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第41話 赤竜の姿を目にした俺が、敵の首謀者と対峙する話。

 〈ワンダーランド〉の扉の向こうへ足を踏み入れた途端、この部屋に囚われた時と同じように独特の浮遊感に襲われた。


 身体の上下感覚が分からなくなるような数秒間の後、トヲルの足が硬い地面を踏む。

 そこはクロウの翼で研究所跡地へ乗り込んだ時、最初に着地したドームの上だった。


 すでに陽は落ちて辺りは夕闇に沈んでいたが、依然として敷地内に怪物の群れがひしめいている気配が、暗闇を通してでも分かった。


 ゾーイによってロビン・バーンズが無力化された影響だろうか、集団ごとに整列していた日中の様子とは違って、怪物達は好き勝手にうごめいているといった様子だ。

 互いに争いあっている集団まである。


 ドーム上に姿を見せたトヲル達に気付いた様子もない。


 アイカは長い金髪と紅いマントを風にたなびかせながらトヲル達を見回した。

「で――ここから穴の奥まで降りていくんだけど、いきなり全員で乗り込むのは危険だと思うの」

「確かに……下手をしたら先ほどアリスの〈ワンダーランド〉で一網打尽にされた時の二の舞になってしまうであるな」

 ゾーイはそう言ってアリスの頭をなでた。


「戦術予備のようなものだな……わたしが残ろう」

 ディアナが言うと、アイカもうなずく。

「うん、あたしもそれ考えてた。そろそろ月も昇って来るはずだしね」

「……うむ。いざと言う時のため、〈ルナ=ルナシー〉をいつでも解放できるよう準備しておこう」

 ディアナは東の夜空を眺めて引き締まった笑みを浮かべた。


「じゃあぼくがディアナの側にいるよ。もし怪物の邪魔が入りそうになったらぼくが蹴散らしてあげる。雑魚に〈ルナ=ルナシー〉を使う訳にはいかないもんね」

「そうしてもらえると助かる」


「そうね、機動力と打撃力のあるクロウなら適任かも。ただし〈ドーンブリンガー〉の熱線は温存すんのよ」

「うん? う、うん」

 どこか図星を突かれたような反応を見せつつも、クロウは素直に応じた。


「ディアナもクロウを煽ったらダメだかんね」

「き、気を付けよう」

 何だかんだ、ディアナはクロウのノリが好きなのだ。


 この場にディアナとクロウが残り、アリスを含めた残りのメンバーで穴の底に向かう形になった。


 ゾーイが小さく片手を挙げた。

「穴の外と中で連絡はどうつけるのであるか? レッドドラゴンに近付くと端末が壊れるから通信は使えないのであるよ」

「そういえばゾーイの端末が壊れたって言ってたっけ……」

 アイカは少し考えて、紅いマントの襟を軽く叩いた。

 そこからブドウの粒ほどの紅い球体が分離してその場に浮かんだ。


「この血でできた球体を残していくわ。その時が来たらこの球体をあたしが遠隔で破裂させる。それを合図に二人は穴の中へ来て欲しいの」

「なるほど……」

 クロウがもの珍しそうに球体を見つめている。


「反対に、そっちで大きな動きがあったらこの球体を割ってみて。あたしならそれに気付く」

「いいだろう。だがより危険度が高いのは穴の中だ。基本的にそちらからの合図に待機しておくことにする。こちらのことは気にするな」

「そうだねえ、ぼくとディアナなら大抵のことなら何とかなるから大丈夫」

 彼女達の実力を知るアイカは二人の言葉をそのまま受け取った。

「おっけー……じゃあ、そんな感じでよろしく」


「よし、おれのバックラーを使ってここから直接降りて行こう。トヲル、ドームの天井部分を削り取ってくれ」

 ヴィルジニアが前腕部に装着していた盾を外して言う。

「分かった……〈ザ・ヴォイド〉!」

 トヲルが手をかざすと、ドームの頂点部分が消失し、大きな穴が開いた。

 ドームの中は照明が灯されたままだ。周囲にその光が漏れる。


 ヴィルジニアが折り畳まれたバックラーを広げ、その穴の上に浮かべる。

 ぬいぐるみを抱き締めて怖々と足を乗せるアリスに続き、ヴィルジニア、ゾーイ、アイカ、そしてトヲルが乗り込んだ。


 彼らを乗せたバックラーがゆっくりと穴に向かって降下していく。

「じゃ、後で」

 ドームのえぐれた天井に足をかけてこちらを見下ろすディアナに、アイカが軽く手を振った。

 ディアナは黙ってうなずく。

 クロウがそのディアナの横に浮かんで呼びかけた。

「気を付けてねえ、アイカ」

「そっちもね」


 ドームの底で大穴を塞いでいた扉も開かれたままだった。

 そこを目指してバックラーが真っ直ぐ沈んでいく。


 穴の中に入ると、轟々(ごうごう)という地鳴りのような音が一層耳についた。

 下を見下ろせば、かすかな光が底の方で揺らめいている。

 大穴の扉が開かれた時に見えた赤い光だ。


 しばらく降下していくとドームの照明は届かなくなったが、代わりに底の方が明るくなってきた。


 赤い光に近づいている。


 地鳴りのような低音は規則的な強弱をつけて穴の中に響き、それは生き物の脈動のようにも聞こえた。


「……見えて来た」

 アイカが誰ともなく告げた。


 それは火口のようだった。

 穴の底に、溶岩のように赤い光体がある。

 巨大な球状の光体は、穴の直径と同じ大きさで、脈動のような音に合わせてゆっくりと明滅している。

 光球からは時おり紅炎がほとばしり、蛇のようにその表面をのたうった。


「……あれが……レッドドラゴン……?」

 トヲルは思わずつぶやいた。

「……想像とはかなり違うな。卵みたいだ」


「ああ。レッドドラゴンの膨大な力が、自分自身の破壊と再生に全て注ぎ込まれてるのがあの姿なんだろう。それでも周りの岩盤を溶かすほどの力は残ってるんだな。穴の壁を見てみろ」

 ヴィルジニアが槍で壁を指し示した。

「溶けて固まっちゃいるがそんなに古くはない。この穴は、今も少しずつ深くなっているってことだ」

「その先にマグマ溜まりなんかがあったら大変ね。ぶつかったら大地がぱっかり割れちゃうかも」

「……ぞっとしない想像であるなあ……」


 アリスが声をあげた。

「マルガレーテさんがいるわ」


 光球を見下ろす場所が岩棚になっていて、そこに黒いロングコート姿の二人が立っていた。

 マルガレーテと、マーティ――赤い光に長い影を作っている。


「……止めて、ヴィルジニア」

 アイカの声に、バックラーが岩棚の上方で停止する。


 マルガレーテの胸元に、分厚い書物が開いた状態で浮かんでいた。

 ひと抱えはありそうな大判で、書面にはびっしりと文字が書き綴られている。

 彼女は例の聞き取れない言葉を高速で動く唇から紡ぎ続け、定期的にページをめくる。


 詠唱の最中らしい。


 最初にトヲル達に気付いたのはマーティの方だった。

 こちらを見上げ、目を(すが)めた。


「……どういうことだろう……アリスが誰かをここへ連れて来たみたいだ。あなたの指示かい?」

 彼は詠唱を続けるマルガレーテを見やった。

「マルガレーテ、答えてくれるかな」


 高速で動くマルガレーテの口が止まった。

「……ことここに至れば何人も我が目的を阻むことあたわず。アリスが我が術式の完成を見せてやりたいとせがむので、許した」


「……」

 それを聞いたマーティは束の間、言葉を失ったような様子だったが、やがて声をあげて笑った。


「勝手なことをするのだから困るなあ。ロビンもいったいどこで何をしているんだか。僕はまったく不承知だよ。分かっているだろう? どう考えてもあれはヤクモ機関だ、彼らがただの見物でこんな所まで来るはずがないじゃないか」


 口元に笑みを残したまま、マーティの目が怒りに染まっていく。

「……なぜわざわざ邪魔者を引き入れるようなことをする? これは僕に対する愚弄(ぐろう)だよ、マルガレーテ。あなたを仲間だと思ったことはないが、目的達成の意識は共有できていると思っていた」


 対するマルガレーテの声音は変わらず落ち着いていた。

「術式はこのまま完成し、目的は達成される。何が不満だ」


「術式の完成は手段であって、目的ではないからだよ。レッドドラゴンの力を得た後が、僕の本当になすべきことだ。あなたにとっては数多くの研究のひとつかも知れないけれど、僕にとっては文字通り命懸けのことなんだよ。ここに来るまでに多くの命と時を失った! そして僕にはもうこれ以上やり直す時間は残されていない! それをあなたはないがしろにするのか!」


「うぬが何を言おうと、我は術式を完成させる。それだけだ」

 彼女の漆黒の瞳を食い入るように睨んでいたマーティは、絞り出すような声で言った。

「……もう、いい……。詠唱を続けてくれ……」

「もとよりそのつもりだ」

 マルガレーテは書物に向き直り、再び書かれた内容を高速で唱え始める。


 マーティの鋭い目線が、トヲル達の方へ向けられた。

「邪魔者の排除は僕の役目――そういうことにしよう」


 左腕に被せられた金属製のグローヴを掴む。ずるりと引き抜かれたグローヴの下から、黒く朽ちかけた腕があらわになる。

 特性〈毒手〉。

 あの腕を向けられたゴブリンの身体が崩壊したのを目にしている。


 頃合いと見て、ヴィルジニアがバックラーの上からマーティに声をかけた。

「お察しの通り――おれ達はヤクモ機関で、マーティ・サムウェル、おまえの企みを邪魔しに来た。レッドドラゴンがもたらす厄災を放っては置けないんでな」

「そこのマルガレーテは、術式の完成までやり遂げれば満足ってさ。パートナーのことを見誤ってたみたいね?」


 アイカの言葉に、マーティはゆるく首を振る。

「パートナーだとは思っていないよ。各人が個々に役目を果たせば目的は達成される――これはそういう単純な話だった。とはいえマルガレーテに僕の不利益になるような真似を許してしまった点からすれば、結局は互いの共通認識の構築が不充分だったんだね。まあ、こうしたことは往々にしてあるものさ」


 彼はこちらへと一歩を踏み出した。黒いコートが翻る。

「いいんだ、別に計画が頓挫(とんざ)した訳ではないからね。とりもなおさず、レッドドラゴンの力が手に入る点は確約されているのだし。彼女には役目を全うしてもらえれば文句は無い。僕は僕の役目を全うする」


「多勢に無勢だぜ。こっちにマルガレーテの邪魔をするつもりはないんだ、おまえも黙って待ってたらどうだ」

「なるほど、彼女ではなく僕の目的を妨げようということか。マルガレーテにも通りそうな理屈だ」


 マーティはゆっくりと歩を進めてくる。

「なおのこと黙ってはいられないね。もっとも、僕もかつてはヤクモ機関に所属していたから研究員の能力を甘く見ているつもりはない。人外種ならぬ僕にあなた達の相手は荷が勝ち過ぎているのは明白だ。とにかくやれるだけのことをやるだけさ。どの道このIDは長くはもたない」


「理解できないのである。おまえは、レッドドラゴンの力なんかを得てどうするつもりなのであるか。おまえ自身が十年前に思い知ったはずである、レッドドラゴンは厄災をもたらすだけなのであると」

 ゾーイの問いに、マーティは静かに応えた。

「とらえ方の問題だろうね。厄災――世界を破壊する力。つまりそれは現状を変革しうる力だとも言える。圧倒的な力があれば世界は変えられるんだ。そう十年前、僕はあらためてそのことを思い知った」


 ヴィルジニアは担いだ大槍で肩をとんとんと叩いた。

「どっちでもいいよ。事実として、大勢が犠牲になんだろうが。おれ達はそれを認めらんないって言ってんだ」

「そういうことを言うから……ヤクモ機関は駄目なんだ」

「何……」


「結局そうして、あなた達はこの現状を許容しているんだよ。それはそうだろうね、今のこの世界を作ったのがヤクモ機関だ――このIDも、SF技術も、怪物達も。でも僕にはそれら全てが許容できないんだ。全部いらないんだ。いらないものを犠牲だなんて思わないよ」


 ヴィルジニアは以前、ヤクモ機関の離反勢力のことを急進派と表現していた。

 淡々と語るマーティの姿に、トヲルは何かうすら寒いものを感じる。

 何が彼をその考えに駆り立てているのだろう。


「いらないものを一掃した、ただそこにある世界。僕はそれを目指すだけだ。アリス――」

 声をかけられてアリスがびくりと反応した。

「巻き込むぞ、彼らから離れるんだ。マルガレーテの側にでもいるといい」


 アリスがアイカの方を見ると、彼女は軽くうなずいた。


 コンコン、ココン。


 アリスは横の空間をリズミカルにノックし、そこに開いた異空間の中に姿を消した。

 再びノックの音と共に、アリスは詠唱を続けるマルガレーテの側に姿を現す。


「それでいい」

 その姿を見届けた時には、マーティは大きく跳躍していた。


 黒いコートを翻し、宙に浮かぶトヲル達の正面に舞う。


「――!」

 アイカが咄嗟に紅いマントを翻した。

 自分以外を包み込み、バックラーの外へと放り投げる。


 同時に血液で無数の針を作り、マーティ目掛けて一斉に発射した。


 全身を針に貫かれながらも、マーティはその黒い枝のような左腕をアイカに向けた。

「崩れろ」


 アイカはマントを掴み、自分の前に盾になるように広げる。

 紅く美しいマントが、毒々しい色に変色して泥のように崩れ落ちた。


 マーティは全身から血を流しながらそのまま岩棚の上に落下する。


「……ぐうッ……」

 アイカの顔が歪んだ。


「アイカッ!」

 空中に投げ出されたトヲルの目に、うずくまるアイカの姿が映る。


 脱ぎ捨てたボレロの下は、ノースリーブの白いシャツだ。

 あらわになったアイカの腕。

 紅い紋様の浮かぶその白い肌が、煙を出しながら黒ずんだ色へとただれていく。


 マントを掴んでいたアイカの右腕も毒の浸食をうけていたのだった。



つづく

「第42話 毒手の脅威を前にした俺が、赤竜の復活を見る話。」


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思われましたら

☆評価、ブックマーク登録をしていただけると本当に嬉しいです。

執筆へのモチベーションが格段に高まりますので

なにとぞよろしくお願いします。

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