最終話 命がけで守る存在
九月も中旬に差し掛かる頃だ。
空を見上げれば、雲は薄く高く澄み渡っている。まだまだ残暑もあるが、幾分か涼しい風が吹くようになり、過ごしやすい時期に移り変わっていた。
「それじゃあ、厳太郎。しばらく家は空けるけど、一人で大丈夫?」
律子はつま先を地面にトントンと叩くと、腰に手をあて小首を傾げた。
「もう行くのか? 晩飯を食ってからにすればいいのに」
「今日はいいわ。そろそろ出ないと新幹線に間に合わないし」
律子は少し残念そうな厳太郎の頭をやさしく撫でる。
「この十日間。厳太郎と過ごすことができて良かった」
「うん。俺もいろいろ話ができてよかった……次はいつ帰ってこられるんだ?」
律子は困ったように笑った。
「高校生にもなってマザコンになっちゃった? そんなんじゃ女の子にもてないわよ」
「……別にいいだろ? これまで母さんに……あ、甘えることができなかったんだから」
律子は愛おしそうに厳太郎を抱きしめる。そのぬくもりを忘れないように。
「本当に充実した休暇だったわ……」
「母さん……」
しばらく抱きしめていた律子だったが、突如、苛立ちを隠すようにため息を吐いた。
「…………あいつさえいなければね」
「あっ! 律子さん! もう行っちゃうんですか? お隣の奥さんからいただいたイチゴ食べないんですかー?」
小走りでエプロンを付けたままぁがリビングから顔を覗かせた。律子が眉間にしわを寄せたのも気にせずに、ままぁは真っ赤なイチゴのパックを手に目をぱちくりとさせている。
…………ままぁは死んではいなかった。
というか、溶鉱炉に落ちてもやけど一つ負わずに、赤く煮えたぎる鉄を身にまとい、よっこらしょと這い上がってきた。
間もなく、目が覚めた律子はままぁの姿を見て、悲鳴を上げるともう一度気を失ってしまった。「あつぅーい」と呑気な声を上げながら、体中の溶けた鉄を払っているままぁの姿を見ると、厳太郎はただ笑うしかなかった。
「全く……あの化け物ときたら」
こんな悪態を吐いている律子ではあったが、ある条件を守ればままぁを家においても良いと提案してきた。
ぴょん、とままぁは可愛らしくリビングから廊下に出てきた。その耳には『ボゥ星人拘束具』を加工して造られたイヤリングが揺れている。
耳だけではない。
綺麗な装飾が施されたバングル。首には宇宙人らしく、星のネックレス。さらにはままぁの透き通るようなツインテールをまとめる髪留めも拘束具を加工したものだった。
拘束具にはボゥ星人の力を弱める効果がある。
ままぁがふとした時に厳太郎に情欲を向けても、ボゥ星人の強力な力を抑えられれば、人間の厳太郎でもなんとかなるという考えだった。実際、今のままぁは強力な力は出せず、なんらそのあたりにいる少女と変わらない。
「ボゥ星人。もし、その装飾品を一つでも外したら、いつでもどこにいてもあなたを殺しに来るわ。それを忘れないで」
ままぁはイヤリングに触れる。
「はい。心配しないでください」
「ふん……どの口が言うのかしら」
うっとうしそうに吐き捨てる律子だったが、ままぁの力を抑えるのなら通常の拘束具で事足りる。それをわざわざ加工し、装飾品にするあたりままぁへの罪滅ぼしなのだろう。
まさか、厳太郎には律子が折れるとは思わなかった。ままぁが命がけで厳太郎と律子を助けたからなのか。厳太郎の本音が律子を変えたのか。それは今でも分からない。
と、その時玄関のチャイムが鳴った。律子が玄関のドアを開ける。
そこには、凛華と響が立っていた。凛華は律子を見ると、少し恐れるように身を縮めた。
「凛華」
凛華がさらに体をビクつかせる。
律子は凛華の肩にポン、と手を置くと、
「ままぁをちゃんと見張っていてね」
と、やさしく声をかけた。そのまま、その横を通り玄関を出ていった。腕を上げ、ひらひらと手を振りながら歩いていく。
凛華は胸に手を当て惚けていた。そのまま厳太郎に顔を向けると朗らかに笑う。
「なんだか律子さん。表情の険が取れたみたい」
「ええ……」
律子の背中をいつまでも見送っていると、響が凛華の陰からひょっこりと顔を出した。
「あ、あれが厳太郎の母親か……ちょっとオーラがあって怖いな」
「この前まではもっと怖かったんだよ。こーんな顔して」
そう言いながら、凛華は眉間にしわを寄せた。
「あらあら。みんないらっしゃい。イチゴがあるのよ。みんなで食べましょう」
ままぁが玄関まで歩いてくると、
「ままあぁぁぁぁぁぁぁ!」
嬉しそうな声を上げ、響がままぁに抱きついた。はしゃぐ子犬のようにままぁに抱きつくと、そのまま床に二人で倒れ込んでしまう。
「っと、とと……ふふ。響ちゃん。いらっしゃい。今日は何して遊ぶ?」
「うーんとね。今日はままぁとたくさんお話するー。この前お父さんと映画館行ったの。その話するー」
「ひ、響会長。今日は秋に向けての風紀活動の指針を話し合うはずでは……」
厳太郎の困惑する声に、幼女モードの響はまったく耳を貸さない。
「だって。響ちゃん。話し合いが終わったらまた遊びましょうね」
ままぁは尻もちをついたまま、胸に抱きつく響の頭をなでくり回す。
「厳太郎きらーい」
響はぷくー、と頬を膨らませ不満顔だ。
「凛華さん。いらっしゃい。いつも厳太郎がお世話になっています」
ままぁはそう言うと、満面の笑みを凛華に向けた。
「こ、こんにちは……」
凛華はままぁの表情に気圧されたように、体を少し仰け反らせた。なぜか頬は赤く染まっている。
「? どうしたの? 凛華さん?」
凛華はくるり、とままぁに背を向けると、頬を両手で覆い目を見開いていた。
「……これが母性……これならば厳太郎を……ふひひ」
凛華は口端だけを上げ、ニタニタと笑っている。正直キモイ。凛華がままぁを見張るなら、ままぁには凛華を見張っておいてもらいたい。
「さあ、みんな。手を洗っていらっしゃい。ほら、厳ちゃんも。手を洗わない子にはイチゴ食べさせないわよ」
「あ、ああ」
厳太郎の背中をぽん、と押すままぁの横を、響が小走りで駆けていった。
「ああ、もう。響ちゃん。人の家で走らないの」
響の背中を凛華が追っていった。テーブルにはすでに宝石のように輝くイチゴがお皿に盛られていた。厳太郎も手を洗ってこようと、台所に向かう。
ままぁだけは、小さめのお皿に三つほどのイチゴを盛って、和室へと入っていった。ふと、気になり和室を覗くと、ままぁが仏壇にイチゴが盛られた皿を置き、おりんを鳴らした。合掌をすると、静かに目を閉じ何かをつぶやいていた。
「ままぁ」
声をかけると、正座のまま厳太郎に振り向いた。
「ああ、おじいちゃんにお供え物を……と思ってね」
「おじいちゃんって言われると、なんか違和感があるな」
厳太郎はままぁの横で同じように正座をすると、おりんを鳴らした。
ままぁはじっと、厳太郎の父親の遺影を眺めている。少し悲し気な笑みを浮かべると、合掌をしている厳太郎をのぞき込んだ。厳太郎はままぁの悲しげな表情に疑問顔を返した。
「今ね、おじいちゃんを喰ったボゥ星人のことを考えていたの」
少しだけ、厳太郎の眉間にしわが寄る。全く覚えていない父親ではあったが、やはり仇のことを話されると、複雑な気持ちになってしまう。
「ああっ! ごめん。嫌だよね。ううん。もう言わないから」
「なんだよ。気になるだろ」
厳太郎がそう言うと、立ち上がろうとしたままぁは再び腰を下ろした。
「過去、律子さんがボゥ星人を捕えた時、いくら拘束されて力が出せないとはいえ、逃げることはそう難しいとは思えなかった。でも、自殺を選んだ」
ままぁの説明を、厳太郎は静かに聞いていた。
「ボゥ星人は異常なほど、男を喰らいたいという欲望がある。それは否定しない。でも、それ以上に自らの子を宿したい。育てたいという思いもあるの」
ままぁは自分の膝に視線を落とす。
「慣れ親しんだ場所ではない地球で子を育てるのは無理だと悟ったのかもしれない。自らの欲望を満たすためだけに、男を喰らい続ける生き方に嫌気がさしてしまい、自殺を選択したのかもしれない」
膝に置かれた手に、力が入った。
「そのボゥ星人は、確かにおじいちゃんを喰った。それは許されることじゃない。だからままぁも……厳ちゃんを喰ったままぁは、これから一生罪を償っていかないといけない」
ままぁが下げていた視線を厳太郎に向ける。ままぁの宝石のように美しい瞳には、これまでに感じたことのないくらいの決意が感じられた。
「ままぁは厳ちゃんを守る。どんなことがあっても守り抜く。厳ちゃんに死ねと言われれば、命を絶つ」
ままぁの思いがとめどなく厳太郎に流れ込んでくる。すべてを委ねてしまいたい。でも。
「命を絶つなんて言うな。そんなの嫌だ」
「厳ちゃん……」
「しょうがないな……そんなこと言われたら……俺だってままぁを守ってやる。守るだけじゃない。一緒にいてやるし、甘えさせてもやる。だって、俺は」
厳太郎は、これまでとは反対にままぁの頭に手を置いた。
「ままぁの『子供』なんだからな」
ままぁの目にぶわっ、と涙が浮かぶ。ままぁが指で涙を掬おうとすると、
「ままぁぁぁぁぁ! 手洗ってきたー。イチゴたべゆぅー」
ばーん、と勢いよく響がままぁに飛びついてきた。
「んもぅ……響ちゃんったら。そうね。イチゴみんなで食べましょうね」
ままぁは立ち上がると、張り付いたままの響を抱っこした。背が一緒くらいなので、抱っこというか抱えているという表現が正しいのかもしれない。
「練乳あるー?」
「あるわよ。甘いやつね」
「わぁーい」
と、響はリビングへと走っていく。リビングのテーブルにはすでに凛華も座っていた。
「あ、練乳と言えば」
ままぁが何かを思い出したように、人差し指を立てた。くるり、と厳太郎に振り向く。ままぁの頬は朱に染まり、もじもじと体をくねらせている。
「さっきの厳ちゃんの言葉……本当にうれしかったの。だからね……ままぁね……」
なんだか嫌な予感がする。
「おっぱい張ってきちゃった。厳ちゃんにだけ、練乳じゃなくてままぁの母乳かける?」
二の腕でおっぱいを挟み、ままぁがアピールしてきた。
「絶対に嫌だ」
厳太郎がそう言うと、ままぁは不満そうに頬を膨らませるのであった。




