第一話 そして物語は始まった
忘れもしない、それは2016年3月のことだった。
元から腰が痛くて動きが鈍かった自分は、うちの母親が買った26インチの小さな自転車に文句を言いながら、その日も家から数キロ離れた古本屋にめぼしい品を漁りに行くだけの悠々自適な日々だった。
断っておくが転売はしていない。
本当にただ自分が欲しいと思ったものを集めるためだけに行動をしていたことは言っておく。
まともに仕事もせずぶらぶらしている自分は、ギャンブルにのめりこむでもなくただ100円のゲームや漫画、本を買い漁るだけの無害な存在だったが、穀潰しであることに違いはないので無害なわけはなく、ただ単に純粋に有害な人間だったのだろうが、それはこの際ちょっと置いておかないと話が進まないので敢えて無視する。
結局諸悪の根源はお前だと最初から犯人のネタバレを主張するのは勘弁してください、まじで……。
それはともかくこのところ動き回っていて家にこもっているよりは割と調子がいいと思っていた自分は、何故かその頃から徐々に腰に痛みを覚え、動きも目立って鈍くなっていた。
最初におかしいと思ったのは、いつもなら寝ていた布団で眠れなくなってからだった。
この頃は板間にそのまませんべい万年床を敷いて寝ていたが、その布団にただ寝ていると激痛で跳ね起きてしまう。
姿勢も左肩を下にして眠らないと駄目で、これが上向きだったり、右肩を下にして眠ると途中であるいは最初から痛みで跳ね起きてしまう。
その痛みはしばらくじんじんと痛み、下手に動くとさらに苦しむので、安定した姿勢で痛みが引くのを待たなければいけない始末だった。
それで苦しんだ自分は、枕を縦に三つほど並べてその上に左肩を下にする形で乗っかることでやっと痛みを覚えないですむと知って、少し眠ることができるようになった。
今思えば素直にマットレスを使えばよかったのだが、その頃はまだ存在すら意識したことはないため、まだこの文明の利器は登場しない。
やっと安寧を取り戻したかに見えた自分だが、この枕の上で寝るスタイルはどうしても安定感が悪い。
寝ている時にも人間は無意識で動くものだが、それで姿勢がずれると途端に激痛で目が覚めてしまう。
そして涙目になりながら痛みが出ない姿勢を取って、なんとか収まるのを待ってからやっと落ち着くのだが、おかげで日々の睡眠時間は四時間程度が限界になり、あれだけ安らかだった眠りは痛みを待つだけの時間に成り果ててしまった。
これが三月中旬の話。
その後(偶然)水曜日にもう限界! と思い立った自分は病院に行こうとしたのだが、水曜日は休みの病院が多い。
早速助けを否定された自分は、電話帳を駆使してやーっと少し離れた場所に水曜も開いている整形外科を見つけ、痛む腰を叱咤しながら自転車に乗って出かけた。
しかしその病院は、昔ながらの老人の寄り合い所状態。
どうやら整形外科はどこもそんな色合いの病院が多いようだ。
大きな病院ではもう見られなくなった光景が、眼前に広がっていた。
リハビリ施設はやたらと充実していて、患者もほぼそんな人ばかり。
うわーと思いながら順番を待っていた場違い気味な自分は、やっと呼ばれた時も気合を入れて少しずつ腰を持ち上げ、それでもビキン! と脳内だけで効果音を鳴らして激しいしびれと痛みを感じて動きを止めつつ、診察室に入って窮状を訴えた。
その後レントゲン撮影になったのだが、この病院では狭い台に上向きで寝ないと撮影ができないと言われた。
上向きは激痛が来るので無理ですと悲鳴じみた声で首を横に振る自分に、じゃあ横向きで撮りますと言ってくれたのはいいのだが、結局この写真でははっきりしたことはわからなかった。
その後「様子を見たい」と言われた自分は湿布だけ出されて、ようするに手に余る厄介者として追い返された。
湿布を取りに寄った隣の薬局でもやはり立ち上がる時に激しい痛みを覚え、店員の薬剤師に心配されつつも結局はただ帰宅するしかなかった。
「骨が折れたわけじゃない、これはただの寝違えなんだ、日が経てば治る」
ともう自分を洗脳するように言い聞かせた自分は、この日を境に外出する体力もなくなり、遂には食事のために二階の自室から一階のリビングに降りることもできなくなった。
そのため以後は母親が食事を運んでくれるようになり、日に一度だけトイレのために気合を入れて立ち上がり、痛みに動きが止まり、やっとよちよち歩きで階段を一歩ずつ降りてはまた痛みに震え、やっとトイレで用を足して布団に戻るのだが、やはり睡眠に落ちる時間はせいぜい四時間が限度で、ほぼ眠れないという日々を送った。
これが四月上旬の話となる。
この時の痛みの激しさはとてつもないものだったが、今となってはもう思い出したくもないしはっきり思い出すこともできないので、ここをこれ以上くどくど述べるのはやめておこうと思う。
そして運命の2016年4月9日日曜日。
この日も日に一度のトイレに階下に降りようとした自分は、重い腰を上げて立ち上がろうとしたのだが、その日は痛みを恐れる余りどうしても尻が上がらなかった。
迫る尿意に仕方なく後ろに手をついて這うように進んだ自分は、尻をなんとか少し持ち上げてはちょびっとだけ進んだのだが、元々布団近辺以外は物が多い部屋で、ストレートに階段に向かえず難儀し、しかも途中あまりに重い尻が持ち上がらず、地面で思い切り擦ってしまった。
これが引き金となり訪れた痛みはこれまでを凌駕する激しいもので、しかも固い床の上だったため痛みを抑える姿勢も取れなかった。
テーブルや物のせいで楽な姿勢を取れない自分は、のたうち回って苦しみ悶え、ほんの一メートルもない距離の布団に戻ることもできず文字通り暴れたのだが、それを見つけた母親は
「もう救急車呼ぼう」
と諦め気味に呟いた。
そしてやっと現状の場所で当座の痛みから逃れることには成功した半泣き面の自分は、少し先にあるデスクトップパソコンのマウスを取ってもらい、それをシャットダウンしながら救急車の到着を待つことになった。
こうして自分の苦難の日々は始まった。
これから初救急車初入院初手術を経験することになるのだが、それがさらにあんな事態に続くとは、このときの自分は想像もしていなかったのである……。