏れる。


「そうだった」

 レッドドラゴンがまとう紅炎がひと筋、マーティだったIDを捉えた。

 全身が燃え上がり、炭と化し、その炭まで溶かし尽くす。

 断末魔をあげる間すらない瞬間の出来事だった。

「これでいい。怪物の魂とはいえ、あの崩れかけた忌まわしいIDに宿らせるには忍びないからね」


「……分かっちゃいたが……ヤバそうな相手だ」

 ヴィルジニアは苦笑するように口の端を歪めた。

 マーティが倒れていた場所は岩盤が熱で少し溶かされて赤くなっている。


「マルガレーテ、確かあなたは〈タマユラ〉のようにIDを鑑定する術式を使えたね。念のため、僕に対して詠唱して貰えるだろうか」

 言われたマルガレーテは、ペンを軽く振りながら口元を高速で動かした。

 彼女は軽く目を伏せた後、顔を上げる。


「マーティ・サムウェル。特性〈ドゥームズ・デイ〉――」

 マルガレーテは低い声音で宣言した。

「――種族〈レッドドラゴン〉」



 種族〈レッドドラゴン〉となったマーティは満足げにうなずいた。

「うん……間違いなく成功のようだ。あなたの勝手な振る舞いに苛立ちもしたが、結果的に役目はしっかりと果たしてくれた。十年待った甲斐があったというものだよ。ここはとにかく、礼を言う」


 マルガレーテは帽子のつばの下で表情を変えない。

「誹議も謝儀もあたらぬ……我は我の目的に向かって行動するのみ。……ふむ、怪物と化したIDにも人格を有する魂が宿れば特性も宿るか。特性については、肉体と魂、人格が揃うことが肝要という理解をすべきだろう」


 マーティは紅炎をゆらゆらと動かした。

「特性〈ドゥームズ・デイ〉……新たな特性を得るとは考えていなかったけど、言われてみれば確かにあなたの言う通りかもね。果たしてどのような代物か、ここで確認しておくのも悪くはない。僕の邪魔をしようと言う彼らを排除しなくてはならないし」

 彼の青い両目が、トヲル達に向けられた。


「……マルガレーテ、あんたの目的は達成した。今ここにいるレッドドラゴンをどうこうしても、あんたの邪魔にはならない。そうよね?」

 血液でできた大槍を浮かべたまま、アイカが質した。

 マルガレーテは無表情なままだったが短く答える。

「……しかり」


「で、あんたもあたし達の邪魔はしない」

「その理由がない。だが我はここで見届けることにする。我が術式によって生み出したIDの可能性がどれほどのものか、興味はある」


 マーティは呆れたように首を振った。

「高みの見物か。見世物にされているようで愉快な気分ではないけど、まあ好きにするといいさ。場所はそこでいいのかい? あなたやアリスを巻き込んでしまうかも知れないよ」


 マルガレーテは自分のコートにしがみついているアリスに視線を下ろした。

「問題ない。我らの周囲には既に障壁を作っているゆえ」


 障壁――。

 彼女の術式のひとつだろう。口振りから、特性による干渉を遮断するものと考えてよさそうだ。

 マルガレーテにトヲルの姿が見えているのも、彼女の言う障壁による作用かも知れない。

「そうかい。それならいいけど」

「存分にやり合うがいい。そこから得られる新たな知見もあろう」


「ってことみたいよ!」

 アイカが浮かべた大槍をマーティの顔面目掛けて射出した。


 槍の穂先が、マーティの頭部を貫通する。

 槍の勢いは止まらず、彼の身体ごと飛んで後ろの岩壁に激しい音を立てて突き刺さった。

 アイカはその間すでに数本の大槍を血液で作り上げている。

 それらを次々に射出し、マーティの身体を岩壁に縫い付けていった。


「よし! おれが引力でそのまま岩壁に圧し潰してやる!」

 ヴィルジニアをアイカが手で制する。

「まだ近付いちゃダメ」

「近付かなきゃおれの間合いにならないよ!」

「……あたしが全力を出せる相手ってのはつまり……相性が悪いってことなの」

 ニコラスの時と一緒ね、とアイカは言った。


 マーティの全身を貫いている槍が、炎をあげて瞬く間に燃え散った。

 槍が貫いた傷も消えていて、彼は無傷のまま立っている。


「うん……以前の肉体でこんな真似をされていたらひとたまりもなかっただろうね」

 マーティが歩み寄りながらおもむろに左手をこちらに向けた。

 紅炎のひと筋が凄まじい勢いで迫る。


「〈ザ・ヴォイド〉!」

 同時にトヲルも右手をかざした。


 彼の手の先で、紅炎が消失する。

「……!」

 マーティの青い目が見開かれた。


「俺の特性は……効果ありそうだよ」

 トヲルは細い息を吐く。


「おまえの能力も大概ヤバいな」

 ヴィルジニアはまた苦笑するような表情を浮かべている。

「でも使うタイミングは見極めないと……考えなしに使ってるとまたオーバーヒートして倒れちゃうでしょ」

 ゼノテラスでは消失の能力を使い過ぎたせいで、トヲルは高熱を出して意識を失った。


 今もすでに頭の奥がうっすらと熱を帯びたように感じる。

 あるいは、消失した対象によってトヲルの身体にかかる負担が大きくなったりするのかも知れない。


 トヲルの〈ザ・ヴォイド〉はレッドドラゴンにも通用する――だが、使う回数は限られてくるだろう。


 失ったひと筋の紅炎の代わりに、新たな炎がマーティの身体から生み出された。

「……炎を消した……これは少し気を付けなければならない力だね」

 彼を取り巻く六筋の紅炎がそれぞれ意思をもつかのように揺らめく。

 蛇が鎌首をもたげている様子に似ていた。


 不死にして最強。

 七つ首の赤い悪魔。


 それは以前ヴィルジニアが表現した通りの姿に見えた。


「アイカの言う通り、長期戦になると身体がもたない気がする。あの炎の攻撃を防ぐだけで力を使い切ってしまってもおかしくない。相手の能力がまだはっきりしないけど、一気に決着をつけるしかないと思う」

 トヲルは自分の手を握り締めた。


 ヴィルジニアが問いかける。

「おまえの特性ってのはどのくらいの射程なんだ?」

「ある程度までは届くけど、狙ったものを消失させるには近ければ近いほど精度が増す」

「ここからあいつまでの距離はどうだ」


 トヲルの能力を警戒してか、マーティは足を止めている。

 距離は六、七〇メートル先といった所だ。

「……もう少し距離を詰めたい、かな」


「ヴィルジニア、何か考えがあんの?」

「ヒットアンドアウェイだ。あいつの攻撃があの炎だけならまだマシだが、そうじゃなかったら危ないだろ。いつでも離脱できる状態でトヲルの射程まで接近する。おれの〈フライングソーサー〉ならそれをコントロールできる」


 アイカの考え方に近かったのだろう、彼女はすぐに理解を示した。

「おっけー……トヲル、どんな感じ?」

「俺が自力で突っ込むよりずっといいと思う。ヴィルジニア、頼むよ」

「分かった。何かあったらすぐに引力で引き戻すから安心しろ」

 拾い上げたバックラーを折り畳んで元のサイズに戻すヴィルジニアの横で、ゾーイも自分の胸を叩いた。

「少しくらい攻撃を喰らっても大丈夫。怪我はゾーイが元に戻してやるのである」

「できれば攻撃は喰らいたくないけどね」

 炎に包まれて蒸発したマーティの(ふる)いIDの姿が脳裏をよぎる。


 ヴィルジニアがトヲルの身体を掌で円く撫でた。〈フライングソーサー〉の力でほとんど重さが消えた彼の腕をヴィルジニアが掴む。

「いくぜ」


 ヴィルジニアがバックラーを投げると同時にトヲルごと飛び乗った。

 速度を乗せて一気にマーティへの距離を詰める。


 迎え撃つマーティが六筋の紅炎全てを二人に向けて放った。


 ヴィルジニアは自分だけ引力を戻し、突進に制動をかける。

 足元でバックラーと岩盤がこすれて火花が散った。

「行けえッ!」

 制動の力を乗せて、トヲルの身体をさらにマーティに向けて押し出す。


 猛スピードで宙を進むトヲルの眼前に迫る紅炎の群れ。

「〈ザ・ヴォイド〉ッ!」

 両手をかざし、その紅炎を全て消失させる。


 紅炎の向こうには、マーティの赤く輝く姿が見えた。

 トヲルはもう一度、両手を迫りくる相手に向けた。


「〈ザ・ヴォ――」

 トリガーである特性名が最後まで出ない。

 喉が詰まった。


 そう感じた次の瞬間、

「ごぼぉッ!」

 喉の奥からこみ上げてきた粘ついたものが、口の中から噴き出した。

 透明で見えないが、口と鼻に充満する、鉄の味と臭い。


 え――?


 トヲルは、吐血していた。



 つづく

次回「第44話 吐血して倒れた俺が、半魚人の真の力を見る話。」


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