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第37話 魔女と対峙した俺が、その能力を知る話。

 ペンを胸元にしまった黒尽くめの女性は、ヒールの音を響かせてゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。

 歩を進めるたびに、豊かな黒髪が広がって揺れた。


「……この地へ鼠が迷い込んでいたことには気付いていたが、計画への障りはなかろうと捨て置いていた。うぬがそうだな……ヤクモ機関の手の者か」

「……」

 ゾーイは無言で身構えている。


「よく化けたものよ、こうしていても見分けがつかぬ。黙っておれば我とてたばかられていたやも知れぬな」

 数歩先で女性は立ち止まり、つば広の帽子の下から漆黒の目を覗かせた。

「だがうぬは、侵入者を“取り逃がした”と告げた。ならばそこにいる者は何だと言うのか」


「……!」

 女性の目は真っ直ぐにトヲルを見ていた。

 透明人間のトヲルに、彼女はすでに気付いていたのだ。


「よもや我にかようなつまらぬ小細工を講じようとはな。……答えよ。うぬらの狙いはマーティではないのか? 我に何用だ」


「全てお見通しということであるか……」

 ゾーイが観念したようにそう言った。

「……おまえを止めに来た。レッドドラゴンを復活させる訳にはいかないのである。この地を滅ぼすのがおまえの目的なら、それを阻止しなければならないのである」


 相手は少し間を置いて喋った。

「何か――思い違いをしているらしい。この地を滅ぼす? 我の目的は今手掛けている術式の完成のみだ。マーティはその成果を求め、我にこの場を用意した。我はそれに応じたに過ぎぬ」


「そ、その結果、レッドドラゴンが復活してしまうんじゃないのか! 結局あんたを止めなきゃいけないのは同じだ」

 トヲルは思わず口走る。


 女性はトヲルと目を合わせてきた。やはり彼の姿は彼女には見えている。

「うぬは――何かものを食う時、それが臓腑の内でどう取り込まれていくか、いちいち考えているのか?」

「……え?」

「あるいは排泄することまで考えながらものを食うのか? そうではあるまい。まずは口で味わい、腹を充たすことが、もの食うという行為だ。それが食欲という欲のありかただ。結果など、いかほどの意味がある」

 何の話をしているのか。

 困惑するトヲルをよそに、女性は詠うように言葉を続ける。


「森羅万象、この世界のありとあらゆる存在、ありとあらゆる可能性――それら全てを知識としてこの身に宿すことこそが、我が望み。尽きることなき我が欲の全てだ。比すれば矮小なる結果などという概念――はなはだ取るに足りぬ」

 黒いロンググローヴに包まれた両腕を緩く広げた。

「我が名はマルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒ……万物無限の叡智を希求する者なり。何人も我が行く手を阻むことあたわず」


 威圧感を向かい風のように感じる。

 ついにその名を聞いた。

 やはりこの場所にいたのだ。

「あんたが……記録に残ってないカンナヅキのひとり……」


「カンナヅキのひとり……? おまえ、ヤクモ機関の創始者のカンナヅキを言っているのであるか?」

「そのカンナヅキだよ」

 マルガレーテの名は、ヴィルジニアが作戦遂行上必要なものとして得ていた情報だ。直接関係が無ければアイカやゾーイといった機関員にも全く知らされていないのだろう。


「カンナヅキ……久々に聞く言葉だな」

 マルガレーテは特に感慨を覚えた様子もなくつぶやいた。


「まさか……機関長以外にもいるのであるか? 聞いたこともないのである」

 不審そうな声をもらすゾーイの横で、トヲルは自分の端末をマルガレーテに向けた。〈クシミタマ〉の機能で鑑定する。

 端末が自動音声で告げた。


『マルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒ。特性〈スペルクラフト〉――種族〈ウィッチ〉』


 間違いない。

 人外種であれば、一般的なIDの寿命とは比較できない。

 機関長のエルが少年の姿であり続けているように、このマルガレーテもこの若い女性の姿で悠久の時を過ごして来たのだ。


「〈タマユラ〉と言ったか。特性に名を付すというのは悪くない考えだと思っていた。何にでも名はある、名が世界を構成していく。ゆえに我自身も使えるようにした」

 使えるようにした?

 確かに、彼女は先ほどゾーイの正体を端末を使うこともなく看破していた。


「名もなき我が特性にも、〈スペルクラフト〉なる名が付いた。言い得て妙よ……我が力は、世界を書き(つづ)る力だ」


「世界を……書き綴る……?」


「火が燃える。水が凍る。物が落ちる。世界にはあまねく(ことわり)がある。我は、世の理を解き明かしその全てを文字に書き記すことができる。我はそれを術式と呼んでいる」

 マルガレーテは床に積んでいた本を一冊手に取った。

 こちらに広げて見せたページにはびっしりと文字が書き連ねてあったが、トヲルが使うような文字ではなく、全く読むことができない。

「そして術式を詠唱することで、対応する理をその場に再現することもできるのだ」


 彼女は胸元からペンを取り出すと、こちらへ向けてペン先を軽く振った。

 口元が高速で動き、何か聞き取れない言葉を発する。


「……ッ!」

 その途端、全身が指先まで硬直したような感覚を受けた。

 動かそうとしてもぴくりとも動かない。視線だけゾーイの方へ向けるが、彼女も同様に動くことができずにいるようだ。


「かようにうぬら四肢を縛り付けることもできる」


 使えるようにした、とはこのことか。

 先ほどもIDを鑑定するという現象を“術式”にし、“詠唱”することで再現してみせたのだ。

「今は暗唱してみせたが……複雑な術式ほど、書き綴る量も、詠唱にかかる時間も必要だ。マーティにほどこす発展術式もいまだ完成にはいたっておらぬ。ここでうぬらに邪魔立てされる訳にはいかぬし、させるつもりもない」

 マルガレーテは再びペンを胸元にしまうと、軽く呼びかけた。

「……アリス」


 コンコン、ココン。


 聞き覚えのある、リズミカルな音。

 異空間を移動するアリス・ブラックホースが能力を使う時にやるノックだ。

 トヲルは慌てて周囲を見回すが、部屋の中に変わった様子はない。


 と、段差を踏み外したかのようにがくりと体勢が崩れた。

 足元の床が長方形に歪み、扉のように傾いている。

 傾いた床の向こう側に漆黒の空間が覗いた。

「……!」

「そこでしばらく大人しくしているがいい」

 マルガレーテの闇のような瞳が、動けないトヲルを見下ろしている。


 トヲルとゾーイは、そのまま床に広がった異空間の中へと落下していった。



 トヲルは漆黒の空間を落下し続けている。


 視界がゼロのまま長時間落下し続けているせいで、感覚が麻痺してきた。

 自分が今本当に落下しているのかすら疑わしくなってくる。


 唐突に、地面に足が着いた。

 大した衝撃ではなかったが、思わずバランスを崩して床に倒れてしまう。

 と同時に視界が開けた。


 そこはチェック柄の内装が特徴的な、居間のような空間だった。

 ローテーブルやソファ、暖炉にマントルピースまである。


「ここは……」

 声に振り返ると、すぐそばにゾーイが同じように倒れていた。


 すでにマルガレーテの術式による拘束は解けているようだ。

 トヲルは身を起こしながら言った。

「アリス・ブラックホースの能力で異空間に呑まれてしまったみたいだね。本人は――見当たらないけど」

 トヲルはアバターの立体映像を表示させた。


「……すまなかったのである。ゾーイが会話にもう少し注意していれば」

 ゾーイは白い帯を顔に巻きつけて覆い尽くすと、それをするりと解いた。

 ロビンの顔から本来の彼女の顔へと元に戻っている。


「いや、俺も透明人間の自分が気付かれてるとは思っていなかった」

 アイカやディアナのように視覚以外でトヲルを認識する人もいるし、リサ・ゼノテラスのように何らかの要素が作用して彼を視認することができる人もいた。

 正体不明の相手と対峙するには、少し無防備すぎたのかも知れない。


 居間のような空間を見渡していると、脇の扉が開いた。

「……トヲルとゾーイじゃん!」

 そこから顔を出したのはアイカだった。

「あ、アイカ!」

 その後ろからディアナ、クロウ、ヴィルジニアが続いて姿を現した。


 部屋の中で輪になって互いの顔を見合わせる。

「みんなもあの部屋に入ったの?」

「いや、外で様子をうかがっていた。ノック音が聞こえたかと思った時には足元に異空間への扉が開いていて――このありさまだ。不甲斐ないが、逃れる間も無かったよ」

 ディアナは銀髪に指でかきあげて憂わし気に応えた。


「扉の向こうに呑み込まれた後、何だかずっと下に落ちてるような感覚してたじゃない? ぼく、空を飛んで元に戻れないかと思って試してみたんだよねえ」

 と、クロウはソファの背もたれに腰かける。

「ここにいるってことは、うまくいかなかったみたいね」

「うん。上に向かって飛んでたはずなんだけど、気付いたら隣の部屋に着地してた」


「……やれやれ。全員、あのアリスの能力に囚われちゃったってことか」

 アイカが腰に手を当てて溜息をついた。

「まあ、離れ離れになってないだけ、まだマシかもね」


「手強い相手なのである。顔を変えていればもう少し攻撃の機会を見計らうことができると思っていたのであるが、そんな暇すらなかった。ゾーイには何もできなかったのであるよ」

「……最初からこっちの動きに気付いてたってこと?」

 トヲルは首を振った。

「いや、その場で気付いたんだと思う。やっぱりヤクモ機関の創始者は只者じゃない」

「……それって……」


「うん……みんなが考えていた通り、あの黒尽くめの女性はマルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒだ」

「……!」


 それを聞いたヴィルジニアがソファに勢いよく腰を下ろした。

「ここに来て元カンナヅキの登場か! ゾーイの言う、魂の交換とレッドドラゴンの復活って話はもう絵空事でも何でもなくなったな」


「しかし……そのマルガレーテの特性とはよく分からないと言われていたのだろう。結局どういう特性なのだ?」

「鑑定することはできたよ。特性〈スペルクラフト〉、種族〈ウィッチ〉……」

 トヲルは続ける。

「本人は、現象を術式として書き綴り、その術式を詠唱することで再現することができる能力だと言っていた」

綴り(スペル)、ね……」

「ゾーイの変装を見破ることができたのも、〈クシミタマ〉のような鑑定機能を術式で再現したからみたいなんだ。それに、俺達の身体が動かないようにもしてみせた」


「待って待って、じゃあそのマルガレーテって、術式ってのにすることができさえすれば、何だってできるようになるってこと?」

 クロウがソファから身を起こす。

「空も飛べちゃうってこと? ぼくみたいに!」


「ま、理屈で考えればそうなるわね。あたしみたいに血液を操ることができるかも知れないし、トヲルみたいに透明にだってなれんのかも知れない」

 アイカは指を顎先に添えて言う。

「……何にもできなさそうに見えたし、何でもできそうにも見えた――ってエルがマルガレーテのこと言ってたんだっけ。それってつまりそういうことなんじゃない? 術式が無ければ何もできないけど、術式があれば何でもできる……」


「だとしたら無茶苦茶な特性だな。何でもありじゃないか」

 ヴィルジニアの言葉に、ゾーイは軽く首を傾げた。

「……うん、理屈で言えば確かにそうである。だがあの女は複雑な術式ほど、書き綴る量も、詠唱にかかる時間も必要とも言っていた。術式とやらをペンを使って手書きしていたのであるよ。それは同時に、その手書きの速さが能力の制限と言えると思うのである」


 アイカが考え事をしながら部屋の中を歩き回っている。

「……マーティ・サムウェルは十年前にこのエクウスニゲルの研究所を襲撃した。目的はこの地に封印されていたレッドドラゴン。これはほぼ確かだと思うの」

「そうだな、そして奴は失敗してレッドドラゴンは暴走、研究所は閉鎖された」


「そこから十年、何の動きも見せなかったマーティがここにきて動き出した。十年越しに再びエクウスニゲルに来たっていう執着心からして、その空白の十年は不自然よね。きっと待っていたのよ、今この時期を……」

「待っていたのは……マルガレーテの術式の完成?」

 トヲルの声にアイカがうなずく。


「ゾーイが言ったみたいに、術式を書き綴ること自体に時間が必要なのだとしたら、マーティは研究所襲撃を失敗した直後にマルガレーテと接触し、その時点から今まで、術式が完成に近づくのを待ち続けていた……」

「魂の交換などという普通は考えられない現象を書き綴るとしたら、十年の歳月を要したとしても想像に難くないな」

「十年……よくそんなに続けられるねえ……」

「彼女は人外種なのよ。〈ウィッチ〉の寿命がどれほどあるかは知らないけど、少なくともヤクモ機関創設から今までは生き続けてるワケ。マルガレーテにとってはそんなに長い期間じゃないのかもね。むしろ……それを待ち続けていたマーティの執着の方がヤバい気がする」


 アイカはようやくそこでソファに座った。

「……マルガレーテは理屈では何でもできる。けど、時間という制限があるからできることには限界もあるはず。手強い相手だけど、彼女を止めることは決して不可能じゃないと思う――ただ」

「何よりここに囚われたままでは、手も足も出ないな」

 ディアナはマントルピースにもたれて言った。

「それなのよねえ……」

 アイカがソファの背もたれに身を預けて喉を反らせる。


 コンコン、ココン。


 その時部屋に響く、特徴的なリズム音。

 トヲル達ははっとなって周囲に注意を向けた。


 ノックされたのは、アイカ達が入って来た扉の正面にある別の扉だ。

 扉がゆっくりと開く。

 その向こうから現れたのは、赤いエプロンドレスの小柄な人影。


 アリス・ブラックホースが、扉の影から黙ってこちらを見つめていた。



つづく

次回「第38話 仲間と囚われになった俺が、お茶会に参加する話。」


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