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十五話 母は子のために。子は母のために。

 駅構内を出ると、厳太郎は恨めしそうに空を見上げた。

 相変わらず、灼熱の太陽は熱視線を地表に届けているようだ。たまには太陽も休憩したらいいのに、とさえ思う。


 小倉の住む町は、繁華街の反対側にあるため厳太郎も滅多に訪れることは無い。小倉の家の住所は把握しているものの、初めての町では迷ってしまわないかと不安になる。


「厳太郎。はい」


 凛華は駅構内の自販機で、スポーツドリンクを購入してきたようだ。キンキンに冷えたペットボトルを厳太郎に渡してきた。


「ありがとうございます」


「今日も暑いからね」


 凛華はペットボトルの栓を取ると、口をつける。上下する喉元に、そのそばを流れ落ちる汗。厳太郎の目には妙に艶めかしく映ってしまい、とっさに目を逸らす。


「さ、さあ、行きましょう。小倉の家はここから歩いて十分ほどのはずです」


 どうにも、恥ずかしくなってしまい厳太郎はさっさと先に歩んでいく。


「あー。まってよ」


 凛華が厳太郎の背を追いかけていこうとしたとき、


「ありがとおおぉおぅぅぅぅ。ござぃやっしたあぁぁぁ!」


 何かが爆発したんじゃないかと思わせるほどの、大声が響いてきた。あまりの声に、凛華は大きく体をビクつかせた。


「ああ……びっくりした。大きな声」


 駅に隣接されたガソリンスタンドからのようだった。

 坊主頭の威勢のいい若者が、深く頭を垂れ、給油し終えた車を見送っていた。


「ふむ。とても気持ちのいい声ですね。やっぱり働く人間はああでなくてはいけません」


 威勢の良い声に、厳太郎の心も洗われるようだった。


「いらっしゃぁせぇぇぇい!」


 次の車が給油に訪れたようだ。夏の暑さを感じさせないほどに、はきはきと坊主頭の若者は車を誘導していた。


「ん……あの子って」


 凛華はガソリンスタンドに歩いていき、坊主頭の若者を注意深く観察している。

 厳太郎が凛華につられてその背を追っていくと、ガソリンスタンド内の建物から壮年の男性店員が出てきた。坊主頭の若者に近づいていく。


「小倉! そろそろ上がっていいぞ。お疲れさん!」


「もうそんな時間っすか? お疲れ様です」


 坊主頭の若者は小倉だった。


 品の無い金髪は坊主頭に変わっており、しっかりと黒髪に戻っていた。学校では見たことのないさわやかな笑顔は、汗にまみれていても輝いて見える。


「あ、あれが小倉……?」


 繁華街で会った時とは、まるで別人に変わっている。凛華も度肝を抜かれているようで、小倉と厳太郎を交互に見つめていた。


 小倉は炎天下で佇む妙な二人組を見つけると、あからさまに嫌な表情をした。そそくさとガソリンスタンド内の建物に入っていこうとする。


「小倉!」


 反射的に厳太郎は声をかけてしまう。次には駆け寄る。


「なんだ。小倉。友達か?」


 壮年の店員は、気さくな笑顔で小倉に語り掛ける。


「あ、いや……友達というか……」


 小倉の変わりように、厳太郎の腰は抜けそうになる。まるでゾンビのようにふらふらと近づいていく厳太郎を手で制すると、迷惑そうな表情を向ける。


「なんだよ……なんか用かよ」


「お、小倉ぁ……お前その髪……」


「チッ!」


 小倉は小さく舌打ちをすると、


「ちょっと待ってろよ。今着替えてくるから」


 小倉は若干引きつつ、建物の中に小走りで入っていった。


 厳太郎と凛華は訳も分からずに、夏の日向の中、立ち尽くしていたのだった。







「んで……お前ら俺のストーカーかよ」


 駅構内の自販機スペースで、小倉は水筒を片手にそうつぶやいた。未だ困惑していた厳太郎は小倉に詰め寄っていく。凛華はその様子をじっと見つめていた。


「お、お前……昨日までは金髪だったはずなのに……その頭はどうしたんだ?」


「あぁ?」


 と、若干の苛立ちを見せながら、小倉は厳太郎を睨む。


「てめぇが言ったんじゃねえかよ。その頭二学期までには直して来いって。自分の言ったこと忘れてんじゃねぇよ」


「確かに言ったが、まさか坊主頭にするなんてな……驚いている。でも、俺は嬉しいぞ!」


「別に、お前に言われなくても坊主にはする予定だったし」


 小倉は吐き捨てるようにそう言うと、もう一度水筒の飲み物を煽った。


「金髪じゃバイトもできねーしな。あの日だけだったんだよ」


 小倉は自分の頭を撫でる。短く切り揃えた髪の毛がざり、と音を立てた。


「じゃあ、なぜわざわざあんな金髪にしたんだ?」


「木崎の奴と縁を切ろうと思ったんだ」


「木崎と?」


 話が見えてこない。


「あいつあんなだろ? 俺のバイト先にまで来られて、迷惑かけちゃいけないと思ってさ。でも、小学生のころからの付き合いだったし、最後くらいは目いっぱいあいつと付き合ってやろうかと思ってな。派手な格好して、派手に遊んで……」


 話している途中、小倉はしきりに頬のあたりを触っていた。先ほどまでは気が付かなかったが、うっすらと青あざができていた。あまりいい別れ方はしなかったことが窺える。


「あのチビ会長に言われた通り、カバンも買ったし……これで文句はないだろ?」


「あ、ああ。すまない。お前を誤解していた。言っても分からないやつだとばかり……」


「本当にうぜーな。お前」


 小倉は憎まれ口を叩くと、その場を立ち去っていこうとする。


「木崎と縁が切れたということは、高校も辞めないんだな?」


 その言葉に、小倉の歩みが止まる。


「……学校は辞めっから」


 当たり前だ。と言わんばかりに小倉はそう告げる。


「なぜだ……? 木崎とは縁が切れたんじゃないのか?」


「あぁ? 木崎は関係ねーよ。辞めんのは俺が自分で考えたことだ」


 小倉に詰め寄ろうとする厳太郎の肩に凛華が手を置いた。熱くなりかけた頭が少しだけ冷えた。


「小倉君。もしよかったら辞める理由を聞かせてほしいな」


 凛華が、諭すように小倉に語り掛ける。


「……別に。お前らには関係ないだろ?」


「関係ないことなどあるかぁっ! 俺も、凛華先輩も、響先輩だって……うぐむっ」


 一瞬にして沸騰してしまった厳太郎の口を凛華が塞ぐ。


「はいはい。厳太郎。落ち着いてね」


 まるで子供をあやすように、凛華は厳太郎を駅構内のベンチに座らせる。

 やはり凛華についてきてもらってよかった。凛華の柔らかな表情を向けられる小倉は、どことなく照れているようにも思える。直情的な厳太郎にはできない芸当だ。


 凛華は小倉を厳太郎から少し離れたベンチに座らせる。


「小倉君。ごめんね。バイト終わりの疲れているときに声をかけちゃって」


「いや……別に」


 その場を去ろうとしないところから、小倉はある程度は話を聞いてくれそうだ。


「家のこと……なんだよね?」


 凛華がいきなり核心を突く。小倉の表情は暗く沈み、背中には重いものが乗っかったように肩を落としている。


「ああ、そうだよ。うちは母子家庭だからな」


 凛華は視線を落としたままの小倉の顔を、穏やかに見つめていた。


「母ちゃん体弱いのにバイトいくつも掛け持ちしやがって……いらねーっつってんのに小遣いまで渡してきて……俺もバイトして家計助けるって言ってんのにいらないって……」


 小倉の握っていた手に力が入っていく。


「ガソリンスタンドのバイトだって、黙ってやってるんだよ。母ちゃんはぜってー金受け取らないだろうけど、貯めておいていつかは……」


 小倉の言葉にずっと耳を傾けていた凛華の表情が少し曇った。


 凛華の家は裕福で、小倉のような苦労は味わったことは無い。厳太郎も母子家庭ではあるが、母親の稼ぎが多いため金のことで不自由な思いはしたことがない。


 安易な言葉は出せない。


「疲れ切って帰ってくる母ちゃんを見てらんねーんだよ。この前だって体調悪いのに仕事行って……だから、俺が学校辞めて働けば、少しは楽になるだろうと思って……!」


 小倉は感情の高ぶりを抑え込むように額に手を当てると、大きくため息を吐いた。


「……これが理由だよ。どうだ? お前らに話したってどうもしようもないだろ? なにも出来ねーだろ?」


 小倉の言葉に、厳太郎と凛華は次の言葉が紡げない。

 金のこと。家庭のこと。厳太郎と凛華にはこれ以上は入っていけない領域だ。


 小倉の自主退学をする理由は分かった。どうしようもない理由があることも分かった。なんとか自主退学をしない道を探す? 厳太郎はそんな軽薄な言葉を吐いた自分自身を呪いたい気分だった。


 暑いのに背筋が冷える。凛華も同じようで、口を引き結んだまま小倉に掛ける言葉を必死に探しているように見える。


「明後日の始業式には出る。でも、二学期中には学校は辞める。母ちゃんも説得しなきゃだしな」


 小倉は立ち上がると、飲み干した水筒をカバンに入れた。


「……もういいか? じゃあな」


 なにも返事をしない厳太郎を、横目で見ると小倉は立ち去っていこうとする。


 厳太郎は伸ばそうとした腕をひっこめる。引き留めてどうする? 何を小倉に言ってやる? 力になりたいと思う自分と、どうしようもない現実。その思いが体中を駆け巡る。


「小倉あぁぁぁぁっ! ちょい待ったあぁぁぁぁ!」


 突然響き渡る絶叫に、その場にいた全員が声の方に振り向いた。


 どどーん、と自信満々にない胸を張っている小さな体。


 なぜかドヤ顔で仁王立ちしているのは響だった。


「やあ、小倉。君の家に行こうと思っていたんだが、駅を出たら厳太郎と凛華がいるじゃないか。んー? って思っていたらなんだか君と何やら話しているじゃないか。いやぁ、手間がはぶけた」


 響は屈託のない笑顔を小倉に向けて、こちらへと歩いてきた。


「響会長……!」


 響はとてとてと可愛らしく歩いてくる。


 先日の小倉と木崎の件など無かったかのように、響はいつもの誇らしげで、自信の満ち溢れた表情をその場にいる皆に向けていた。


「おや、凛華。どうやら風邪はもう治ったようだな。良かった良かった」


「響ちゃん……なんでこんなところに?」


「ふむ。それは私のセリフなんだがな……そこの小倉に少し用事があったんだが」


 響が小倉に視線を向ける。小倉は驚きのあまり固まっていた。決して小倉は響の突然の出現に驚いていたわけではない。その視線は、響の後方に向けられていた。


「か、母ちゃん。なんで……今日は夜まで仕事のはずなのに」


 響のすぐ後ろに佇む小倉の母親。髪の毛には艶が無く、肌の張りも失われている。服装も地味目なシャツとジーンズだった。


「俊介」


 小倉の母親はしっかりとした足取りで、響の横を通り過ぎる。狼狽える小倉の目の前にまで来ると、


「あんた……学校を辞めるって本当なの?」


 小倉は響を恨みがましい目で睨みつけた。響は小倉の視線を逸らさずに受け止めている。


「響ちゃん……どういうことなの?」


「つい最近分かったんだが、私の父親と小倉の母親は同じ職場でな。少し話す機会があったんだ。こんな方法は使いたくなかったんだが、小倉の自主退学のことを話してみた」


 響は小倉から視線を外さずに語り始めた。


「私もいろいろ考えたんだが、先日の小倉の雰囲気を考えてみると、学校を辞める意思は固そうに思えた。どうしようもない理由。それは分かる。でも、小倉も小倉の母親も学校を辞めるという選択肢は最善ではないと思っている」


「俊介! こっちを見なさい!」


 小倉が母親の声に、一瞬体を震わせる。黙ってバイトをしているという引け目もあるのだろう。でも、小倉も間違ったことはしていないという自負はもちろんある。


 小倉は響に向けていた鋭い視線を、母親に向けた。


「俺だってバカなりにいろいろ考えてんだよ! 朝から晩までずっと仕事しててよ! 毎日死にそうなほど疲れてんじゃねーかよ! そんな姿見るこっちの身にもなれよ!」


「だから学校をやめて、私のために働くっていうの? 子供のくせに偉そうなこと考えてんじゃないわよ! あんたに心配されなくったって大丈夫!」


 小倉の母親は、一見すると疲れ切った中年女性には見えたが、その瞳には子を思う母親の力強い意志が感じられた。


「俺は誰に何を言われても学校は辞める。そんで働く。そんで母ちゃんに楽させる。誰にも文句は言わせねー」


 小倉の母親は息子の言葉に肩を震わせる。


 お互いが、お互いを心配している。母は子のために。子は母のために。それゆえに起こってしまったすれ違いだ。厳太郎にはどうしていいのか分からなかった。


「まあまあ、ご母堂。そんなことを言うために、わざわざ仕事を早退したわけではないでしょう?」


 小倉の母親は、足元から語り掛ける響に顔を向ける。自分を落ち着けるように、小倉の母親は頭を何度か振った。はぁ、と息を吐くと息子を見た。その瞳は優しかった。


「ねぇ。俊介。今まで苦労をかけてゴメンね。本当は他の子と同じように、いろいろ買い与えてあげたかったけど……」


 小倉は、急に熱が冷めていったように怒りの表情が消えていく。


「……俺は別に」


「あんたはそんななりだけど、本当はやさしい子。それが私には痛いほど分かっているから、何とかしてあげたかった。だからたくさん仕事もした。でも、それがあなたを苦しめることになるなんて……他の子と同じようにもっと私に甘えてほしかった。頼ってほしかった」


 小倉が何かを我慢するように、下唇を噛んだ。


「でも、母ちゃんの苦しんでいる姿なんか見たくはない。だから甘えちゃいけない。頼っちゃいけない」


 小倉は心の底から、母親のことを案じている。だからこそ、母親が自主退学をよく思わないのは、小倉自身も分かっている。これまで高校生活を送ってこられたのも、母親が必死になって仕事をしていたからだ。悩みぬいた結果なのだろう。だからこそ小倉の決心は揺るがない。誰に何を言われても曲げることはできない。


 小倉の母親は、よろよろと小倉に歩いていくと地面に膝を突けた。そのまま腕を広げる。人目もはばか

らずに、小倉の腰に顔を埋めた。


「母ちゃんさ。俊介を不自由なく育てるくらい一人でできると思ってた。誰に頼んなくても大丈夫だって……でも、駄目だった。あんたにここまで考えさせるなんて……」


「母ちゃん……」


「……いまからひどいこと言うけど、いい?」


「えっ……?」


 小倉の表情が疑問に変わる。


「生活費……入れてもらってもいい? もちろんあんたの学校生活の妨げにならない範囲でいいから……子供のあんたにとんでもないことを言っているのは分かってる」


 小倉は唇を震わせ、次第に目には涙が溜まってきている。腰に抱き付いている母親の頭を小倉も抱いた。


「最近、年のせいか何個もバイト掛け持ちすると疲れちゃってね。いつも顔には出さないようにしてるんだけど……やっぱり俊介には気づかれちゃった」


「あっ、当たり前だよ! いまさら何言ってんだよ……! ガソリンスタンドのバイト代はほとんど貯金してあるから使ってくれよ」


「ひどい母親ついでに、もう一つ。学校は辞めないでほしい。お願いだから」


 小倉が母親の提案を聞くと、視線を逸らし表情を曇らせた。


「……でも俺、成績も悪いし、学校での態度も良くねぇし……こんな俺が学校行ってたって無駄だと思う。だからそんなことしてるよりも金を稼いだ方が良いと思って」


 小倉の母親は、腰から手を離すと小倉の顔を両手でやさしく包んだ。そのまま、額を合わせると、穏やかに目を閉じた。


「高校を卒業してほしいっていうのは、私のわがままかもしれない」


 小倉は強く唇を引き結ぶと、小さく頭を横に振ってその言葉を否定する。


「私はあんたの将来のためだったら、この体が壊れたってかまわない。どんなに辛くったって耐えて見せる。どんなにボロボロになったって……」


「俺はそれが嫌だから、高校辞めて金稼ごうと……!」


「ごめんね。母ちゃんの独りよがりだった。自分の気持ちばっかりで、あんたの気持ちを考えてやることができなかった。あんたと同じ。自分勝手で誰にも頼らなかった結果。でもあんたには……」


 そう言うと、小倉の母親は厳太郎を見た。


「こんなに心配してくれる友達がいるじゃない。頼れる友達が」


「……友達なんかじゃねぇって」


 悪態を吐く小倉だったが、これまで見たことがないくらい穏やかな表情をしていた。


「分かった……辞めない。ちゃんと勉強するし、態度も改める。だから、母ちゃんも無理しないでくれよ」


「うん……ありがとう。俊介」


 母子はきつく抱き合う。


 もう大丈夫だろう。これからもこの親子には様々なことがあるのかもしれない。でも、今日の思いがあれば、困難は乗り越えていけるだろう。


「ぐすっ……もう行こうか? あんまり水を差しちゃいけないし」


 凛華が目に浮かんだ涙を、指ですくいながら厳太郎に視線を向けた。


「ええ。そうですね……」


「響ちゃんも、ほら……うわ」


 響が滝のような涙を流していた。


「な、泣いていないぞ! 目にゴミが入ったんだぁ……うえええええ。えぐえぐ」


「もう、そんなベタな……ほら、鼻水も出てる。はい。ちーんして」


 ぶびょおおおぉぉ。響は凛華が差し出したティッシュで鼻をかんだ。


「さあ、厳太郎。行こ」


 厳太郎は返事を返さず、ただ、抱き合っている親子をずっと見つめていた。

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