四話 ボゥ星人
「(うえぇぇん! ここを開けてえぇ! そっち危ないものたくさんあるからあぁ!)」
びりびり、と厳太郎の体に衝撃が走った。
「(お願い! 開けてえぇぇぇ!)」
今度ははっきりとままぁの声が厳太郎の脳内に響きわたる。
「うぎゃあああぁぁぁん!」
頭の中で思い切り鐘を鳴らされたような感覚だ。厳太郎は思わず耳を塞ぐ。
「(ままぁの赤ちゃん! あかちゃああぁぁぁぁん!)」
響きわたる声が脳内をかき乱し、厳太郎はその場に突っ伏する。
耳を塞いでも聞こえてくる悲痛な声は、一切小さくなることはなかった。
「(やめてく、れ……)」
「(うわああぁぁああぁん! あけてええぇぇl!)」
懇願しても、ままぁの叫びは脳内を駆けめぐる。
やばい……。なにも考えられなくなってくる。ままぁの声が鋭い刃物のようになり、体の内部から切り刻まれているようだ。
「(……ま、待ってくれ。何も考えられない……だから落ち着いてくれ)」
厳太郎は床をのたうち回りながら、閉ざされたドアの向こうにいるままぁに語りかけた。
「(…………え?)」
突如、ままぁの声が穏やかなものに変わった。鼻をすする音と困惑するままぁの声。
厳太郎の脳内では、未だままぁの声が響き渡っている。
「(お、お前は何だ? いったい俺に……なにをした)」
厳太郎は語りかける。声ではなく心で思う。
「(なんで……もう言葉が分かるの……? まだ赤ん坊なのに)」
「(答えてくれ。お前は宇宙人なのか? 侵略者なのか?)」
「もしかして、地球人との子だから……。だから記憶が残って……)」
話がかみ合わない。お互い疑問が錯綜しているようだ。
あたふたしているままぁの声を聞いていると、いくぶんか厳太郎の心も落ち着いてくる。だが、いつあの脳内を切り刻まれるような叫び声をあげられるか分かったものじゃない。とはいえ、この状況を聞き出さないことにはなにも対策は打てない。
厳太郎はいったん深呼吸をすると、精神を集中させた。
「(……おい。そっちにいる宇宙人。聞こえているか?)」
しばらく応答がない。通じているのか不安になる。いつの間にかままぁの声は止み、あたりには静寂が満ちていた。
「(……聞こえてるよ。ままぁの赤ちゃん)」
「えぶっ!」
出足からくじかれてしまった。
「(……ちょっと待て。確かに今は赤ん坊の姿だが、もう十七になる。それに俺にはちゃんと母親がいる。顔も思い出せる)」
「(うんうん。そうだよね。記憶が残ってるんだもん。でもね……あなたは正真正銘、ままぁがお腹を痛めて産んだ子なの)」
「(そんなことは信じられない)」
「(ううん。それは間違いない。こうしてテレパシーで通じ合っているから……これは『ボゥ星人同士にしかできないコミニュケーション手段だから)」
ボゥ星人? やっぱりこのままぁという奴は宇宙人だったのか。
「(じゃあ、なにか? この体はお前が生んだものとする……それでこの『俺』を形成している記憶は模造品なのか?)」
言葉にはするが恐怖を隠し切れない。すでに『厳太郎』はこのままぁという宇宙人に喰われ死んでいる。記憶だけがこの体にコピーされ『厳太郎』を形作っているとしたら……。
体の芯から冷えてくるようだ。暑くもないのに汗が流れてくる。
「(それは心配しないで。あなたはあなた……うーん。なんて言ったらいいのかな?)」
うーんうーんとままぁはしばらく唸っていたが、小さく「あ」と漏らす。
「(日本人的に言えば、『魂』っていうのかな? それは以前のあなたと同じものなの。生まれ変わりって言った方が良いのかな? うふふ。『魂』と『生まれ変わり』。ずっと読んでいた日本の本に書いてあったの)」
自分は生まれ変わって、宇宙人にでもなってしまったというのか? 全く話が見えてこない。ままぁには山ほど話を聞くことになりそうだ。
「(ねぇ……ままぁの赤ちゃん? お願いだからここを開けてくれないかなぁ? そっちは触っちゃいけないものも色々あるし……それにもうそろそろ――)」
「(それはできない……俺はまだお前を信用しちゃいないからな)」
ひぐ、と泣きそうな声が聞こえる。
「(それに……俺には親が名付けてくれた厳太郎という名がある。赤ちゃんと呼ぶな)」
「(厳ちゃん! いまからあなたは厳ちゃん!)」
姿が見えていなくても、ままぁの表情に笑顔が戻っているのが想像できる。そのくらい声には嬉しさがこもっていた。
それにしても、ころころとよく感情が変わる宇宙人だ。悪い宇宙人ではなさそうだが、自分を喰おうとしたときのままぁの様子は忘れることなどできそうにない。
「(……ままぁね。初めての子でちょっと浮かれちゃったみたい。何でも聞いて! 厳ちゃんに信用してもらうように頑張るから!)」
……うん。大事なことを忘れていた。
子供は母親だけでは生まれない。
この広い宇宙には無性生殖をする生物がいてもおかしくはない、実際地球にもそういった生物はいる。だが、ままぁの言葉を聞いている限りでは父親がいるらしい。
「(父親は誰なんだ……?)」
十代で妊娠してしまった娘に問いただす父親のような心境だ。
「(え……? 父親って……)」
ごくり。
「(父親は厳ちゃんだよ)」
はぁ……?
「(ちょっと待て。意味が分からない)」
自分の父親が自分……。ちょっと自分でも何を言っているのか分からない。
「(ああ……そうか。地球人の生殖方法は違うんだったよね。ボゥ星人は男性を捕食して、自分の遺伝子と融合させて、子供を産むの)」
……だから自分は喰われたのか。ボゥ星人とやらの自分勝手な行為によって。
「(うーん……でも地球人との相性はあまり良くなかったのかな? ボゥ星人の遺伝子があまりなじまなかったみたい……たぶん厳ちゃんの体はほとんど地球人――)」
「(……なぜ)」
「(え?)」
「(なぜ俺を喰った。異星人なのだろう? 自分の星で子を産むための捕食者を決めればいいはずだ。わざわざ地球まで来て、地球人を捕食した理由はなんだ?)」
「(ままぁの星は……ボゥ星は……無くなっちゃったから……)」
今、ままぁが言ったことが本当のことならば、同情に足りうる出来事だ。ただ、それはこちら側に被害が及んでいないのならば、だ。
「(ほかにも地球人の男はいたはずだ。なぜ、俺を選んだ)」
矢継ぎ早に疑問が声に出る。
こんな姿にされて、宇宙にまで連れてこられて……自分にはやらないといけないことが山ほどあるのだ。面倒ごとに付き合っている暇はない。
「(ええー……恥ずかしいなぁ。厳ちゃん。それをままぁに聞いちゃう? 聞いちゃうの? 馴れ初め聞いちゃう?)」
空気を読まずに、ままぁは照れたような声色を出す。
くっ……この宇宙人は……。
厳太郎が怒りを覚え、文句の一つでも言ってやろううかと思ったとき。
背後にあるモニターが耳をつんざくほどの警告音を出し、赤く明滅し始めた。
「(ええ! この警告音って……! げ、厳ちゃん! お願い! 今はままぁを信用して! お願い。そこを開けて)」
厳太郎にはこの状況がなにを意味するのかさっぱり分からないが、ままぁの焦りようからただならない状況になっていることは分かった。
焦ってはいけない。焦ってこのドアを開けてしまえば、この宇宙人の思うつぼだ。
「(……この警告音はなんだ? 何が起こっている)」
「(エネルギー切れ! 本当はさっき厳ちゃんに授乳したらすぐに地球に降りようと思ったんだけど……。お願いここを開けて! 早くしないと地球の重力に引かれちゃう!)」
脳内にままぁの叫びが響きわたる。厳太郎は痛む頭を抱え込んだ。
「(宇宙船のエネルギーはボゥ星でしか補給できないの……でもボゥ星はもうないし……だから早く地球に降りないと!)」
……どうする? このまま安易にドアを開けていいものか。一向にドアを開けようとしない厳太郎を騙すために、見えない部屋の向こうで一芝居打っているのかもしれない。
「(厳ちゃん! お願い! 落ちちゃうよ!)」
ままぁの胸中は厳太郎には分からない。それでも厳太郎はこの状況を打開しようと、部屋の中を見渡した。壁際にある巨大なモニター。そこに映る地球を見たとき、厳太郎の背中に虫が這っているような明確な不快感が生まれた。
……先ほどよりも、地球が大きくなっていたのだ。