五話 大気圏突入!
いや、これは大きくなっているわけではない。この宇宙船が地球に引き寄せられているのだ。実際、こうして固まっている間にもモニターの地球はどんどん大きくなっていき、それに伴い、宇宙船も揺れ始める。
「(おい! 宇宙人。どうすればいい!)」
厳太郎が壁に向かって、叫ぶようにままぁに問う。
「(だからお願い。ここを開けて。ままぁが何とかするから)」
モニターに振り返っても、厳太郎には対処ができるわけがない。迫り来る地球。宇宙船の揺れは次第に大きくなっていく。揺れる宇宙船内。警告音はさらに音量を増していった。
「(お願い! 厳ちゃんは私が守るから!)」
これまで快適な温度を保っていた船内が、急激に熱くなっていく。モニターの映像は真っ赤に染まる。これは大気圏に突入したのだろうか? その間にも何度か爆発音がすると、モニターには地球に落ちていく宇宙船の破片がいくつも見えた。
もうこうなったら、開けるしかない。後はどうにでもなれ、だ。
「ふぎゃああぁぁ! だぶだぶだぶだ!」
激しくシェイクされる船内。厳太郎は一歩一歩ドアのボタンへと這っていく。宇宙船の外壁が剥がれるたび船内は大きく揺れ、厳太郎の体は右へ左へと揺さぶられてしまう。
「うぐ……だぶあぁ……うぐっ……ぶぁ……」
壁にしこたま体を打ち付けてしまい、全身がバラバラになってしまいそうだ。
ボタンのある壁にたどり着くと、厳太郎は足を思い切り踏ん張りつかまり立ちをする。
腕を思い切り伸ばし、ボタンへ手を――。
「(ばぶああぁぁぁ!)」
ひときわ大きい爆発が船外で起こった。衝撃で厳太郎の体はふわりと浮き上がる。
天井がめきめきと大きな音をたてた。まるで、宇宙怪獣がこの宇宙船を破壊しようとしているかのように、宇宙船の形が変形していく。すでにモニターは壊れているようで、地球の姿を映してはいなかった。船内に響きわたる轟音と、ひしゃげていく宇宙船。これまでは重力装置でも作動していたのだろう。厳太郎の小さな体は頼りなく宙を舞っていた。
「(なんて死に様だ……くそっ)」
まさか宇宙空間で人生を終えるなどとは思っても見なかった。まだやりたいこともあったんだけどな……。
凛華から引き継いだ風紀長の任も全うすることができなかった。響には世話になりっぱなしだった。恩返しもできていない。堅岩高校の風紀を正すことは自分にはできなかった。
「(母さん……せめてもう一度……)」
すべてをあきらめ、目を瞑った。
「…………ままぁぁぁ……」
そんな中、小さく、そしてはっきりとした声が聞こえてきた。
「ぱぁぁぁぁぁんちぃっ!!」
ついに宇宙船が爆発してしまったのかと思うほどの衝撃が厳太郎を襲った。無重力の中、厳太郎の体が吹き飛んでいく。覚悟を決めたそのとき、
「厳ちゃああぁぁん!」
ままぁが高速で吹っ飛んでいく厳太郎を、捕まえた。
「ごめんね! ごめんね! ままぁ、最初からこうしていればよかった!」
ままぁが力の限り、厳太郎を抱きしめる。強く顔が胸に押しつけられ息ができない。
「うぶぶ……」
これでは、先にままぁの胸の中で死んでしまう。厳太郎はうりうりと体を動かし、ままぁの腕の中から顔だけを出した。
最初に視界に入ったのは、先ほどまで壁だった場所だ。
内部からすさまじい力をぶつけられたように、周りの壁一面にはひびが入り、大きな穴が空いていた。
こんな華奢な体でも、壁に穴を開けるくらいの力を持っているんだ。友好的な態度をとっているが、いつこの力がこちらに向いてくるか……。
そんな心配をよそに、ままぁはひとしきり厳太郎を抱きしめた後、にこりと笑う。
「よし! 脱出しましょう」
ままぁはそう言うと、軽やかに床を蹴った。厳太郎をわきに抱えたまま、飛翔すると天井にあるボタンを押した。一部が収納庫になっていたようだ。ぱか、と開くとそこから両手いっぱいくらいの大きさの透明なボールが飛び出してきた。その中には、喰われる時まで来ていた堅岩高校の制服。
ままぁは透明なボールの側面に触れる。すると、真ん中で二つに割れる。ままぁは制服と一緒に、厳太郎をボールの中に押し込めようとした。
「あうびゃー!」
「こら、暴れないの。顔出すと危ないよ。この脱出ポッドの中に入っていれば、どんな衝撃があっても大丈夫だからね……一人用だから、私は入れないけど……」
ままぁは自分が脱出ポッドに入れないことに、全く悲観はしていないようだ。
よしっ、とままぁが安心したように小さく声に出すと、厳太郎が入った脱出ポッドをしっかりと抱え床に降り立った。ままぁは立て膝を突き、周りを注意深く観察している。
「(だ、脱出って……おまえこんな状況で脱出なんかできるのか?)」
ままぁは視線を厳太郎に向けずに「分からない」と呟いた。
「(分からないって……)」
絶望しかけたとき、
「でも」
ままぁが厳太郎に振り向く。その表情はまるで聖母のように安心できる笑顔だった。
「厳ちゃんだけは絶対に守るから」
その表情に不意にどきりとする。
「よし! あそこ!」
何かを決意したようにままぁはその場に立ち上がった。揺れる船内だったが一点を見つめ倒れることなく立っている。
ままぁは不安な表情を浮かべる厳太郎に視線を向けた。
「大丈夫。そんな顔しないの」
そう言いながら、ままぁはぐぐっと腰を落とす。
「ままぁ……」
ままぁの体が小刻みに震えだした。熱が伝わってくる。もう厳太郎には今起こっている出来事を把握することなどできない。地球人である厳太郎には、次々に起こる異常事態に頭が追いついていなかったのだ。
「どぉりぃぃぃるううぅぅ!」
ままぁの叫び声と同時に、脱出ポッドの中にいる厳太郎にも衝撃が伝わってきた。
何度も大きく揺さぶられるが、力強い腕と安心感のある暖かさに包まれ、なぜか怖いという感情は湧いてこなかった。
金属と金属がすさまじい速度でぶつかり合う音。砕かれ、飛散し、それでも突き抜けていくような感覚。ままぁは腕を垂直に掲げ、宇宙船をぶち抜いていく!
どんっ! とすさまじい破裂音の後、これまでの世界の終りのような揺れは収まり、厳太郎の視界には圧倒的なほどの星の海が飛び込んできた。宇宙空間に飛び出したのだ。
地球では見られない光景だ。あまりの壮大な景色に厳太郎は思考が止まってしまった。
「(厳ちゃん? 大丈夫?)」
厳太郎が呆けていると、脳内に柔和な声が響いてきた。
その声にはっとする。ここは宇宙空間なのだ。
「(おい! 宇宙人! お前なんで生きていられるんだ?)」
うふふ。ボゥ星人はそんなにやわじゃないよ。宇宙空間に放り出されただけで死ぬもんですか」
ままぁは胸の前で、こぶしをぐっと握ると、満面の笑みを厳太郎に返した。
「よぉし! もうちょっと頑張らなくっちゃ」
ままぁは視界を足元に向ける。
それにつられて同じ方向を見ると、そこには青々とした地球が宇宙空間に浮かんでいた。美しい光景ではあったが、母なる地球は厳太郎とままぁを引き寄せ、燃やそうと牙をむく。
「上等よっ!」
ままぁが吠える。体全体で厳太郎の乗った脱出ポッドを抱え、大気圏突入に備える。
「ふうぅぅぅうん! 大気圏っ! あっつうぅいい!」
徐々に、地球に落下するスピードが速くなってくる。透明な脱出ポッドから見える光景は、赤く染まっていき、細かな振動が厳太郎に伝わる。
それでも、ままぁは脱出ポッドを離さない。
「(おい……! 大丈夫か? 大丈夫なのか!)」
ただ、ままぁに守られているだけの厳太郎は声をかけることしかできない。
「……ままぁ、は……!」
辛そうにうめく。
「ボゥ星が無くなって、あてもなく宇宙をさまよっていたの……地球を見つけて興味を持って、初めて下りた時……厳ちゃんを見つけた。凛々しくて、自信を持った目をしてて」
厳太郎は下唇を噛んだ。
自分はそこまで称賛される人間ではない。自分の目的は自分の力だけでは何も解決できないのだ。そんな自分が情けない。
「この感情は何だろう、って思った……だからままぁは」
何もできない自分は誰からも好かれることないのだ。だから母さんにも……。
「だからままぁは……厳ちゃんに……………………発情しちゃった。てへ」
「ぶへ」
ぺろり、と小さな舌を出して、ままぁははにかんだ。
「(お前、あれ発情してたのか! 怖かったんだぞ!)」
それまでの神妙な思考がすべて吹っ飛んでいく。
「厳ちゃん……ごめんね。必ず元の姿に戻すから……」
ままぁの謝罪は厳太郎を自分勝手に……自分の欲情のために喰ったことなのだろう。
厳太郎は一つ、咳払いをする。
「(宇宙人……えっと……)」
「うん?」
「(必ず戻してくれよ)」
厳太郎はそう言うと、視線を逸らす。
「うん!」
今日一番の笑顔だった。
その笑顔が、突如炎にかき消される。すべてが赤い。脱出ポッドの外はすさまじい程の熱なのだろう。
「(ままぁ!)」
「…………やっと、ままぁって呼んでくれた」
消え入りそうな声だった。
「ままぁは……厳ちゃん……の」
それでも言葉は止めない。
「ままぁなんだからああぁぁぁぁぁぁぁ!」
炎の嵐の中、ままぁが吠えた。
この『ままぁ』という宇宙人は、確かに厳太郎を喰った。それは覆せない事実だ。正直、こんなことになってしまい迷惑だ。
でも……。
ままぁは命を懸け、厳太郎を守ってくれている。
永遠とも思える感覚の中――振動が止んだ。固く閉じていた目を開けると、抜けるような青色が目に飛び込んできた。
「抜けたああぁぁぁぁ!」
ままぁは喜びを全身で表現するように、腕を大きく広げた。脱出ポッドが放り投げられ激しく回転する。
「うびゅああぁぁぁあっ!」
「あああっ! ごめん。厳ちゃん」
ままぁがあたふたと空中でもがいて、脱出ポットを抱きかかえた。
「厳ちゃん……! 大気圏抜けたよ! もう大丈夫」
「(……ああ。良かった。これで……って、うおおぉぉぉぉぉぉ!)」
厳太郎の目に飛び込んできたのは、ままぁの全裸。少女特有の成熟しきっていない肢体とは反対に、比較的育った二つのふくらみ。
大気圏突入の際に、ままぁの来ていたワンピースが燃え尽きたのだ。
自分が全裸ということなど気にも留めていないままぁは、脱出ポッドのハッチを開くと厳太郎を思いきり抱きしめた。
「厳ちゃん! 地球! 青い! 緑! 白い雲! すごいすごい!」
これまでにないくらいに高いテンションだ。厳太郎は真っ裸のままぁに抱き着かれ、体中が熱くなっていくのが分かった。
「ままぁはこれから地球に住むの! 厳ちゃんと一緒に!」
ままぁは全身で喜びを表現するかのように、きりもみ状態で落下していく。
このままだと地上に激突――いや、大気圏を抜けたくらいだ。きっと何とかしてくれるんだろう。厳太郎はそんなことを考えつつ、ままぁの拘束から逃れようと精一杯もがく。
「さて……厳ちゃん」
ままぁがにっこりとほほ笑む。
「空中授乳……する?」
「(いやああああぁぁぁ!)」
押し付けられるおっぱいに対し、厳太郎はいやいやと顔をそむける。
「むぅん……授乳しないと元の大きさまで成長はできないよ?」
「(それでも授乳だけは絶対にいやだあぁぁぁ!)」
地球の空気を精一杯吸い込み、厳太郎はそう叫んだのだった。
明日からは、一話ずつの更新となります。