十一話 何も届かない
「ふううぅぅぅ……」
長い溜息を吐きながら、響は気持ちよさそうに目を細めていた。
一度、駅の構内へ戻り、空調の効いた休憩室で厳太郎とままぁ、響の三人は飲み物を片手に涼んでいた。
響は相当疲れていたようだった。ままぁが持ってきた飲み物を一気に飲み干すと、椅子にぐったりと体を預けてしまった。ちょっと心配したが、十分ほど休むと瞳に力が戻り、自分で買った二本目の飲み物を再び飲み干した。
「響ちゃん。あんまり冷たいもの飲みすぎると、お腹壊しちゃうからほどほどにね」
「うん!」
なんだか、妙に二人が仲良くなってしまった。
それは別に構わないが、ままぁもやけに甲斐甲斐しく響の世話をしている。同じような外見で波長でも合うのだろうか。
足をパタパタとさせながら両手でペットボトルを持つ響は、どこからどう見ても幼女だ。
「さっきね。あっちにクレープ屋さんがあったの。後で一緒に食べに行きましょうね」
「うん。たべるー」
わーい、と腕を大きく振り上げる幼女モードの響は、堅岩高校生徒会長としての威厳は一切無かった。妙に微笑ましい光景ではあったが、このままほっこりとしているわけにはいかない。
厳太郎は大きく伸びをして立ち上がった。
「俺は、この辺りを見回ってきます。響会長はしばらく妹と休んでいてください」
「うんー。いってらっしゃーい」
……いかん。完全に幼児退行している……。
そんな響に少しだけ不安を覚えながら、厳太郎は休憩室のドアを出ていった。
出た瞬間、顔をしかめてしまうほどの熱気と、湿気が厳太郎を襲った。
夏の日差しは容赦なく厳太郎を照りつける。厳太郎が恨めしそうに太陽をにらんでいると、人混みに紛れ若い男がスマホを操作しながら歩いてきた。
太陽光に照らされた男の髪色は、とても品がいいとは言えない金色に輝いていた。見る限り自分で脱色したようで、所々黒い地毛の部分が見え隠れしておりまだらになっていた。
ほとんど前を見ておらず、通行人も迷惑そうな様子で男を避けて歩いていた。どこの生徒だろうか。たとえ、他校の生徒であっても見過ごすことなどできない。
厳太郎は眉間にしわを寄せ、半ばにらむようにしながら男の元へと大股で歩いていった。そして、指を男に突きつける。
「そこ。歩きスマホは禁止だ。迷惑にもなるし、何より危ない。すぐに辞めるんだ」
男は一瞬、自分が注意されているのが分からなかったようで反応がなかったが、厳太郎が立ちふさがるとようやくスマホに向けていた視線をあげた。
「お前は……小倉か?」
小倉は、注意してきた相手が厳太郎だと分かると、あからさまに表情を歪めた。
「……チッ。どけよ」
小倉は再びスマホに視線を移し、厳太郎の脇をよけていこうとする。言い訳をする気も無いようだ。厳太郎は去っていこうとする小倉の肩を掴む。
「歩きスマホはやめろ。危ないと分かっている行為をするなど――」
バカのすることだ。
そう口に出しそうなのを、寸でのところでこらえる。
「んだよ」
「い、いや……」
言葉をもう少し選ぼう。相手の感情を逆なでしても良いことは何もない。
小倉は、スマホをジーンズのポケットに入れると厳太郎に向き直った。
「これでいいだろ? もう行くぞ」
やけに素直だ。小倉は前髪を気にするようなそぶりを見せる。
「あと一つ。堅岩高校の生徒は夏休み中でも、学生らしく振舞わなければならない。そう校則には記されている。その髪色はなんだ」
「別に休み中くらいいいだろ……二学期までには直してくるよ」
夏休み前に響が厳太郎に言っていた。
――もう少し余裕を持て、と。
小倉はこの髪の毛を直してくると言った。これを受け入れるのが器ではないか? 自分の我を通すだけでは、反発されてしまう。
本当はこのことは自分で気が付きたかった。甘えてはいけないのだ。すべて自分で考え、自分で行動し、自分で結論を出さないといけない。
「必ず直してくるんだな。約束できるか?」
小倉は意外そうな表情をして、前髪をかき上げると、小さく「あぁ」と言った。
「あっ。小倉。いたいたー。待ちくたびれたぞ」
間延びした、かんに障る声が聞こえてきた。名を呼ばれた小倉は、声の方に視線を向けようとはせず、そっぽを向いたままだ。
「金髪チョー似合ってんじゃん。でも、あちこちまだら模様になってるぜ。ウケる」
厳太郎はさらに眉間に深くしわを寄せる。
同じように金やら赤やら眼が痛くなるような髪色。さらにはちゃらちゃらとアクセサリーを胸元で光らせながら、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて近づいてきた。
小倉の友人だ……たしか名前は木崎だったか。
「あれっ? そこにいるの風紀長じゃね?」
木崎は手をポケットに入れたまま、視線を尖らせている厳太郎を下からのぞき込む。
「小倉にも注意したが、なんだその髪色は。堅岩高校の生徒たるもの、夏休み中とはいえ学生らしい――」
「あー。もうかんけーねーから」
木崎は蠅を払うように厳太郎の目の前で手を振ると、挑戦的な笑みを浮かべた。
「関係ないだと? どういうことだ」
「俺、学校辞めたから。つまりもう学生じゃねーの。お前に注意される筋合いはねーよ」
「何……?」
厳太郎の反応がよほど面白かったのか、木崎は腹を抱えて笑い始めた。
「何お前、くそウケる。まぁ、高校には俺のやりたいことなんてねーってことだよ。夢? 自分のやりたいこと? 俺はね、そういうの探してんのよ。あんなとこ行ったってムダムダ。あんな勉強して将来役に立つかってーの、なぁ小倉」
小倉は何も答えず、視線を逸らしていた。
「高校を辞めてどうするんだ。やりたい仕事でも見つけたのか?」
「だからそれを見つけるために、がっこーやめたっつってんじゃん。これからは自分探しの旅ってやつ? ニートだけどな」
何が面白いのだろうか。木崎は下品な笑い声を発している。聞くに耐えない。
「いこーぜ。小倉」
木崎は顎で指し示すと、小倉を連れていこうとする。
「あっ。そうそう」
小倉を連れていこうとする木崎が立ち止まる。厳太郎に振り返る。
「こいつもがっこーやめっから」
小倉は無表情でその場に立ちすくんでいた。感情が見えない瞳で厳太郎を見つめている。
「……な」
突然のことに、厳太郎は何も言葉を返せない。
「あんなとこ行っても教師にうぜーこと言われるだけだしな。金欲しいんだって。こいつ」
木崎が小倉の肩を激励するように叩く。小倉は煩わしそうに表情を歪めた。
「……本当なのか? 小倉」
小倉は厳太郎を見ようともしない。否定もしない。つまり木崎が言っていることは本当のことなのだろう。
「まだ辞めるってがっこーには言ってねーんだけどさ。まじ、親もうぜーよな。俺らのやることに口出すなってんの」
その言葉に、小倉は木崎に鋭い視線を向けた。それに気が付いた木崎は、苦笑いをして言葉を止めた。
「……木崎!」
厳太郎が後ろを振り返ると、ままぁと手をつないで、休憩室から出てきた響が目を大きく見開いて、その場に立ち尽くしていた。
「うわっ……うぜーのがいる」
木崎が眉をひそめる。
「木崎。学校を辞めるとは本当なのか? 何とかならなかったのか?」
響がゆっくりと、木崎に問いかける。
「俺の人生は俺が決めるんだよ」
「なんでもっと私に相談してくれなかった。もっと話を聞いてやることもできた。退学なんて早計じゃないのか?」
「は? ちょっと待てよ。なんでお前に相談しなくちゃいけないわけ? お前なんにもかんけーねーじゃん」
その木崎の言葉を聞くと、響はままぁから手を離した。
「そ……そうか。し、しょうが、ないか……お前がしっかりと考えた結果なら私は口を出すつもりはない」
「おー。めっちゃ考えたぜ。俺。十分くらい」
木崎は、ぎゃははと馬鹿にしたように笑った。響はだらり、と下げた腕を強張らせた。握られたこぶしは震えていた。
ままぁは何があったのか分からない様子で、響と厳太郎に視線を泳がせている。
「おい! 木崎! お前、世話になった響会長に、その言いぐさは失礼だとは思わないのか? 謝罪するんだ!」
厳太郎は木崎に詰め寄り、にやついている顔を思い切り睨む。冷え切った瞳で見つめている小倉はその場で動かない。
木崎はあからさまにイラつきを見せると、近づいてきた厳太郎の胸を押した。
「いい加減にしないと俺もキレるぞ。お前だって、風紀活動とか言って正義の味方気取ってるんじゃねぇよ。縛り付けてるだけじゃん。お前のことみんなうぜーって思ってるから」
他の生徒から疎まれていることは厳太郎も分かっている。自分だけが疎まれるならまだ耐えられる。しかし、響や凛華がその風評に晒されるのは我慢がならない。
「いこーぜ。小倉」
木崎が厳太郎を振り払う。小倉は黙ったまま、木崎についていく。
木崎にはもう何も届かない。何を考えているのか分からない。
……でも、小倉には学校を辞める意思も理由を聞いていない。
「小倉! 待て! 待ってくれ! 俺はお前と話がしたい。頼む。退学を考えた理由を聞かせてくれ! 俺だって、響会長だって……お前が学校を辞めることは望んでいない!」
「だから……金がねーんだよ。俺が働かなきゃ」
小倉は淡々とそう述べた。
「それだけで納得できるかぁっ!」
金の事は厳太郎にはどうにもできない。なにも出来なくても納得だけはしたい。納得出来たら、どうにか退学を避ける道を探したい。そんなもの無いかもしれない。こんなことはただの厳太郎の自己満足だ。
「俺も響会長も、相談ならいつでも受け付ける!」
道行く人は何事かと、厳太郎を横目で見つめてくる。そんなものにかまわずに厳太郎は声を張り上げる。
「だからお前らに相談する奴なんかいねーって」
再び木崎が辛辣な言葉を投げかけてくる。
「だって、お前らいちいち構ってきてうぜーんだもん。そっちのガキだって、なんか人気はあるみてーだけど、本当に頼って相談に来る奴なんて誰もいねーんじゃね? 下心があるロリコンが群がってるだけって気が付かねーの?」
「……貴様っ!」
足が止まらない。暴力など相手を無理やり屈服させるだけの、最も卑怯な行為だ。そんなことは分かっている。しかし、木崎に伸ばされる腕は止められない。
木崎の胸倉を掴み、そのまま締め上げる。
「訂正……しろっ! 木崎っ!」
傍観していた小倉も、とっさに厳太郎と木崎の間に割って入る。
「おい……! 殴るな。学校にばれたら停学じゃすまされないかもしれないぞ」
意外と落ち着いて、小倉は厳太郎に耳打ちする。
「冷静でなど……いられるか!」
木崎も怒りに表情を歪め、厳太郎を引きはがそうと必死にもがく。
「厳太郎! やめろ!」
厳太郎が響の声に、顔を向けた時、
「ぺっ」
厳太郎の頬に何かが当たる。
木崎が唾を吐きかけたのだ。へへ、と木崎は醜悪な笑みを浮かべた。
「……木……ざきいいぃぃぃ!」
厳太郎がキレた。
掴んでいた胸倉を持ち上げる。
毎朝十キロのロードワークと筋トレ。決して人を傷つけるためではなく、精神を高めるために行っていた鍛錬。それを今、厳太郎は自らの怒りを発散させるために使ったのだ。
そのまま木崎を地面に叩きつける。
厳太郎の視界の端に響の姿が映った。いつも自信満々で堂々としている響も、この時ばかりは厳太郎の豹変におびえ、体を縮こませ震えている。
背中から硬い地面に叩きつけられた木崎は、その苦しさに背中を弓なりにもがいている。それだけでは収まらない厳太郎は、木崎の肩を押さえつけると、大きく腕を振り上げた。
怒りで頭が真っ白になっていた。そのとき、
「だめよ。厳ちゃん。それ以上はだめ」
厳太郎の腕は木崎に振りかざされることは無かった。石化してしまったように、びくとも動かすことができない。
振り返ると、ままぁは振り上げた厳太郎の腕を片手で抑え込んでいた。いつものぽやん、とした表情とは打って変わって、厳太郎に真摯な目線を向けている。目が合うと、ままぁはゆっくりと目を閉じ、頭を横に振った。
「……あ」
厳太郎は食い込むほどに掴んでいた手を放し、木崎から距離を取った。地面に仰向けに倒れていた木崎は、小倉に抱きかかえられると、恨みがましく厳太郎を睨みつける。その視線を遮るように、厳太郎の腕を離したままぁが木崎の前に立ちふさがった。
木崎は厳太郎に向けていた刃物のような視線をままぁに向ける。
まさか、ままぁに危害を……!
厳太郎が立ち上がろうとしたとき――ままぁは深く頭を下げた。
「木崎君……だよね。ままぁのむす――お兄ちゃんが……ごめんなさい」
「ままぁ……?」
突然の謝罪に、目を白黒とさせていた木崎だったが、突如ハッとしたように、立ち上がると歯をぎりり、と鳴らす。
「てめぇ! いきなりぶん投げやがって! あんま調子こいてっと……」
「……何だと?」
厳太郎が木崎を睨み返す。
ケンカでは勝てない。
そう思ったのか、木崎は恐れおののいた表情で怯んだ。
「この子には、ままぁからしっかりと言っておきます。木崎君も言いたいことはあるだろうけど……ごめんね。許してくれないかな?」
ままぁが再び頭を下げる。
「おい。もういいだろ? お前じゃこいつには勝てねーよ。ほら……行くぞ」
小倉が木崎の腕を掴み、無理やり引っ張っていく。
「クソッ! 俺が何したっていうんだよ。お前覚えてろよ」
木崎は厳太郎に恨み言を吐き捨てると、小倉に連れられ去っていった。
「……ままぁ……俺」
周りには遠目に何ごとかとささやき合う人が、ちらほらと見受けられた。
「ここじゃ落ち着かないよね。場所を変えましょうか。ほら、響ちゃんも、ね」
響は真一文字に引き結んだ口端を震わせながら、ままぁに向けこくりと頷いた。
「厳ちゃん? 大丈夫?」
ままぁが厳太郎の手を握り、心配そうな表情で見上げていた。
しばらく歩いていく。先ほどカップルを注意した公園にたどり着いた。ここなら先ほどの喧騒とは無縁の場所だろう。
木陰のベンチで厳太郎は重い腰を下ろした。その横に同じように響が座ると、ままぁは二人の手を取り静かに自分の胸に当てる。温かさが手のひらに伝わってくる。
「二人とも、大丈夫? ままぁびっくりしちゃった」
そう言いながらも、ままぁはにっこりとほほ笑む。その笑顔にいたたまれなくなったのか、響が泣きそうな表情で厳太郎を見つめる。
「木崎の件に関しては、私の力が足りなかったんだ。まさか、自ら学校を辞めるなんて言い出すとは……思わなかった」
「あいつには何を言っても無駄です。そういう人間なんですよ」
「私は生徒会長として、木崎の力になってやることができなかった。それが本当に悲しい」
「響会長は、皆から尊敬される素晴らしい生徒会長です」
「厳太郎はやさしいなぁ……」
響は一度ぐす、と鼻を鳴らした。ままぁはその様子を未だ心配そうな顔で見つめている。
響は、ふぅとため息をつくとままぁに視線を向ける。
「ままぁ。本当は生徒会長の私が、あの場を収めなければいけなかったんだ。力不足だった……怖くて……あの場から一歩も動けなかった」
響の目に溜まっていた大粒の涙がこぼれ頬を流れる。響は押し殺したように、嗚咽を漏らす。
「うん、うん。怖かったよね。みんな響ちゃんよりも体が大きい人ばっかりだったもんね。しょうがないよ」
ままぁがやさしく響の頭を撫でる。
堰を切ったように、響が肩を大きく揺らし泣いた。いつも堂々とふるまい、自信に満ち溢れている響ではあるが、やはり生徒会長としての重圧は想像を絶するのだろう。
子供のように、いつまでも泣き続ける響を、ままぁは慈しむように撫で続けていた。
これまでの淀みをすべて洗い流すかのように響は泣き続ける。どのくらい泣いていたのだろうか。次第に嗚咽も小さくなり、響は目を乱暴に擦った。
「お洋服汚れちゃうよ。ほらほら、鼻も……ティシュでちーんしてね」
響は渡されたティッシュで、ぶびょおおおおおぉ、と鼻をかんだ。目と鼻は真っ赤だが、響は晴れやかな顔で、ままぁを見た。
「ありがとう。ままぁ。なんだかすっきりとした」
「そう……それならよかった」
それでも、ままぁは響に心配そうな表情を向ける。
「すまないが、今日はもう帰るよ。ちょっと疲れてしまった。ままぁもまた遊んでくれ。厳太郎。また新学期にな」
「はい……響会長。お疲れ様でした」
響は去っていく途中、何度か振り返ると元気よく手を振っていた。その様子は心配させまいという響の空元気なのだろう。厳太郎はそんな響の姿を見ていると、心に針が打たれたように痛み出してしまった。
ふっ、と厳太郎の手に柔らかいものが触れる。ままぁがやさしく手を握っていた。
「私たちも帰ろうか?」
厳太郎は、ただ黙って頷くだけだった。




