第36話 行方不明者と出会った俺が、敵の目的を聞く話。
「襲いかかってすまなかったのである。ゼノテラス兵団の兵士かと思ったのである。機関以外に潜入がバレると都合が悪かったのであるよ」
トヲル達がエクウスニゲルに来た主目的はゾーイ・リュンクスの捜索だった。
その当の本人は淡々とした調子を崩さず、ディアナに謝った。
「いや……それはこの際、構わないのだが」
ディアナはとまどった様子ながらも両手剣を背中のホルダーに戻す。
ヴィルジニアは、低く呻いてぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回した。
「そっか……うっかりしてた。おまえにはその能力があったんだったな。顔を完全に変えることができる特性――〈ブラック・ファラオ〉」
「顔だけじゃないのである」
ゾーイを名乗る女性は着流しの胸元に手を入れ、そこからするりと白い布を抜き取った。
明らかに男性のものだった胸元が、女性らしい丸みを帯びる。
「そうやって敵の幹部に変装して紛れ込んでたってことか」
「うん。ところでヴィルジニア、何か食べるものもってない? ゾーイはお腹ぺこぺこなのである」
ヴィルジニアは再び自分の髪をかき回して溜息をついた。
「ま――消息不明ってやばい状況がお腹ぺこぺこ程度で済んで良かったけどよ」
トヲル達は怪物の群れを避け、ひとまず寄宿舎跡の建物内に戻った。
トヲルが馬車から少量もって来ていた塩オリーブオイルのトーストをゾーイに渡すと、早速かぶりつきながら不思議そうに彼を見つめた。
「先ほどから何やら妙だと思っていたのであるが、やっぱりもうひとりいたのであるな。透明なIDとは珍しいのである」
「人外種なんだよ、種族〈インヴィジブルフォーク〉っていう……」
「ほう、ゾーイも人外種である。種族――」
「自己紹介は後だ、ゾーイ。おれ達はおまえを捜しにここまで来たんだよ。あのアイカも一緒にいて、今も手分けして捜してたとこだ。目的は達成したし、この騒ぎだろ。合流してここから脱出しようぜ」
壁際にもたれたヴィルジニアが言うと、ディアナも同意した。
「この混戦状態で長居は危険だ。トヲル、アイカに連絡を」
「あ、ああそうだね。そうだった」
トヲルは慌てて端末の通信をかける。
「いや、ヴィルジニア。今ここを離れる訳にはいかないのである」
ゾーイはトーストをもう一枚手に取って言う。
「――時間がないのである」
通信に応答したアイカに現状を伝えるトヲルは、ゾーイの伏せがちな目にかすかに焦燥の色がよぎるのを見た。
*
アイカは空中に作った血液の足場を使って、クロウは飛翔して、直接寄宿舎跡の二階にやってきた。
一階の入口が怪物に破られそうだったので、ヴィルジニアが引力を操作して二階へ続く階段を圧し潰したのだ。
クロウは右目に眼帯を着け直している。
「……さっきの一撃でちょっと痛くなっちった。〈ドーンブリンガー〉はただいまチャージ中」
「なっちったじゃないわよ、全く。いきなり調子乗りすぎなの……もう少し出力を制御してよね」
アイカは呆れ顔で言った。
「おお、アイカ。久しぶりであるな」
倒れた家具に腰かけているゾーイが小さく手を振った。
「……ちょっとゾーイ。あんた何のんびり食べてんのよ」
「トースト」
「それは見りゃ分かる。あたし達がここにいる理由はヴィルジニアから聞いたでしょ? あんたが見つかったんだから、ここには長居したくないの。時間が無いとか言ってここに残ろうとしてんのはあんたなんでしょうが」
アイカはポケットからロリポップを取り出して口に咥えた。
「……話してよ。何か掴んだんでしょ」
ゾーイはトーストを平らげると、指についたオリーブオイルを舐めて言う。
「うん。マーティ・サムウェルを止めないと、ここからまた厄災が広がるのである。あの男は計画を着々と進めているように見える。ゾーイはこの場を離れるに離れられなかったのである」
「機関に通信を送れば良かっただろ? 無事なら何で音信不通になってんだ」
「ゾーイの端末はアレに近付いた時に故障した。アレは未だに瘴気を放っているのである」
アレというのは――。
「まさか、レッドドラゴン……?」
「その残骸なのである」
トヲルの言葉にゾーイがうなずく。
「マーティはその残骸を利用しようとしているのである」
「利用と言うが――具体的には?」
ディアナが問う。
「魂の交換である」
ゾーイはそう答えたが、みな一様に腑に落ちないでいる。
彼女は言葉を継いだ。
「自分のIDと別のIDと魂を入れ替える。つまりマーティは、今の自分の肉体を捨てて、レッドドラゴンの肉体を手に入れようとしているのである」
「レッドドラゴンの力を利用するってかむしろ、レッドドラゴンそのものになろうとしてるってこと? まさかそんな……いや、でも……」
アイカが額に手を当てて唸る。
「待てよ、そのレッドドラゴンは暴走して自滅と再生を繰り返して身動き取れないって話だろ。そんなの意味あんのかよ」
「うん。ヴィルジニアの言う通り、確かに人格なき今のレッドドラゴンのIDは、暴走によって活動不能状態になって久しいのである。だがもしそのIDがマーティという人格を得ることで理性を取り戻し、力を制御することができるようになれば――」
部屋の温度が少し下がったような気がした。
「再び世界に厄災級の怪物が生まれることになる……?」
クロウは小首を傾げている。
「でもそもそもできるのかなあ、そんなこと。IDの中身が入れ替わっちゃうなんて、ちょっと考えられないよねえ」
ゾーイは静かに応じた。
「ゾーイもそれには同意であるが、無視することもできなかったのである。マーティの動きにはまるで迷いが感じられなかったゆえ。きっとあの男は実現させるという確信をもっているのである」
「確信……それって、ドーム内で見かけた黒尽くめの女の人のことかな」
「そうね、会話を聞いた限りじゃ、彼女の能力がカギになっているのは間違いなさそう」
「あの女は一体何者なのだ?」
ディアナが問うと、ゾーイは首を振った。
「よく分からないのである」
トヲルは息を呑んだ。
その同じフレーズを、昨夜聞いたばかりだった。
それはマルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒについて話している時だった。
偶然か、それとも――。
「ゾーイの端末が壊れたので〈クシミタマ〉で鑑定することもできなかったのであるが、日がな一日、部屋に籠って書き物をしてひとりでぶつぶつ言っているようにしか見えないのである」
「でもマーティはそんな彼女の能力をアテにしてんのよね?」
黒尽くめの女の能力――。
「あと一日は要る……」
トヲルが思わず口にしたその言葉に、ゾーイが敏感に反応した。
「あと一日? そう言っていたのであるか」
「う、うん……俺達を足止めするにもそれくらいは必要だって」
ゾーイの表情はあまり変化しなかったが、やおら立ち上がった。
「思った以上に時間がないのである。とにかくここは直接行ってあの女を止めるのである」
「潜入してたあんたが探り切れなかったんなら、それもやむを得ないか……。場所分かってんの? さっき、あのアリスってコと一緒にどこかに消えたけど」
「いつも籠っている部屋を知っているのである。ロビン・バーンズに顔を変えて行けば接触することは難しくないはずである」
ゾーイは白く細長い布を顔に巻きつけていく。
「ゾーイの特性〈ブラック・ファラオ〉は、IDを変形させたり元に戻したりできるのである。白い布で包むというプロセスをトリガーにしているのであるよ」
顔を完全に覆った布を解くと、そこには白髪壮年の男性の顔があった。
「うぅわあ……」
「本人前にして引いてんじゃないの」
アイカが横にいるクロウの横腹を肘でどつく。
「……ところで君が入れ替わった本人はどこにいるの? 今朝、彼に端末を向けた時は確かにロビン・バーンズの名前が宣告されてた」
胸元にも布を巻きつけているゾーイに尋ねると、彼女はロビンの声で答えた。
「今もこの建物の屋根裏に拘束しているのである。入れ替わったのは彼が怪物の大群を引き連れてここへ戻って来た時である。彼自身の戦闘能力は、怪物を使役するその特性ほどの脅威はない。当て身を喰らわせて眠らせたのである」
最初にゾーイが襲いかかってきた時、天井から降りてきた。
潜入中は屋根裏を拠点としていたらしい。
「じゃあもうここの怪物の大群はロビンが操ってるワケじゃないんだ?」
「言われてみれば、アリスって女の子にゴブリンが襲いかかってたね。本来は守らせる対象のはずだし」
マーティにつき従って整然と動いていた今朝の怪物の様子とは微妙に違っている気がする。
「うむ……わたし達を発見して警鐘を鳴らしたまではいいが、その後は一斉に押し寄せるといった無駄な動きをしている――およそ大軍の統制ではない。彼の特性が洗脳のようなものと考えれば、徐々に解け始めているのかも知れないな」
「それで? 例の女はどこにいるんだ。また敷地内を突っ切るか? 操られてないってんなら、ただの烏合の衆だ。おれ達で軽く蹴散らしてやればいい」
ヴィルジニアが担いだ大槍で肩をとんとんと叩いた。
「いや、それには及ばないのである。彼女は地下に部屋を持っているのであるよ。地下空間はこの建物跡とも繋がっているから、ここから地下道を使う」
ゾーイは足元を見降ろした。
「怪物が二階に上がってこないようにおれが階段を落としちまったぞ」
一階の入り口はすでに破られ、階下で怪物達が動き回っている気配を感じる。
アイカが肩をすくめた。
「敷地内の群れを相手にするのと比べると少しはマシかもね。跳び下りて突破しましょ」
「どの道跳び下りるなら、ここから直接行こう。いいよね?」
トヲルは床に手をかざす。
「ああ、頼む」
ディアナが背中の剣を抜いた。
「〈ザ・ヴォイド〉!」
部屋の床が消失する。
一階の部屋へと跳び下りた彼らを、建物に侵入していた怪物の群れが待ち受けていた。
着地するなり、ディアナの大剣が目の前のゴブリンを数体まとめて薙ぎ払い、壁に叩きつけた。
クロウは跳びかかって来るオークを太刀で両断する。
その隙に、トヲルはもう一度床に手をかざした。
「〈ザ・ヴォイド〉!」
床に地下へと続く暗い穴が広がる。
トヲル達は地下へと跳び下りたが、怪物もそれを追って地下道へ跳び込んできた。
そこへヴィルジニアがかざした手で円く空間を撫でる。
石造りの天井が崩れ落ち、追ってきた怪物を巻き込んで穴を塞いだ。
土埃が収まった後、トヲルの視界がとらえた地下道は思ったより広かった。
照明が機能しておらず昼でもなお薄暗いが、完全な暗闇ではない。
どこからか光が差し込んでいるようだ。
「こっちなのである」
ゾーイが先に立って歩き始めた。地下道の明るい方へと進んでいく。
アイカはクマのぬいぐるみを胸の前で抱きしめて歩いている。
「……アイカ、ぬいぐるみの首を締めすぎだよ。もげそうになってる」
トヲルが声をかけると、アイカがびくりと振り返った。
「お、思ったより暗いからって別に怖がってないし! 〈ヴァンパイア〉は暗闇の種族だし! 地下がじめじめしてて肌寒いだけだし!」
「怖がってるとはひと言も言ってないんだけど……」
「ビビり癖のついたアイカ可愛いねえ」
「しゃあッ!」
頭を撫でようとするクロウにアイカが牙を剥いている。
「しいー、目的の部屋は近いのであるよ」
ゾーイが口元に人差し指を立てた。
ちょうどドームのある部分を通っているのだろう。
地下道の壁がない場所があり、光はそこから差し込んでいた。
「この場所が研究施設の中枢だったみたいなのである。見ての通り、レッドドラゴンの暴走で大穴が開いているのである」
「この穴の底にレッドドラゴンが……?」
ディアナが穴の縁にある石壁に指を這わせた。一度高熱で溶けて固まったように滑らかな表面をしている。
マーティはこの穴を降りてレッドドラゴンの元へ向かったのだ。
やがてゾーイの立ち止まった地下道の一画に、真新しい扉があった。
年月を経て朽ちた部屋を改修したのだろう。
「ゾーイが先に接触する。みんなは合図するまで離れて待っていて欲しいのである」
「ひとりは危険ね、トヲルも同行させてよ。透明だから気付かれにくい」
「……承知したのである。ではゾーイの後に続くのである」
トヲルはうなずいて、端末のアバターを消した。
ゾーイが居住まいを正し、扉をノックした。
「……少しいいだろうか」
部屋の中からはすぐに落ち着いた女性の声が返ってきた。
「その声はロビンか。開いている。入るがいい」
扉を開いた先は――元々は研究施設の一画を成していたのだろう――広々とした空間が広がっていた。
だが空間の大部分は書物が収められた巨大な書架で占められていて、床にも大量の書物が積み重なっている。
書物の山の向こうにデスクがあり、黒いハットと黒いコートを身にまとった黒髪の女性が広げた書物にペンを走らせている所だった。
「侵入者を片付けたようだな」
手元から視線を上げず、彼女は言った。
ゾーイがそれとなく応じる。
「ああ。取り逃がしてしまったようだが、こちらの計画を邪魔されなければ問題ないだろう」
黒尽くめの女性はペンの手を止めた。
「取り逃がした……?」
そう言うなり、口を閉ざしている。
トヲルは次第に自分の動悸が速くなっていくのを感じた。
何だ、この沈黙は――?
ゆっくりとその顔を上げる。
つば広の帽子の下の顔は、想像したよりずっと若く美しかった。
見た目の歳はトヲルのいた孤児院のシスター、クリスと同じくらいだろうか。
ややあって女性は再び口を開いた。
「捕らえて……ここへ連れて来たものだと思ったのだがな」
こちらを見据える目は奥に虚空が広がっているかのように底なしに黒い。
それなのに圧倒的な威圧感を放っている。
言葉の意図を理解しかねて咄嗟に返答できずにいるゾーイに向け、彼女は持っていたペンを指揮棒のように小刻みに振った。
その唇が高速で動き、何か聞き取ることのできない言葉を紡ぐ。
黒尽くめの女性は一度目を伏せ、改めてこちらを見据えた。
「……ゾーイ・リュンクス……特性〈ブラック・ファラオ〉……種族〈木乃伊〉」
彼女は、まるで〈タマユラ〉のような宣言を口にする。
「……ッ!」
ロビン・バーンズに扮したゾーイが、よろめくように一歩後ろに下がった。その顔に脂汗が浮かんでいる。
黒尽くめの女性は椅子から立ち上がった。長い黒髪がゆらりと広がる。
「……知らぬ名だな……」
地の底から響くような、落ち着いた声音で彼女はそう言った。
つづく
次回「第37話 魔女と対峙した俺が、その能力を知る話。」
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