十四話 頼れる先輩
「小倉君が自主退学?」
先日、繁華街でのあらましを説明すると凛華の表情が変わった。いつもの凛華が戻ってきたようで、厳太郎はほっと胸をなでおろす。
「そんな事私は聞いてないよ。もし何かあったら響ちゃんから情報が入るはずだから」
「木崎は夏休み中に自主退学を申し出たようです。小倉の情報は木崎から聞きました」
「そんな……木崎君も」
凛華がシーツを握り、無念そうに顔をしかめる。
「ただ、小倉自身の様子からは自主退学は本意ではないように感じられました。俺は納得していません。今日小倉の家に行って理由を聞いて来ようと思っています」
「……そう」
「だから、お願いです。凛華先輩。俺と一緒に小倉の家に行ってもらえないでしょうか?」
「私も……一緒に……? でも私は何をすればいいの?」
「……俺の暴走を止めてほしいんです」
繁華街では、木崎の挑発に対し暴力を振るってしまった。そんなつもりは一切なかったのに。怒りで我を失い、手が出てしまった。初めて知った自分の性格。ショックだった。自分で自分を律することはできなかった。
「俺は自分一人じゃ何もできないんです。できると思っていたのに、できなかったんです。だから、お願いします。凛華先輩! 俺の手助けをしてください!」
そう言って、頭を下げた。情けない願いだ。勝手な願いだ。そう思っていた。だから、
「いいよ」
あっさりとそう言われた時、厳太郎は頭の中が真っ白になってしまった。
見上げると、溜まった涙を指ですくっている凛華がいた。
「凛華先輩! す、すいません。なにか、俺……」
「ううん。違うの。ちょっと嬉しくて」
小さく鼻を鳴らすと、凛華は厳太郎の手をやさしく掴んだ。
「厳太郎。最近ずっと気を張っていたでしょ? 私も響ちゃんもそれがずっと気になってた。でも、厳太郎の性格も知ってるし、上手く手助けすることができなかった」
厳太郎が赤ん坊になってしまい、動けなくなっていた時の風紀活動。それは、凛華と響のせめてもの手伝いだったのだ。
「だから。こうして頼ってきてくれて嬉しい。私も小倉君の件、手伝わせて」
「ありがとうございます。凛華先輩……」
「ううん。私だって響ちゃんだって、厳太郎には甘えているんだよ。私が受験勉強に集中できるのも、響ちゃんが好き放題に生徒会長の職務をできるのも、みんな厳太郎のおかげ」
凛華が力強く、厳太郎の手を握り返す。
「私たちはそれに甘えすぎちゃったのかもしれない……だから私にできることがあったら何でも手伝うからね」
「凛華先輩……」
なんだか泣いてしまいそうだ。目頭が熱くなるのを必死に我慢する。
「あの子のおかげなのかな?」
「あの子?」
「ほら。厳太郎を喰って産んだとか言っていた……あの宇宙人の子」
ああ、そうだ。時にそのことについて凛華は追及してこなかったので忘れていた。
凛華は口をへの字に曲げると、不満げに視線を泳がせていた。
「……やっぱり、手伝うには一つ条件がありまーす」
「へ?」
「お願いするなら、ちゃんと昔みたいにお願いしてほしいな」
凛華は厳太郎の目の前で一本指を立てる。
また……あまりこれまでは見たことのない凛華が表に出てきたようだ。厳太郎は不安を感じながら、凛華に頭を下げた。
「姉さん。一緒についてきてください。お願いします」
「ええー……なにそれ。姉さんって……他人行儀。やだー」
凛華が不満を漏らす。
「昔みたいにって言ったでしょ? おねーちゃんお願いしますって言って」
凛華が厳太郎の額を、ちょんっと突いてウィンクをする。
「りんか……おねーちゃん。一緒についてきてほしい……」
「なにー? 全然きこえなーい」
「りんかおねーちゃん」
「もっと! もっと大きな声で!」
「りんかおねーちゃああぁぁぁあん! 僕のお願い聞いてよおおぉぉぉ!」
――――きゃあぁぁぁっぁ! おねしょたああぁぁ!
厳太郎の目の前では、凛華が満足そうに何度もうなずいていた。
厳太郎は憔悴しながら、もうこの家にはしばらくは来られないな、と思ったのだった。
学校を中心に、小倉の家は反対側にあるため、厳太郎と凛華は最寄りの駅から二十分ほどかけ小倉の家へと出向いていた。
「なんだかこうして、休みの日に厳太郎と出かけるのも久しぶりだね」
緊張気味の厳太郎とは反対に、凛華は妙にうきうきとした様子で電車に揺られていた。
「ねぇねぇ。厳太郎。今週はずっと晴れなんだって。毎日猛暑で困っちゃうよね」
「ええ。そうですね。熱中症には気を付けてください」
「ねぇねぇ。厳太郎。今年は花火見た?」
「いえ。今年の夏はいろいろと大変でしたから」
当たり障りのない返事をする。凛華は不満に思ってしまったのか、頬を膨らませ外の景色に視線を移す。
また凛華の期待する返事を返すことはできなかった。
厳太郎も凛華の視線を追うように、車窓に目を移した。繁華街を通り過ぎ、あまりなじみのない景色が流れていく。その中には立派な製鉄所なども見受けられる。派手な外装のラブホテルも視界に入り、厳太郎は眉間にしわを寄せる。学生も多く乗るであろうこの電車内から、あんな卑猥な建物が見えるなんて……風紀に乱れが生じてしまう。
「ねぇねぇ。厳太郎」
「はい。なんでしょうか?」
凛華は車窓から外を眺めたまま、厳太郎に声をかける。
「小倉君に、なんていうつもり?」
「……と言いますと?」
「小倉君が自主退学の意志をしっかりと固めていたらどうするのかなって……厳太郎は小倉君が学校を辞めるのは嫌なんでしょう?」
たしかに仲が良いわけではない。むしろ毎朝、風紀に関してぶつかり合う険悪な間柄だ。しかし、同じ学び舎を共にする仲間でもある。できれば、ともに卒業してほしい。でも、
「俺は納得がしたいだけです。自主退学が悪いなんて考えは俺にはありません。ただ、小倉が無理をしているのなら……何とかしてやりたい」
すす、と凛華は厳太郎に近づいてくる。出掛けに凛華はシャワーを浴びてきたので、髪の毛からはシャンプーの良い香りがしてくる。
「厳太郎はやっぱり直情的だね。昔から真面目でやるべきだと思ったことは絶対曲げない」
「そ、そうですか?」
「だから、たまに歯止めが効かなくなっちゃうんだよね。その暴走を止める人が必要」
凛華が厳太郎の肩に頭を乗せる。体も厳太郎に寄り添ってくる。思ったよりも軽く柔らかい体に、厳太郎の胸は鼓動を速める。
電車の乗客は、なんとも微笑ましい視線を厳太郎と凛華に向けていた。
「り、凛華先輩……皆の目があります。あの、その」
あわあわとする厳太郎を尻目に、凛華はそっと目を閉じた。
「それを止める人は私でありたい」
普段、学校で接するときの凛華とは違う雰囲気だ。でも、学校外で会っている今が素の凛華なのかもしれない。思い起こせば、幼いころの凛華はもっと活発で、思ったことを何でも言う性格の子供だった。ここ数年、学校外で会うことも少なくなっていたので、いまいち分からなくなってしまった。
混乱する頭をよそに、電車内では降りる駅のアナウンスが流れ始めた。
「凛華先輩! ここです。降りましょう!」
厳太郎は素早く立ち上がった。支えを失った凛華は、かくっと体をよろけさせる。
「………………もう。厳太郎のばか」
凛華の口から発せられた、あまりにも小さな不満は厳太郎の耳には届いていなかった。




