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第二話 救急病院の洗礼

 自室に現れたのは三人の屈強な救急隊員だった。

彼らは母親の案内を受け、階段を登って部屋にやってきた。

そして立ち上がることができない自分を緑色のシートの上に誘導する。

この時少し痛みから回復していた自分は、もう救急車乗るの嫌だなとちょっと思ってはいたのだが大人しく従い、なんとか重い尻を持ち上げてそのシートの上に動いた。

隊員の一人が「動けますね」と少し驚いていたのが印象に残っている。

そのシートを引っ張り上げて三人がかりで階段を降りる隊員。

乗るのは体重百キロを超える巨漢なこともあって、大変だったと思う。

しかし引っ張り上げられる自分は痛みに悲鳴を上げるだけで、そんなことを思ったのはもっと後になってからのことだった。

自分で動かずに見る、見慣れた階段の壁が流れていく様……それは生まれて初めて、もしかしたら次はもうないかもしれない景色だった。

階段下でストレッチャーに乗せられて救急車に運び込まれた自分は、この後頻繁に出会うことになる車内の景色に、この時初めて出会った。

まず家の前で止まったままの救急車の中で、受け入れ先の病院を探して電話を始める救急隊員。

その前にいろいろ聞かれたかもしれないが、もうあまり記憶がない。

電話したのは市内の救急病院だった。

「階段を降りる時も脂汗を流して痛みを訴えていまして……」

という声が聞こえたのは覚えている。

そして無事許可が降りて、救急車は発進。


意外と揺れが大きいのは、ストレッチャーが高いせいで安定感が悪いのもあるのかなと思う。

日本の救急車は耐震設計になっているらしいとも聞いたことがあるが、どうなのかは今でもよくわからない。

数キロ先にある病院に到着してストレッチャーで降ろされた自分は、そこで病院に引き渡され、救急隊員とはお別れなのだが、勝手が全くわからないまま運ばれたこともあって礼を言う余裕もなかった。

この礼をやっと言えたのは四度目の入院、脳梗塞になった時だった。

彼らの動きはそれくらい慌ただしい。



運び込まれた患者は、これまたやたらと狭い寝台に寝かされる。

これも以後おなじみの光景になるのだが、この時が初体験だった。

自分にはその寝台が恐ろしく窮屈で、安定した姿勢が取れずにかなり苦しめられることになった。

動いて慌てて看護師に止められ「柵を付けるので動かないでください」と言われた自分は、ただでさえ痛みに怯えているのにさらに足場を狭く設定され、横になることもできず不安定なままでなんとか痛みがこないように不自然な姿勢で頑張ることを強制されてしまった。

そして問診が始まるが、職業は? などとどうでもいいことを聞かれてちょっと怒りが湧いてくる。

「うう……無職です!」

と喚くように叫んだ声が弱いのは、痛みが酷いからであって別に告白が恥ずかしいわけではない。

そんなことより痛み止めをくれ! としか思わない自分は、延々どうでもいい質問の後やーっと座薬を挿れられることになった。

パジャマの下を脱がされてお尻に座薬を突っ込まれるのは恥ずかしい。

座薬自体子供の頃以来だし、違和感しかないのが気持ち悪い。

この後完全に慣れて自分で気軽に使えるようになるのだが、この時は羞恥と違和感でもう嫌だと思うばかりだった。


その後やっと少し安静を取り戻した自分は姿勢を横たえて、狭い寝台の上で体を倒したのだが、それを見た若い兄ちゃんの医者は「お、横になってる」と珍獣の新しい動きに感心したようだった。

その後CTを撮ると言われて部屋を移されることになった自分は、狭い寝台からこれまたストレッチャーのような台に載せ替えられることになって痛みを呼び起こされる。

そしてまた狭いCTの台に移される。

この時も先程からずっとある救急隊の緑のシートで持ち上げられたのだが、これがまた痛い。

そして上を向いて寝てくださいと言われる自分は「無理!」ときっぱり拒絶。

結局また横向きで人生初CTを撮影することになった。

そして結果はレントゲンの時と変わらず。やはり患部は写らなかった。

この時若い医者が言った一言がなければ、自分は本当に骨だけでなく心も折れていたかもしれない。

「これだけ痛がるってことはどっか折れているとは思うんですが……」

この対応は「わからない、様子を見たい」と言った町医者とは違っていた。

これだけが救いで、明日詳しく検査しますという医者に全てを任せることにした。

この時医者は

「これかな……?」と当たりをつけてはいたようだが、CTでもはっきりしたことはわからなかったようだ。

そりゃあレントゲンじゃあわからなくても無理はない。


そして検査は一旦終わり、入院の段取りが母親と看護師の間で交わされる横で、自分はやっとふかふかのベッドに横たえられ、心電図をとられたり雑事に追われることになった。

聞いていた話によれば、大部屋が開いていないため自分は一旦四人部屋に入れられることになるそうだ。

この部屋だとベッド代がかかる。

後に個室より大部屋大好きになる自分だが、この時はまるで勝手がわからない。

ただ恐れおののくだけの自分は、この後大部屋の洗礼を受けることになるのだが、それはまた後日のことになる。

この後一人しか患者がいない部屋に通された自分は、動くに動けず、ただ左肩を下にして横になっているだけだったが、ベッドのマットのふかふかさに大分助けられていた。

なんて安らかな心地なのだろう。こんな世界があったんだな。

これが後にマットレスを導入するきっかけにもなったのだが、しかしその安らかな時間は看護師によって早速引き裂かれることになってしまった。

この時の話をして今回は幕としたい。


その後病室に運ばれた自分のところに看護師が度々やってきて「診察券持ってないですか?」などとベッドで一人パジャマ姿で寝ている俺に聞くなよという質問を浴びせてくる。

「俺は知らないです母親が全部持っているので……」と多少苛立ちながら答える自分に、この看護師は他にもあれこれ聞いてくる。

答えは全部一緒じゃいと切れる元気もなかったが、あの時の鬱陶しさは相当だった。

さらに血栓ができるのを防ぐため、靴下を履かせに来る看護師にも切れそうになったのを覚えている。

切れそうというより実際悲鳴を上げたわけだが。


寝たきりの患者は血栓ができやすくなるため、足元をきつく締めてそれを防ぐ必要があるらしい。

だが左肩を下にして安静な姿勢を維持している自分の足を動かすのは、もはや暴力に等しいのである。

しかもその靴下は用途もあって異様にきつい。

そもそも入らねーよ! と言いたくなるような靴下をぐいぐい押し込もうとする力は、全て痛みとして自分に伝わることになった。

そして文字通り悲鳴を上げた自分は、その意味すら理解できずにやめてくれ! と叫んでいた。

結局靴下は26.5の比較的大足(でもない気もする)の自分には適合せず、代わりに包帯を巻きつける処置に変わったのだが、そんなの足のサイズの時点でわかるだろうにと今でも思う。

強引極まりない行為だった。

血栓なんか知るかという話だ。

結局後に脳梗塞を患うことになり、その血栓に脳を殺された今となっては、確かに怖い話だということはよくわかるのだが、このときはただ苦しめられたとしか思わなかった。


まだある。

というかここまではまだプロローグに過ぎない。

本当に自分を苦しめたアイテムは既に登場済みである。

その後看護師が数人ぞろぞろやってきてこうのたまった。

「救急隊から要請があってシートを返却しなければいけないので」

自分の下には、まだ各所への移動に使われた緑色のあれが敷かれていた。

しかし視点が低く俯瞰できない自分は、すっかりそのことを忘れて認識していなかった。

そして重い自分が鎮座するベッドから、無理やり引き抜かれるシート。

当然腰の肉だけを引っ張られる自分は、あの時の激痛に再度苛まれることになってのたうち回り悲鳴を上げた。

また飛び出す「止めてくれー!」という絶叫。

その声に一度は動きが止まったが、看護師たちは焦っているらしく結局また引き抜く作業を再開してくれた。

そして除去が終わってシートを回収してから「よくがんばった」と慰めの言葉をかけてくれるのだが、冗談じゃねえ最初から最後まで苦しめたのはあんたらだよ! とは言えなかった自分は、結局泣き寝入りするしかなかった。

本当に酷いところに来たものだと思う。

後でつくづく思ったことだが、この病院には余裕が一つもありゃしない。

大体自分はCT撮影のためのまるで効かなかった座薬以外、これから痛み止めの一つももらえない日々が始まるのである。

この苦難は当分続くことになる。

実はこんなこととっくに忘れていたのだが、振り返ってみると次々記憶が蘇ってきたので、この機会に恨みを込めて語ってみようと思う。

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