咲⑱
多重子が運転する隣で拓人はみぞおちの辺りが痛むのを堪えていた。何も聞いてこないことを変に思いながら口を開いた。
「ごめんなさい」
多重子は反応せず運転を続けた。顔を見るのも怖くなり窓の外に流れていく景色を見た。家が近くなってくると多重子が話し始めた。
「お前の家の隣に住んでた曽根が夕方うちに来る」
拓人は思わず多重子の方を見た。
「何聞かれてもいらんこと言うなよ」
「…はい」
「あと、家の掃除は暫くせんでいい」
意外な言葉だった。多重子なら肘の怪我など理由にさせてくれないだろうと拓人は思っていた。
車を停めて家に入ると多重子はそのまま奥の方へ歩いていった。拓人は部屋に入り壁にもたれて座った。ひとりになれた安堵を感じていると腹の音が鳴った。最後に食事ができたのは昨日の給食だった。空腹は限界を超えている。
家の電話が鳴った。音が止むと多重子の話し声が微かに聞こえてきた。拓人は片手で水筒の蓋を開けて茶を入れ飲んだ。そして、疲労から目を瞑っているうちに眠りこけてしまった。
「拓人、起きろ」
目を開けると多重子が立っていた。
「飯食べに来い」
後ろについて台所へ行くと多重子は白飯をよそって渡し食卓を指した。
「あれがお前の分や。部屋に持っていけ」
「え…」
「食べたらさっきもらった薬飲め」
食卓に置いてあるのはきんぴらと煮びたしだった。放心していると多重子は苛立ちを見せて言った。
「さっさと運べ。食べた皿は流しに置いとけ、どうせ洗えんやろ」
「はい」
拓人は往復して部屋へと運びそれらを食した。そして夕方に曽根が来ると言っていたことを思い出した。
健司の様子を聞けるかもしれないと期待をしたが、多重子の前で健司のことを言い出すのはまずいような気がした。
トイレに行こうと廊下を歩いていると昼飯を食べに帰ってきた由雄が多重子と話しているのが聞こえた。
「今の先生は細かいこと言うてくるなあ。あいつはうちへ来たときから小柄やったのに、何が痩せてるや」
「お前が飯抜いてしまうからやろ」
「はあ?一食食べんかったくらいで死にはせんし変わらんわ」
「ところであいつはなんで怪我したんや?」
「知らん。どうでもええわ」
「知らんはええけど、周りに聞かれたらなんて言うんや」
多重子は深い溜息をついた。
「さっき電話で学校行く途中と聞いた言うてたわ。どうせぼーっとして躓いたんやろ。近所の奴もまたいらん世話焼きにくるわ、面倒くさい」
「そういや曽根いう人は何時に来るんや?」
「5時すぎやとさ」
「わしは話さんでええんやな?」
「あんたが話したらボロが出そうやから願い下げやわ」
「なんやその言いぐさは。居間でテレビ見とくからな」
「勝手にしい」
多重子が別の部屋に入っていくのを影から見届けて拓人はトイレへと歩いた。




