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十七話 最後の……

「なんで……母さん。喰われたって……知って」


 頭で考える前に言葉が出てしまう。軽率だった。律子は何かを知っている。

 律子は厳太郎にも聞こえるほど奥歯を噛みしめる。その感情の高ぶりに、厳太郎の背筋には冷や汗が伝っていった。


 律子は腕を伸ばすと、和室に続くふすまを開けた。和室にはままぁがいた。


「……厳ちゃん」


「……ままぁ!」


 ままぁは両手は背中に回され、金属の箱のようなもので拘束されている。床に膝を突き、疲れ切ったような表情で厳太郎を見つめていた。


「厳太郎。あなた何を言ってるの……? ひょっとしてそのボゥ星人の個体名?」


 間違いない。律子はままぁをボゥ星人だと気が付いている。なぜ?

 律子は捻った手首を離さずに、厳太郎の顔を覗き込んだ。


「……まさか、私の家族が二人もボゥ星人に喰われるだなんて……」


 穏やかな口調ではあったが、言葉の端々に明確な怒りが感じられた。


「ごめんね。厳太郎。痛いでしょ? でも、あなたの体内にはまだボゥ星人の遺伝子が残っているから、もう少し我慢して頂戴。すぐに元に戻れるわ」


 そう言うと、律子は厳太郎を押さえつけたまま、床に置いてあるキャリーケースへと手を伸ばす。ままぁを拘束しているものと同じものを取り出す。


 律子は何も言わずに厳太郎の両手に被せた。空気が抜ける音がすると、厳太郎の手に圧迫感が感じられた。途端、体中が疲労感に襲われ、急激な眠気が襲ってきた。


「母さん……いったい、何、が……どうなってるんだ? 説明、してくれ……」


 厳太郎は眠気に抗うように、律子に問いかける。


 律子はさらに厳太郎の手首を強く締めあげる。再び床に突っ伏す厳太郎の目にままぁの顔が見える。その横顔には、いくつもの擦り傷が刻み込まれていた。


「母さん……! ままぁに何をしたんだ! くそっ……放せ!」


 暴れる厳太郎に、一瞬律子は驚きの表情を見せた。


「ボゥ星人……私の息子にそこまで取り入るなんて……!」


 律子の表情は徐々に不快感に歪んでいった。律子は厳太郎の手首を離す。眠気と疲労感で、厳太郎はその場に倒れ込んでしまった。

 そんな厳太郎を見向きもせずに、律子は床を踏み鳴らしながらままぁへと迫っていく。ままぁの顎を掴むと、自分の顔へと近づけた。


「可愛らしい容姿ね。あっさりとだまされる厳太郎も情けないけど……」


 律子は、胸のポケットからオイルライターを取り出した。しゅぼ、と火を起こすと、かすかにオイルの香りが感じられた。


「あなたがすべて悪い」


 カーテンが閉められ、薄暗い部屋の中でオイルライターの炎は淡くあたりを照らす。炎をじっと見つめる律子の表情は、これまでに厳太郎が見たこともないほど無表情だった。


 そのまま、律子は炎をゆっくりとままぁの顔に近づける。


「母さん! おいっ! なにをしてるんだ!」


 オイルライターの炎がままぁの頬を炙る。


「やめろっ! 何考えているんだ! 母さんっ!」


 ままぁは顔をしかめているが、恐怖で声を上げたり、苦痛で泣き叫ぶことはなかった。そのかわり、厳太郎の絶叫が周りに響きわたる。


「やめろおおぉぉぉぉ!」


 律子はオイルライターの蓋を閉めると、ままぁの顔を掴みむりやり厳太郎に向けさせる。


「見なさい」


 絶望と動揺。焦点が定まらない視線をままぁに向ける。


 ままぁの頬には、炎に炙られうっすらと黒い跡はあったものの、皮膚は焼かれていなかった。その跡も、すぐに消え去り元のみずみずしい柔らかそうな皮膚に戻っていた。


「もう知っているかもしれないけど、こいつは宇宙人なのよ」


 そんな律子の声は厳太郎には聞こえていない。


「ままぁ! 大丈夫か!」


「げ、厳ちゃん……」


 律子は掴んでいたままぁの顎を放る。力なく、ままぁは床に体を横たえた。


「全部教えてあげるわ。厳太郎」


 律子はしゃがむと、ままぁの髪の毛を掴んだ。まるで人形を扱うかのように持ち上げる。


「ヒューマノイド型地球外知的生命体。ボゥ星人。本来であれば、私たち地球人とは接触することが無かった異星人。数百年を生き、宇宙空間でも生存できるほどの強靭な体を持つ――害悪な宇宙人よ」


 律子の手にさらに力が入る。ままぁの顔が苦痛に歪む。厳太郎には、ままぁの表情は痛みなどではなく、律子の言葉による心の痛みのように思えた。


「か、母さんの仕事っていったい……?」


 律子は「あぁ……」と気の無い返事を返す。胸のポケットから手帳を取り出し開く。


『地球外生命体対策課 神宮寺律子』


「地球外生命体対策課の基本理念は『地球外生命体を地球から排除する』こと。地球よりも文明が発達した宇宙人も多い中、私たちでは高度な文明を持つ宇宙人の思想や価値観は理解できなかった。だから、宇宙人をこの地球に受け入れることはまだ早い。だから、地球に来る宇宙人から自衛する。これが、基本理念なの。SFみたいな話よね。実際、まだ発足して二十年そこそこしか経っていないし、一般市民には知られていない部署よ。私はそこの課長を務めているわ」


 地球外生命体対策……前にテレビでコメンテーターが話していたことを思い出した。


「厳太郎。母さんのしている仕事は分かった? ……話を続けるわよ」


 律子は、静かに手帳を胸ポケットにしまった。


「百年ほど前、ボゥ星人はその数を急激に減らした。同じ種族同士の戦争のせいでボゥ星は消滅。わずかに生き残ったボゥ星人は宇宙中に散らばっていったわ……ねぇ」


 律子は口端をゆがめる。厳太郎には一切見せたことがないような、怪しい笑みをままぁに向ける。


「自分の口から、厳太郎に説明して頂戴。あなたの種族が数を減らした原因を」


 律子がさらに、ままぁの頭を持ち上げる。背中は反り、ままぁは苦しそうに喘いでいた。


「ま、ままぁたちは……遅かれ早かれ滅びる運命だった……文明が発達し、生活が豊かになるにつれ、あの感情は抑えきれなくなって……」


「そんなことを聞いてるんじゃないわよ」


 声は落ち着いたものではあったが、律子のままぁを見下ろす瞳には怨嗟が含まれていた。


「私はあなたの口から、その汚らわしい習性を暴露してほしいのよ。綺麗に言おうとしても無駄よ」


 罵倒にも取れる言葉が容赦なく、ままぁに浴びせられる。


 ままぁは口を開きかけるが、視線を落とすと再び口をつぐむ。


「ふん。このままじゃ埒が明かないわね。しょうがない。私が説明するわ」


 そう言うと、律子は髪をかき上げ厳太郎に向けて視線を向けた。


「ボゥ星人の生殖方法は捕食。男性を喰うことによってその体内で、自分の遺伝子と癒合させ出産する。地球人とは違い、一人の男性が女性に子を孕ませられるのは一回きり。そりゃそうよね。喰われれば死ぬんだから」


 死ぬ……でも、


「俺は死んじゃいない」


 律子に向かってかすれた声で反論する。


「そう……それはほんとに幸運なことだった。地球人とボゥ星人は遺伝子的には相性が悪かった。厳太郎は喰われる前の人格、記憶さえも残ったままボゥ星人の体内で遺伝子を再融合し生まれ落ちた。そのあとも、問題なく成長できたようね。ボゥ星人の成長は早く、適切に授乳されれば一か月ほどで成人できるから……おそらく、厳太郎の体内に残っているボゥ星人の遺伝子も、喰われる前の年齢に戻れば、自然と消え去るでしょう」


「それなら問題は無いじゃないか! 俺はこの通り無事だし、ままぁもこれ以上何かをする気はない。なぜ、ここまでする必要があるんだ!」


 力の入らない体を無理に起こし、厳太郎は律子に詰め寄っていく。


「問題がないですって…………あなたの父親はボゥ星人に喰われ殺されたというのに?」


「……父さんが?」


 頭が真っ白になる。喰われ殺された?


「ここから話すのが、ボゥ星人の本性よ。汚らわしい害悪宇宙人の」


 律子は鋭い視線をそのままに、ソファに体を預けると、胸のポケットからタバコを取り出した。火をつける。深く吸い込むと自分を落ち着けるように紫煙を吐いた。


 ままぁは観念したように、頭を深く下げていた。


「ボゥ星人は生殖を伴わない行為にも旺盛だった。簡単に言えば性欲のためだけのセックスね。まぁ、それ自体は地球人もよくしていることだし、私にもよく分かる。ボゥ星人同士で行う分には、私たちも手を出すことは無かった。その種族の問題だしね。でも、その欲望のために、自分の星の男たちを求め食い荒らし、戦争を繰り返した挙句、他の星にまでその汚らわしい欲望を向けるのは容認できない」


 タバコの灰が落ちた。それでも律子はかまわず話し続ける。


「宇宙でも有数な強靭な肉体を武器に、まずは周りの星の男たちを喰い荒らし始めた。あらかた食い尽くすと、他の星にも手を伸ばした。そうしてつい十五年前。この地球にもボゥ星人がやってきたのよ」


 律子はタバコを吸うのも忘れ語っている。灰が自分の体に落ちても気にする様子はない。


「まだ、あなたを授かったばかりで休職していたけど……発足し始めたばかりの、地球外生命体対策課で働く夫をサポートしながら、私は充実した日々を送っていた……夫がボゥ星人に喰われるまでは!」


 これまで冷静に語っていた律子の語尾が荒れる。タバコの火はすでに消えていた。


「ま、まさか、ままぁが……?」


「いいえ。別の個体よ」


 あっさりとそう言う律子に、厳太郎はほっと胸をなでおろす。


「厳太郎……あなたこんな状況になっても、そのボゥ星人の心配をしてるの? 本当に父親そっくりね」

「父さんに?」


 律子は、すでに火が消えたタバコを携帯灰皿に押し込んだ。


 ままぁは頭を垂れたまま、ぴくりとも動かない。厳太郎も予想外の事実ばかりを告げられ、何も言葉を発することができなかった。


「あなたの父親はね。『地球外生命体対策課の基本理念』の排他的な思考に異議を申し立てたの。どんな宇宙人でも心を通わせることができるって聞かなかった。だから、完成しつつあった『ボゥ星人用拘束具』を持たずに、地球に訪れたボゥ星人に近づいていった」


 律子が厳太郎の手首に嵌められた拘束具に目を向ける。


「そして、喰われた」


 自分で発した言葉に、まるで痛みがあったかのように、律子は苦痛に顔をゆがめた。


「しばらくしてから、そのボゥ星人を拘束した時に言ったわ。あなたの男はとってもよかった、って……性欲のためだけに喰ったみたいね。避妊していたみたい」


 ままぁの丸めていた背中が、一度小さく震える。やがてゆっくりと頭を上げると、厳太郎の表情を見て、驚いたように目を見開く。


「げ、厳ちゃん……ご、ごめん、ごめんなさい。同じボゥ星人が……ごめんなさい」


 ままぁの厳太郎を見る瞳が、怯え、恐れ、許しを請うように震えている。


 何も言えない。物心つく前に死んでしまった父親。ままぁとは違うボゥ星人。どんな表情をしていたのだろう。厳太郎を見つめるままぁの瞳には徐々に涙が溜まっていった。


「厳太郎。これでも、このボゥ星人に味方したいと思える? 自分の父親を殺した奴と同じなのよ?」


「お、俺は……」


 厳太郎は、憔悴しきっているままぁを見つめる。


 父親を喰ったボゥ星人と、


「ままぁは違――」


「厳ちゃぁん」


 その時、ままぁの口から発せされた、あまりにも小さい喘ぎ声。その声に、厳太郎の脳内にあの日のことがフラッシュバックした。繁華街の路地裏で喰われた時のこと。先日、風呂場でままぁが厳太郎の裸を見たときに感じた恐怖。


 とっさに、厳太郎はままぁから目を背けた。見つめることができない。怖い。律子から聞かされたボゥ星人の欲望。


「ようやく分かったようね」


 律子がほっとしたようにつぶやく。突っ伏したままの厳太郎に近づき頭に手を乗せる。


「厳太郎。偉いわ。後は母さんにすべて任せなさい」


 やさしい声だ。しかし、厳太郎には響いてこなかった。


 律子は、ひとしきり厳太郎の頭を撫でた後、再び目つきを厳しいものに変えままぁに歩んでいく。ままぁの首を掴むと、乱暴に仰向けに寝かせた。腰のベルトに納まった小さめのナイフを取り出す。


「……か、母さん? 何を……」


 厳太郎の質問に答えずに、律子はままぁの胸にナイフを当てがった――そのまま、ままぁのワンピースをナイフで引き裂き始める。あらわになるままぁの胸元。


「ふん」


 律子は、厳太郎のそばへとままぁを引きずっていった。


「厳太郎。吸いなさい。おそらく、後一度授乳すれば元の年齢に戻れるわ」


「……げ、厳ちゃん」


 厳太郎はもうすでに、何も考えられなくなっていた。言われるがまま、ままぁの胸に顔を埋める。乳首を口に含むと、思い切り吸った。


「あぁ……厳ちゃん……厳ちゃん」


「しゃべるな。悦ぶな。この害悪が」


 怒りに言葉を震わせながら、律子はままぁの口を押さえる。ままぁが苦しそうに呻く。


「私が今どんな惨めな気持ちなのかあなたに分かる? 夫を欲望のまま喰われた私の絶望が理解できる? 息子を元に戻す方法が、あなたに授乳されることしかない私の嘆きはあなたには分からないでしょう?」


 ままぁの目には再び涙が溢れてくる。律子の手を伝い厳太郎の顔に雫が落ちてくる。


「あなたはきっちりと殺してあげる。これで最後よ」


 その間にも、厳太郎の口にはままぁの母乳が流れてくる。何度味わったのだろうか。


「(厳ちゃん)」


 声だ。ままぁのテレパシーが厳太郎の脳内に流れ込んでくる。


「(ボゥ星人のこと、何も話さなくてごめんなさい。喰ってしまってごめんなさい。でもままぁは……)」


 ままぁの声が震える。最後の授乳。体が元に戻ろうとしているのか、体中の血管が脈打っていた。


「(ままぁは寂しかった。一人っきりで何十年も宇宙をさまよって……誰かそばにいてほしかった。誰かと話したかった。誰かに甘えたかった)」


 母乳が喉を通るたびに、ままぁの声が小さく消えていくのが分かった。


「(さようなら。厳ちゃん)」


 最後に聞こえてきたままぁの声は、やさしく肌を撫でていく風の音色のようだった。

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