咲⑭
「矢を放ったのはアルテミスで、お兄さんに騙されてオリオンを殺しちゃったんだ」
「えっ…」
咲は衝撃を受けながら拓人の虚ろな表情に疑問を持った。ただの昔話をどうして真面目に語るのか、そう思った。
拓人は言った。
「綺麗なものって悲しいんだ」
それから拓人は語るのをやめた。心の中には父の純粋な姿が浮かんでいる。
「…悲しくないよ」
咲がそう言うと拓人は振り向いた。咲は続けた。
「悲しくない。咲が新しい意味を作ってあげる」
「どういうこと?」
「3つの星は私達の約束の星。それなら見つけても悲しくないでしょ?」
「約束?」
咲は暫く考えた、そしてこう言った。
「1つ目は、どんなことがあっても私達はずっと友達。2つ目は、どんなときも咲は原君の味方。3つ目は…」
言いかけて止まった咲の言葉を拓人は待ったが咲は黙り込んでしまった。
「……3つ目は考えとく。次ここに来たとき言うね」
「うん」
そして咲は笛を出してクイズを始めた。拓人は咲が楽しそうに笛を吹くのを見てほっとした。ついさっき、一瞬だけ見えた咲の不穏な横顔が時々脳裏にちらついた。
次会う約束をすることなく2人はそれぞれ家に帰った。その日拓人は咲の優しさを思い出しながら眠りについた。
それから連日、あの草原に咲は現れなかった。段々と月見草も枯れ始め数が減っていった。学校で見る咲は関わりのない他人のようで拓人は寂しく感じた。またあの笑顔を隣で見たいと心で願った。
そして1週間が経った頃、いつもの草原へ立ち寄ると咲が座っていた。
「早川」
「…」
咲は笑った。そして立ち上がって言った。
「今日の夜、待ち合わせしよう」
「うん、わかった」
「絶対来てね」
「…行かなかったことないだろ」
「うん」
拓人はもうほとんど枯れてしまった月見草に目をやった。それから空を見上げた。灰色の雲に覆われた空は澱んでいて、これでは星が見えそうにないと思った。しかし、それを言えばまた今度となってしまうかもしれないと心配して口をつむった。
「じゃあね」
そう言って咲はあの日のように立ち去ってしまった。その背を眺めながら咲の見せた笑顔が気になった。思えば咲はどこか謎に満ちている。
家に帰り拓人は掃除をしながら時々外を見た。窓を開けると今にも雨が降るんじゃないかと思うほど湿気を帯びた風が舞い込んでくる。
「拓人」
居間の方から多重子が呼ぶ声がした。拓人は胸にピリッと緊張を走らせて多重子のもとへ歩いた。
「やかんのお茶が減っとるが、お前の仕業か」
「…はい。喉が渇いたから」
「お茶飲んでいいって誰が言うた。人が沸かした茶を勝手に飲んで、泥棒やな」
拓人は泥棒と言われたことにショックを受けた。
「泥棒じゃない」
口をついて出た言葉は多重子の機嫌をさらに悪化させる。