夏休み『俺の父親生活観察日記』
「……!」
なんか声がする。頭が覚醒し始め、伸びをしようと手を伸ばすと、ゴン、と固いものに触れた。いつもならこんな感覚はないはず。あれ?と思って触れたものを確認すると、カーテン越しに窓ガラスを叩いたようだった。
…カーテン?俺はいつ自分の部屋にインテリアグッズを購入したのだろう。うちには実家から持ってきた本棚と本と布団ぐらいしかなかったはず。カーテンはレールに吊るすのがめんどくさいから買わず、そもそもこんな大窓のある部屋ではなかった。
ふと天井を見上げると、ああ、これはこれは。例のリアル『見知らぬ天井』であった。こんな立派な木製の天井ではなかった。天井のシミに趣を感じる。あと電球に傘もかかっている。そしてようやく、この疑問にたどり着いた。
「(ここは…何処だ…?)」
そう思いながら睡魔に負けて二度寝を決めようとすると、足元のほうのふすまがスーッと開いて光が差し込んできて、大声をかけられる。
「いつまで寝てるの!?早くご飯食べて出発するよ!」
何が起きたのか一瞬わからず、怒声に驚いて跳ね起きて声のほうを見ると、ふすまを開いたのは身長の高めな女性だった…女?どういう状況だこれは。
「…誰?」と、寝ぼけたふりをして目をこすりながら布団から出る。視界に入るのはいかにも子供っぽい、それもヒーローベルト、怪獣の人形など男の子な感じのアイテムばかり。勉強机もあり、つい懐かしいと思ってしまう。畳のいい香りで目覚めもいい。ただ、もっと良い起こし方はなかったのか。
「寝ぼけてないで、とりあえず着替えて!」女性?はそう言って視界から消えた。自身の格好を見ると、なるほどパンツ一丁である。冷房もついてるしおそらくいまは夏だ。というか体縮んでるな。細いし。肌もつるつるでいかにも子供って感じだ。
照明をつけ、箪笥らしきものを開いて服を取り出し(サイズ150と小さい)、着替えながら机周りを調べてみる。文房具や教科書などに、『長谷川 翔太』というシールが貼ってあった。今の俺はどうやら翔太らしい。ノートを見る限り小学校高学年。ランドセルの中身は大量のA4用紙とノート、教科書、リコーダーが詰め込まれていた。これ宿題じゃないのかA4用紙。手つかずみたいだけど…。
というか、ここまで俺が冷静でいられるのはライトノベルやアニメのおかげだろう。輪廻転生、下剋上、ファンタジー、魔法、科学、エトセトラ。一部は主人公の反応がいちいち大げさすぎたり、逆に無反応だったりと極端で面白くない。あと最強だったり無能だったり結局最強だったりも。
ただ、日常系は例外だ。能力の有無、推理もアクションもラブストーリーも好きな時にいくらでも展開できる。ギャグに関してはやりたい放題だ。最高。
ところで、俺が読んできた中でこの状況を解決できそうなヒントがあっただろうか?
知らない一家の少年Aになる。今のところそれだけ。あまりに詳細が不明すぎてヒントもクソもないか…。
「兄ちゃん起きてる?」
ふいに後ろから先ほどよりもさらに高い声で声をかけられる。振り向くと、麦わら帽子のちっちゃな女の子が浮き輪を引きずっていた。なるほど、泳ぎに行くからせかせかしているのか。兄ちゃんというからにはこの子は妹なのだろう。なかなかかわいいじゃないか、翔太の妹。
「あ、起きてた。早く早く!」
「い、今行くよ」
話し方がわからないので簡潔に一言。声もおそらく翔太のものだ。俺は完全に翔太になりきらなくてはならないんだ。
朝食があるようなのでリビングに行きたいが、まっすぐ行けるか不安だ。妹に先導してもらおう。
「ごはんのところ連れてってくれる?」
「こっち~」
妹の肩に手を置くと、てくてくとナビゲートしてくれる。素直な子でほっとした。浮き輪が邪魔して歩きにくいけど気にするな。
たどり着いた部屋は先の部屋と違い、フローリングの床に長テーブルと椅子が5つ。俺と妹と女性と他に2人いるようだ。一つの椅子の前には、冷めてそうな朝食が置いてあった。…いやいや、食パンにハムとチーズ乗せただけって!あと牛乳になんか浮いてる。誰か飲んだコップだろこれ。
隣の台所からさっきの女性が顔を出して食器を洗っていた。
「早く食べて。昼はちゃんと向こうで食べさせるから」
そうだよな、寝坊したわけだし翔太。これは罰と思っておとなしく食べたほうがいい。
…けど正直このコップに口をつけたくないなあ…。
言われるがまま食パンを口に突っ込み、牛乳はコップに口をつけずに滝飲みで済ませた。なぜかほうれん草みたいな味がする。
「食べた?食器洗うから車行ってて。道路には出ないでね」
「ママ、うんち」
「いっ今!?だからさっき聞いたじゃんか!もう…しょうがないなあ」
どうやら母親らしかった。だいぶ若い母親だ。妹とトイレに走っていく。
さて残りは父親と…?
「車、玄関前につけたよ」
玄関から男の声がする。俺は自室に準備してあった水着類を取りに行こうと戻っていた時だった。ばったりその男と目があった。
「……あ」
「おはよう。ママと美咲は?」
妹は美咲というのか。いやそれよりも…。
「あ、えっと、みさき、うんこでママとトイレに…」
「今からトイレか…家の窓閉めたか確認した?」
「…今から!」
そう言って俺はそそくさと部屋に入った。
男の顔を見て、俺は天地が入れ替わったのかと思うくらい仰天した。
男は俺だった。