6話 火炙りと反転
「あれは……、『炎炎陸亀』………」
ヒナリアちゃんは、目を見張って言う。
「………………お知り合い……?」
「………と、とっても、有名なモンスターです……。わたしも、見るのは初めてですが……。ケビンさんは、ご、ご存知ないでしょうか……?」
……そう言えば、学園の『モンスター学』の授業で、いろんなモンスターの生態・弱点を習ったような、習わなかったような……。
座学は大体爆睡してたから、全くもって脳内にインプットされてない。
ほとんど開かれてないせいで、紙がパリッパリのままの新品同然の教科書を、引越しのときに処分した。
「………『炎炎陸亀』は、火を操る亀のモンスターでして………、獲物を炙ってから食す、グルメな一面があります……。これ、豆知識です……」
ヒナリアちゃんに教えてもらうまでもなく、目の前にいる巨大な亀のモンスターが、火を扱うことはわかった。
だって、火打ち石のような黒い上下の歯をカチカチと擦り合わせて、火花を散らしてるんだもの……。
グルルルルル………。
喉を、低い音で鳴らしながら……。
あの大きな口から、炎を噴出するんだとしたら……、なかなかの威力の火が出てきそう……。
具材が人間なら、炙られるどころか、消し炭になること確定。
焼き過ぎて、食べても全然美味しくない状態まで、三階級特進。
ベリーベリーウェルダンなり。
「び、Bランクモンスター……。Hランクのわたしたちでは、とてもじゃないですけど、歯が立ちません……」
『炎炎陸亀』は、ピクリとも動かずに、ただじっと……、真っ黒な瞳で俺たちのことを見つめ続ける。
敵意は一切消さない。
いつ、攻撃が開始されてもおかしくない緊張感が漂う。
ヒナリアちゃんは、恐怖のあまり、ガタガタと震え始めてしまった。
「死」すらをも覚悟してるのかもしれない。
「………ヒナリアちゃん、後ろに下がっていて……」「……え? ケビンさん……何を言って……」
「大丈夫だから」
俺はヒナリアちゃんに声をかけると、『炎炎陸亀』に向かって、一歩足を進める。
ヒナリアちゃんと……、『炎炎陸亀』からも、驚きの感情が伝わってきた。
俺もヒナリアちゃん同様、『炎炎陸亀』は、初めて見るモンスターだった。
初見である。
生態に関する知識もない。
………だけど、大丈夫。
なんとなく、そう思う。
だってこう………、目の前の敵からは、全然危険を感じないんだもの。
生存本能を脅かされるような何かがない。
その程度の相手ならば………、まぁ、大丈夫かなって思うのだ。
ーーー自信。
俺が向かっていったことを挑発か何かだと受け取ったようで、『炎炎陸亀』は、俺を完全に攻撃目標と定めたようだった。
ヒナリアちゃんと俺の、中間地点を向いていた首を俺の方へと傾けて………、口を大きく開く。
身体が丸呑みされそうな大きさの口。
うわぁ……、のどちんこもビッグサイズだなぁ……。
人生初体験の変な感動を覚えつつも、歩くペースを変えない。
一歩、また一歩と、『炎炎陸亀』に近づいていく。
「ケビンさんッ!!!!」
それは、もはや悲鳴と言ってもいいような、鋭い叫び声だった。
ヒナリアちゃんの声が耳に届くや否や、俺の視界が、オレンジ色一色に染まる。
『炎炎陸亀』が、炎を吐いた。
俺の身体は、炎に完全に包まれてしまう。
……………。
……………………。
…………………………。
…………暑いなぁ…。
人生で経験した中で、一番かも。
……だけど、全然辛くない。
この程度ならば……。
全く。
数秒の時間が経ち……、炎が収まった後で、そこに立っていたのは、無傷の俺。
多少、衣類が焦げたせいで、ちょっとだけ黒い煙が出てるけど………、まぁ……問題ないかな。
焼き加減は、ブルーレア以下。
ほとんど生肉と一緒。
「………ケビン………さん?」
「ね、大丈夫だったでしょう?」
俺はヒナリアちゃんの方を見て、元気全快であることをアピールする。
スキルを使ったわけじゃない。
この程度の攻撃ならば、ちょっと力んで踏ん張れば耐えられる。
生まれつき、そういう身体なのだ。
どうも俺は、人並みはずれた身体能力の持ち主のようで……、ちょっと本気を出すと超人じみたパワーを発揮してしまう。
これは別に、俺にだけ備わった特別な技能ってわけじゃなくて、特にランクの高い冒険者たちの多くは、常人離れした肉体的なステータスの持ち主ばかりである。
ーーー馬車よりも速く走り、空高く跳び、岩を砕く拳を放つ。
燃え盛る炎の中を散歩できるものも、俺以外にだっているだろう。
そんな超人たちの中でも俺は、そこそこ強い方みたいだけど……。
自分の力がどの程度のものなのか、はっきりとは把握していない。
まぁ、とにかくである。
「亀」ごときの炎に炙られた程度では、何の問題もないのだ。
ゴゴゴゴゴッ!!!
そんなことを思っていたぴったりのグッドタイミングで、俺の身体は再び、炎に包まれてしまう。
うん……、さっきよりもちょっと温度が高めかな……?
でも、無事。
ノープロブレム。
ダメージを受けるほどじゃない。
この程度ならば、朝方に布団から出ることの方がよっぽど辛いって話である。
あの拷問を毎日必ず体験しなくちゃいけないなんて……、人生って本当に辛いよねぇ……。
炎が収まり、炎の発射地点である『炎炎陸亀』の方を見てみると、ぜいぜいと息切れをしてしまっていた。
完全に疲れ切っている。
そこそこ長い時間、火を吐き続けていたからなぁ……。
その間、息継ぎができなかったのだろう。
俺は、『炎炎陸亀』の巨体へとへと近づいていく。
「ふんっ!」
甲羅の端に手をかけ…………、持ち上げようとする。
んぐ…………!
なかなか……、重い。
「せいっ!」
「ごがッ!?」
俺は全身全霊の力を込めて亀の身体を高く、高く上げていき……、そのまま、ひっくり返してしまった。
自力で動けなくなった『炎炎陸亀』は、ジタバタと手足を運動させる。
「しばらくそうしてなさいな」
運が良ければ、そのうち元の体勢に戻れるだろう。
「ケビンさん………っ」
ヒナリアちゃんは、開いた口が塞がらないといった様子で、ぽかん……と『炎炎陸亀』以上の大口を開けて硬直してしまっていた。
ちょっと、びっくりさせちゃったかな……?
「ああっ! しまったっ!!」
俺は、虫かごを持ったまま、『炎炎陸亀』の炎に炙られてしまっていたた。
『キシビレワーム』は、高温に耐え切れるはずもない。
全滅。
………頑張った成果が無に帰してしまった。
この亀野郎……。やっぱり、トドメをさしてやろうか……。
この後、結局日没近くまで、俺は虫取りに走り回ることになってしまうのだった。
兎にも角にも………である。俺の最初の依頼は、こうしてなんとか完了をした。
☆☆☆☆☆
「「かんぱ〜〜いっ!!」」
俺とヒナリアちゃんは、グラスをカチンと合わせる。
グラスの中身は酒じゃないよ。
お子様らしく、りんごジュース。
俺も、それに合わせた。
二人揃っての初仕事を終えて街に戻ってきた俺たちは、祝勝会を開くことにしたのだ。
夕食を兼ねて。
………お別れ会も、含まれてるかも。
一回限りの関係だから。
「……悪いね、ヒナリアちゃん。結構な量の虫、分けてもらうことになって」
「いえ、そんなの全然大丈夫ですよ。気にしないでください。……しかしです。……まさかケビンさんが、あれほどお強い方だとは夢にも思いませんでした……。わたし、びっくり仰天。目玉が飛び出るかと思いましたよ」
「うん、まぁね……。戦闘は、そこそこ得意な方だと思うよ。ただ、実際のところ……、本気で戦ったことがないから、実戦でどれくらい通用するのかはわからないけどね」
「ケビンさんなら、あっという間にAランクに行って、もしかしたら、Sランクにまで、到達してしまうかもしれませんよっ! Hランクなんかに止まってるようなお方じゃないですっ!」
「うーん………。ランク上げには、そんなに興味ないかなぁ……。色々と、めんどくさいことが増えそうだしさぁ……。食べる分だけ稼げれば、十分。それなら、Hで問題ないでしょ」
「そうなんですか……? もったいないです……」
「お待たせしました。当店名物の『スペシャル特大骨つき肉』です」
俺たちのテーブルに、大皿に乗った肉が運ばれてきた
「うわぁ〜。きたっ、きたっ! コレコレっ!!」
目の前に運ばれてきた大きな肉を見て、テンションが上がる。よだれが、勢いよく生成されていく。
そう! これなのだっ!
これが食べたくて、わざわざギルドからちょっと離れたこの店に来た。
今日一日頑張ってよかったぁ……。
最高のご褒美が目の前にある。
「これは……とっても、美味しそうですねっ! 食べる前から、当たりってわかりますっ!」
「実際、めちゃくちゃ美味いよっ! この街で骨つき肉を食べるなら、まず間違いなくこの店だねっ!」
俺は肉を持ち上げて……、肉汁滴る様子を「瞳」でくまなく堪能した後で……、一気に齧り付こうとする。
「あ、テメェら、何してんだ……?」
後少しで最高のメインディッシュにありつけるという瞬間に、店の入り口の方角から聞こえてきたのは……、とてつもなく鬱陶しい声だった。