七話 幼馴染のJKからは母乳は出ません。
「(ふうぅ……間に合ってよかった)」
厳太郎は器用にトイレの縁に立って用を足していた。給水タンクに手をかけ、うまくバランスを取る。赤ん坊の姿なので、用を足すのも一苦労だ。
便器の中に落ちてしまわないように、細心の注意を払って床に降りる。足の筋力が弱いのか、頭が重いのか、着地すると必ず転んでしまう。今回も案の定、転んでしまい頭をさすりながらトイレを出た。不便な体ではあったが、おむつの世話にはなりたくない。
「だぶだぶだぶだぶだぶ」
なんとなくリズムよく声を出すと、ハイハイでも早く動けるような気がする。
慣れ始めてしまった赤ん坊の姿に、厳太郎は憂鬱になる。それもそのはず。厳太郎に由々しき事態が降りかかっていた。
現在は八月中旬。ままぁに喰われてから二週間も経っていたのだ。
毎日行っていたルーチンワーク。その中でも、夏休み中の風紀活動がおろそかになってしまったことが厳太郎の気がかりになっていた。
後、何度授乳されれば元の姿に成長できるのだろうか。いや、せめて普通に歩けて、言葉が話せるほど成長できれば風紀活動に支障はない。
だぶだぶ、と軽快にハイハイをしながらリビングへ行こうと、玄関の前を通った時、チャイムが鳴り響いた。少し身構える。ままぁか?
そういえば、すでにままぁが買い物に出かけてから一時間が経っている。そろそろ帰ってきてもいい時間だ。踵を返し、玄関へと向き直る。
――と、待て。
この家を自宅のように上がり込んでいるままぁが律義にチャイムなど鳴らすだろうか?
「厳太郎。帰ってきてる?」
「だぶぁ!」
凛華だ!
実は凛華からは何度か連絡があった。直接会って話したいことがあるようだったが、言葉を話せないため連絡は控えていた。メールで一応無事だということは伝えてたが、ままぁのこともあるし、第一この姿だ。元の姿に成長してから会おうとは思っていたが……。
「(そうだよな。普通に考えれば直接来るよな)」
もう一度、チャイムが鳴らされる。
「厳太郎。いるんでしょ?」
心配そうな声が聞こえてくる。
凛華には悪いが、今は開けることはできない。直接会って話したい用件は気になるが、厳太郎は居留守を決め込んだ。
「あれ?」
がちゃ、と玄関の開く音が聞こえてきた。
「開いてる……」
玄関のドアが少し開いて、凛華の声がその隙間から聞こえてきた。
……ままぁが出ていくときに、玄関のカギを締め忘れていたのだ。
「びえぇ!」
「入るよー」
凛華が頭だけを、ひょっこりと玄関に入れた。きょろきょろと周りを見渡す。
「え?」
時すでに遅し。凛華から逃れようと背を向けた瞬間、目が合ってしまった。
お互い、予想もしなかった展開に固まっているようだ。時が止まってしまったような空間の中、厳太郎は冷や汗を掻きながら一歩も動けなくなってしまった。
「か」
「きゃ?」
「かわいいいぃぃい!」
凛華は靴をぽいっと脱ぎ捨て、厳太郎に走り寄ってきた。きゃあきゃあ言いながら、厳太郎を抱きかかえると、くるくると回転する。そのあと、ぎゅーっと胸に抱き寄せた。
ままぁよりも胸があるな。と、思ってしまったあたり、厳太郎も思春期の男の子だ。豊かすぎるおっぱいに顔を押し付けられては、脳みそが湯だってしまいそうだった。
「えぇー。どこの子? きゃあぁぁ! この眉間にしわが寄ってるところなんて、厳太郎そっくり! 厳太郎のいとこかな? 小さなころの厳太郎ソックリ。かぁわいいー!」
凛華は厳太郎の頬にキスを乱発してくる。
いつもは先輩として、落ち着いた態度を見せている凛華だ。こんなテンションの高い凛華はあまり見たことがない。柔らかい唇が頬に当たるたびに、厳太郎の体は熱を持っていく。しかも、なにかいい香りもする。
しばらく騒いでいた凛華だったが、ようやく落ち着きを取り戻し厳太郎を見つめる。
「ふう、あまりに可愛いからはしゃいじゃった。……ねぇ、君。厳太郎のいとこかなにか?」
接近してくる凛華の顔。こつん、と額同士をぶつけ合うと、にこりとほほえむ。
きめの細かい肌に、驚くほど長いまつげ。瞳は深く透き通っていて、見つめられていると言葉を失ってしまうほどだ。凛華は古風で、控えめな美しさを感じていたが、こうしてはしゃいでいるところを見ると、やっぱり今時の女子高生なのだろう。
普段とは違う凛華の表情に、厳太郎の胸は早鐘を打っている。
「聞いても分からないよね。まだしゃべり出す前なのかな?」
凛華は笑みを絶やさずに、厳太郎の頭をなでた。ままぁとは違う感触だ。壊れやすいものを慈しむように触れるのがままぁだとすると、凛華の手は力強く、活力が湧いてくる。
どちらも、心地よくいつまでも撫でられていたいという気分になる。
「厳太郎。いないのー?」
凛華はそんな厳太郎をよしよし、と撫でている。今撫でているその赤ん坊が俺です。
と、言えればどんなに楽だろうか。いや、ばれたらばれたで、こんな姿になってしまった説明をしなくてはいけない。ままぁのこと。元の姿に戻るには、そのままぁに授乳されなければならないこと。
……だめだ。そんなこと説明できるはずがない。結局は、元の姿に戻るまでは大人しくしているほかないのか。
凛華はカバンからスマホを取り出すと、どこかへと電話をかけ始めた。数秒後、リビングから厳太郎のスマホの着信音が鳴り響いた。
「いるなら返事してよ」
凛華はスマホを耳にあてながらリビングのドアを開けた。もちろんそこには誰もいない。厳太郎のスマホがテーブルの上で振動し、無機質な着信音を鳴らしているのみだった。
その光景を見て、凛華の表情が引きつった。
それはそうだ。幼馴染の家に様子を見に行ったら、知らない赤ん坊が一人きり。目的の幼馴染は不在で、スマホだけが残されている。普通に考えれば異様な光景だ。自分だったら何か妙な事件に巻き込まれているんじゃないか、と考える。ひどい事件に巻き込まれている、というのは事実だとは思うが……。
「り、律子さんに電話!」
凛華は一度、厳太郎への電話を切る。
これは……まずい!
凛華はこの状況を律子に説明してしまうだろう。いくら、仕事一筋の律子とは言え、自分の家が妙な状況になっていると知れば、帰宅することを考えるに違いない。家にいるのは赤ん坊の厳太郎と宇宙人のままぁ。かなりめんどくさい状況になるだろう。
「だぶあぁぁ!」
厳太郎は凛華のスマホを持つ手をすぱーん、と払った。上手いこと当たったようで、凛華のスマホは勢いよく宙を舞った。
「ああっ!」
凛華の小さな悲鳴は、スマホを落としたことだけではなかった。厳太郎は手を払った瞬間に、緩んだ凛華の腕の中から空中へとダイブしたのだ。そのまま、絨毯の上へとごつん。
「ふ……ふぎゃああぁぁぁあん!」
これまでに分かったことがある。
赤ん坊を落とすと、抱いていた人間はパニックになる。誰だってそうだ。
厳太郎はそれを利用したのだ。
「ああっ! やだ。どうしよう。ご、ごめんね! ほんとうにごめんなさい!」
思った通り凛華はスマホよりも、落としてしまった厳太郎に意識が移ったようだ。
正直かなり痛かった。落ちたのが絨毯でよかった。フローリングに落ちていたら、痛いでは済まされなかったかもしれない。
「い、いたかったでちゅねー。ごめんね……」
凛華はギャン泣きの演技をする厳太郎を抱きかかえる。よーしよーしとおぼつかない手つきで厳太郎をあやし始める。
さて、これからどうすればいいのだろう。
確かに、注意は逸らすことができた。しかしこんなものは一時のことだ。いつまでも泣き続けるわけにはいかない。もうすぐ、買い物に行ったままぁも帰ってくるだろう。二人が出会ったらどうなるだ……?
え? どうなるんだ?
厳太郎は泣き続けながら、どうなるのか分からない状況にパニックになりかけていた。
「ううう……泣き止まない……どうしようどうしよう……」
パニックになっているのは、凛華も同じようだった。うろうろと部屋中を歩き回りながら、涙目になっている。
泣き続ける厳太郎と同じように泣いてしまいそうな凛華。カオスな状況だった。
「あっ!」
凛華が何かに気が付いたように、立ち止まった。
「おっぱい……! おっぱいを飲ませれば……!」
「ぎゃぼ!」
おっぱいと来たもんだ。
頭を打ち付けて泣いているというのに、おっぱいとはどういうことなのか。
泣いている赤ん坊は、確かにお腹が空いていることが多いと思う。でも、泣いている理由が明白なこの状況でこの判断は……。
泣き止ませるという目的が凛華の中で暴走してしまったようだ。
凛華は「おっぱいおっぱい」とつぶやきながら、部屋をうろうろしているだけだった。
この場に哺乳瓶と粉ミルクは無い。厳太郎がままぁから生まれて二週間経つが、口にしたのは、ままぁのおっぱいだけなのだ。
「うう……本当に泣き止まないよぅ……厳太郎どこにいるのぉ……うぇぇ」
ついに凛華が泣き出してしまった。その姿を見て、厳太郎にも罪悪感が芽生えてくる。
「そうだ! おっぱいなら私にも二つあるじゃない!」
なんだか変な方向に話がいってしまう。凛華の目は泳ぎに泳ぎまくっていた。
凛華は器用に片手でブラウスを脱ぎ捨てると、インナー越しの胸に手をあてる。少し汗ばんでいて、しっとりとした感触が厳太郎にも伝わってきた。
「うにゃあぁぁ……」
すでに、厳太郎は泣くのを止めていたが、凛華はそれに気が付かない。顔をリンゴのように真っ赤にさせ、インナーを脱ごうと裾に手を添える。
「うぎゃうにゃうわにゃにゃにゃうにゃう!」
凛華は恥ずかしそうに身をくねらすと、インナーに手をかけゆっくりと脱いでいく。
白い肌! 小さなおへそ! くびれ! 肋骨のへこみ!
厳太郎の目には、次々と魅惑の女体が飛び込んでくる。
腋ぃぃぃ!
そして、ついにインナーは脱ぎ捨てられてしまった。
でかい! ゆさっと揺れる二つの重量感があるふくらみは、ままぁをはるかに凌駕している。その破壊力は厳太郎の思考を真っ白に変える。
「おっぱい……飲む?」
どーん、と厳太郎の頭の中で何かがはじけた。
あの、凛として清楚な凛華がおかしくなってしまった。
そもそも「おっぱい飲む?」と言われても今の厳太郎に返事ができるはずもない。
凛華は唇をきゅ、と結び震える手でブラのホックを外そうとしている。ぷち、と音がする。緩んだブラを支えているのは凛華の手のみだった。
「私にも、母乳でるかなぁ……」
でませんったら!
すす、と凛華はブラを外した。至近距離で重量級のおっぱい! おっぱい!
凛華は片方のおっぱいを片手で支えると、体を厳太郎の方に近づける。
「本当に赤ちゃんの頃の厳太郎みたい」
のぼせてしまったような表情でしみじみと言う。
「ねぇ……厳太郎。おっぱい吸って」
名前を言うなあぁぁぁぁ!
「あむ」
と、つっこんでいる間に、厳太郎の口には凛華の乳首が押し込まれてしまった。わずかに汗ばんでいる乳首は非常にすべらかで舌触りは抜群だった。口の中で固定すると、反射的に吸ってしまった。
「はぁ……っんんん!」
凛華の体がわずかに跳ねる。元々火照っていた凛華の体はさらにその熱を増してくる。その熱のせいなのか、肌はさらに潤いが増し、しっとりと汗ばむ。
厳太郎の後頭部を押さえる手にさらに力が入ってくる。ぐぐ、と厳太郎の頭はおっぱいに押しつけられ、うまく呼吸ができない。
「ははあぁぁ……………………厳太郎おぉ」
凛華の口からは、これまでに厳太郎が聞いたことのないような感情の声が漏れていた。
「おぶぶぶぶ」
息ができない! 息ができない!
呼吸をしようとすると、ついつい口に含んでいる乳首を強く吸ってしまう。凛華は思い切り厳太郎の顔を胸に押しつけているため、呼吸が全くできない。
「私……なんだか、ものすごい幸せ……」
もうだめだ。ふくよかなおっぱいは気をつけないと、赤ん坊にとって命にも関わる事態になりかねないんだ。酸素不足でくらくらする頭でそう思った。
「ただいまー」
ままあぁぁぁぁ! ままぁが帰ってきた!
恍惚の表情を浮かべていた凛華も、突然の来訪者には驚いたようだ。抱いていた厳太郎をおっぱいから遠ざける。我に返った凛華の顔からは滝のような汗が噴き出してきた。
「わ、私はいったいなにを……。あまりにこの子が可愛かったから……じょ、女性なら可愛い赤ちゃんが目の前にいたら、授乳させたくなる、よね?」
凛華は金魚のように口をぱくぱくと開きながら、自分自身に言い訳をする。
一度、凛華は警察のお世話になったら良いのではないか、と厳太郎はしみじみ思った。
「日本の夏はやっぱり厳しいんだね。湿気ももの凄いし、買い物は大変だったよ」
てくてくと、ままぁがこのリビングに近づいてくる。
凛華は立膝を突きながら、部屋中に視線を動かしている。ふと、床に散らばった下着に目を止めると、ようやく自分が上半身裸だったことに気が付いたようだ。厳太郎を床に置くと、まずブラを絨毯の下に隠した。すぐそこにままぁが迫っているため、つける暇などないと思ったのだろう。ついでにインナーも隠す。ブラウスを慌てながら頭から被ると、乱れた髪の毛を手ぐしで整え、にっこりとほほ笑む。凛華は完璧だと思っているらしいが。ブラウスは前後ろが逆だった。
「厳ちゃーん。いい子にしてた――か、な?」
両腕にこれでもかと荷物を持ったままぁが、上手く腰を使いリビングのドアを開けた。ままぁは背筋をぴん、と伸ばし正座をしている凛華に目を向けると、目を丸くさせた。
「あ、あら……あなたはどちら様?」
ままぁはそういうと、手に持った荷物を床に下ろした。
生鮮食品や離乳食。ほかにも、赤ちゃんが好みそうな派手な色のガラガラや積み木など。一万円で結構買えるものだな……と、厳太郎は少し感心していた。
その様子を見ていた凛華は少し落ち着きを取り戻したようで、一つ咳払いをした。
「ここって、神宮寺さんのお宅ですよね? 私、厳太郎君の幼なじみです」
凛華は背筋を伸ばし、ままぁをまっすぐ見つめていた。
「神宮寺……ああっ! 厳ちゃんの幼なじみの子? あらあらまぁまぁ。こんな可愛らしいお友達がいるなんて知らなかった!」
ままぁは妙にうきうきとしながら、凛華に笑みを向けた。
「やっぱり厳太郎帰ってきてるんですね! ここしばらく連絡が付かなかったから心配していたんです……ところであなたは……」
ままぁは笑みを崩さずに、凛華の前で同じように正座をして、凛華の手を取った。
「凛華さん。初めまして。私は厳ちゃんのままぁです」
「…………はい?」
凛華は口を半開きにしたまま呆けている。厳太郎はどうこの状況を説明したもんか、と思考を巡らせていた。額に流れる汗は夏の暑さのせいなのか、はたまた冷や汗なのか。
静まりかえった室内に、クーラーの音が控えめに鳴り響いていた。