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十二話 甘えてもいいんだよ

 長かった夏の一日が終わる。


 沈もうとしている太陽は、西の空をだいだい色に染め上げている。西日が差し込み、ソファで寝転がっている厳太郎はまぶしさに眼を細めた。


「カーテン閉めようか? そろそろ暗くなってくる頃だから」


 ままぁの問いかけに厳太郎は口を開かなかった。静かにカーテンが閉められる。


 結局自分はなにもできなかった。むしろ状況を悪くしたのは自分だ。罪悪感に胸を押しつぶされそうになる。木崎には暴力を振るってしまった。小倉には気を回してやることはできなかった。響を傷つけた。厳太郎の暴走を止めてくれたのはままぁだった。


 厳太郎一人の力では何もできなかったのだ。


 信頼して風紀長を任せてくれた凛華。堅岩高校に必要な人材だと期待を寄せてくれた響。何も応えられていない。


 ままぁも先程から厳太郎を心配そうに見つめている。必要以上に声はかけてこない。あれこれと自分から気を使ってもしょうがないことを分かっているのだろう。


 誰も声を発しない。沈黙が支配するリビングに小さくバイブ音がなった。


 厳太郎は視線だけを、スマホに向ける。母親からのメールの着信だった。だるそうに手を伸ばしスマホを確認する。


『そっちは変わりない?』


 いつも母親が送ってくる文面だった。


『変わりないよ。仕事お疲れさま』


 と、厳太郎もいつもと変わらない文面を返信するとスマホを絨毯の上に放り投げる。メールを返信するだけで疲れてしまった。厳太郎は寝返りを打つと、ソファに顔を埋める。

 何も考えたくはないのに、このまま眠ってしまいたいのに、頭の中を支配しているのは自分のふがいなさ故の苛立ちだった。


「厳ちゃん。ごめんね」


 しん、と静まりかえった部屋に、ままぁのわずかな声が響いた。


「何がだ?」


 突き放すような言葉だった。今の厳太郎には気を使う余裕など残されてはいない。


「ままぁ、厳ちゃんの学校のこと何も知らないから……なにか助けてあげられればよかったんだけど」


「別にいい。お前には関係ないことだ」


 声に出すのは、ただの辛辣な言葉。話しかけてきてほしくない。


「辛かったね。悲しかったね」


 そう言うと、ままぁは厳太郎の頭を優しくなでる。

 いつもであれば、不本意ながらままぁの柔らかい手に心地よさを感じていた。


「触らないでくれ」


 ままぁの手を払う。今はただ、ままぁのやさしさも苛立ちを募らせるのみだった。


 ままぁは一瞬、驚いた表情を見せたが、払われた手を静かに自分の膝の上に置いた。腹を立てることもせず、ままぁは慈しむような視線を厳太郎に向けていた。


 構われることで、確かに苛立ちはあった。でも、出ていけと言うこともできなかった。言いたくなかった。一人残されたリビングで、胸に溜まった焦燥感を抱え込むことなどできやしない。勝手だ。そんなことは分かっている。


「(俺は一人でなんでもできるように頑張っていたつもりなのに……一人じゃなんにもできやしなかった)」


 一人でなんでもできるように。人に迷惑をかけないように。ルールを守るように。そう、母親に教えられた。そうするように育てられた。それは素晴らしいことだ。だから、皆にもそれを強制した。でも、浴びせられる言葉は辛辣なものばかりだった。


「(分からないよ……もう、分からない……)」


 混乱する。厳太郎はただ、頭を抱え突っ伏していた。


「(母さん……なんでいないの……?)」


 ここにはいない母を求める。


「(厳ちゃん。大丈夫だよ。ままぁはここにいるよ)」


 芯まで冷え切っていた体に、わずかに熱が宿る。ままぁが厳太郎の頭を胸に抱える。


「(ごめんね。厳ちゃんの声……聞こえちゃった)」


 頭の中で考えていたことがテレパシーとして、ままぁに聞こえていたのだ。

 厳太郎は顔が熱くなるのが分かった。聞かれてしまった。弱いところを。


「頼っちゃいけないんだ。俺は……一人で」


 弱い心は言葉となってあふれ出る。こんな言葉をままぁに聞いてもらっても仕方がない。


「そっかぁ……」


 ままぁは噛みしめるように厳太郎の言葉を聞いていた。その間も、厳太郎の頭を柔らかな胸に抱え、撫で続けていた。


「頑張ったね。厳ちゃん。本当に頑張ったね」


 出会ってからたったの一か月で、厳太郎の何を知っているのだろうか。


「厳ちゃんはままぁの子供なんだから。きっと大丈夫。必ずうまくいくよ」


 ままぁの言葉に根拠などない。


 しかし、そんな理屈など考える余裕はない程に、厳太郎はままぁの暖かな胸に安らぎを感じていた。

「怖いんだ……」


「どうして?」


 ままぁの問いかけは、本気の問いかけではない。閉ざされた心の扉が開かれるのをずっと待つように、ままぁは厳太郎を見つめていた。


「みんな俺に期待をしてくれる。凛華先輩も、響会長だって……母さんも俺に家のことを任せておけるから、仕事に打ち込めることができるんだ。俺が一人でやらなきゃ……みんな離れていく」


「そんなこと無いよ。みんないい子たちじゃない。厳ちゃんのことを助けてくれるよ」


 ただ、意固地になっていただけなのだ。凛華や響もきっと厳太郎の力になってくれる。自分の心に自ら壁を作っていただけなのだ。


「……もし、ね」


 ままぁが厳太郎の頭を力強く抱く。


「万が一、周りのみんなが厳ちゃんの元を去っていっても……ままぁは、絶対に何があっても厳ちゃんの前からいなくならないからね」


「うぅ……ぐ、うぅ」


 涙が溢れ出てくる。ままぁの腰に腕を伸ばすと、厳太郎は嗚咽を漏らし始める。


 ままぁの腰は細くちょっと力を込めれば壊れてしまいそうだ。それでも、厳太郎はままぁを放そうとはしない。そんな厳太郎をままぁはしっかりと受け止めていた。


「頼ってもいいんだよ? 甘えてもいいんだよ? 厳ちゃんにはままぁがいるじゃない」


 ままぁの言葉が厳太郎の体に染み込んでいく。


 カーテンが閉められ、薄暗くなってきたリビングには厳太郎の押し殺すような嗚咽だけが聞こえていた。


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