二十三話 偽物の母親。本当の母親
「……自殺」
厳太郎が無意識につぶやいた。
「夫を喰ったボウ星人。あいつも自殺だった。地球人がボゥ星人を殺せなくても、ボゥ星人であれば自らを葬り去ることができる。今までなぜそれに気が付かなかったんだろう」
ボゥ星人を殺す方法。それを聞いたままぁの体に明らかな震えが走った。
「あら? 怖い? あなたは自分が地球人に殺されるなんて思っていなかったでしょうけど、自分自身であれば自分を殺せるのよ」
ままぁが恐れを抱いた目で律子を見る。ようやくその表情を引き出せたことを嬉しく思っているのか、律子の口に笑みが浮かぶ。
確かに自殺であればままぁは死ぬのかもしれない。しかし、ままぁが今の状況で自殺を選択するだろうか? ままぁは恐れを抱いてはいるものの、自殺を考えるような精神状態ではない。そんなことは律子にも分かっているはずだ。それでも、律子は勝ち誇った表情を崩すことは無い。
「厳ちゃんのお母さん……あなたは」
律子の表情が醜く歪む。ままぁを掴んでいる手にさらに力が込められた。
「たしかに、ボゥ星人はあなたの夫を喰ったのかもしれない。私を恨む気持ちもよく分かる。でも……あなたは残された息子――厳ちゃんの気持ちを考えたことはあるの?」
「なん……ですって?」
「厳ちゃんはあなたを求めていた。ままぁを母親とは思ってくれなかったけど、それでも一緒に過ごせることが嬉しかった。でも、あなたは本当の母親なのに厳ちゃんと一緒にいることを拒んだ!」
律子がままぁの頭を地面に叩きつける。骨のぶつかる音が何度も、何度も響き渡った。
「母さんっ! 母さんっ! やめろおおぉぉぉぉ!」
律子はままぁに自らの怒りをぶつけた。この熱気だ。律子の体からは尋常ではないくらいの汗が流れ、激しい呼吸を繰り返していた。
「あなたたちボゥ星人がよくそんな言葉を吐けたものね! あなたさえいなければ、私たち家族は幸せな毎日を送ることができた。でも、それは壊された! あなたがいたから!」
律子は狂ったように叫び声を上げる。頬に流れる雫は汗なのか、涙なのか分からない。
「たしかに、ままぁにそんなことを言う資格は無いのかも入れない。たとえ一緒に過ごす時間は少なくなっても、お互いが通じ合っていれば、そんなものは関係ない……ままぁにはあなたは厳ちゃんに会わないようにしているように見えた!」
律子のままぁを持つ手から力が抜けた。これまで、優位に見えていた律子が動揺の表情を見せる。
「そ、そんなこと……あるわけない」
「いいえ。あなたは恐れていたの。厳ちゃんに甘えることを!」
律子の体の震えが一層強くなる。
「厳ちゃんは人に頼ること、甘えることを必死に拒んでいた。でもそれはあなたも同じ。復讐という鎖で自分を縛り、本当に大切なものに目を向けなかった」
「だまれえぇぇぇぇぇぇ!」
律子はよろめく体を必死に押さえ、すべてを吐き出すように叫んだ。
「お前に何が分かる! この十七年。夫を殺された喪失感を! 父親のいない厳太郎の寂しさをずっと抱えてきた! 寄り添い甘えることで、厳太郎にもその重荷を背負わせてしまうことが怖かった。その思いの何がいけないのよ!」
律子はよろめき、その場に転んでしまった。床を殴りつけ感情を吐き出す。
「いけないなんてことは無い。でも、あなたも厳ちゃんもお互いを思うあまり、すれ違っていただけに過ぎない。ねぇ。そうでしょ? 厳ちゃんの『本当の』お母さん」
ままぁは律子に対してさえ、やさしい視線を向けた。あれほど恨まれても、罵倒されても、ままぁの慈愛は注がれる。
「母さんっ! ……くっ。この足の紐……!」
厳太郎は足に絡みつけられている紐を思い切り引っ張る。切れない。腰を曲げ、紐に噛みついた。ブチブチ、と紐の繊維がちぎれる音がする。歯ぐきから血がにじみ出ても、厳太郎は力の限り紐にかじりついた。
ついに足の紐を噛みちぎる。口の中は血の味でいっぱいだったが、構わずに立ち上がった。腕はまだ拘束されていたものの、走るのには支障はない。階段を駆け上がり、倒れ込んでいる律子のそばで膝を突く。
「厳ちゃん」
ままぁが驚いたような声を上げる。厳太郎と律子に少し寂しげな笑みを向けていた。
「ごめん……俺は母さんに自分の気持ちをさらけ出すのはいけないことだと思っていたんだ。でも、それは間違いだったんだ。だから母さんの気持ちも分からなかった。母さんの苦しみを俺にも分けてほしい。一緒に背負っていきたい」
「厳太郎……」
「こんなこともう終わらせよう」
力無くうなだれていた律子の顔が厳太郎に向けられる。
「そうね。もう終わらせましょう」
その言葉に力を抜いた瞬間――律子が厳太郎の体を突き飛ばした。突然のことで、厳太郎は背中から床に倒されてしまった。
「厳ちゃん!」
ままぁが厳太郎に歩み寄り、体を起こす。頭を上げ律子の方を見る。
「か、母さん……何をして」
律子は踊り場の柵を乗り越えていた。すぐ下には溶鉱炉が赤い口をぽっかりと開けている。律子は両手を横に大きく伸ばし、厳太郎を見据えていた。
「ありがとう。厳太郎。あなたの気持ちとても嬉しいわ。でもね」
律子は視線をままぁに向けると、眉間にしわを寄せる。
「あいつがいる限り私の気持ちは晴れることは無い」
律子の体がふらついている。下には溶鉱炉。落ちれば確実に生きてはいられない。
「ねぇ。ボゥ星人。厳太郎は私を愛してくれている。求めてくれている。そんな私が死んだら、厳太郎はどんなに悲しむことでしょう」
「な、なにを言ってるんだ? 母さん」
「厳太郎を悲しませたくはないでしょう? あなたも厳太郎には母親の情を抱いているはず。偽物の母親と本物の母親。どちらが厳太郎に必要なのか分かるわよね?」
「母さん! 馬鹿なことは辞めるんだ! 戻れ!」
律子はわずかに、溶鉱炉の方へと足裏を滑らせた。
「厳太郎。こんな方法しかなくてごめんなさい。でも、やっぱり私はボゥ星人を許せない。だから終わらせましょう」
厳太郎は柵へと近づいていくが、律子が手で制した。
「厳太郎。あなたもこれ以上近づけば、私は落ちるわ」
律子の表情に、それが嘘ではないことが厳太郎には理解できた。その場に根が生えたように厳太郎は身動きが取れなくなる。
「さぁ! 私を殺したくないのならこの場で死になさい! それですべてが終わる」
律子が厳太郎の肩越しから、ままぁに自らの死を促す。とっさに振り返ると、ままぁは目を細めいつもの穏やかな表情で厳太郎を見つめていた。その表情に、厳太郎は言葉を失ってしまう。なぜこの状況でそんな表情ができるのか。理解ができない。
ままぁは両手の指をピンと張ると、自分の喉元に突きつける。
「ままぁ! やめろ! 母さんもそんな馬鹿なことはしないでくれ!」
厳太郎はそう懇願するが、律子には言葉は届かない。
「厳ちゃん。ありがとう」
やめろ。礼を言うな。
「厳ちゃんと出会えて本当に良かった」
そんな言葉は聞きたくない。
「これで、本当にさようなら。お母さんを大事にしてね」
別れの言葉は聞きたくない。
ままぁの指が首筋にあてられる。
「やめろおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
その叫びに呼応するように、溶鉱炉の煮えたぎる鉄がひときわ大きくはじけ飛んだ。わずかに踊り場が揺れる。
「あっ」
あまりにも小さな悲鳴。ままぁの表情も一瞬、驚愕に変わった。反射的に振り返ると、足を踏み外した律子が何かを求めるように、腕を伸ばしていた。
「母さん!」
厳太郎は律子のもとへと駆けていった。厳太郎は頭で考えるよりも先に、柵を飛び越える。腋で柵を挟むと足を律子に伸ばした。ふと、厳太郎の足につかまれる感触があった。律子が厳太郎の足をしっかりと掴んでいた。しかし、体勢が悪く律子もかろうじて片手で厳太郎の足を掴んでいる状態だ。
「げ、厳太郎っ……!」
「しゃべるな! 絶対に離すな!」
そう叫ぶと、厳太郎の体は溶鉱炉に引きずり込まれるようにがくり、と揺れる。
「げんちゃああぁぁぁぁぁん!」
ままぁの叫びだ。背中で拘束された腕をゴキゴキとむりやり前に回すと、厳太郎に向かって猛然と突き進んでくる。
ままぁは柵を軽やかに飛び越えると、拘束されたままの腕を伸ばし律子の腕を掴んだ。
「死んではダメ! あなたは厳ちゃんの本当のお母さんなんだから!」
そう言い、ままぁが律子を引っ張り上げようとする。が、拘束具の効力は失われていないらしい。ままぁも思ったような力が出せず、苦悶に顔をゆがめている。
「し、死ぬ……私が?」
信じられないといった表情の律子がふと、下を覗く。そこには落ちたら確実に死が待っている溶けた鉄の海。
「い、いやだ……」
律子が小さく漏らす。
「わ、私はまだ死にたくない。まだ厳太郎と一緒にいたい。厳太郎! 私はまだ……」
「大丈夫だ! 必ず引き上げる!」
脇に力を入れ足を思い切り引き上げる。しかし、人一人の重さを引き上げるには、体勢が悪かった。そのまま厳太郎も足を踏み外しそうになる。ままぁも顔を真っ赤にして律子を支えているが、このままだと全員溶鉱炉に落ちてしまうのも時間の問題だろう。
「絶対だ! 俺は絶対に……!」
厳太郎がさらに力を込めた瞬間。腋に挟んでいた柵が汗で滑る。バランスを失い、厳太郎は体重を支えていた足を滑らせた。
溶鉱炉に落ちる。
そう悟り、厳太郎はとっさに腕を伸ばした。律子に触れる。律子もこの後すぐ起こる現状を理解し、厳太郎を抱く。「ごめんね」と小さく聞こえた気がした。ままぁと律子。どちらの言葉だったのだろうか。
「ままぁぁぁぁぁぁ……」
落ちていく感触。そんな中、ままぁの声が聞こえてきたかと思うと、
「よおおぉぉぉぉいしょおおぉぉぉぉっ!」
気合の咆哮。
厳太郎と律子は、引き上げられ空中を舞った。
「うっ…………わああぁぁぁぁぁ!」
律子を抱きかかえ、空を舞っているとき、ままぁと目が合った。すべての力を使い果たしてしまったかのように、腕をだらりと下げ目には生気が無くなっていた。
「う、ぐっ!」
背中から地面に叩きつけられ、一瞬息が止まる。律子は気絶しているようだった。構わずに、厳太郎はままぁの方を見た。
「……やっぱり『ボゥ星人用拘束具』ってすごいんだね。すべての力を出しちゃったら、体が動かないよ」
ふらりと、ままぁの体が揺れている。
「ままぁ!」
腕を伸ばす! 溶鉱炉へと体をふらつかせるままぁに!
ままぁも厳太郎に腕を伸ばした。その手を掴もうと、厳太郎も体全体で腕を伸ばす。
「げ、んちゃ……」
「ままぁ!」
もう少し! もう少しだ!
ままぁがふっ、と笑った。
「厳ちゃん。お母さんと仲良くね」
厳太郎の腕はままぁに触れることは無かった。
そのまま、儚い花びらのようにままぁは溶鉱炉へと吸い込まれていく。
「ままぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!」
厳太郎の叫びにままぁは応えることは無かった。




